中瀬賢次 著より 抜粋
醤油の関西での主産地竜野を抱える兵庫県下に、
国師が開基したお寺、金剛山宝満寺(神戸市長田区)の時宗の開祖一遍上人が開山法燈国師から禅を学んでいた。
この寺は大同三年(808)弘法大師の開創と伝えられ、
治承四年(1180)平清盛が守護寺として現在地に移築。
寿永三年(1184)一の谷合戦のときに烏有に帰した。
その後、文永三年(1226)法燈円明国師が伏見帝の勅命によって再建、
真言密教から禅宗に改め禅風大いに振起した。
一遍上人(真光寺開祖遊行祖師)の著書は「語録・藩州問答集」などがある。
宝満寺にて、由良の法燈国師に参禅し給ひけるに、
国師念起即覚の話を挙せられければ、上人かく読みて呈したまひける。
となふれは、仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏の声ばかりして。
国師この歌を聞きて「未徹在」とのたまひければ、上人またかくよみて呈し給ひけるに、
国師手巾薬籠を附属して印可の信を表したまふとなん。
となふれば、仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。
その宝満寺は、第九世深源志遠禅師即ち建武三年(1336)
足利尊氏が本陣として楠・新田の両軍と対決した。
世に云う湊川合戦の桧舞台でもあった。
一方、妙光寺は京都にあっては最古の禅寺で弘安八年(1285)国師は請われて開祖となった由緒深い寺であることは、同寺の史略にあるところであるが、
その第三世である勅謚広済禅師に特に帰依する楠木正成は湊川出陣に際し、
更に謁して最後の別れを告げている。
また、正儀・正勝の諸公も亦師に参戦するなど宝満寺を本拠とする尊氏とは実に対照的である。
その後、昭和二十年(1945)太平洋戦争の末期、
米軍の空襲で開山国師の木像など寺宝をはじめ伽藍のすべてが灰燼に帰したが、
火焰の中を本尊大日如来(重要文化財)や開祖法燈国師の位牌(当時の仏師力作)など身を挺して戦禍より守ったのは、第三十世俊峰祖芳禅師であった。
このほか網千・上郡・御津・揖保川等の各町をはじめ竜野市を中心とする
醤油産地に大きく寄与したと思考できる国師は、
これまた伏見天皇の勅願により開基となった瑠璃山東光寺(姫路市八代)である。
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