(1)河合奈保子のアイドルらしさ全開

 

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、アルバム『TWILIGHT DREAM』から、河合奈保子『愛してます』アルバムバージョンをお送りしました。

彼女の現役時代の同月同日、同じ時間をかけてシングル・アルバム・その他を追いかける。そんな河合奈保子さんへの「四〇年遅れの推し活」を絶賛実行中ですが、うっかり見過ごしておりました。(1981年)5月10日発売のセカンドアルバム『TWILIGHT DREAM』を。
それを取り上げるべき時期に、ワタシがやっていたことは――。

 


よりによって……(苦笑)。
いや、いつかはご説明しておかなければならない、その必要はありました。河合奈保子さんの「四〇年遅れの推し活」を始めてまだ一年足らず。その間だけで、どれだけ「ボイン」「ボイン」と連呼してきたか。気になる方は当ブログの検索窓から一覧してみてください。
それにしても、よりによって。(1981年)6月1日発売『スマイル・フォー・ミー』とは順序が逆になってしまいましたが、遅まきながらセカンドアルバム『TWILIGHT DREAM』を取り上げます。そのSIDE-2です。前回のSIDE-1では、『Hello Goodbye』に引きずられるまま、すっかり芳恵ちゃん話になってしまいました。ここからはワタシなりに、このアルバムについてレビューしてまいりたいと思います。

思い切り奈保子ちゃんの「アイドル性」に振った一枚だと思います。
6曲目『ハートはもう春』※(1)もそうですが、続く7曲目『イチゴタルトはお好き?』※(2)なんて特に。
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赤いリボンの小箱を抱いて 
春の坂道駆けてゆく
あなたのおうちへ私はゆくの
イチゴタルトはお・好・き?

でも でも でも でも
そんな甘いの嫌いだよって 
言われちゃったら立つ瀬がないわ
夕べの仲直りしようとしてるのに
おへそ曲がりのあなたですもの


明るい曲調から、にわかにひっくり返る転調。
歌だとわかっていても哀しくなるし、腹が立つ。
リボンの箱入りのイチゴタルトを、奈保子ちゃんが――。
もう一度云うよ? 奈保子ちゃんがうちまで、リボンの箱入りのイチゴタルトをもってきてくれてるんだよ? それをお前というやつは――!?

「そんな甘いの嫌いだよ」――!? ハアッ!?
いただきなさい! たとえ甘いものが嫌いでもいただきなさい! 『水曜どうでしょう』の鈴井貴之のように!!!

(2)しっとりとアーティストの一面も

 

花には蝶が
樹々には鳥が
私にはあなたがいる


9曲目『ふたりのWondorland』、この歌も心に沁みます。
こんな言葉を云われたい、男として。

1曲目の『愛してます』、8曲目の『17才』は、御存知それぞれ3枚目、4枚目のシングル。
いずれもこのアルバム用にアレンジされています。『愛してます』は冒頭に潮騒のサウンドが流れるのですが、『ふたりのWondorland』の終わりにも同様の潮騒が流れます。
それが途切れることなく、続くラストソング『Twilight Dream』の出だしに重なります。

ファーストアルバム『LOVE』の収録は全10曲、『TWILIGHT DREAM』も同じです。うち、シングルは2曲、各B面をあわせて計4曲、これも同じ。ラストのオリジナル曲をアルバムタイトルにしている点も。

ファーストアルバム『LOVE』のラストソング『LOVE』は、良い歌です。アルバムを締め括るのに相応しい、日曜の夜に似た感傷を覚える、ちょっぴり物淋しいミディアムテンポ。でも、胸がほんわか温まって、かわいらしくて、ほんとうにデビュー間もない奈保子ちゃんらしい歌だと思います。
※Youtube

セカンドアルバムの表題曲『Twilight Dream』(オール大文字のアルバムタイトルとは、表記が異なります)も性質は異なりますが、アルバムの締め括りに相応しいという点で同じです。
しっとりとアーティスティックに、シンガー・河合奈保子の底力を魅せてくれます。

