こんにちは![]()
2026年2月3日に発行された
『新しいみその教科書 日本人に味噌が必要な7つの理由』(エクスナレッジ刊)
に丸新本家が掲載されました。
掲載された記事はこちら~
こんにちは![]()
湯浅醤油有限会社 丸新本家の新古敏朗です。
節分の日 大阪堂島アバンザで開催された、感謝祭イベントに誘われて行ってきました。
クレープイベントですし、バレンタインも近いのでカカオ醤を会場に持ち込んで食べていただきました。
すると、CCI 在日フランス商工会議のニュースに取り上げられてましたので
報告させていただきます。
2026年2月3日、堂島アバンザの関西オフィスにて、恒例の聖燭祭・ビュッフェを開催し、過去最多となる32名の皆様にご参加いただきました。和やかで温かい雰囲気の中、参加者の皆様の高い関心と熱意を反映し、予定時刻を大幅に超えて交流が続きました。
当日は、関西デスクのチームが多彩なクレープをご用意し、参加者の皆様にお楽しみいただきました。
湯浅醤油有限会社とフランスのボルドーのワイナリーとの取り組みが評価され
CCI 在日フランス商工会議さんにお邪魔するようになったのは、2025年2月4日に「クード・クール賞」を受賞したのをきっかけ
カカオ醤をチョコクレープの上に塗って食べたのですが、すれが皆さんに人気でした。
カカオ醤 粒
カカオ醤ペースト
こんにちは![]()
2026年1月29日の日本食糧新聞 関西四国新春特集の
第一部【価値創造へ、食品産業の挑戦へのコーナー】
第二部【新年の抱負】
に湯浅醤油が掲載されました![]()
掲載された記事はこちら~
以下、本文より
古式製造文化を後世へ
湯浅醤油
湯浅醤油は国内最大級の杉樽2基を昨年10月、有田郡湯浅町の同社本社九曜蔵に新設。
静岡県の天竜杉材100本を使い、他kさ5.5m、直径3.4m、容量45tの杉樽で、
国産大豆、国産小麦、五島灘の塩だけを原料とする看板醤油「樽仕込み」を醸造し、
かつて主流だった微生物による発酵環境がもたらす古式醸造法の醤油を未来、
世界へ伝えていく。
同社は1881年創業の丸新本家が30年以上休止していた醤油製造の再開を決意し、
立ち上げられた醤油部門。
1990年に金山寺味噌の溜まりから醤油造りを再開し、
2002年に古式醸造法で「樽仕込み」「生一本黒豆」を生み出し、
醤油発祥の地・湯浅の醤油蔵として歴史を再始動した。
04年には蔵を一般開放し、16年に高さ4.7mの関西最大級木樽3基を設置。
今回は高さ5.5mの木樽2基を増設し、
需要高まる看板醤油「樽仕込み」の増産体制を敷いた。
早ければ28年頃に36tの醤油が完成する。
新古敏朗社長は「日本醤油発祥地・湯浅は
木桶仕込みの蔵元が江戸時代には90件超あったが、今は数軒。
古式醸造の伝統を守り続けることは、地域文化の継承でもある」と語り、
国内全体の約1%までに減少した天然醸造醤油を後世へ、世界けと伝えていく。
和食のユネスコ無形文化遺産登録、同社が進めるフランスのワイナリーとの
共同醤油醸造事業の影響もあり、海外客も連日訪れる同蔵で、
伝統製法による醤油造りに真摯に向き合っている。(深瀬雅代)
湯浅醤油
人・ヒト・モノ・コト・金
こんにちは![]()
1月1日発行の業界専門誌【食品包装】にてフランス醤油を取り上げていただきました。
記事はこちら
★以下、本文より
●湯浅醤油
湯浅醤油(和歌山県湯浅町)は2025年10月、フランス・ボルドーの
ワイナリーで仕込んだ2種類のしょうゆ
【SHINKO NOIRE(シンコノワール)」
「SHINKO BLANCHE(シンコブランシュ)」
を数量限定で発売した。
2024年の商品化に続く第2弾で、今年はオリジナルの木箱で贈答仕様に
ブラッシュアップ。
フランス製のボトルと日本製の木箱を組み合わせたパッケージは、
伝統を守りつつしょうゆの新な可能性に挑戦し続ける
同社の姿勢の表れでもある。(取材・文/福本周子)
3.11やコロナ渦を乗り越えて
同社は1881年、創業者の新古(しんこ)スミ氏が前身である
金山寺みその店「新古商店」を開業。
1900年ごろ、しょうゆの製造販売を停止。
以降は金山寺みその製造に専念し、1985年に「丸新本家と改名した。
