こんにちは。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
阿娘伝説に関する史跡をご紹介しておりますが、今回は嶺南楼のすぐ東にある密陽邑城をご紹介します。
まず邑城とは何かご存知でしょうか。
邑城というのは地方の官庁や民家などを保護するため、周辺に土塁などを巡らせた城のような居住域のことを指します。
邑城の起源については明確ではありませんが、一番活発に築造されたのは、高麗末から朝鮮時代初頭です。一説によると、この時期は倭寇の活動が一番活発な時期だったので、倭寇の略奪行為から地域を守るために築造されたとも言われます。しかし植民地時代の1910年に邑城撤去令が出されると、全国にあった邑城は大部分が取り壊されました。
密陽邑城は成宗10年(1479年)に築造され、秀吉の朝鮮侵略の際には惜しくも陥落し、宣祖39年(1606年)に再建されました。周囲は2.1km、高さ2.7mで、南側は密陽江に面する絶壁で天然の要害になっています。
城壁の周囲はきれいに整備され、散策路になっています。
現存する城壁は密陽江に沿って東西に伸び、やがて東門の方へ向けて大きく湾曲します。単なる邑城というよりも立派な城郭のような雰囲気もあります。
東門は復元されており、ここから内側が城内となります。阿娘たちもこの周辺を散策し、若き日々を満喫していたのでしょう。
所在地
慶尚南道 密陽市 内一洞
경상남도 밀양시 내일동