どう生きても
ある人からは憎まれ
ある人からは愛されます。
でも
愛されるだけの人生は可能です。
憎まれる必要はありません。
では
なぜ
自分を憎む人がいるのか?
と言うと・・・・・
「罪悪感があるから」
です
自分の事を
憎む、恨む、嫌う、攻撃する他人とは
自分の心の中にある
「罪悪感」の結晶です。
もちろん
自分が誰かを憎む気持ちが
「更に憎みたくなる出来事」を作る
というのも「そう」なのですが
他人を憎むという事は
結局自分を責めているからなので
つまりはやっぱり・・・・・・
罪悪感なわけです
どう生きても
罪悪感がある限り
自分を嫌う人は出てきます。
逆に
罪悪感が無くなると
あなたを嫌う人はいなくなります。
あなたが仏様かなんかのような
誰にでも好かれる人格になるから
ではありません
「自分を責める」というエネルギーが
消えるからです
「モト」が消えれば
「それ」は現実化できません。
だから
嫌われたくない、憎まれたくない
と思うなら
「いい人」になろうとするのではなく
罪悪感を解消する事です
どんなに「いい人」になっても
嫌われる、憎まれる
という事の解消にはなりません。
罪悪感を解消しましょう。
・・・・・・。
と言うと
罪悪感なく傍若無人に振る舞う人が
人から好かれてちやほやれるって事?
そんなの許せない!!
と思う人がいます。
が
何度も話しているように
罪悪感が無くなったら絶対に
傍若無人な振る舞いはできません。
絶対にできない。
傍若無人な振る舞いは
罪悪感の現れなんです。
だから
「罪悪感が無い傍若無人な人」
というのは存在しません。
傍若無人=罪悪感ある
です。
≪大雑把なニュアンスとして≫
*傍若無人→他人を踏みつけまくる
それと・・・・・
これは本当に単純な事なのですが
傍若無人な人は
普通に嫌われてます。
「傍若無人な人が好かれるなんて
許せない!!」
と言われてる時点で
その人からは嫌われてるんです
罪悪感が解消されている
という事と
罪悪感を抑圧している
という事は
違います
では
パーソナリティー障害などは
どうなるんですか?
と思うかもしれません。
パーソナリティー障害のいくつかには
「罪悪感を感じる事が出来ない」
ということがあると言われています。
脳が自動的に
罪悪感を回避したり
罪悪感の部分を切り取って
無かった事にしてしまう
というような感じらしい。
ですが。
ですがそれは
「自覚する、しない」
という領域(脳の領域)の話です。
心の領域の話ではありません。
「自分の心が現実になっている」の
「心」の話ではないんです。
この話を思い出しましょう
「他人=自分」です。
これなんです。
つまり
その人が本当に本当に
罪悪感を感じていないならば
自分が同じ事をされても
なんとも思わないんです。
でも
自分が同じ事をされたら怒る、悲しむ
のだとしたら・・・・・
心は罪悪感を感じているんです
ただ
強烈なブロックがかかっていて
罪悪感を認識できていない
というだけなんです。
心が罪悪感を感じているから
回避するんです。
切り取るんです。
本当に罪悪感が無いなら
回避も切り取りも
する必要は無いんです。
心は罪悪感を感じてるんです。
心が罪悪感を感じているから
罪悪感を自覚しなくて済むように
(傷つかなくて済むように)
回避・切り取りをしてるんです
エゴが、ハイパー過保護なんです。
なのでその人は
心では罪悪感を感じていても
自分が罪悪感を感じているという事を
自覚できません。
自分からは
「罪悪感の波動」が出てるのに
気づけないから変えられない。
なので・・・・・
何が何だか分からないのに
罰のような現実を引き寄せ続ける
という事が起きるんです。
罪悪感に気付ける人はいいんです
楽です。
自分で気づいて自分で解消できる
でも
気付かない人は(気づけない)
わけが分からない。
なぜ自分は何も悪くないのに
罪悪感も感じていないのに
嫌な事が起きるのか・・・
思うように現実が変わらないのか・・・・
なぜ?????
と、心から、真剣に、思うんです。
・・・・・・・・・・。
だから
だから、何というのかな・・・・
「罪悪感を感じない奴はずるい」
というのは
まったく成立しないんです。
罪悪感があるのに罪悪感に気づかない
という事で得をすることは一つもない。
罪悪感に気づいて解消することで
人生はどんどんハッピーになってくのに
気づけなきゃ解消もクソもない。
だから
ズルイのではなくムズイんです。
だって
「ごまかしている」のではなく
「気づかないふりをしている」のはなく
マジでわからないから。
自分で気づくこともできないし
他人に言われてもわからない。
「不当に批判された」
としか思えないんです。
さらに
他人にはそれが理解できない。
他人からしたら
「分かってててごまかしてる」
としか思えない。
そんなわけで
「自分には何の原因もないのに
(自分は何も悪くないのに)
なぜか人に怒られる、嫌われる
避けられる、嫌な事が起きる」
と思う事が起き続けるんです。
自分の罪悪感に気づける人が
罪悪感を解消する、というのを
「一桁の足し算」
だとすると
自分の罪悪感に気づけない人が
罪悪感に気づいて解消する、というのは
「高等数学」
です。
ものすごいハイレベルです。
自分の罪悪感に気づける人が
罪悪感を解消する、というのを
「鏡を見てメイクする」
だとすると
自分の罪悪感に気づけない人が
罪悪感に気づいて解消する、というのは
「鏡を見ずにメイクする」
です。
ズルイのではなく、ムズイんです。
*ここで「幻聴」が聞こえた人は
その意訳機能をリセットしましょう☆
そんなわけで・・・・
なんか話がそれてしまったのだが
なんだったかな・・・
そう!!
愛されるだけの人生!!
嫌われない、攻撃されない
優しく平和でほわほわの人生は
作れます
「嫌われるモト」は罪悪感です。
「やっちまった、のモト」も罪悪感です。
だから
罪悪感を解消する。
罪悪感の無い心(=現実)は
罰(嫌な出来事)の無い世界です。
罪悪感が無くなったら
自分はとんでもない事をしてしまうのでは?
という怖れは必要ありません。
罪悪感があるから
とんでもない事をするんです。
罪悪感が無かったら、しない。
罪悪難を認めたら
自分が罪人になってしまうのでは?
罪悪感を認めたら
罰のようなことが起きるのでは?
というのも・・・・・なんだ
なんか、大丈夫です
さっきお話したように・・・
「現実化」は
「自覚・無自覚」関係ありません。
はよ気づいた方が断然お得です。
自分が自分をちくちく責めてる事。
自分が自分をねちねち罰してる事。
自分が
「やっちまったな」
と思ってる事
じゃんじゃん認めて、解消しましょう
やっぱりね、最終的には
「自分が自分をゆるす」
「今の自分を受け入れる」
「自分を好きになる、大事にする」
ってところに行き着くんですね。
そんでこのことって・・・・
引き寄せ云々知らなくても
私たちは魂の領域で分かってます
そんでね、
ゆるす・受け入れる・好き・大事にする
これは全部同じ事です。
「a=b=c=d=e」
みたいな感じです。
なので例えば・・・
どれかが「1」できると自動的に
全部「1」できるようになっています。
ひとつ
自分を大事にできるようになったら
ひとつ
自分をゆるし、受け入れ、好きになれた
という事です
なので
自分にとってやりやすいところから
攻略していくのもいいでしょう
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