1990年には現社長の5代目当主・新古敏朗氏が入社。
金山寺味噌の溜まりしょうゆを開発・販売を開始し、
2002年に「湯浅醤油有限会社」を設立してしょうゆ造りを再開した。
木樽(だる)による仕込み、大豆にゆで汁に塩を混ぜて仕込み水として使う
古式製法、1年以上の熟成期間など、伝統的な手法を守りながら
時代の変化に合わせて挑戦を続けている。
2006年、黒豆を主原料とする「生一本黒豆」が
ベルギーで「モンドセレクション」の金賞を受賞したのをきっかけに、
フランスとベルギーでの取り扱いが始まったが、
2011年の東日本大震災の影響で停止に。
再開を模索する中、
ボルドーのワイナリーを音連れたことが契機となり、
2018年11月に同地で日本醸造家とのテスト製造をスタート。
コロナ渦での再度中断を経て、
ボルドー・サンテミリオンのワイナリー「シャトー・クーテット」から
「一緒にしょうゆ造りを」との声がかかり、
2023年から協働での仕込みがスタートした。
フランス産のオーガニック大豆、塩の産地として知られるイル・ド・レ産の塩を原料に
ワイン樽で仕込み・熟成。
使用する道具もワイン醸造用のものを流用したり自作するなどして、
フランスならではのオーガニックしょうゆを造り上げた。
日本とは異なるモノづくりに戸惑うこともあったが、
「同じ醸造業なので通じるところも多かった」と振り返る。
2024年4月、濃い口しょうゆの「SHINKO NOIRE」を発売し、
2025年には小麦が主原料の白しょうゆ「SHINKO BLANCHE」を追加。
商品名は、新古社長の名前とフランス語で「黒」と「白」を意味する語を組み合わせ、
味や色のイメージをわかりやすく表現した。
ボトルはフランス製、木箱は日本製
2024年はボトル単体で販売したが、
2025年10月、日本での発売分は組子細工の木箱をセットにし、
そのまま飾っておきたくなるデザインを目指した。
木箱は湯焼酎の耐衝撃性なども考慮し、クリアカートンで保護している。
ボトルとキャップは現地調達し、箱は日本製のものを採用した。
特にキャップはやや特殊な構造で、打栓前は外蓋と中栓が合体した状態だが、
しょうゆを充填後、ボトルに装着すると中栓だけが瓶内部に残って外蓋が分離する仕組みだ。
液だれもなく、見た目にも美しい形状だが
日本で業者に問い合わせても類似品が見当たらず、
現地でも入荷まで数か月待ちだったが、
新古社長は「自社の他商品でも使いたい。日本にないなら作ろうかと思っている」
というほどの気に入りようだ。
ボトルには直接印刷で商品名などをデザインし、
封緘シールも農園の風景を表現するなど、細部にまでこだわっている。
フランスのワイナリーが仕込んだしょうゆとあって、
世界初の百貨店と言われるパリのボン・マルシェの店頭に
2商品が計6面で陳列されるなど、異例の対応が実現。
各国のワイン雑誌でも紹介されるなど反響が大きく、
初回製造分9000本のうち7000本を3ヵ月で販売した。
2024年10月には日本でも「~NOIRE」を200本限定で自社直営店舗4店で発売し、
1本1万円超という価格ながら完売。
2年目となった2025年も、4月にフランスで発売した第1ロットは3ヵ月で完売。
日本では10月1日の「しょうゆの日」に、第2ロットを「~NOIRE」は290本、
「~BLANCHE」は95本の限定で、直営店4店舗で発売した。
◇ ◇
2002年、新古社長が有限会社として「湯浅醤油」を立ち上げ、
自社で途絶えていたしょうゆ醸造を再開した経緯には、
地元がしょうゆ発祥の地であることを知らなかった自身の体験がある。
江戸時代の湯浅には90件以上あったといわれるしょうゆ蔵は、
明治維新による政変や輸送手段の変化など、時代の波の中でわずか数社にまで減った。
「しょうゆ発祥の地で世界一のしょうゆを造り、湯浅を訪れてもらうことで、地元の子供たちにもその歴史ろ伝統を伝え、将来、誇りをもって発信してほしい」
というのが同氏の願いだ。
しょうゆ発祥の地から世界をつながる商品を生み出した同社の挑戦に、
引き続き注目したい。
2025年版の
フランス産醤油は自社ECサイトにて購入可能です!