竹内まりやさんは『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子さんを見て、「彼女はしっとりとした歌も似合うはず」と、当時、山下達郎氏と結婚、活動を休止していた彼女は、勝手に、趣味的に、『けんかをやめて』を書いたそうです。出来た歌をみて、彼女は「何様のつもり?」と自分で思ったそうです(笑)。 そんな歌をまさか売り込むにいくわけにもいかず、さりとて自分で歌うこともできず、それから世に出るまでの一年以上の間、この歌は眠ることになります。
『けんかをやめて』については、まだその時期に至っていません。その時が来たら、じっくりお話しさせていただくつもりです。が、もし、まりやさんが先にこの歌を聴いていたとしたら、ひょっとすると、『けんかをやめて』はこの世に生まれていなかったかもしれません。
※参照 http://ongakuhiwa.com/?p=1694

お別れの曲は多摩市・カナメさんからのリクエスト、アルバム『TWILIGHT DREAM』から、河合奈保子『Twilight Dream』をお送りします。
潮騒に始まり、潮騒に終わるこのアルバム。
実際に浜辺で潮風に吹かれて、沈む夕陽を眺めながら、この一枚に耳を傾けてみたい。
そんな贅沢な時を過ごしてみたいと思います。

 


2024.06.19 一部加筆
 

 

 

(1)『ハロー・グッバイ』と芳恵さんのこと
 

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、アルバム『TWILIGHT DREAM』から、河合奈保子『Hello Goodbye』をお送りしました。

この歌があの人のあの歌に先行して発表(1981年5月10日アルバム発売)できたのは、幸運だったと思います。
『Hello Goodbye』というこの歌のタイトルは、これがベストと断言していいほど妥当です。でももし、柏原芳恵(当時・柏原よしえ)の『ハロー・グッバイ』が先に大ヒットしていたとしたら、この曲名をつけるのは少々ためらわれたかもしれません。

今回これを書くにあたって初めて知ったのですが、『ハロー・グッバイ』ってカバー曲だったんですね。
原初に遡れば、もとはアグネス・チャンのシングルのB面。曲名は『ハロー・グッドバイ』(1975年)※(1)
その後、曲名を『ハロー・グッバイ』に変更、讃岐裕子(すみません、存じ上げません……)がカバー(1977年)※(2)し、柏原芳恵(当時・柏原よしえ)がブレイクする大ヒットソング(1981年)※(3)に至ります。その後も複数のシンガーにカバーされる、不朽のアイドルソングです。

アグネスの原曲はB面だったから仕方ないとして、讃岐裕子さんの歌もいいと思うんだけどなぁ……。つくづく「ヒット」って不思議。世の中の風向き次第って気がします。特に「無名」から「有名」に変わる、「ブレイク」を果たすヒットというのは。
強いて云えば、芳恵(当時・よしえ)さんには「色気」がある。奈保子さんとは、二つ歳下。当時十六歳のよしえチャンが放つ、歌声を聴くだけで感じるこのお色気! 男子悩殺の《芳恵セクシー》、この年頃から威力抜群。
(1)Youtube (2)Youtube (3)Youtube

(2)芳恵・奈保子の不思議な符合と「80年」のこと

芳恵さんにはこの機会に、お詫びしておきたいと思います。
ワタシは長いこと、彼女のことを「82年組」のひとりだと勘違いしていました。ごめんなさい。『ハロー・グッバイ』の発売・ヒットが81年の10月なので、記憶の時系列の混乱が起こってしまったのでしょう。その後の彼女の活躍ぶりは、まぎれもないトップアイドルの一員でしたが、けっこう遅咲きでした。
デビューは80年。河合奈保子とは同期です。それどころかデビュー日は6月1日! まったくの同年同日デビューなのです。
出身地は大阪、これも同じ! そして、ともに、魅惑のボインちゃんでもあります!
大阪民として、こんな誇らしいことはありません。

当時の記憶ではなく最近になって視た動画ですが、「プロポーズ大作戦」(大阪局制作の伝説的恋愛バラエティ番組)に揃って出演したことがあります。「フィーリングカップル5対5」という名物コーナーに女性チームとして登場したのは、松田聖子を筆頭に、浜田朱里、柏原よしえ、河合奈保子、そして研ナオコ(笑)の面々。80年デビューのアイドルたちでした(>約1名除く)。

