「推しは推せるうちに推せ」という言葉をNHK「あさイチ」で知りました。その通りだと思います。けだし名言と云うべきでしょう。
そうすべき時にそうせず、時期を外して熱病を発症してしまうと、ワタシのようになってしまいます。

たまたま目にした『大きな森の小さなお家』の動画に、やっぱり奈保子ちゃんってホントかわいいわ……! そう思いました。それはまさに悶絶ものであって、ワタシの人生の「第二次河合奈保子ブーム」の始まりでした。なにかと第一次より第二次のほうが規模がデカくなるのは世の常です。そして、1stアルバム収録曲『甘いささやき』に、雷に撃たれるような衝撃を受けました。それが去年の夏。

「四〇年遅れの推し活」を始めた当初、ワタシは河合奈保子のシングルの大半を知りませんでした。
はっきり覚えているのは『けんかをやめて』までの、十代の頃のいかにもなアイドルソング、ごく初期の曲ばかり。『UNバランス』や『コントロール』は、ああこんな歌もあったかなあ、『微風(そよかぜ)のメロディー』はこれって河合奈保子の歌だったんだ!? 『疑問符』『北駅のソリチュード』に至ってはもはや記憶にない、知識として頭にない、そんな体たらくでした。
『デビュー ~Fly Me To Love~』が彼女初のシングル・オリコン1位を獲ったことも知りませんでした。当然、『ハーフムーン・セレナーデ』のことも。
この歌をワタシは「四〇年遅れの推し活」の過程で知っていたのです。
 

43年前の同月同日に発表された歌曲を聴く。当時と同じ時間をかけて河合奈保子の歌手人生を追跡・追体験していく。――それが「四〇年遅れの推し活」の要諦です。未知の歌曲は、極力これを聴くことを避けるのがマイルールではありますが、シングル(A面)だけは、全曲を聴きました。さすがにこれは知っておかねば話にならないと思ったからです。


『ハーフムーン・セレナーデ』の動画を視て、ワタシは泣きました。歌の素晴らしさもさることながら、ワタシにはそこにふたつの想いが重なったのです。
あの無類にかわいかった奈保子ちゃんが、こんなに素晴らしいシンガーに、アーティストに成長していた!? その驚きと、そのことをこの歳になるまで知らずに過ごしてきた。そんな自分の薄情さが、奈保子さんに申し訳なくて。それがひとつ。
いまひとつは、こんな素晴らしいひとと同じ時代を生きていながら無関心に過ごし、今頃になってそのことに気付く愚かさ。どんなに彼女の生のステージをこの眼で見たいと望んでも、それは叶わないのだという、強い強い後悔の念でした。そんな気持ちがゴッチャゴチャになって、動画を視ながら、泪があふれてあふれて止まらなかったのです。
……とかなんとか、いい感じで語ってますけど、ハタで見たらただの気持ち悪いおっさんですよね。

――生きてさえいれば、取り返しのつかないことなんてない。
ワタシの好きな言葉で、モットーにしているぐらいですが、取り返しのつかないことってやっぱりあるよね?
その後悔は、ワタシの受けるべき罰だと思っています。

デビューしてわずか一~二年、エロガキでしかなかった当時のワタシは、彼女のビジュアル面にしか関心を持っていませんでした。本業の「歌」にはろくに関心を払わず、レコードも買わず、挙げ句ちょっと彼女が大人になったら、とたんに興味を無くしてしまった。その当然の報いです。

この活動をその罪滅ぼしというつもりはありません。
それを何よりの歓びとする「書き屋」のワタシにとって、河合奈保子という女性について書くことは、本当に愉しい――それだけです。書いても書いても、いくらでも書くことが湧いてきて、尽きることがありません。その衝動は「創作」にまで及んでいます!?
もちろん、この日記がそうであるように、中身はそうとうカブってますけどね。
その点は、お詫びしておきます。持ち歌みたいなもんだと思って、勘弁してください。同じ歌を違うアレンジで歌っているのです。これからも機会があれば、何度でも云うと思います。「奈保子のパイに包まれたい」とか(笑)。

「推しは推せるうちに推せ」
その言葉の解釈は、いまはちょっと違っています。
これはなにも「推し」の対象が現役――いままさに活動中で話題であるといった、「その時」に限った意味ではないと思うのです。
それはこちら側の「情熱」の意味でもあって、80年から96年にかけて、奈保子さんが芸能生活で遺した素晴らしい歌、魅惑のグラビア、女優としての芝居、それらはなにもその時代、オンタイムで過ごしている人々だけのものではないはずです。
それこそ――『すずめ戸締り』の芹澤くんのように――生まれたときには河合奈保子はすでに芸能界にはいなかった、そんなお若いファンだって、少なからずいるに違いないのです。

この現代に、坂本龍馬を熱く語って少しもおかしくないように、河合奈保子を熱く語っておかしくなんてないはずです。ちょっと、云い過ぎですかね?
令和のいま、『フォトメッセージ』に目をハートマークにしていいし、『ムーンライト・キッス』に聴き惚れていい。だって現にいまAmazonで、iTunes Storeで販売しているし、配信してるし。

以前の日記とかなりカブった内容になったと思いますが、一年目の節目として振り返りをさせていただきました。
最後に多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『ムーンライト・キッス』のB面『あなたはロミオ』をお送りします。

 

あなたのこころの真ん中に わたしの場所をみつけたら
両手にこぼれるこの愛を あたなにそっと届けます
素敵なあなた恋人と
みんなに知らせていいですか みんなに知らせていいですか
Hi! Hi! Hi! Hi! Happy date
Hi! Hi! Hi! Hi! Happy mate
今日からあなた わたしのロミオ


9月1日、初めて聴きました。好きです、この歌。ザ・奈保子ちゃん、って感じで。
その上でのコメントですが、「Hi! Hi! Hi! Hi!~」のサビが、商業施設のテーマソングっぽくて、つい笑いがこみ上げてしまいます。サビのラストを店名にしたら、商業施設のテーマソングの出来上がりですよ。
この歌の上から「ただいまより精肉コーナー、30パーセントオフのタイムセールを開始します……」的な場内アナウンスが流れてきそうな感じしませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『ムーンライト・キッス』をお送りしました。
カスタネット片手のステージが印象的な、6曲目のシングルです。
デビュー曲『大きな森の小さなお家』以来のミディアムテンポ。科白のように挿しこまれるそのひと言に、ハートを射貫かれます。
 

ねえ どうしたの
なぜ 黙っているの
もう こわくない
ううん 泣いたりしない


河合奈保子の“アイドル歌唱”の魅力は前回お話ししたばかりですが、今回も遺憾なくその「かわいさ」を発揮しています。特に二番の「ううん」の部分なんて、筆者メロメロ。奈保子ちゃんの胸キュンアローに太刀打ちはできません。

