皆さんこんにちは。
前回は壬辰倭乱の激戦地のひとつであった晋州城をご紹介しました。晋州城というと絶対名前の出てくる女性がいるのですがご存知でしょうか。その名を論介(논개 ノンゲ)といいます。
彼女は晋州牧所属の官妓でした。官妓とは宮廷や役所に隷属する妓生という低い身分の女性でした。でも1593年、晋州城が日本軍によって陥落した時、日本の武将を誘うふりをしながら、南江に引き摺り込み、国に殉じたという話が伝わっています。
地元の人々は彼女の死を悼み、彼女が義挙に及んだ岩に義巌と名付けました。そして事蹟碑を建て、さらには147年後の1740年(英祖16年)には彼女を祀る祠まで建立されたのでした。
上に見えるのが晋州城の象徴である矗石樓(촉석루)です。この下は南江が流れており、南江のほとりに義巌があります。そして矗石樓の左手に論介を祀った義妓祠があります。
川に向かってせりだしている巌がまさに話題の義巌です。
義巌に近づいて写したところです。彼女の道づれになった日本の武将は戦勝に酔い、いい気分のところを引きずり込まれたのでしょうか。
義巌のすぐ近くに建立された義妓論介事蹟碑です。彼女の殉国精神を讃えています。
そして上にあるのが矗石樓の西側にある義妓祠です。
小さな祠ですが、中には彼女の影像が安置され、若くして散った彼女を偲ぼうと礼拝する人が絶えないようです。