80年デビューと云えば、三原順子(現・三原じゅん子)さんも忘れてはなりません。聖子・順子・奈保子で「聖順奈(せいじゅんな)トリオ」なんて呼ばれたこともあるようです。
中森明菜、小泉今日子を輩出した「82年」も名高いですが、「80年」の顔ぶれも錚々たるもの。凄い年ですよ。

松田聖子、三原じゅん子、河合奈保子の、三人三様、それぞれの「現在」に想いを馳せると……。
本当に、人生いろいろですよね。

(3)続きの口上とあの「作り話」のこと

共通項も多い、奈保子さんと芳恵さんのお二人ですが、アイドルとしての性質は好対照であったようにワタシには思えます。

かたや清楚、かたやセクシー。ワタシが奈保子さん贔屓だからといって、芳恵さんを貶めるつもりはありません。全身から芳しく放たれる色香。名付けて、《芳恵セクシー》。芳恵さんにあって、奈保子さんにはないものです。ワタシが奈保子さんのことを「いやらしい目で見てない」などと云うつもりはありません。全くありません。ですが奈保子さん自ら、「ほら見て、グッと来ちゃうでしょ?」――などとセクシーアピールを発しているわけではありません。よく云われる話ですが、彼女の水着姿はいやらしくなく、健康的そのものです。
降り注ぐ太陽の光と、吹き渡る潮風に戯れる、無垢な天使がいるだけです。それをこちらが勝手に不健康な、いやらしい目で見ているだけです。
一方、芳恵さんは、発してると思うんですよ。フェロモンに似た、《芳恵セクシー》を。まあ芳恵さん自身、意識して発しているわけではないと思いますが……。

だからなのか、変な噂を立てられたこともあります。いい機会ですので、触れておきましょうか。あの有名な「作り話」について。

 

あの「作り話」のあらまし
よしえさんがマネージャーと連れだって、空港のゲートをくぐろうとしました。すると、手荷物検査の「ブザー」が鳴りました。
(この時点でツッコミを入れたくなりますが、我慢して先を続けます。) 係員がその手荷物を開けると、そこから出てきたのは、アダルトなラブアイテムでした。
「三日間ぐらい我慢できなかったのか?」
マネージャーは呆れて、こう云いました。よしえチャンは、こう云い返しました。
「奈保子ちゃんだって、もってるもん!」


指摘するまでもないと思いますが、手荷物検査は金属探知ではなくX線による視認です。「ブザー」は鳴りません。そこに凶器や危険物でも認められればともかく、ラブアイテムの影が見られたとしても、係員は止めません。これは電動あんま器ですね? 本当に肩こりをほぐすのに使うんですか? 別の目的に使うんじゃないでしょうね? ――そんなこと訊きません。
さらにプラスチックとゴムで覆われ、その素材が大部分のラブアイテムが金属反応を起こすとは考えられません。百歩どころか一万歩譲って、それをポケットにしのばせゲートをくぐったとしても、「ブザー」が鳴ることはありません。

少しでも空港というものを知っているオトナなら笑い飛ばす、いかにも中高生が考えそうなウワサ話です。
奈保子さんもとんだとばっちりですが、ワタシは不思議と怒る気になれません。むしろ、温かく癒されるような、そんな心持ちになります。

こんな話が出てくるほど、大の「仲良し」として知られていたということが一つ。さらに、アイドルにセクシャルなウワサ話はつきものです。かわいい顔して、やることやってんだぜ?――というような。清らかなもの、神聖なものを穢そうとする、高みにあるものを引きずり落そうとする、下種な大衆心理です。
そうした悪意――妬み、僻み、嫉みに基づく捏造のゴシップでさえ、「男遊び」ではなく「ひとり遊び」に行き着いてしまう、そうせざるを得ない、お見事な男っ気の無さ。これがもう一つ。
奈保子さんもそうですが、セクシー芳恵さんにしてもです。

よしんばこの話に真実の一端があるとしても、ワタシは別に気にしません。アイドルに「恋愛禁止」のルールがあるとしても、「ひとり遊び禁止」のルールはないからです。アイドルだって人間、それぐらい、こっそりいたされていたとしても、まったく構いません。

――きみはなんて、いやらしい、ふしだらな女の子なんだ!? 見損なったよ!?