 

カラオケでこの曲を歌う時は、恥ずかしからず、18才の奈保子ちゃんになり切って、節をつけず語りかける感じで、この部分を歌っていきたい。そんな機会はあるのか。


短いですが、今回はこの辺で。
タイトル通り、ここまでは前編です。続く後編はまたあらためて。
しかし、早いですね。「四〇年遅れの推し活」をやろうと決めたのは去年の8月、「河合奈保子の世界」の第1回を当ブログにアップしたのが9月。それからちょうど一年が経ちましたが、本人的にはついこの間の感覚です。ほんとうに歳をとると、時間が経つのが早い。
80年から96年、奈保子さんが現役として過ごした十六年という歳月が、いかに束の間であったかを実感します。

ついに、というより、もうこの歌か? という感じです。
そんな束の間の彼女の現役生活の中でも最大の悲劇は、この歌を歌っているさなかに起きました。

ステージでの事故、約一カ月にわたる入院生活。そして復帰後の初舞台は、初出場の「紅白歌合戦」! そのステージは大けがをした当の場所、NHKホール――!
河合奈保子の芸能人生の中でも最も過酷で劇的なシーズンが、始まろうとしています……。

 

 

 

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、アルバム『DIARY』より河合奈保子『夢見るDairy』をお送りします。
 

そしてFriday 電話でデート
おどるSaturday 夢見るNight
燃えてSunday 光のホリデー
それから秘密 秘密のDairy


河合奈保子の最大の武器って、何だと思いますか?
顔? 歌唱力? 胸? ……ワタシは、「声」だと思います。

ワタシがいまのような「アイドル好き」になったのは、2000年を過ぎてからです。アイドル好きとしては遅咲きです。ですから、歳の割にキャリアは大したことはありません。その乏しい見識の範囲内で云わせてもらえば、女性の「声」に、これほど魅了されたのは、初めての経験です。

耳で感じる音声だけ、CDの音源だけで、そのひとを「かわいい」と思う、「好き」になってしまう――そんな気持ちを掻き立ててくれたのは、奈保子さんただ一人です。

 

28位!?
 

例の「フワちゃん騒動」について書いたら、28位のランキングを頂戴しました。
例の「フワちゃん構文」にピッタリ当てはまるので、写真集『フォトメッセージ』について熱く語った奈保子日記をリンクしましたが、どう思われたのかなあ? 少しは宣伝になっていればいいのですが。

物心ついた頃は、彼女が芸能界を去ったあと――。そんな、リアル人生で接点のなかったお若い人(『すずめ戸締り』の芹澤くんのような)にこそ、河合奈保子さんを知ってほしい。そう思っています。
特に彼女の「声」、歌声に耳を傾けてほしい。ちょい鼻にかかった、甘い《奈保子ボイス》に。

ワタシには理想と考える、奈保子さんとの出逢い方があります。なかなか難しいとは思いますが、もし叶うなら、こんな出逢い方をしてほしい。
まず、彼女の「歌」を音声だけで聴いてください。
「こんなかわいい歌声で歌うひとがひとがいるなんて。いったい、どんなひとなんだろう――?」
次にそんな気持ちで、彼女の画像を見てください。そして「かわいいッッッ!!!」って感激してください。
とどめに、彼女の水着を見て、鼻血を垂らしてください。
 

過去に遡るアイドルライフ
「推し」の対象を「二次元」に向けるアイドルライフがあるように、「過去」に向けるそれをワタシはこう呼んでいます。 この分野で、河合奈保子はすこぶる有利です。96年の「休業」以来、幾度かの例外を除き、メディアには登場していないことが、その理由です。
現役でタレント活動を続けておられる方は、その点で不利に働きます。往年のアイドル時代がいかに可愛らしくとも、深夜のテレビショッピングで「でも、お高いんでしょう?」とかやってるオバサマとしての「現在」は、どうしても阻害要因になってしまいます。
その後がベールに包まれているからこそ、80年代、90年代の奈保子さんには、ストレートな愛情を注ぐことができる。写真集やDVDがいまだに売れ続ける「人気」の理由とまったく同根ですが、そのへんの話は、また稿を改めて考察してみたいと思います。

 

肩までこの髪伸びたら 海へゆくの
約束交わしたときから 決・め・た・の(ン)
決めたの 私の胸

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、2曲目。アルバム『DIARY』より河合奈保子『ラブリー・ラブリー』をお送りしました。

これですよ。「決・め・た・の」の語尾に、ちょっと小さく「ン」が入る感じ。そう聴こえるの、もしかしてワタシだけですか? 聴こえますよね? そう歌ってますよね?
決・め・た・の(ン)ッッッ♪

この歌声、この歌唱法、大好きなんですよ。「キュンキュン」しちゃいます。これぞアイドル、これがアイドルだと思います。

2000年代以降、特に顕著になったと思いますが、アイドルソングと云えどアーティスト志向で、かわいらしさは本人のルックスにまかせて、曲そのものは「かっこよさ」に舵を切っているように思えます。業界全体的に。
 

一方で「かわいらしさ」を前面に押し出しているグループ・歌も見受けますが、そちらはそちらで何と云えばいいのか、まるで「メイド喫茶」のようなわざとらしさというか、「かわいらしさ」の表し方があまりに作為的で、あまりに露骨で白けてしまう。もうちょっとナチュラルでいいのにと思ってしまいます。
この辺は「グループ」という条件も、影響しているのかもしれません。グループとソロでは、歌の性質そのものが違ってきますからね。そうなると、いまはソロのアイドル歌手っていないので、それを求めるとしたら「過去に遡るアイドルライフ」に走るしかないのかもしれません。


今回は、奈保子ちゃんの歌声(&歌唱法)にスポットを当てて、アルバムをご紹介しました。
歌詞的には「私を女神と呼ばないで」の『セレネッラ』はとても印象深い歌ですが、こちらはシングル『スマイル・フォー・ミー』の日記ですでにお話してしまいました。

冒頭にご紹介した、『夢見るDairy』を筆頭に、『イライラMonday』、『Friday's Child』という曜日絡みの歌、3曲を擁した、その名も『DIARY』。
前年10月にファーストアルバム『LOVE』がリリースされてから、早くも3枚目のアルバムです。デビュー一周年を迎え、5枚目のシングル『スマイル・フォー・ミー』で初のオリコントップテン入りを果たし、6枚目のシングルを待たずリリースされました。(よって収録されたシングルは1枚、『スマイル・フォー・ミー』とそのB面『セレネッラ』のみ。)


