竜野の醤油も心地覚心(法燈国師)だと、言われているらしい
これも、調査できるか行ってみたいと思うようになりました。
竜野地方では、国師は帰日後の文永年間(一二六四~一二七五)に
姫路市の書写山円教寺で坐禅をくむかたわら又は、
瑠璃山東光寺(国師の開基)で、播磨灘に面する沿岸一帯の海の漁師や農民にも
味噌・醤油の製法を口授していた。
書寫山圓教寺・仁王門
これが竜野醤油の起源となり天正年間(一五八七頃)に竜野醤油が発祥したと伝えられている。
それから漢文一二年(一六七二)信州飯田の城主脇坂安宅が竜野の地に移封されたとき、
醤油事業が地方産業として保護推励したので、京都、大阪その他に竜野醤油の進出となった。
竜野は揖保川の清流に影を写す町・三方を緑の山に囲まれた山紫水明の地。
竜野醤油の元祖は円尾孫左衛門長村(円尾家の祖)、
横山五郎兵衛宗信(横山家の祖)の二人であり、
二代目円尾孫左衛門長徳(号仙斎)は、家人、
手代衆の反対を押し切って永年研究してきた特異の薄色醤油の造り方を試み、
市販したところ消費者に嗜好に投じ大いに需要を喚起した。
自信を深めた孫左衛門長徳は、うすくち醤油の基礎を築き上げた。
小豆島は年貢の上納の取り立てが厳しくなってきたので収入の道を考えて選んだのが醤油の製造であった。
文禄年間(一五九二~一五九六)に紀州湯浅からその製法が伝わってきた。
橋本屋文左衛門は慶長年間(一五九六~一六一五)単独湯浅に渡り、先進地の製法を見聞するかたわら実地に教えを乞うて帰島。小豆島醤油の中核の祖となった。
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