(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史18-1)京都最古の禅寺 妙光寺史 | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

湯浅醤油の社長、新古敏朗が想いを綴ります。
和歌山県の情報の発信、イベント情報などの掲載
日本の醤油の発祥の地から世界のトップもしくは、本当に醤油にこだわっている人に知ってもらいたいと思っています。

丸新本家湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。

 

中瀬賢次 著より 抜粋

 

妙光寺

 

鎌倉時代後期の1285年(弘安8年)に内大臣・花山院師継(かざんいんもろつぐ)が

長子・花山院季(かざんいんただとし)の死を悼み、

山荘を寺院に改め、臨済宗の僧・「心地覚心」を開山に迎えたお寺で

京都十刹寺格を有する禅刹である。

覚心(法燈円明国師)は入宋して無門彗開禅師の法を継ぎ、味噌醤油の技法を日本に伝えた。

 

妙光寺

当寺は京都市右京区宇多野上ノ谷町三番地にあり、

元葛野郡花園村字鳴滝に属し鳴滝の虚無僧寺または印金堂の名をもって世に聞こえている。

即ち高雄街道に沿うて仁和寺の西方約三丁近衝家の陽明文庫(旧境内地)に西接し、

西は植木畑(旧境内地)を隔てて百抽和尚の海雲法蔵寺と袋中上人の泉谷山西寿寺等に隣りし、

紫金台寺の旧趾で有名な紫金台(当時の主山)の南麓に位置していて頗る景勝の地を占めている。

 

 

 

 

 

創建当時の妙光寺は、花山院家の山荘時代の頗る広大な領域を占めていて、

今の嵐電高雄口駅の南方約二丁双ヶ丘(ならびがおか)の西辺(妙光寺大門跡という)にまで延びていたものとみてよかろう。

 

応仁乱後は高雄街道以北の領域に限られたようである。

花山院家 菖蒲菱あやめびし

 

大正の末年頃までは高雄街道に沿うて約三千平方メートル(三段)の大きな庭池があって

妙光寺池と呼ばれていた。

現在は題七十一世住職文学博士今津洪嶽師没後の間のない

昭和四十年十月から四十二年五月にわたって、

荒れるにまかせた本堂・庫裏・書院などの解体修理が完成。

築地土べいに囲まれ江戸初期の禅寺の復元を見ている。

 

とくに境内墓地には、俗に言う

仁和寺の清兵衛で名高い京焼の元祖、色絵陶器を開発した野々村仁清(にんせい)の墓が発見されて

陶芸家の資金援助もあって、復興は予想以上に進捗したわけ。

墓碑にきざまれた命日の二月五日を選んで昭和四十一年から毎年名陶工追善の法要が

墓前で行われている。

それまでは、寛永年間(後述)に再興された一、二の堂宇が荒廃して

漸く名残りをとどめていたに過ぎなかったものが、

創建当時の面影をしのぶには、なお遠いものがあろうが、

純粋の禅宗寺院として京都における最古の道場として両目を維持したことは、

後世へのよき道標ともなろう。

当時の特色は、仏教とくに禅宗史上では東山七葉と称して

中国の立祖法演、開腹道寧、無門慧開の正法を伝えていることと、

吉野朝廷との特殊な関係にあって、吉野朝廷の上に重要な地歩を占めていたことである。

更に当時の異色は開山されて以来、明治維新に至るまで六百年史を通じて、

いわゆる忠君愛国の昔流の日本精神に終始していることである。

忠実としては、花山院家の私寺であるのに、亀山・御醍醐・後村上の三帝より山寺号を賜っていること、

また方丈に神器の間と伝承する一室があって、かつて健武・嘉吉(かきつ)の両戦に一時、三種の神器が奉安されたことがあったという。

(この乱のとき南朝の武士が御所をおそい三種の神器を奪って一時当寺に安置したというもの)

 

image

 

ご縁有って、訪問させていただきました。

心地覚心(法燈国師)さんが、和歌山の興国寺以外にも開山しているもう一つのお寺です。
後醍醐天皇さんから 呼ばれて来たらしいです。

明治維新後 このお寺は、荒れ寺になってしまって

改修するのに大変だったと聞きました。
でもやはり 由緒あるお寺で、登場人物が凄い

心地覚心(法燈国師) 後醍醐天皇  栄西 楠木正成 桂小五郎 坂本龍馬 

味噌 醤油以外にも歴史に登場するお寺と言うこと
 

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史0)みそ・しょうゆ 始祖 法燈円明国師

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史1)心地覚心(法燈国師)の生立ちと味噌・醤油の普及

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史2)覚心書

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史3)味噌・醤油の開発で本朝二十四孝の一人 

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史4)未醤の研究に没頭  宋地における国師の事跡  金山寺味噌が最高!

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史5)朝 味噌 夕 醤湯  法燈一派の敬虔な気持ち 

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史6)朝 味噌 夕 醤湯  その讃仰の詩に日く

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史7)味噌の主産地長野県 「味噌寺」 「みそ神社」

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史8)醤油の勃興・関東西で営業化

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史9)うすくち・こいくち醤油 兵庫県龍野と香川県小豆島の今昔

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史10-1)信州味噌の発祥と生い立ち

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史10-2) 信州味噌の発祥と生い立ち

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史11)全国味噌界に新風 食糧危機を救う中田式味噌速醸法

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史12) 醤油の関西での主産地兵庫県下 国師開基の二寺と国師生涯の大略

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史13)興国寺

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史14)味噌の効果

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史15)味噌作りの知恵

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史16)醤油の高瀬川筋(京都醤油問屋史)

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史17-2)革命前夜の木屋町 志士のアジトは醤油屋

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史17-1)革命前夜の木屋町 志士のアジトは醤油屋

(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史18-1)京都最古の禅寺 妙光寺史