(湯浅醤油と金山寺味噌の歴史10-2) 信州味噌の発祥と生い立ち | 世界一の醤油をつくりたい 湯浅醤油有限会社 社長 新古敏朗のブログ

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丸新本家湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。

 

 

中瀬賢次 著より 抜粋

 

“川中島たまり”由来もさることながら味噌から“たまり”を採取した所請たまりしょうゆが、

賞味されるようになった明治の初期になって農家にこれが大いに流行し、

味噌桶の中央に埋めた溜籠(たまりかご)から汲み取る習慣は今にして残されている。

 

この味噌桶の桶底にたまった溜まりを汲み取ることを教えたのは、

国師から味噌の製法を伝授された

公文阿念(国師が入宋中、国師の母をなにくれとなく親身になって世話をした人)

の息女覚性であって世に云う湯浅醤油の元祖である。

 

国師は今や日本の全味噌界を風びする信州みその産地長野県の出身であることと、

同県下における国師開基になる二寺については、

さきに詳述したがその一つは臨済宗皆神山滝泉寺と号し、

現長野県小県郡青木村奈良本の「大洞山滝仙寺」曹洞宗がその後身である。

ここは国師自らの発意によって永年三年(一二九五)に創建されたもの。

なおもう一つは後深草上皇の勅願によって県立された旧長野県北佐久郡三井村大字安原に

所在する臨済宗妙心寺派の宝林山安養寺である。

 

安養寺

安養寺

 

この頃から後世の信州味噌の胎動があったと思われ、

その後二百数十年を経た川中島の戦いを契機として、

信州味噌は大いに興隆への基盤を作りました。

 

降って徳川氏の元禄、享保の時代ともなると、

大江戸の文化は消費生活が旺盛となり、

たまり式の滓(カス)から横木で圧搾する方法によって、

紫の香りもゆかしい醤油ができるようになり千葉県の銚子や野田は江戸幕府を中心に、

兵庫県の竜野、香川県の小豆島は京・大阪の貴族や豪商らに競うて醤油の風味を提供した。

 

味噌もまた糀の多い京都白味噌や西京白味噌果ては江戸白味噌が懐石料理或いは

正月雑煮餅などに用いられて珍重されるようになった。

これよりさき延宝二年(一六七四)には、

現信州味噌株式会社の前進初代酢久小山久佐衛門(長野県小諸市)が、

浅間の噴煙と千曲の清流に育まれる小諸の城下町に営業を開始している。

 

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