史跡めぐりの記事です。今回は、岐阜県関市武儀町にある一柳城です。石垣があるかっちょいい城です。昔は、一般的には、大洞城という名称の城でしたが、最近は、地名の一柳城という名称になっています。

 

一柳城(いちやなぎ)

城は、源平の戦いの後、甲斐の国から命を受けた大和守昌知が大洞に仮小屋を造り大洞城と名付けて在城したのが始まりとされます。その後、美濃が織田信長の領地となると、一柳直末が新たに愛宕山に築城して、後に一柳城と名付けられました。一柳直末が領地替えとなると加治田城主の斎藤利治(長竜)の城となり、加治田城の領土となり支城となりました。その後、郡上八幡を与えられた稲葉貞道の支城として機能しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)櫓台石垣、(2)稲荷神社横の登口、(3)櫓台石垣、(4)櫓台石垣、(5)主郭下の曲輪の石垣、(6)主郭下の曲輪の石垣、(7)主郭

 

大きい城ではありませんが、虎口周辺などの重要施設が石垣を使用されていてとてもいい感じです。当時では最先端の城だったのではないかと思いますが、関ヶ原の戦いの前、稲葉氏が改修した可能性も考えられます。特に一本道の途上口から左右から横矢をいれれるようになっているのが単純ですが、面白い。城の名前の由来となった「一柳」は、武将の呼び名は「ひとつやなぎ」ですが地名は、「いちやなぎ」になっています。