こんにちは![]()
1月9日に、朝日新聞の『カンサイのカイシャ ここがオモロイ』のコーナーで湯浅醤油を取り上げていただきました。
★以下、本文より★
世界進出 発祥の地の夢仕込み
焼き魚に目玉焼き、卵かけご飯に欠かせないのはアレですよね。世界一のしょうゆを造りたいー
しょうゆ発祥の地とされる和歌山県湯浅町の会社「湯浅醤油」はそんな思いを掲げます。その先に見据えるのは地域のにぎわい。夢は広がります。
和歌山県中部の西岸に位置する小さな港町、湯浅町。湯浅醤油で昨年12月、国内最大級の国産杉の木樽2基がお披露目された。
新古敏朗社長(56)は、関係者らを前に思いを語る。「江戸時代に92件のしょうゆ屋があったが、どんどん減った。このままじゃいかんと。湯浅をまた盛り上げたい」
子供の頃から、故郷とは釣りとミカンのまちだと教わった。「しょうゆ発祥の地」のはずなのに、近所にしょうゆ屋は数軒しか残っていない。
歴史を復活させる、との思いで家業であるみそ造りを続けてきた。5代目になった時に世界へ打って出ようと決めた。
目をつけたのが、「美食の国」フランス。2014年、ワインの産地として有名なボルドー兵器、複数のワイナリーを視察した。木樽で熟成させる製法は同じ。こうじ造りの技術取り入れれば、現地で醤油が造れると思い立った。
コロナ渦が落ち着いた頃。現地の生産者から「しょうゆ造りを一緒にしたい」と申しでが届く。
小麦と大豆の割合が同じで1年ほど熟成させる濃い口の「ノワール」と、9割が小麦で半年ほど熟成させた白しょうゆの「ブランシュ」の2種類が完成する。24年に現地で売り出すと、用意した7千本が3ヵ月で売れた。日本にも1千本を予定していたが、その売れ行きのあまり、届けられたのは200本だけだった。
「わりにええとこばっかり言うてますけど、実は、こうじ造りはトラブル続きやった」。現地での裏話を、新古社長が明かす。
機材などの設備は古く、冷却ファンやヒーターが故障した。雨が降れば停電した。現地の人は時間にもおおらか。作業時間になっても現場に来ない。昼食時にワインを飲みながら話し込んでいた。仕事の話かと思ったら、「世間話やった」。
それでも、技術指導の2週間は寝泊りして家族のように過ごした。次第に関係が築けた。教えたことに「100%信頼している」と言われた。おおものをつくろうとする熱意は同じだった。
フランスのしょうゆ造りが好調となり、尾まではカナダやスペインなど他の国・地域からも声がかかる。
世界へ目を向ける一方で、同社は地元の観光にも力を入れる。
蔵の見学や、もろみの熟成を促すためにかき混ぜる「櫂入れ」の作業体験もできるようにした。すると旅行会社のツアーが立ち寄り、観光バスで団体客が訪れるようになった。
湯浅町観光協会によると、問い合わせの半数は「しょうゆ」が目当て。蔵の見学ができる同社を案内しているという。
新古社長は立ち止まらない。「海外から注目されれば、この湯浅が光る。『湯浅に行かなあかんで』って言ってもらえるような地域にせなあかん」(松永和彦)
湯浅醤油
1881年層状の「丸新本家」のしょうゆ製造部門として2002年に設立された。独自のうまみと香りを生み出す木樽仕込みを続ける。和歌山県湯浅町湯浅に本店を構え、直営販売店は県内4か所。従業員18人。燃焼約3億円。しょうゆの製造・販売のほか醤油蔵の見学も受け入れている。
代表的な商品は「湯浅醤油 生一本黒豆」。
現場統括部長の塩谷正人さん(46)
別会社の社員だったが、社長の「まちを盛り上げたい」との気持ちにひかれ。面接を受けるも2度の不採用。会社を辞めて挑んだ3度目で採用に。「お客様が納得して買ってくれる商品を作ります」
こんにちは![]()
2026年1月発行の『広報ゆあさVol.614』に新木樽お披露目式典の開催について掲載されました。
掲載された記事はこちら
以下、本文より
話題 日本最大級の木樽が誕生しました。
12月5日(金)、湯浅醤油有限会社において、
木樽誕生記念お披露目会が開催されました。
木樽仕込みによる醤油製造は希少な製法として禁煙注目され、
湯浅醤油ではその伝統的な製法を守り続けています。
今回新設された木樽は、国産杉を使用して造られたものとしては
日本最大級になります。
