私は映画を見ることが好きです。いろんな映画を見ますが、ハリウッド映画よりも、日本、韓国や中国、台湾などの映画に惹かれます。その中でも一番多く見るのは韓国映画で、大阪における韓国映画の聖地「シネマート心斎橋」は一番よく行く映画館です。
おそらく私が一番最初に見たであろう韓国映画は
「達磨はなぜ東に行ったか」
달마가 동쪽으로 간 까닭은
(1989年 ペヨンギュン監督)
という映画です。
どの映画館でみたのかは記憶が定かではありませんが、非常に静謐で美しい映画だったことを覚えています。
映画の舞台はある小さな山寺。そこに住む老僧ヘゴクに引き取られた孤児ヘジンは、つがいの小鳥を一匹を誤って殺してしまい、残りの一匹の面倒を見ることになります。
そしてさらに一人の青年がやってきます。その青年は出家したいという希望を持ち、盲目の老母を捨ててきた身。どう生きるべきか答えを探しに来たのでした。
青年は答えを求めていますが、老僧は何ひとつ指図しません。月日が流れ、老僧は遷化します。荼毘を終えた後、青年は寺を出ます。
青年はなぜ寺を出たのか。青年は気づいたのです。老僧は何も教えてなかったのではなく、老僧の生き方自体が青年に示した答えだったことを。その答えとは自分がどう生きるかなどということは人に教えられるものではない、自分で選ぶしかないということです。寺を出たあと、青年がどうしたかはわかりません。
この映画の題名になった「達磨はなぜ東に行ったか」という題名がそのことを示しています。この文句は禅問答でよく取りあがられる文句のようです。達磨大師はインドで修業した後、中国にわたり禅宗を開きます。その達磨大師がなぜ東に行ったのかという意味です。答えはひとつではありませんが、よく言われる答えに「そんなことは本人に聞かなければわからない。自分の行動は自分で決めるしかない」という点にあります。
機会があればもう一度みたい映画の一つです。この映画を思い出して、改めて自らを灯にして生きるということを思いました。みなさんはいかがお感じでしょうか。