そんなことを云う資格は、ワタシにはありません。一体どの面下げて、どの口がそんなことを云えるでしょうか。
ワタシが性欲猿であった、エロモンキーでしかなかった中高生の頃、奈保子さんの眩しい水着姿に、どんなに慰められたか知れません。
その節は、誠にお世話になりました。
パァァァンッ!(脳内奈保子のハリセン、炸裂)

セカンドアルバム『TWILIGHT DREAM』について語るつもりが、すっかり芳恵ちゃん話になってしまいました。ここまでは、SIDE-1。アルバムについては次回SIDE-2に譲ります。近いうちにお目にかかりましょう。

お別れの曲は多摩市・カナメさんからのリクエスト、同じくアルバム『TWILIGHT DREAM』から、河合奈保子『Mr.パイロット』をお送りします。
『Hello Goodbye』の次の収録曲がこの歌って、どういう神様のいたずら? 発売時期からすると、ほんとうに誰の意図も介在しようのない、ただの偶然としか云いようがありません。

 

あなたにおまかせ あなたにおまかせ
フライトプランは あなたにおまかせ


書かれた字面は、パイロットのフライト――。けれど、その裏側に重ねられた比喩は、あまりにも明らかな乙女心――。好きな曲のひとつです。
 

愛のライセンス 今夜あげるわ


胸を射る矢のように、ズキュンと刺さるこの一節!
うれしいよ、奈保子。今夜は、きみを操縦しちゃうからね!!!
(……………)
いや、その、なにもそんなに気持ち悪そうに、ドン引きしなくても……?
だいたい脳内奈保子さんはワタシの想像上の存在のはずなのに、なんでそんなに反応がリアルなんですか?
 


2024.06.16 一部変更・加筆

 

 

 

(1)はじめて聴いた『スマイル・フォー・ミー』のB面

 


多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『スマイル・フォー・ミー』のB面から、『セレネッラ』をお送りしました。

「四〇年遅れの推し活」を絶賛実行中の身ですので、奈保子さんの未知の歌は「その日」が訪れるまで、つとめて聴かないようにしています。
 

一気に聴いてしまいたいのは、やまやま。でも我慢して「その日」を待っています。どんなにがんばっても、「あの頃」には戻れません。それでも、せめても、「同じ時間経過」だけでもこの身で体験したい、味わいたい。奈保子さんの現役時代を棒に振ってしまった「遅れたファン」としては、そんな気持ちで、ハタから見ればさぞかしバカバカしいであろう取り組みをしています。
 


そんな事情で去る六月一日、満を持して『スマイル・フォー・ミー』のB面であるこの曲を聴きましたよ。
刺さりましたねぇ。ブッ刺さりました。

 

(2)奈保子ちゃんの心の叫び?

 

私を女神と呼ばないで
それでは愛は届かない
もしも本気で好きならば
ひとりの少女に恋をして


「セレネッラ」という耳慣れない単語を連呼する女性コーラスに続いて、奈保子ちゃんがいきなりこんな言葉を口にします。

「私を女神と呼ばないで」

アイドルの奈保子ちゃんがそんなこと云う?
なんか「痛いところ」を突かれた想いです。

でも、しょうがないよ。
だって、ほんとうに「女神様」なんだもん。

あなたは、アイドル――。
夜空に浮かぶお月様のように、冴え冴えと、煌煌と輝いて、あなたを愛で仰ぎ見る者に惜しみなく、かつ平等に光を注ぎ、照らす――。
でも、どんなに手を伸ばしてみても、お月様を掴むことも、触れることもかなわない。そんな存在なんですよ。

この歌は秋元康が得意とする、小泉今日子「なんてったってアイドル」に代表される「アイドル」である自分や立場をストレートに歌った、云わば「メタ・アイドル歌謡」とは違います。

この歌を普通に聴けば、それとは正反対。普通の女の子が普通の男の子に交わす言葉を詞にした、普通の歌のように聴こえます。
ですが微妙かつ絶妙に、アイドル・河合奈保子が、自分自身のリアルを歌っているようにも聴き取ることはできます。

それはまさにワタシが前述したような、数多のファンから寄せられる「崇拝」にも似た「憧れ」に、彼女は倦んでいる――? そんな受け止め方ができるのです。
「女神」あつかいしないで。ふつうの女の子として、私に恋して。

