皆さんこんにちは。
阿娘伝説の周辺として、阿娘伝説と関係がありそうな史跡などを紹介しておりますが、今回は復元された密陽官衙跡を紹介します。
本来の密陽官衙跡の成立時期は不明ですが、邑城が成立した15世紀終末頃にはあったものと思われます。
しかしながら秀吉の武力進出により、1592年に消失し、乱後再建されましたが、さらに植民地時代に撤去されたようです。
近年、発掘調査が行われ、そして東軒をはじめとする主要建築が復元されました。
上記の建物は中心となる東軒になります。東軒とは密陽府使の執務空間です。阿娘の父は密陽府使でしたので、本来の東軒には阿娘も父が執務していたことになります。
梅竹洞という建物も復元されています。
昔の官衙の一部が復元されただけですが、嶺南楼、阿娘祠、邑城をまわり、官衙跡まで来ると、阿娘の息吹が感じられるような気がします。
皆さんも密陽江のほとりで、昔を偲びながら散策されるのはいかがでしょうか。