ファースト写真集もつい先日、出版されたばかり。
河合奈保子の快進撃そのものでした。
しかし、好事魔多し。そういう時に、得てして悪いことは起こってしまうものです。

アルバム『DIARY』から、筆者お気に入りの一曲でお別れです。
多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『Friday's Child』をお聴きください。

6枚目のシングル『ムーンライト・キッス』のリリースは、いよいよこの次の月。奈保子さんにとっては、試練の運命をともなう曲になります……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとした「マイブーム」ですね。この一件に関する人々の主張を見聞きしてしまうからで、ズレた世論を目の当たりすると、ヒネクれたツッコミの虫が騒いでしまうのです。もちろん、自分ではヒネクれているとは露ほどにも思いません。真っ直ぐなド正論だと思っています。
よって、これで最後かはわかりません。そんな意欲が湧く限り、この問題については下世話な面白がりとして、コメントしていきたいと思います。

(1)やす子ムーブの是非

世の中、いろんな人がいるなぁ――と驚くのは、やす子さんを非難する向きが少なくないらしいことです。コイツのほうが、もっと根性が悪いと。

 

ナメたことを云ってくれるじゃないの? その喧嘩、買うわ。格の違いを見せてあげる。
――とっても悲しいですぅぅぅ


……こんな感じですか?
よしんば。よしんば、そうだったとして、その喧嘩巧者をワタシは支持します。お見事ですよ。さすがは元自衛隊員。

確かに、ヤンキーの返しみたいに「うっせーよ! お前が○ね!」とでも応じていれば、それは「どっちもどっち」になり、自分も痛手を負って、そのぶんフワちゃんは救われたかもしれません。

でも、なんでそこまで気を遣わにゃならんの? 自分に「○ね」と云って寄越した相手に?
ただでさえ限りある座席を奪い合う芸能人同士、熾烈なイス獲りゲームのライバルを、自分が傷を負ってまで助けてやる義理がどこにある? チャンスがあれば蹴落としますよ。根性悪くて何が悪い?

(2)スポンサーを怒らせる、という「別問題」

フワちゃん×やす子――の個人間の問題は、やす子さんが公に(「本心」はどうあれ)「許して」おり、決着がついています。
しかし、CM器用タレントの「不適切発言」がスポンサーに損害を与えたという問題は、それで済むはずがありません。これは終わりませんし、これからも尾を引き続けます。やす子さんには不本意でしょうけど。
 

CM使えなくなったよ! どうしてくれる!?
おまけにiPhone使いやがって!


この問題は、別に考えないといけません。その違約金は数億とも云われていますが、これをゴッチャにして、やす子さんを傷つけた罰として「賠償数億」と考えてしまうと、さすがにいくらなんでも重すぎる、ということになってしまいます。実際、仮にやす子さんが精神的苦痛の補償に「数億」を請求したとしても、それは通らないでしょう。そもそも問題が違うのです。

例として適切ではないかもしれませんが、ナレーター・乱一世氏が「これからCMに入るのでトイレに行きたい人は行ってもいいですよ」と番組で云ってしまい、その番組を降板、干されてしまったという有名な一件がありますが、それに通じると思います。彼は何ら、道徳的に悪いことをしたわけではありません。視聴者への親切心以外の何者でもありません。ナレーターにあるまじき暴言です、あなたを許せません!――そのような訴えをする視聴者は誰ひとりいなかったでしょう。それでもスポンサーを激怒させ、大きなペナルティを負うことになりました。
「罪」=道徳的な悪ではなくとも、仕事上の「ヘマ」で、そうした結果を招くこともあるのです。

フワちゃんのやす子さんに対する「罪」。それはやす子さんに謝罪し、やす子さんの許しを得ることで決着しました。
ですが、彼女のしでかした仕事上の「ヘマ」によって、グーグルほか各方面に与えた損害・迷惑は、やす子さんのこととは別に、彼女がこれからリアルに償い、責任をとらねばなりません。

(3)やす子の持ち味、フワちゃんのおもしろさ

やす子さんは音程は外れてるけど可愛らしさで愛されているアイドル歌手みたいなもので、「お笑い芸人」という職業は、パフォーマンスの形式でしかありません。彼女の商品価値は「おもしろさ」にあるのではなく、見る人をホッと安らがせる「癒し」の才能にあると思います。「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす」のポストなど、その真骨頂と云えるでしょう。
「○ね」と云われて、それをおもしろく返せなどと、ムリを云うものではありません。
そんな大喜利は、バカリズムさんにでも出題してください。

 

フワちゃんに「○んでくださーい」と云われました。
どう返す?

かわいいあの娘は ルイジアンナ~♪


一方、フワちゃんはおもしろい/おもしろくないで云えば、無責任な傍観者の立場で云えば、それはおもしろいですよ。いろんな意味で。
あの謝罪文で、(Aマッソ)加納の名前出しちゃう? とんだ巻き添えですよ。
私だけ落ちてたまるか、お前らも道連れだ――そんな悪意か? それとも天然? そこが読めない、わからない。「本件の投稿については関わっておりません」なんて云ったって、どう見ても関わっている。あの文面からすれば。間違いなく、「これにアンチコメントがつくなら」大喜利、いっしょにやってるじゃないですか?
古い話で恐縮ですが、

 

「3日間ぐらい、我慢できなかったのか!?」
「奈保子ちゃんだって、もってるもん!!」


……これに匹敵する巻き添え感ですよ?

これは作り話。それでも巻き添えになったことに変わりはありません。

 

「傍若無人な芸風だけど、ホントはいい子」
それがワタシも含めた大衆がフワちゃんに抱く、一般的イメージではなかったかと思います。
ところがそうではなく、表舞台ではあれでも「いい子」ぶっていて、外ではもっとムチャクチャだった。
こんな火薬庫で平気で咥えタバコでウロチョロするような子が(>そんな歳でもないですが、なんかそう云いたくなる)、いままで無事でいられたのが不思議なぐらいです。
「今回のことさえなければ」というよりは、「案の定」というべき案件なのだろうと思います。

2024.08.18 改題、全面微修正、加筆・一部改稿

 

 

 

28位!?