「女神じゃなくなるその日がほしい」
「ひとりの少女にかえりたい」


二番のこんな詞にも、そんな印象を強く感じてしまいます。それがズッキズッキ刺さるんですよ。
まるで目の前に奈保子ちゃんがいて、そう訴えかけられているかのような――。そんな錯覚に、そんな幻に、束の間酔ってしまうのです。

 

そんな解釈をすると、この歌詞にも俄然生々しさを覚えます。
 
よごれたその手でふれてもいいわ
よごれた言葉をぶつけていいわ
月が雲にかくれたら
私を女神と呼ばないで

 たしかに、この手はよごれています。でも、あなたにふれることはできません。
しかしこの現代、よごれた言葉をぶつけることは可能です。
でも、しません。書きませんよ、ブログには、決して。ワタシの心の裡に、そんなよごれた言葉があふれているのは認めますが。
どうしたんですか、そんな挑発するような目をして? 云っていいんですか? 怒りませんか、ほんとうに? じゃあ云いますよ?


きみのボインに乾杯。

ほらほらほら、やっぱり怒る。この程度のライトなジョークで、ハリセン振り上げてるじゃないですか?
(註 ただいま筆者は脳内河合奈保子――イマジナリー奈保子さんと会話中です。どうか、そっとしておいてあげてください。)


でも、奈保子ちゃん、ごめんね。ワタシにはムリです。そう云ってくれるのは嬉しいけれど。(>云ってない?)
あなたの存在は、あまりにも遠くて。あまりにも尊くて。ワタシにはその距離を詰められない。

まあ冷静に我に返れば、二人のお子さんもとっくにリッパに成人してる人妻になに云ってんだ? ってハナシではあるのですけど。
まあ気分は81年なので。約四〇年前の奈保子ちゃんに申し上げている気分なので。その点は何卒ご容赦の程を。

(3)曲名の意味(&それを調べて知る過失)


曲としても、すごく面白い――変則ですよね。
曲名でもある「セレネッラ」というワードを、奈保子さん自身の口からは、歌詞として一言も発せられてはいません。女性コーラスが前奏、間奏、後奏でリフレインするのみです。
「セレネッラ」とは何か? 奈保子さんの3枚目のアルバム『DIARY』の歌詞カードに、その答があるそうです。「セレネッラ(Selenella)はイタリア語で水の妖精(Selena)の愛称」とのこと。現物はまだ入手していないので、これはネットで教わった情報です。
参照 河合奈保子・Pure Dream https://blog.goo.ne.jp/n_twilight/e/1b0400b6a04b93717fa3d14aabcf47a1

それよりこれを書いていて、重大な事実に気がつきました。
セカンドアルバム、もう出てたやん!?

>『TWILIGHT DREAM』/1981年5月10日

2024.06.10 一部変更
2024.06.13 一部構成変更・一部訂正

 

 

 


多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『スマイル・フォー・ミー』をお送りしました。
「一日」は「いっぴ」とお読みいただけると、語呂がいい感じです。
1981年のこの日、『スマイル・フォー・ミー』が発売されました。アイドルソングの金字塔、奈保子さんのアイドル時代を象徴する彼女の代表曲のひとつでもあります。

――そばにいると 胸がキュンとなるの♪
(ヤング・ボーイ)
――愛してます 泣きたいほどあなた♪
(愛してます)
――ああ 17才の私♪
(17才)


奈保子さんの歌って、意外とけっこうマイナー調が多いのですよね。

 

止まらないの 弾む心は
ポップコーン みたいに踊る


それがここへ来て、この詞そのまま、弾けるような、明るく、ポップな、アップテンポ。こんな奈保子ちゃんを見たかった! アイドル・河合奈保子の過去映像が流れる場面では、決まって『スマイル・フォー・ミー』なのですが、それもむべなるかな。

 

 

……という話はすでにここで書いたことの焼き直し。この機会に若干の手直しを施しています。

『「スマイル・フォー・ミー」創作ノート』は、絶賛遅延中です。今日この日に「事故前パート」の完結編を披露する予定でしたが、日曜ライターの辛いところで、前回からまったく進捗していません。

