(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史2)覚心書 | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

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湯浅醤油の社長、新古敏朗が想いを綴ります。
和歌山県の情報の発信、イベント情報などの掲載
日本の醤油の発祥の地から世界のトップもしくは、本当に醤油にこだわっている人に知ってもらいたいと思っています。

丸新本家湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。

 

心地覚心(法燈国師)の生立ちと味噌・醤油の普及 (湯浅醤油と金山寺味噌の歴史1)に続き
みそ・しょうゆ 始祖法燈円明国師 より抜粋しました。

和歌山県湯浅町の「日本の醤油発祥」が掲載されています。

すこしづつ掲載します。

 

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中瀬賢次 著より 抜粋

 

禅ブームを招く青年学徒

 

世界一の文明国、中国。玄界灘の荒波を死を覚悟して走破した日本の青年たちの多くは禅僧であった。修業に熱達すれば“免許”を貰い帰国をするのが習わしであり、国師のその一人であった。

 

金山寺で過ごした心地覚心(法燈国師)は、杭州霊洞山護国寺の無門和尚の明師に会いに行き「汝、来ること、はなはだ遅し、吾既に齢い七十一才、余命幾何もなし、今日来たり訪う随喜、随喜」と遠来の国師をねぎらい即座に「心即是仏、仏即是心、心仏如如、互古互今」の偈(仏の功徳を讃美し、法の道理を称え述べた詩句)を作って授けた。

国師は、この偈を以て終身の標語とし、凡そ人の語を請うあれば必ずこの語を書いて与えたと伝えられる。

「心即是仏仏即是心心仏如如互古互今

「しんそくぜぶつ、ぶつそくぜしん、しんぶつ、にょにょ、いにしえにわたり、いまにわたる。」

 

覚心書

 

心地覚心(法燈国師)は、「われ十九歳故郷信濃国神林県を出て、南都東大寺に具足戒を受けてからこの方、道のためには身命を惜しまず、京・鎌倉に知識を求め、南都・高野に仏道を探る。遂には遥か宋域に法を求めて、幸いに仏眼禅師に法を得て参学のことここに終わった。

これひとえに仏天の加護、父母知識の恩徳である。感涙ここに催し、眼ためにあつし、謝せすんばあるべからず、報ぜずんばあるべからず」と述懐している。

 

禅ファンになった将軍、大名は禅僧達を招いて特別講義を聴く熱の入れようで、
禅僧を中心に礼儀作法“小笠原流”の基礎まで禅文化から吸収していった。

 

心地覚心(法燈国師)は帰国するや、直ちに高野山禅定院(金剛三味院)に行勇禅師(ぎょうゆう)に謁して法乳の恩に報いられている。

 

高野山金剛三味院山門

高野山金剛三味院創建は建暦元年(1211)その多くは国宝。高野山では格式随一を誇っている。

心地覚心(法燈国師)は当院第六世の長老である。写真は珍しい二層造りの山門。

 

 

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