この書物の当時、現在日本人は一年間に一人当たりしょうゆは約九リットル(約五升)、みそは5.70キログラム(約一貫五百匁)消費する。
現在は、わずか1.7L/年
安い醤油だと、200円~300円しか醤油に使わないという事態です。
良い醤油を使うと、食材も料理も活きる事をもっと知ってもらいたいです。
そうして日本全土のどこの地方に行ってもみそとしょうゆは造られているが、味噌にあっては長野県を筆頭に愛知、新潟、東京、北海道、福岡、青森、徳島、栃木、熊本の順で筆頭の長野県は全生産の三分の一を造っている。
また醤油は昔ながらに主産地は千葉県の銚子、野田、兵庫県の竜野、愛知県、香川県の小豆島ということであって、次は福岡県。そこから醸しだされるキッコーマン、ヤマサ、ヒガシマル、ヒゲタ、マルキン、イチビキ、ニビシ、マルテンなどいわゆる大手によって全生産量の二分の一を占めている。
発祥の地は和歌山県下の由良から湯浅に至る海岸線一帯の地域である。殊に国師が直々に手を取って伝授した人覚性尼が湯浅の人であるからである。由良駅から海岸寄りには国師が定住した開基の興国寺がある。
この味噌や醤油が後年商品として全国的に広がったということには、何人といえども異論をはさまない筈である。
その後、徳川時代となって湯浅醤油は紀州藩の特別保護を受けて製造、輸送、販売から集金に至るまでサムライ(武士)が面倒をみた。
この湯浅醤油を千葉銚子で製造しはじめたのは、日本醤油中興の祖ともいうべき人、田中玄蕃(ヒゲタ醤油)が元和二年(一六一六)に、初代浜口儀兵衛(ヤマサ醤油)が正保元年(一六四四)の二人で、いわゆる関東醤油の元祖である。
これよりさき京都では山中、岡村の両家が文禄年間(一五九二~一五九六)から醤油の営業を行っており、小豆島もこの頃に創業者があるなど、それと前後して竜野では横山、円尾の両家が製造しているので、関西醤油は湯浅を皮切りに関東に比べ歴史は古い。
銘柄亀甲萬(キッコウマン)の工場
今の千葉県民に和歌山県人を祖先に持った人が多く、白浜、勝浦も名残りである。当時の銚子は葦の生い茂った沼だらけの土地だが、気候風土が湯浅海岸に似て醸造に適し、利根の水運で結んだ大消費地の江戸があったので野田も参加して醤油のメッカとなった。
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