Topic: One of Japan’s Largest Wooden Fermentation Barrels Has Been Completed
On Friday, December 5, a commemorative unveiling ceremony was held at Yuasa Soy Sauce Co., Ltd. to celebrate the completion of a newly constructed wooden fermentation barrel.
Soy sauce production using traditional wooden barrels has become increasingly rare and is now attracting significant attention as a valuable artisanal method. Yuasa Soy Sauce continues to preserve this heritage technique, passing it down through generations.
The newly installed barrel is one of the largest in Japan made entirely from domestically sourced Japanese cedar.
Its completion marks an important milestone in the ongoing preservation and revitalization of Japan’s traditional soy sauce culture.
1.九曜紋とは
**九曜紋(くようもん)は、中央の大きな円の周囲に八つの小さな円を配した、日本の伝統的な家紋の一つです。
この意匠は、星辰(せいしん)信仰に基づくもので、古代インド天文学に由来する「九執(くしつ)」**の思想を源流としています。

九執とは、
の九つの天体を指し、人の運命や国家の興亡に影響を与える存在と考えられてきました。
このため九曜紋は、単なる装飾ではなく、
天の秩序・守護・調和を象徴する霊的意味を持つ家紋として、
平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけて、武家社会で重んじられてきました。
実際に、九曜紋は「天命」や「星の加護」を重視した有力武将や大名にも好まれ、
細川忠興、織田信長、伊達政宗、石田三成などが用いたことで知られています。
2. 湯浅に伝わる特別な九曜紋
湯浅で受け継がれている九曜紋は、一般的な九曜紋とは異なり、
皇族の象徴である「菊紋」の半分(半菊)をいただいた、極めて珍しい形をしています。

この家紋は、平安時代後期、紀伊半島の広い地域を勢力下に治めていた豪族、
**湯浅宗重(ゆあさ むねしげ)**の家紋であったと伝えられています。
湯浅宗重は藤原北家の流れをくむ武将で、
平清盛の時代、**平治の乱(1159年)**において騎馬隊を率いて清盛方に与し、
京都奪還において重要な役割を果たしたとされています。
その功績により、従来の九曜紋に加えて、
特別な恩賞として**皇族の菊紋の「半分」**を賜り、
「半菊九曜」となったと伝えられています。
全ての菊を用いることは恐れ多いとして、
あえて半菊のみを拝受したというこの逸話は、
当時の武家社会における朝廷への敬意と、日本独特の美意識を今に伝えています。
この九曜紋は現在も、
地元の寺院である深専寺や、宿泊施設湯浅城の瓦屋根などに見ることができ、
湯浅の歴史と精神を象徴する紋章として、大切に守り伝えられています。
また、丸新本家では、
四代目当主・新古正義が、当時の湯浅町長・寺西清氏の許可を得たうえで、
「九曜むらさき」などの商品にこの家紋を使用しました。
現在では、商標登録も行われ、
九曜紋は湯浅の誇りと伝統を象徴する正式な意匠として、
現代のものづくりへと受け継がれています。

湯浅宗重の孫にあたる**明恵上人(みょうえしょうにん)**は、
鎌倉時代を代表する高僧の一人です。
