他人に嫌われたり攻撃されたりするモトは
自分の中の「罪悪感」でした
そして
この記事↑の中に書ききれなかった事を
補足として、書きます。
「ゲスい」について
「ゲスい人」の方が
皆に愛されて、大事にされている
というのがありますが
「ゲスい人」
という表現をされている時点で
一部の人には嫌われてます。
「ゲス」とは
下種・下衆という言葉のことです。
そして
「下種・下衆」とは
心根が卑しく下劣で醜悪なさま
を表す言葉です。
すごい意味の言葉なのでした。
すごいディスリスペクトなのでした
なので・・・・
なんでしょうか・・・・・・
「ゲスい人の方が愛されて大事にされる」
これ、本当でしょうか・・・・
「卑しい」とか「下劣で醜悪」
と思われ、言われながら
「大事にされている」
これは・・・・・・
成り立つのでしょうか
ついでに
自分を「ゲス」と称すことは
「私の心根は下劣で醜悪です」
と言う事と同じです。
・・・・・・。
なんでしょうか・・・
これ、いいのでしょうか・・・・
自分の事を「心根が下劣で醜悪」
と思っていて
それを「事実」として発表している
という事になるので
当然
「そういう人」として扱われる
という現実を引き寄せる
のですが・・・・
いいのでしょうか・・・・・・・・
*念のため(´・ω・`)ノ
「ゲスい人」というのは存在しません。
「下衆」には「身分が低い」という意味
も含まれているようですが
「身分」なんてありません。
みんな同じです。
そして
「心根がどうのこうの…」というのは
罪悪感とかが強いという事です。
(ネガティブな観念が強い)
そんなわけで
「この人は心根が下劣で醜悪だ」
と感じるような人が好かれるというのは
(ゲスい人の方が好かれる)
・・・・・・・・・・・・・・・。
どういうことなのでしょうか・・・
ありえるのでしょうか・・・・
その人は本当に
「ゲス」なのでしょうか。
ただ単に
自分の気持ちに正直なだけ
なのではないでしょうか。
その分他人への愛情も
素直に表現しているのでは
ないでしょうか。
銀魂の「銀さん」とか
「ゲスい」と称されていますが
めちゃくちゃいいヤツです。
めちゃくちゃ愛情深いアニキです。
何も「下劣で醜悪」ではありません。
(そもそも「下劣で醜悪」というのもは
存在しないのですが・・・・)
「ゲス」では無いんです。
「いいヤツ」なんです。
だから愛されてるんです。
*これは、もののたとえ話です
自分の気持ちに正直=ゲス
という観念があるのではないでしょうか
自分を一番大事にする=ゲス
という観念があるのではないでしょうか
これも「罪悪感」の一種です。
この観念がある限り
自分の気持ちを大事にする事ができません
自由に生きる事ができません
素直に生きることができません。
窮屈で苦しい上に
そこそこ嫌な事が起き続ける。
ガビンチョです
なので!!
ある人は、解消しましょう
ゲスいのが得するのではない。
素直なのが得をするんだ。
傍若無人が得するんじゃない。
罪悪感が解消できてるのが得するんだ。
「ゲスい。傍若無人、陰険」等々
そんな振る舞いが出るのは
「心の傷」があるからだ。
癒せば、そんな振る舞いは出ない。
自分が
「ゲスい・傍若無人・陰険」等々
そんな振る舞いをした時は
責めない&ごまかさない。
「やっちまったな」
と認めて
「では、どんな傷の現われかな?」
と自問自答して癒す。解消する。
*傷→怖れ・劣等感・罪悪感・復讐心
無価値感などなどなど。
「自分はゲスいんだぜ!!」
と悪ぶる必要はありません。
悪ぶって、イイ事は一つもない。
悪ぶる事で
自分の心の数から目をそらさせる
という
エゴの巧みな作戦なのでした
*エゴは悪者ではありません。
ハイパー過保護ななにかです。
やかんを触ろうとしている子を見て
「火傷するからだめだよ」と言って
その子に不愉快な思いをさせないように
黙って触るのを見てる…みたいな
ちょっと間違った方向で
守ろうとするシステムです。、
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