皆さんこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
今回は釜山から高速バス利用で日帰りできる慶尚南道西南部の都市晋州(진주)をご紹介します。
晋州は何で有名かご存じでしょうか。晋州城(진주성)で有名なのです。晋州城は秀吉の朝鮮侵略、いわゆる文禄・慶長の役の激戦地です。この両度の戦争を韓国では、干支をとって壬辰倭乱(임진왜란)・丁酉再乱(정유재란)とよんでいます。
バスターミナルから、西へ10分くらい歩くとお待ちかねの晋州城に着きます。 晋州城のある晋州は慶尚道から全羅道へと抜ける要衝の地にあります。城は三国時代に築城され、高麗時代末には倭寇の跳梁に備え、土城を石城に改築したと伝えられます。
そして1592年(宣祖25年)に秀吉配下の日本軍2万名が城を襲撃して来ました。この城を守護していた金時敏将軍が3800の兵と民衆が力を合わせて、秀吉軍を撃退しました。この戦闘は幸州大捷(행주대첩)、閑山大捷(한산대첩)と並び晋州大捷と呼ばれ、壬辰倭乱三大大捷のひとつに数えられています。
しかしそれだけではありません。日本軍は翌年また来襲しました。その時は金時敏将軍以下、軍人、一般民衆まで約七万名が殉節し、落城したとの悲運の歴史が伝えられています。
これは晋州城の東門である矗石門(촉석문)です。石積の堂々とした門ですね。これだけでも堅固な城の風格が伺えますね。
矗石樓(촉석루)です。この矗石樓は晋州城の代表的な建物であるとともに、嶺南地方の名勝として数えられる建築です。高麗時代に建築されて以来、何度も修築され、現代に伝えられています。
そして慰霊碑の西側には、ここで戦の指揮をとり、壮絶に戦死した金時敏(감시만)将軍像がたっています。
城は南江沿いにあり、四方に石築の石垣があります。眺望が良く、川の流れに映える城壁が非常に美しいのが特徴です。
戦で使われた砲台です。これでどれだけの敵兵を倒したのでしょうか。
釜山から十分に日帰り可能な場所です。皆さんも一度足を伸ばし、歴史の現場を追体験してみるのはいかがでしょうか。