明恵上人は、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜され、
華厳宗興隆の拠点として高山寺を開山しました。
高山寺は、国宝「鳥獣人物戯画」を所蔵する名刹であり、日本最古の茶園を拓いた地としても知られています。
明恵上人の思想と教えは、法燈国師ら高弟たちによって受け継がれ、
由良町に開山された「興国寺」は、禅とともに味噌・醤油をはじめとする発酵文化を伝える重要な寺院となりました。
禅宗の僧侶たちは、中国から禅の思想とともに、味噌・醤油・お茶の文化を日本にもたらし、
それらは日本の風土と人々の知恵によって独自に発展し、今日の日本の食文化へとつながっています。
和歌山県湯浅町。かつて、この町には醤油の香ばしい香りが立ち込めていたといいます。
しかし、私がその町で育った1970年代、その香りは消えかけていました。
子供の頃の記憶にある湯浅は、醤油の町ではなく「釣りのメッカ」や「有田みかんの産地」でした。駅前には釣り客を歓迎する看板が並び、学校でも日本一のみかんの里だと教えられて育ったのです。
実家の「丸新本家」には、大阪から来た釣り客が一升瓶で醤油を買っていく光景がありました。幼い私は、なぜ彼らがわざわざ重い思いをして醤油を買っていくのか、その理由がわからず、「うちの醤油は美味しいんだな」と思う程度でした。
転機は、二十歳を過ぎた頃に訪れます。 大阪の人から投げかけられた一言が、私の人生を大きく変えました。 「湯浅って、醤油の発祥の地やんか」
その言葉に、私は耳を疑いました。生まれ育ったこの町が、日本の食文化を支える醤油の故郷だなんて、一度も聞いたことがなかったからです。そこから私は、歴史を調べ始めました。
(由良町、高野山、京都、兵庫県、鎌倉、中国(径山寺)その他 醤油や味噌に関わるお寺を尋ねました。)
そこで見えてきたのは、あまりにも深く、そして切ない歴史の断片でした。
今から約800年前。一人の僧侶、心地覚心(法燈国師)が、源実朝公の菩提を弔い、禅の教えを極めるために南宋(中国)へと渡りました。彼は命懸けの修行の末、由良町の興国寺に「金山寺味噌」の製法を持ち帰ります。その味噌から滴り落ちた「たまり」こそが、醤油の原型となったのです。

・豊臣秀吉から醤油の自由販売を許されるほど、湯浅はかつて日本中に名を馳せました。
天正15年(1591年)
・江戸時代には92軒もの醤油屋が軒を連ね、町は活気に溢れていました。
江戸時代後期(18世紀末〜19世紀前半)
特に 文化・文政期(1804〜1830年)から天保初期(1830年代) にかけてが
最盛期=92軒体制 であったと考えられています。
江戸の人口は100万人超(世界最大級)
「味の安定した調味料」=醤油の需要が爆発的に増加
② 湯浅の地理的優位
湯浅湾 → 紀州廻船で大坂、江戸、瀬戸内
問題 : 私が子供の頃には、その数はわずか3〜4軒にまで激減していました。
かつては町の誉れであったはずの産業が衰退し、いつしか人々の口から語られなくなっていった。「自慢できる産業ではなくなった」ことで、町の人々は子供たちにその歴史を教えるのをやめ、記憶を**「封印」**してしまったのではないか。私はそう気づいた時、胸が締め付けられる思いがしました。
「このままでは、800年の歴史が消えてしまう」
その危機感が、私を突き動かしました。2002年、私は**「湯浅醤油有限会社」**を設立します。それは単なる商売ではありません。封印された町の誇りを取り戻し、湯浅を再び「日本の始まりの街」として世界へ知らしめるための挑戦でした,。


かつて一人の僧侶が海を渡り、希望の種を持ち帰ったように。
今度は私が、この湯浅から世界へと、800年の魂を込めた一滴を届けていく。
湯浅醤油は、日本を代表する世界ブランドになるために。

だから、フランスボルドーでも醤油を醸造しています。


記 湯浅醤油有限会社 丸新本家の新古敏朗

私たちの物語は、まだ始まったばかりです。
— Yuasa Soy Sauce’s New Departure to the World**
Yuasa Town, Wakayama Prefecture.