81年10月、奈保子さんはあわや一生車いす、最悪「夭折のアイドル」になっていたかもしれない大事故、大けがに見舞われました。その復帰のステージは、初出場の紅白歌合戦! ただでさえプレッシャーのかかるその大舞台に、退院してまだ日の浅い、わずか十八歳の女の子が臨む。しかもその舞台は、大事故、大けがをした当の現場、いわくつきの場所、NHKホール!?
そこでうたった歌が『スマイル・フォー・ミー』です。
その恐怖とプレッシャーに打ち勝ち、見事はねのけてみせた彼女が味わったであろう歓喜に想いを馳せるうち、ワタシにある創作衝動が芽生えました。一回で終わらせるつもりでした。長くて二~三回。「創作ノート」と銘打ったのは、設定の記述と、あとは映画の特報スポット的シーンの羅列で済ませるつもりだったからです。
妙な色気を出して「小説仕立て」にしたのが運の尽き。……終わりません。
間に合わなかったので、せめてもの「特報スポット」風の予告をお送りします。実際の発表では、変更される可能性があります。

 

「小夏くんの気持ちには、気付いていました……」
(!!!)
「星奈さんって、よっぽどわたしのことを、ウブな女の子あつかいしたいみたい――。
……そういうひとの目や、態度や言葉遣いからにじみ出る気持ちようなものは、感じます。痛いほど。……わたしだって、アイドルなんですよ? こう見えて」
素直は、かすかに微笑んでみせた。
「………」
「でも、気付かない振りをしていました」
素直は、目線を小夏から外し、顔を伏せた。
「小夏くんの気持ちには、応えられないから……」
「………」
「それでも、小夏くんには『東京のお兄ちゃん』でいてほしかった。わたしの髪をセットしてほしかった。これからも、ずっと――。だから、わたし――」
素直の声が、震えていた。
「星奈さんが云うような、ウブな女の子なんかじゃない! ズルくて、計算高くて、あざとい女なんです。ごめんなさい……」


話はここへ向かう。それがいま現在の作者の「構想」です。
そもそもを云えば、『スマイル・フォー・ミー』とは、あまり関係がありません。この物語における「紅白歌まつり」で、この歌がうたわれるというだけで。

本当にあの「事故」と関係があるのは、次のシングルであり当時の新曲であった『ムーンライト・キッス』です。その当時の思い出などは、その機会に譲りたいと思います。それまでには「小説仕立て」のこの作品も、なんとか区切りをつけておきたいと思っていますが、どうなりますことやら。


そして6月1日と云えば、ちょうど一年前、1980年のこの日、ファーストシングル『大きな森の小さなお家』が発売されているのです。つまり、デビュー一周年。記念すべきデビュー日でもあるわけです。
「奈保子記念日」ですよ。今日一日中、『スマイル・フォー・ミー』と『大きな森の小さなお家』をエンドレスでパワープレイ、ヘビーローテーションしてました。

Smile for me!
Smile for you!
大きな森の小さなお家~♪


お別れの曲は多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『大きな森の小さなお家』。
大きな大陸の大きなお家の奈保子さまにも、ファン一同のこころの歌声が届くことを願って。
※広さは知らんけど、きっとそうだと思う。

こんな時間にアップして、ホントすみません。6月1日・0時ジャストに発表したかったのですが、日曜ライターの辛さ、時間がとれませんでした。

 


2024.06.03 加筆・一部変更

 

 

 

『カンブリア宮殿』(2024年5月23日放送)「賛否両論でファンを獲得 バーガーキング復活劇の舞台裏」

(1)超特大バーガーに「賛否両論」?
 



デカ過ぎるハンバーガー(バーガーキングで呼ぶところの「ワッパー」)に「反対意見」があるってどういうことなんだろう?
大好きなメニューがなくなるというなら、「やめないでほしい」とそれに「反対」するのはわかる。

でも、食べたくないメニューなんて、注文しなきゃいいだけの話じゃね?
「こんなん誰か食うねん? 顔見たいわ」――そのようにリアクションするのがせいぜい。わざわざ「反対」はしない。たぶん大コケするだろうけど、やりたいのならお好きにどうぞ――。食べろと強制されるわけでなし――。

やっぱり、熱心なファンなんだろうか? 愛するバーガーキング様が、こんなメニューを出すのはゆるせない――みたいな?
河合奈保子ファンのワタシに置き換えれば、奈保子さん、ベッドシーンだけはやめてください――みたいな?