今度は、28位だって!? さすがは時事ネタ、さすがは「フワちゃん騒動」。
この快感に酔ってしまったら、ひたすらアクセスを稼ぐために、書きたくもないことを書くブロガーになってしまいますね。
そのつもりはないのですが、もう一度、この件をおかわりさせていただきます。

つくづく、遊び半分で「○ね」なんて言葉を弄ぶもんじゃない。
それは「呪いの言葉」であって、見事にそれを発した本人に返ってしまった。
遊び半分だからって「言魂」は容赦しない。

フワちゃんは有名人であって、その言葉には「力」がある。
だから人に「○ね」と云えば本当に人を殺めかねないし、それが跳ね返ってくれば自分の身にも及ぶ。

それを教えてくれる人が、またそれを素直に聞ける人が、彼女にいるだろうか?
ワタシは素人のブロガー、日曜ライターに過ぎませんが、言葉を遣う者のハシクレとして、今回のことを有名人の他人事ではなく、戒めとして胸に刻んでおきたいと思います。

 

 

 

 

 

投稿当時、ワタシはアイドルの水着について話していて、偶然目にした河合奈保子さんの写真集に、「これに変態っぽいリスペクトをするなら。」といった趣旨で、本件の投稿の内容を記載し、その場にいた方に表示した画面を見せたところ、操作を誤って実際に投稿してしまいました。
 


フワちゃん構文、いいですね。気に入ってしまいました。さっそく自分事として、自分にあてはめて使ってみました。
……ダメですか?

これは奈保子日記ではありません。一般部門のエッセイです。
ワタシはフワちゃん個人を責める気はありません。
どこからも文句の出ない、誰からも好意で受け止められる、そういう優等生的発言に「ケッ」と吐き棄てたくなる、そんな荒んだ瞬間、あるいは人生の一時期、そういうものが誰にもあるものだと思っています。

問題はそれを「表」に出すか、出さないか(内に秘める)。この差は大きい。後者が「善人」で、前者が「悪人」、そう云い換えることもできます。
「カマトトぶりやがって」という常套句は昔からよく使われますが、それすらできない人間は終わっています。終わっているというより、始まってもいない。
まずは偽善者になるところから、人間を始めましょう。

フワちゃんも偽善者=善人です。そこまで堂々たる不良ではありません。今回の失言はあくまで手元の狂いによる「誤爆」。「表」に出す気はそもそもありませんでした。
匿名(裏アカ)か、非公開のつもりだったか、あるいは本当に仲間内のオフラインでの「大喜利」だったか。いずにせよ「裏」でこっそりやるつもりだった。

でも、これが良くない。そういうことをやるものではありません。
これはタレント、有名人に限った話ではなく、われわれのようなネット民全員が気をつけないといけないことです。
道徳の話ではありません。これは損得勘定。あたら自分の醜い部分を晒して裁かれるのって、「損」だよねという話です。

「表」では云えない後ろ暗い本音を、「裏」で云う。そういうことを日常的に繰り返していると、いずれ「事故」は起こるからです。
そんなヘマはしない、と言い切れるでしょうか? たとえ1/1000の僅かなリスクでも、それを1000回繰り返せば、その確率はいつ事故を起こしてもおかしくないレベルに跳ね上がります。
フワちゃんの事例は、われわれに大切なことを教えてくれています。
リスクは極少、されど処罰は極大ということです。

ワタシにも人並みに裏側=醜い部分はあります。
それを具体的かつ比較的無難な一例を挙げて云えば、大好きな河合奈保子さんにむっちゃエロい気持ちもある、といったことです。

その気持ちをストレートに「裏」で発信することはしません。
云いたくて、ウズウズしてこないのか――? します。してきます。
だからワタシは「本人の目に入っても構わない」レベルにまで「処理」をして、「表」で云います。

言葉にすれば「淫猥」「セクハラ」レベルから、「エッチ」レベルまで灰汁(あく)抜きをする。
ハリセンで張られる程度に抑える。

この微妙なさじ加減が、表現者としての腕の見せ所だし、それにトライするのが愉しい。

前述の日記は、果たしてその域に達しているのか……?
書き手としては、そのつもりです。自信もあります。
でも、ジャッジするのは、あくまで読み手の皆様です。いかがだったでしょうか?

もし万が一、奈保子さまご本人の目に入ったりしたら――

「とってもやらしい」

なんて思われてしまうでしょうか。
そんなふうに、云われちゃーったら立つ瀬がないわぁ♪

「奈保子オリンピック」には予選敗退ですか?
せめて本戦に出場できるよう、精進してまいります。

 

奈保子日記ではなく一般部門のエッセイですが、エンディング付きです。河合奈保子、アルバム「TWILIGHT DREAM」より『イチゴタルトはお好き?』。

 


フワちゃんは何年か後に、「しくじり先生」に出ればいいと思う。


2024.08.14 一部加筆

 

 

 

フォトメッセージ(表) フォトメッセージ(裏)

近代映画増刊 河合奈保子 フォトメッセージ

――表紙がヌードってかわいそう。だってお金を払ってない人にまで、裸を見られてしまうから。

書店で見かけた、あるヌード写真集を目にした女性の言葉です。
これを聞いて、深く感じ入ったことを覚えています。なんと女性らしい、繊細な感性なんだろうと。

今回は記念すべき最初の写真集、『フォトメッセージ』について取り上げます。
弾ける笑顔と黄色と白のストライプのビキニ姿が眩し過ぎる。でも、表紙はやめてあげて? これが売れるんだというのはわかるけど、嫁入り前の娘さんなのだし、そこは気遣ってあげてほしい。

水着自体やめてほしい云うのが、本当は正しい――人として。
でも、水着は……見たい! 見せてほしい! そこは偽れません。だからせめて、愛情の欠片もない、ただ助平なだけの野郎どもの、エロ目線に晒すのはやめてあげて? 

恥ずかしさを堪え、ドキドキしながら本屋のレジにもっていき、お小遣いをはたいてこれを買い、心臓パックンパックンさせながら「奈保子ちゃーんッ」とココロで叫び、ブログで詳細に描写するのは憚られるゴニョゴニョをいたしたりもする――そんな奈保子ちゃん好き好きファンの目にだけ、彼女の水着姿を披露してあげてほしいと思います。
偽善的な言い種です。アイドルの水着仕事でファン以外の目線など気にしてたら、ポスターも、雑誌のグラビアもできません。ですが、露悪的であるよりはまだマシだと思っています。

そんな未来のワタシの願いが80年代の過去に届いたのかどうか、ワタシの知識認識に間違いなければ、このあと彼女の現役中、表紙が水着姿の写真集というのは、出なかったと思います。
水着写真集の名作『さま~ひろいん』(1982)でさえ、9分割した顔のアップ(かつ着衣のそれ)でした。

さま~ひろいん
河合奈保子写真集 さま~ひろいん Naoko

例外は、2016年に出版された『再会の夏』。表紙は少しレディになった奈保子さんの、見事なバストショット!
これはまあ、往年のグラビアクイーンの写真集として、妥当なチョイスだったと申し上げておきます。「水着、ありまっせ!」はアピールしないといけませんしね。奈保子さんももう花も恥じらう乙女ではない。芸能界を去って久しく、お子さんも立派に成長(娘さんなど一度はデビューもした)、お歳を重ねたご夫人でいらっしゃるのですから。

 

妄想 たぶんこうだったんじゃないか奈保子さまご家庭劇場
ここで『再会の夏』に絡めて、当ブログ奈保子日記名物・妄想劇場を開幕します。
だって「四〇年遅れの推し活」ルールに則って、この写真集を語るタイミング待ってたら、気が遠くなるじゃないですか? というか、それどころじゃない。いま語っているのは81年、『再会の夏』が出るのは35年後。ワタシもたぶん死んでるじゃないですか?
この写真集が出版社から届いた、母と娘の会話。――たぶんこうだったんじゃないか?


