50年以上たっても覚えている「ポンポン手芸」 雄鶏社への小さな手紙
幼いころ、私は手芸少女でした。最初にかぎ針編みに手を出したのは、たしか5歳の時。藤籠に入ってた編みかけの何かと、濃い桜色の毛糸玉を見て、血が沸き立つのを感じたものです。幼稚園児のくせにw自力でしちゃかめっちゃかに毛糸と格闘している私をみかねて、母がかぎ針編みの基礎を手ほどきをしてくれたのが始まりでした。初めて作品として作ったマフラーは、白・水色・ピンクのボーダー。8歳ぐらいだったでしょうか。完成したあとの達成感ゆえに、手芸愛が加速していきました。同じ時期に曲を作るという無謀なこともやりはじめて、「鈴」という短い曲を譜面に書いたけれど、あまりの陳腐な出来栄えに、子供ながらに「あたしって、才能ないんだわ」ときょーれつに思ったこともよく覚えてます。そのあと、紙粘土細工にはしります。家のあちこちに紙粘土のカスを落として、鬼のような・・じゃなくて優しい母(うそだよ)に、何度怒鳴られたことでしょう。そして小学校高学年になるころには、手芸店に通い詰めて、あらゆる手芸のジャンルに手をだしていました。ちなみに、料理も9歳ぐらいから手をだしていますど、調子に乗り始めたのが15歳ぐらいかな。まぁひどい出来で。西洋カボチャを使ったパンプキンパイなんて、その後かぼちゃが嫌いになるくらいの見た目(沼の底のような色をしていた)と味でした。写真がないのがマヂ残念w。さて、本題です。そのころの私の手芸バイブルは、雄鶏社の本でした。昭和47年発行のこの雄鶏社の本(カバーはもうありません)は、ぼろぼろになっても捨てられずずっと持ってました。10年ぐらい前にこの本もあわせて自分の荷物を大きく処分したのですが、処分しなければよかったなぁとちょっと後悔してます。当時、特にはまったのが、ヤング手芸シリーズの『ポンポン手芸』です。どんなもの作るかわかります?すごいものできるんですよ。あの帽子の先についてるポンポンで。基本はポンポンの作り方と同じです。段ボールとか固い紙で作った〇cmの幅のまき型を作って、好きな色の毛糸をくるくる巻いて、ワイヤーで留めながら、指示書通りに作っていきます。いろんな動物やモノの形になるように、設計図ができているのです。『ぽんぽん手芸』(雄鶏社、昭和47年刊)より一番好きだったのが、このページ。『ぽんぽん手芸』(雄鶏社、昭和47年刊)より雄鶏社の本は、単に「この作品はこう編みます」って編み図が載ってるだけじゃありません。毛糸で作った龍のような生き物には「オスカー」という名前がついていて、見開きページの中で絵本のように物語が展開しています。とにかく、この手芸本には、世界観があり夢がありました。こどもの私が感じた空想やあこがれの世界は、50年以上たっても色褪せることなく、記憶の中にしっかりと刻まれてるのです。雄鶏社は2009年に倒産していました。その後、元社員の方たちが「リトルバード」という編集プロダクションを立ち上げて、手芸関係の本を作り続けていたました。が、そのリトルバードも2023年に法人としては清算し、いまはもうありません。普段はデジタルまみれの生活を送ってる私ですが、デジタルがどんなに普及しても、紙の媒体はなくならないと思ってます。今は出版社も、持っていた手芸本も、作った作品も何一つ残っていない。でも、あの厚手のページを繰る感触や、毛糸を巻きながら、本のページが閉じないように洗濯ばさみみたいなもので挟んだり、それをすっとばしたりした記憶が明瞭に残っています。今回のこの投稿は、今はもうない雄鶏社への手紙です。50年以上たっても、あの出版社が出した本を今でも心の中で大事にあっためている、小さな、すっかり年をとってしまった一読者からのラブレターなのです。ありがとう48針編み機、スマートウィービング織機編み機、DIYハンドローテーション織機キット、列カウンター付き、大人の子供向けAmazon(アマゾン)