There was a time, it is said, when the rich aroma of soy sauce filled the air of this town. Yet when I was growing up here in the 1970s, that fragrance was already fading.
In my childhood memories, Yuasa was not known as a town of soy sauce. It was famous instead as a “fishing paradise” and a major producing region of Arida mandarins. Signs welcoming anglers lined the area around the station, and at school we were taught with pride that this was one of Japan’s leading citrus regions.
At my family business, Marushin Honke, anglers visiting from Osaka would buy soy sauce by the isshō-bin (large glass bottles). As a child, I could not understand why they would go to such trouble to carry something so heavy back with them. I only thought vaguely, “Our soy sauce must be good.”
The turning point came after I turned twenty.
A single remark from someone in Osaka changed the course of my life.
“Yuasa is the birthplace of soy sauce, isn’t it?”
I was stunned. I had never once been told that the town where I was born and raised was the origin of soy sauce—an essential pillar of Japanese food culture. From that moment on, I began researching its history obsessively.
What emerged was a story both profound and heartbreaking.
About 800 years ago, a monk named Kakushin (later known as Hottō Kokushi) crossed the sea to the Southern Song dynasty in China to pray for the soul of Shogun Minamoto no Sanetomo and to pursue Zen training. After enduring life-threatening ascetic practice, he returned to Kōkoku-ji Temple in Yura and brought back the method for making Kinzanji miso.
The liquid that slowly seeped from that miso—tamari—became the prototype of soy sauce.
Yuasa flourished so greatly that Toyotomi Hideyoshi himself granted permission for the free trade of its soy sauce. During the Edo period, as many as 92 soy sauce breweries lined the town’s streets, and Yuasa thrived with energy and pride.
Yet by the time I was a child, only three or four remained.
An industry that had once been the town’s greatest source of pride declined, until it was no longer spoken of. Perhaps because it was no longer something to boast about, people stopped telling their children its story. The memory, I realized, had been quietly sealed away. When that truth sank in, my chest tightened with sorrow.
“If this continues, 800 years of history will disappear.”
That sense of crisis drove me forward. In 2002, I founded Yuasa Soy Sauce Co., Ltd.
This was not simply a business venture. It was a challenge to reclaim a pride that had been sealed away—and to reintroduce Yuasa to the world as “the place where it all began.”
My gaze no longer remained fixed on this small town alone.
“To create the world’s finest soy sauce and deliver it to the world.”
With that single conviction, I traveled to New York—the heart of the global economy—and to France, the birthplace of gastronomy, sharing the true value of Japanese tradition wherever I went.
Just as a monk once crossed the sea and returned with seeds of hope,
now it is my turn—to carry a drop infused with 800 years of spirit from Yuasa to the world.
Yuasa Soy Sauce is on its path to becoming a global brand representing Japan.
And our story has only just begun.
毎年恒例の南紀白浜とれとれ市場の歳市大売出しのチラシを掲載します。