娘「ママ、かわいいッ! ……それに、スゴいッ!(ニヤニヤ) わたし、負けちゃう!(ニヤニヤ)」
奈保子「もうッ、見なくていいから! 有難いけど……どうしていまさら? こんなの売れるの? 買う人いるの?」


……奈保子さま、むっちゃ売れてます。


この約二年後に、近代映画社の写真集全ての電子書籍化が始まります。

――有難いお話しですけど、ダウンロードする人いるんですか?

こちらも、むっちゃダウンロードされてると思いますよ。

――どうして!? どうして男のひとって、わたしの水着がそんなに好きなの!? ほかにもっとスタイルのいい女の人がいっぱいいるでしょ!? やだもうッ、恥ずかしいッ! 見ないでッ! お金は払ってくれていいから見ないでッ!
(>そんなこと云いません。)

近代映画社さんには、どれほど感謝してもしきれません。
『フォトメッセージ』は河合奈保子のファーストにして伝説の写真集。いま現物を手に入れようと思ったら、なかなかのプレミア価格ですよ。最高値では確か「万」を超えていたはず。いま、数千円代に相場が落ち着いているのは、間違いなく電子書籍のお陰でしょう。
当時買った現物をワタシは所持しておりますが、さすがに痛んでおります。鑑賞するだけでなく、ゴニョゴニョと使ってしまいましたので……。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

中学高校の頃の話です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代の話です。どうか、お赦しを……。

――そんなこと云って、また、わたしの若い頃の水着を見て、いやらしいコトするんでしょ!?

いやいやいや! ワタシもこの歳ですので。そんな若さあふれるゴニョゴニョなど、いたしませんよ。奈保子ちゃんのクラクラするほど色っぽくて、それでいてかわいらしい、そんなお姿を拝見して、ニヤついているだけですよ。誓って。信じてください。

そんな脳内奈保子さん(イマジナリー奈保子とも)との会話も愉しく、写真集を鑑賞しています。

 


(ここで前にも云ったと思いますが)河合奈保子のアイドルとしての凄さを端的に説明すれば、歌・グラビアの両面で、最高水準であったということです。まさにアイドル二刀流。カワイサーン! ナオコサーン!

これはふつう、どちらかに偏るものです。
「歌」の世界で地位を確立すれば「歌手」専業になり、早々にグラビア=水着からは卒業していきます。これは「女優」もそう。
逆にグラビアでスターになる人は、グラビアのスペシャリストになりがちです。歌をうたっても、あまりそちらは取り上げてもらえない。90年代以降、「グラドル」(グラビアアイドル)という専業が誕生し、その傾向はより拍車がかかっています。
アイドルは基本「二刀流」です。歌もうたうし、グラビアも飾る。それが大衆の性の対象たる「アイドル」の標準形です。ですが、あるいはだからこそ、両方をバランスよく続ける人は、得てしてどちらも小粒です。

河合奈保子は歌唱力では定評があり、81年の「紅白歌合戦」に初出場以来、6年連続で出場を果たしている、人気・実力ともにある本物の「歌手」です。
にも関わらず、彼女はデビュー間もない新人時分だけでなく、長年にわたって、二十歳を過ぎてなお、グラビアを続けてくれました。

その実績は、まさにグラビアクイーン! 「80年代」「昭和」という枠さえ取っ払い、芸能史全体を通して見渡しても、かのアグネス・ラムとさえ肩を並べるであろう、この分野でのレジェンドです。
重ねて申し上げますが、「歌手」なんですよ、この人は!?
「歌」の刀も、「水着」の刀も、どちらも名刀! 切れ味抜群! それが河合奈保子! アイドル二天一流! カワイサーン! ナオコサーン!

そよ風のメッセージ
音楽専科臨時増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ

「歌手」としての人気・実力は、ともにあったにも関わらず、グラビア=水着を続けたのは何故か?
事務所に強いられたのか? それに逆らえなかったのか? そのへんの事情は寡聞にして存じ上げません。
明らかに云えるのは、彼女がやりたくてやった仕事ではないだろうということです。

 

【う】
=ウェスト=
あ~、もうちょっとやせて、ウェストを細くしたいのです。

【む】
=胸=ムネ
胸のこと言われるとすごく恥ずかしいんです。水着のときはもっと恥ずかしい。だから細く見える洋服を捜してます。

――『そよ風のメッセージ』巻末「奈保子辞典」より


それはそんな言葉すらなかった時代の、いまで云う「パワハラ」、「セクハラ」だったのか。そうかもしれません。
そうした側面は、確かにあっただろうと思います。「昭和」というムチャクチャな時代、実際ムチャクチャなことをやらされていました。それこそ「芸能人水泳大会」なんて、人前で水着で歌わされてました。イヤだったでしょう。恥ずかしかったでしょう。
でも、それだけで片付けられる、単純な話ではない。ワタシはそう思っています。

それが彼女にとり思い出したくもない、暗黒の過去でしかなかったのなら、芸能界を去って十数年、二十一世紀になって、写真集が出ることはなかったでしょう。
目をハートマークにしてよろこぶファンの反応を見るのは、アイドルとして、女として、恥ずかしさの傍らで、嬉しさ、喜び、満更でもない――もうッ、みんなエッチなんだから!――そんな風に思いながらも、笑みがこぼれてしまう。そんな気持ちも、またあったのではないでしょうか。
助平な男の自己正当化と云われればそれまでです。けれど、そう信じたい。だからワタシは、ただひたすら、感謝を捧げます。

それはそれはかわいらしい十七歳の奈保子ちゃんが、「おいで――」と両手を広げて(←妄想)、ワタシの思春期の扉を開いてくれたことを。
 


アグネス・ラムをグラビア界の優等生とするなら、河合奈保子は決してそうではありません。
ごめんなさい、失礼を承知で申し上げますが、ややコラーゲンが多めです。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

女性は理想のスタイルについて、ほぼ100パー「視覚」でイメージします。当然その理想像は、かのアグネス・ラムのそれになります。
男はそこが違います。「視覚」=見た目はもちろん大事、でもそれに負けないくらい「触覚」――平たく云えば触り心地、抱き心地を重視するのです。

ほんのりコラーゲンをのせた、絶妙にふくよかで、ふっくら、ふんわりとした、「柔らかい」という単語は彼女のためにある、そう云って過言ではない、そんな肢体。
云うなら、魅惑のエルちゃん体型!
 

