中瀬賢次 著より 一部抜粋
法燈派の総本山鷲峯山興国寺(和歌山県日高郡由良町門前)は、
鎌倉時代、源実朝が非業の再期をとげたのを惜み、その菩提を吊うために、
実朝の近侍であった葛山五郎景倫入道願性が建立した西方寺、
のちの興国寺の庫裏に国師自らが仕込んだ味噌が後世広く庶民の間に普及して、
日本人の座右のものとなって既に七百有余年を経るに至ったわけである。
国師は帰日後、間もない日に請われてこの寺の開基となった。
興国寺 (源実朝の墓) - 平家物語・義経伝説の史跡を巡る (goo.ne.jp)
mitsue172様 のブログ お借りしました。
願性は俗姓を葛山景倫といい、関東の武士であった。
源実朝に仕えており、入宋の命令を受けて九州に渡宋のため滞在していたが、
承久元年(1221)実朝が暗殺されたこと聞いて剃髪し、高野山に登った。
西入なる者が実朝の頭蓋骨を入手し、
将軍の母である鎌倉二品禅定尼真如(北条政子)が
西入の恋慕追福の志を視て、
由良荘の地頭職を賜った。
かげまるくん行状集記より引用かげまるくん行状集記
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史0)みそ・しょうゆ 始祖 法燈円明国師
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史1)心地覚心(法燈国師)の生立ちと味噌・醤油の普及
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史2)覚心書
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史3)味噌・醤油の開発で本朝二十四孝の一人
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史4)未醤の研究に没頭 宋地における国師の事跡 金山寺味噌が最高!
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史5)朝 味噌 夕 醤湯 法燈一派の敬虔な気持ち
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史6)朝 味噌 夕 醤湯 その讃仰の詩に日く
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史7)味噌の主産地長野県 「味噌寺」 「みそ神社」
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史8)醤油の勃興・関東西で営業化
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史9)うすくち・こいくち醤油 兵庫県龍野と香川県小豆島の今昔
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史10-1)信州味噌の発祥と生い立ち
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史10-2) 信州味噌の発祥と生い立ち
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史11)全国味噌界に新風 食糧危機を救う中田式味噌速醸法
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史12) 醤油の関西での主産地兵庫県下 国師開基の二寺と国師生涯の大略
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史13)興国寺
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史14)味噌の効果
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史15)味噌作りの知恵
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史16)醤油の高瀬川筋(京都醤油問屋史)
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史17-2)革命前夜の木屋町 志士のアジトは醤油屋
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史17-1)革命前夜の木屋町 志士のアジトは醤油屋
(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史18-1)京都最古の禅寺 妙光寺史