(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史1)心地覚心(法燈国師)の生立ちと味噌・醤油の普及  | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

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日本の醤油の発祥の地から世界のトップもしくは、本当に醤油にこだわっている人に知ってもらいたいと思っています。

丸新本家湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。

 

鎌倉時代 栄西の影響で、中国の禅のブームが起こります。
中国の南宋の径山寺に3代将軍、源実朝の菩提を弔う為と禅の教えを習得するため
心地覚心(法燈国師)は、高野山から中国に渡ります。


 そこで、麹つくりを持ち帰る計画を試みて、見事に成功します。
かれは、日本の庶民の為に技術を惜しみなく伝えました。
これが、金山寺味噌(紀州由良町から湯浅町一帯にひろがりました。)
そのたまりが 湯浅醤油となるわけです。

 

心地覚心(法燈国師)の生立ちと味噌・醤油の普及

 

 

 

 

中瀬賢次 著より 抜粋

 

味噌の俗語

⦿手前みそ

  味噌づくりが家庭の主婦の大切な仕事の一つであった時代は、「手前どもの味噌は他に比べておいしい」という自然に転じて自分のことをほめる意となった。

⦿みそ

  よきにつけ、あしきにつけ「そこがみそ」と言う表現はそのことを特色づけています。

⦿みそをつける

  失敗にうろたえる意味。即ち料理に失敗しても火傷をしたとき、味噌や醤油をつけると治るというところから生まれました。

⦿みそ桶にふたをせよ

  悪い声で歌をうたうと(音痴)味噌が腐るからふたををせよ。ぬか味噌にふたともいう。

⦿みそ臭い

  いかにもその道の人らしいいやみがあって、あかぬけしない。

⦿みそも糞も一緒

  視覚からくる表現。めちゃくちゃ、くそみそにけなす。

⦿みそを摺る

  追従、おべっかを言う

味噌

“味噌すり坊主”という言葉がありように、坊主は味噌と醤油に因縁が深い。それも主として禅宗で云われていることで、他の宗旨ではあまり云わないように味噌や醤油は、禅宗はなやかな鎌倉時代の中頃から急速に庶民の間に普及していった。

それもそのはず、建長六年(1254年)に中国から帰国した心地覚心(法燈国師)と云う一禅僧が、中国の禅林から習得した味噌と醤油の製法を一般庶民に自ら取って教えたからである。

 

心地覚心は父に早く別れ(戦死)母の手一つで育てられ、一五歳の戸隠山の神宮院(長野県上水内郡戸隠村)で偏・仏の学を修め、19歳で出家、熊野詣での人に伴なわれ奈良に出て、東大寺の忠覚律師から戒法を授かり、高野に登って覚仏、道範、蓮道の諸阿闍梨に真言密教と三輪流の神道を学び、次いで禅定院(現在の金剛三味院(高野山))の行勇禅師に謁して初めて禅に参じた。

 

金剛三味院 高野山玄関口

高野山の玄関口 大門

 

三十三歳、京に登ってこの道元禅師に謁し菩薩の大戒を受けてその血脈を授けられた。

さらに上州(群馬)甲州(山梨)鎌倉(神奈川)京都で諸德に参じて禅の修行に精進したが、四十三歳の時、入宋求法の志を決して、高野に登って葛山五郎景倫入道(願性禅師)に願い、
願性は鎌倉3代将軍 源実朝の遺骨(紀伊由良の西方寺(和歌山県由良町門前・鷲尾山興国寺に安めてた)の一部を宋国に納骨して将軍の意思を全うしたいと懇諝し、資金を贈った。
 

興国寺

和歌山県由良町 興国寺

興国寺門

和歌山県由良町 興国寺 門

 

 

 

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