『Theかぼちゃワイン』(三浦みつる)のヒロイン・「エル」こと朝丘夏美のモデルは、ミノルタのCMで脚光を浴びた当時女子大生の宮崎美子さん。宮崎さんと奈保子さんはスタイルのタイプでかなり近く、タイミングと巡り逢わせ次第では、エルちゃんのモデルは河合奈保子だったかもしれません。

ここで唐突ですが、恒例の多摩市・カナメさんからのリクエスト。テレビアニメ主題歌『Lはラブリー』をお送りします。驚異の原曲再現率、それでいてモノマネに陥ることのなく、しっかり自分のソウルで歌うシンガーソングライター・Arikaさんの超絶カバーでお聴きください。



嗚呼ッ、包まれたい。
フランス料理に「スズキの皮包み」ってありますよね。
奈保子のパイに包まれたい!!!

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

……ハタかれるようなことは申しておりませんよ? なにもいやらしいことは申しておりません。パイ生地のパイですよ。奈保子パイですよ!

いいことありそうな、気分は奈保子パイ♪
不思議な不思議な奈保子パイ♪

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

……冗談が過ぎました。河合奈保子さま、そして、竹内まりやさま、謹んでお詫び申し上げます。

 

これは、いわゆる「レトリック」です。本当のところワタシがどうしたいのか、そんなワタシの真のエロ欲望について、ストレートに文字に起こすなどできません。とても食えたものじゃない「渋柿」を天日で干して「干し柿」にする。そうした処理をワタシの精神のテキスト化で施したらどうなるか? これはその実例です。


これは単にワタシの個人的な好み、性的嗜好で片付く問題ではありません。多くの男(「ファン」に限らず)が、同じような感覚でいることは間違いのない事実です。そうでなければ彼女のグラビアでの大活躍は、説明がつきません。

男は少なからず自覚しない意識の深層で、マザコンでロリコンです。この二つは対極のようでいて、実は同心円状の関係です。
彼女の豊かなバストには母性を、ふっくらぽっちゃりした身体つきには幼女性を感じる。そこに無類に愛らしい彼女の顔立ちとが相まって、そんな男の感性にビビットに突き刺さるのです。奈保子さんの容姿は。

男の好みは色々です。奈保子さんの容姿に、口さがないことを云う男も少なくありません。実際ワタシもこの耳で、そんな言葉を何度も耳にしました。
しかし、彼女への気持ちが「LOVE」であるかは別にしても、彼女の水着姿を目の当たりにしたとき、(あくまでワタシの皮膚感ですが)男の約半数はグッとアヤしい気分を掻き立てられる――平たく云うと、ソソられるのではないでしょうか。
満月の光は、オオカミ男を変身させる。それは「オオカミ男」という、特殊な生物種に限った話です。けれど奈保子ちゃんの水着は、あまねく普通の男子(約半数?)をケダモノにメタモルフォーゼさせるのです。

こうしたご自身のビジュアル面の魅力、「グラビア人気」について、自分では理解が及ばないものかもしれません。
――どうして男のひとって、そんなにわたしの水着が好きなのかしら?
前述の妄想の繰り返しですが、もしかしてそんな風に、疑問を抱き続けていたのでしょうか……?

 

「芸能人水泳大会」の映像と沢村一樹
すごく印象に残っているネット動画があります。テレビ番組の一部を切り取ったもので、「芸能人水泳大会」の映像を流して「昭和のアイドルはこんなことまでしていた」というのを紹介していました。そこに映る水着で歌うアイドルは、もちろん河合奈保子です。面白いのは、ひな壇でそれを見ているタレントたちで、みなさん一様に、そして明らかに、平静を装っているのです(笑)。
「ムチャクチャしてるなぁ」というリアクションとしては、「苦笑い」ぐらいしてもよさそうなものですが、硬く無表情なのです(笑)。いまピッタリの云い方をすると、朝ドラ『寅に翼』の寅子=伊藤沙莉がよく口にする「スンッ」という、あの感じ。
わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ! ソソられとるな、男として!
そこに映る水着姿の奈保子ちゃんは、確かにエッチで、なのにあどけなくて、それを「たまらんなぁ」みたいな反応をしようものなら、ド変態の烙印を押されかねなくて、硬い無表情にならざるを得ない。わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ!
その中でただ一人、もう嬉しそうにニッコニコしてたのが、沢村一樹(笑)。この方は、我が国公認のド助平ですからね。これが赦されるイケ面、ええなぁ。かういふ人にワタシはなりたい。

ここで本当ならリンクを貼りたいところですが、探し当てることができません。Y○uTubeなんですが、御存知の方がいたら、教えていただけると嬉しいです。

世間的標準的基準でスタイルを採点し、アグネス・ラムのそれを「100点」とするなら、河合奈保子のそれはせいぜい「80点代」といったところでしょう。にも関わらず彼女のグラビア人気は、アグネスにも引けを取りません。その理由については、すでに述べました。

それは採点には表れない「魅力」です。
喩えるなら、それは八重歯。歯科的に云えば「悪い歯並び」です。けれど奈保子さん自身がそうであるように、それは魅力=チャームポイントたり得るのです。

絶妙な欠陥は、満点に勝る。そう強く主張したいと思います。「ミロのビーナス」は両腕の先を無くしています。そのことそれ自体は単に欠損、失点であり、不完全であることを意味します。ですがそのことが人々の想像を掻き立て、魅了しています。
仮に完全体であったとしても、素晴らしい彫刻には違いありません。けれども現在の姿ほど、人々の心を捕らえることはなかったのではないでしょうか。腕の欠損が、ミロのビーナスを満点を超える存在たらしめたのです。

じゃあ河合奈保子ぐらい、太ればいいのね? ――そんな単純な問題ではありません。ビジュアルの魅力とは、顔も含めた全体のパッケージですから、単に体型を真似ればいい、体脂肪率を同じにすればいい、というものではありません。
どこをどの程度どういった条件で欠損させればいいのか? それは公式化できません。ミロのビーナスの腕の欠損が、人為によらない偶然の産物であったように、それは云わば《神の創造の領域》であって、ゆえにAIの自動生成によって河合奈保子的美女を作り出すのは、なかなか難しいのではないでしょうか。

まったく想像ができないのですが、もし河合奈保子のスタイルが、アグネス・ラムのような、マリリン・モンローのような、完璧なプロポーションであったら? ――正直個人的にはあまり魅力を感じず、世間的(グラビア分野での)人気もそれなりにあったにせよ、現実の河合奈保子のそれには及ばないような気がします。

先にも引用したように、奈保子さん本人は自分のスタイルを気にし、コンプレックスに感じていました。
もしも彼女のスタイルが、彼女自身が理想とする身体つきであったとしたら、もっと早く、彼女は「水着」から卒業――解放されていたかもしれません。
自身のコンプレックスである身体的特長そのものが、彼女のビジュアルの魅力を高め、そちらの仕事へと駆り立てやまなかったのは、これ以上ない皮肉です。ファンにとっては、うれしい皮肉ですが。
河合奈保子は(ミロの)「ビーナス」なのです。

ミロのビーナス

「芸術」か「猥褻」か――といった論争が昔から繰り返されてきましたが、バカバカしいと思います。
それがどう見えるかは、それを見るひと次第だからです。「エロティシズム」とはそれ自体が内包するものではなく、それを見る者の目線・意識にこそあるからです。

――河合奈保子の水着はいやらしくない。健康美そのもの。
そのように世間では、よく云われます。このことはワタシもまったく同感です。(意外ですか?)

降り注ぐ太陽光、吹き渡る潮風――それらと無邪気に戯れる天真爛漫な天使が、そこに写っているだけです。

それをこちらが勝手に、いやらしい目で見ているだけです。

ある種の罪悪感、自己嫌悪に、苛まれずにはいられない。
――こんなにかわいいのに。こんなに天使のようなのに。それなのに、こんなエロい気持ちを抱いてしまうなんて!
そんなシェークスピアの演劇の一幕のような葛藤、一人芝居を演じずにはいられません。

そのこと自体、さほど特別なことではない、とは云えます。
もとより「恋」とは、「性」と不可分だからです。
誰かを好きになった時、このひとを抱き締めたい、キスしたい、ひとつになりたい――そんな「ピュアな恋心」と背中合わせに「濁った欲望」を抱くのは、誰にもあること。

それでも、奈保子さんの水着には、そこのところの相反ふりが、尋常でなく物凄いと感じてしまうのです。
かわいらしい笑顔、ふっくらふんわりとした肢体に感じる「癒し」、こんな彼女を守ってあげたいとという気持ち。それと同時に掻き立てられる、それとは正逆、裏腹の――この身体を好きにしたい、メチャメチャにしたいという、ケダモノの情欲。その乖離が。
ワタシはこれをこう呼びたい。奈保子の水着の魔性――と。

それは単にワタシという一ファンの特殊な性癖、思い入れなのでしょうか。そうではないと思います。
こんなことをブログで告白するほどバカではなくとも、自分もそうだと云ってくださる御同輩――河合奈保子という女性に魅了されたファンの皆さんには、きっと大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代、ワタシは大いにあなたに慰められました。弾ける笑顔にメンタルを、弾けるバディにフィジカルを。
謝りはしません。そうではなく、感謝を申し上げます。

その節は、誠にお世話になりました。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

締め括りに、この言葉を捧げたいと思います。遠くオーストラリアの空の下、主婦をまっとうされている現在の奈保子夫人にではなく、80年代という時代、芸能界の荒波にいままさにもまれているアイドル現役の奈保子ちゃんに。


あなたにとり水着は、決して本位の仕事ではなかったかもしれません。それでもどうか、ご自分の宿命を受け容れてほしい。

水着があなたを選んだ。あなたは水着に愛されたのだということを。
 

おわりに
「四〇年遅れの推し活」を始めて、もうすぐ一年になろうとしています。
写真集『フォトメッセージ』をとば口に、さらに広範の「河合奈保子の水着論」になってしまいましたが、これはその開始当初から温めていたテーマでした。まさに「構想一年」。
書きたいことを全部詰め込んだら、こんなになってしまいました。変態ですね。
ワタシは奈保子さんの現役のさなかに、ファンをリタイヤしてしまった男です。そのことの強い後悔が、いまワタシをこうして駆り立てる原動力になっています。そのことは云い訳として、弁解させていただきます。

「水着」「水着」とそればっかり語りましたが、『フォトメッセージ』という写真集は、決してそればかりではありません。表・裏のカバーのインパクトがあまりに強烈ということもありますが、あくまでそれは三分の一。
スプリング・コンサートのステージを撮ったスナップも、高原でのフォトも、しっかり、うっとり、堪能させていだきました。あまりに言葉少なで恐縮ですが、そのことは申し上げておきます。


フォトメッセージ モノクロ頁
――『フォトメッセージ』より

そして次回予告
間に合いました! いや、ギリ間に合わなかった、と云うべきか?
3rdアルバム『DIARY』の発売日・8月10日(――の前まで)にです。
これから聴きます。奈保子日記の発表まで、いましばらくお待ちください。

シングルはともかく、アルバムはちっとも聴いていませんでした。中学高校時代のワタシは、奈保子ちゃんとルッキズムでしか接してこなかったのです。本当にただのエロ坊主です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされているだけの。
これからは奈保子さんの歌・音楽に、しっかり向き合ってまいります。どうかお許しください。「四〇年遅れの推し活」は、それが主目的ですので。今回は特別編です。中学高校生のエロ衝動を、五十過ぎの大人の文才で語るとこうなる――という実例をお目にかけました。では、近いうちにまたお会いしましょう。

 

 

 

 

人気記事88位にランキングされました

 

 

「奈保子ディスコグラフィ」が人気記事88位にランキングされました! ありがとうございます。
やっぱり「河合奈保子」で、こういう「お役立ち記事」を書けば、上位を狙えるんですね。

ワタシは典型的「自分語り」のブロガーです。
「河合奈保子」をテーマに記事を書いても、語っているのは「河合奈保子を好きな自分」です。
なのでワタシのブログを愉しんでもらえるのは、ワタシの書く記事が好きか、ワタシという人間に興味があるか(好意・悪意は別にして)に限られます。したがって――

・関心のある読者は多数、書き手も多数(競争率が高い)いるテーマ →朝ドラ
・関心のある読者は少数、書き手も少数(競争率が低い)のテーマ →平井和正
・関心のある読者は多数、それでいて書き手は少数のテーマ →河合奈保子

どれを書こうと、アクセス数もイイネの数も、さほど変わりはないのです。安定の低空飛行。

令和のいまになって「河合奈保子」にドハマりしている、ワタシの自我なんぞに誰も興味はない。
それは当然で、ワタシも「河合奈保子」他のキーワード検索でヒットしたページで何を見るかと云えば、「求めている情報」であって、お仲間のお気持ちではありません。
けれど、そんな中でも、ワタシの胸を刺すブログや動画はあって、憧れます。ワタシもそんな記事を書きたいと思います。精進します。

「奈保子ディスコグラフィ」は100パー自分のために作っています。
「四〇年遅れの推し活」をする上での、これから入手・鑑賞する作品の一覧であり、スケジュール表です。

ただいま、奈保子史に燦然と輝く1st写真集『フォトメッセージ』をテーマに、グラビアクイーン・河合奈保子の魅力について、あらん限りの思いの丈を込め絶賛執筆中です。
もしよろしかったら、ご覧ください。

多摩市・カナメさんからのリクエスト、日本コロムビア公式YouTubeチャンネルより『”Naoko in ザ・ベストテン”ダイジェスト』でお別れです。近いうちに、またお目にかかりましょう。

 

 

 

 

 

※ただいま工事中

 

大きな森の小さなお家
 大きな森の小さなお家
 
1980年6月1日
詞/三浦徳子 曲/馬飼野康二
B面/ハリケーン・キッド
詞/三浦徳子 曲/馬飼野康二
 
ヤング・ボーイ
 ヤング・ボーイ
 
1980年8月25日
詞/竜真知子 曲/水谷公生
B面/青い視線
詞/伊藤アキラ 曲/川口真
 
LOVE
 LOVE
 
1980年10月10日
アルバム
収録シングル/大きな森の小さなお家、ヤング・ボーイ
日記1日記2
 
愛してます
 愛してます
 
1980年12月10日
詞/伊藤アキラ 曲/川口真
B面/そしてシークレット
詞/伊藤アキラ 曲/川口真
日記
 
LIVE
 LIVE
 
1980年12月10日
ライブアルバム
1980年10月14日、東京・芝・郵便貯金ホールにて行われた1stコンサートの模様を収録。
日記
別冊近代映画 河合奈保子特集号
 
 
1981年1月15日
日記
ムック
夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より
 
 
1981年3月1日
日記1日記2
エッセイ
17才
 17才
 
1981年3月10日
詞/竜真知子 曲/水谷公生
B面/キャンディ・ラブ
詞/竜真知子 曲/水谷公生
日記
 
TWILIGHT DREAM
 TWILIGHT DREAM
 
1981年5月10日
アルバム
収録シングル/愛してます、17才
日記1日記2
スマイル・フォー・ミー
 スマイル・フォー・ミー 
1981年6月1日
詞/竜真知子 曲/馬飼野康二
B面/セレネッラ
詞/櫛田露孤、伊藤アキラ 曲/川口真
日記1日記2
 
音楽専科臨時増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ
 そよ風のメッセージ
 
1981年6月26日
ムック
日記
 
近代映画増刊 河合奈保子 フォトメッセージ
 奈保子フォトメッセージ
 
1981年8月5日
写真集
日記
 
DIARY
 DIARY
 
1981年8月10日
アルバム
収録シングル/スマイル・フォー・ミー
日記
 
ムーンライト・キッス
 ムーンライト・キッス
 
1981年9月1日
詞/松本礼児 曲/馬飼野康二
B面/あなたはロミオ
詞/松本礼児 曲/江戸光一、松本礼児
日記1 日記2
 
ときめきのメッセージ NAOKO ON TUOR 河合奈保子写真集
 ときめきのメッセージ
 
1981年10月15日
写真集
 
Angel
 Angel
 
1981年11月25日
ベストアルバム
収録シングル/ヤング・ボーイ、大きな森の小さなお家、愛してます、17才、ムーンライト・キッス、スマイル・フォー・ミー
 
ラブレター
 ラブレター
1981年12月5日
詞/竜真知子 曲/馬飼野康二
B面/No No Boy
詞/松宮恭子、伊藤アキラ 曲/松宮恭子
日記
 

 

工事日記 2024.01.05
公開しますが、工事中です。第一期工事としては主に1980年にリリースされた作品をまとめました。音楽に限らず、映像ソフトや写真集・エッセイなどの出版物も取り上げていくつもりです。
今後の日記で奈保子史に触れる際などにリンクして使用するほか、ワタシ自身のスケジュール表として(笑)使っていきたいと思っています。
工事日記 2024.06.09
更新をサボっていたら、セカンドアルバムが出てました。マメにメンテしないといけませんね。
81年末までのシングル、アルバム、出版物をアップしました。奈保子さんの芸能人生のなかでも最大の、激動のシーズンに差し掛かろうとしています。

 

第17週 「女の情に蛇が住む?」
 

心のよりどころが一人だと、関係が対等から特別になって、いびつになっていく…。
失った時、なかなか立ち直れない。

だから優未には、よりどころをたくさん作ってほしかったんだと思います。

――85回より


これはほんと、そう!
身に沁みて、そう思います。

ほんとうは「人」を「心の支え」にしないほうがいい。
「車」とか、「料理」とか、できたらそういうもののほうがいい。
「人」は変わってしまうから。自分との関係も――。

でも、どうしても、人は人を「心の支え」にしてしまう。そうせずにはいられない。
小説を好きになると、その作家を好きになってしまうし、歌を好きになると、その歌手を好きになってしまう。ワタシもそう。

だからそういう対象が、最低でも二人はほしいところです。
「精神的支柱」が二本(以上)あれば、一本が折れてもなんとか立っていられる。
でも、一本しかないと、それがポッキリ折れたとき、自分も倒れてしまう。
 

私、よりどころなら、たくさんあるよ。

「よりどころなら、たくさんあるよ」
――85回より


母・寅子=伊藤沙莉にそう云った優未ちゃんは、素敵な人々に囲まれて、きっと素敵な大人になるでしょう。たまたま集まったクラスに友達ができないからって、気にすることはない。
たった一人を「よりどころ」にしている方は、早いうちにほかの「誰か」を、「何か」をぜひ見つけてください。
繰り返しますが「人」は変わるし、その関係も変わります。それは宿命であって、避けられません。
たがら、それをいくつも持つことで、安全を確保してくださいますよう。

筆者絶賛オススメの、良い女性(ひと)をひとり、知っているのですが――。
すでに現役を退いて久しいですが、現在でも購入可能なソフトは唸るほどあります。
彼女の何がいいと云って、奇人変人のジャングルであり、それが資質で条件ともいえる芸能界にあって、エキセントリックさの欠片も無い、ふつうに「いい人」であることです。それでいて「スターの輝き」をあわせもっている。
決して芸能界向きの人ではなかったし、だからこそその世界を去ったとも云える。そこのところは、ファンとしては複雑です。でも、そんなところに惹かれてしまう。これ以上深掘りしていくと、また別のコンテンツの話になってしまいますが。