(2)熱心なファンの「歪んだ愛情」

熱心なファンというのはどこにでもいて、全メニューを食べ尽くすことを己れの神聖な使命と考えていて、それでいて気に入らないメニューに対してはシリアスに激おこしてしまう。
挙げ句、好きだからこそ厳しいことを云わせていただきます――などと、当事者にとっては迷惑千万、鬱陶しいことこの上ない発言をする、自称「愛好家」が。

「アンチ」と呼ばれる人々――。それは自分がそうであることを明確に自覚して、敵意に基づいて「攻撃」を仕掛ける人ももちろんいるのですが、一方で少なからず、もしかしたらそれを上回る割合で、こうした歪んだ「愛情」の持ち主なのかもしれません……。

あなたのためを思って、云っているのよ!?
……いらんわ。っていうか、あんた誰?


(3)偏愛の宿命、偏愛の器量

自分にとって「それ」が、どれほど大きな存在であって、精神的比重を占めていようと、当事者にとってはただのワンオブゼム。ワンオブゼムでしかない者の身の処し方については、以前に愚見を述べておりますので、よろしければご覧ください。

 


グッズのコレクションなど顕著な例だと思いますが、「コンプリート」を目指すなら、そこには宿命として、「くだらないもの」「つまらないもの」が、必ずといっていいほど混じってくるものです。

「おれ、こんなものまで買っちゃったよ……」
「集めちゃってるよ……」
そうやって、そのことを自ら半笑いで愉しめるぐらいの器量がないのなら、そもそもその道を志すべきではありません。

「こんなくだらないものを出すな!」「売るな!」
そうやってマジで真剣に怒ってるひと、あちこちで見かけませんか?
そういう人は、偏愛に向いていません。時間の無駄、お金の無駄なので、とっととやめましょう。自分自身が不幸になるだけでなく、けっこう周りにも迷惑をかけています。
「コンプリート」への執着を棄て、「自分にとって価値あるもの」だけにぜひ照準を絞ってください。

(4)オンエアを視て

気になるので、5月23日の放送を視てみることにしよう。
――そう云って締めるつもりでしたが、間に合いませんでした。
なので締まらないオチではありますが、結果を書いておきます。

なんのことはありません。それは客が「食べたあと」での、あまりかんばしくない「評価」でした。
もちろん大喜びする人もいて、だから「賛否両論」。
そうした「賛否」を巻き起こす。――「炎上」とは似て非なる「バズらせる」ことが、王者・マクドナルドに対抗するバーガーキングの戦略であるという内容でした。ごくごくかいつまんで云えば。

ワタシは少々、人の悪い先入観を持ち過ぎていたようです。
前述のような(病んだ)「熱心なファン」が、それはバーガーキングにもいるのかもしれませんが、そんな人を『カンブリア宮殿』が取り上げるはずもありません。

この番組に登場したのは、かんばしくない「評価」をした人も含めて、新メニューを食べることを通じて「バーガーキング」という店と戯れる、愉しげで健全な、いいお客さんばかりでした。

ワタシも見習いたいと思います。時にかんばしくない評価をすることがあるとしても、そんなことで根っ子の愛情は揺るがない。そんな「何か」や「誰か」のファンでありたいと思います。

 

前バージョンからの改変――(5)項の削除について
(5)項として書いた、「河合奈保子の世界・番外編」は丸々割愛しました。通じるところはありますし、事実、このテキストを書いていく過程で想起したことではあるのですが、あまりにもこじつけが過ぎ、バランスが危うくて、さざめく素肌です(>普通に「UNバランス」と云え)。
河合奈保子歌手生活も終盤に差し掛かったシングル『悲しい人』の、ファンを困惑させるジャケットに触れた稿については、ひとまずお蔵にしまいますが、いずれ再び日の目を見る機会もあるでしょう。


『悲しい人』

 

2024.05.29 一部削除・加筆・変更

 

ドライブインなどの公共施設でしばしば見かける光景――女子トイレに並ぶ女性の長蛇の待ち行列。
これを目にするたびに思うことがあります。

男子トイレと女子トイレが同じ面積で設計されるのはおかしい。ちょっと利用者が増えればこうなることは目に見えているのに? こんなことは経験上、よくわかっているはずなのに?

女性が用を足すには時間がかかります。男のようにズボンのチャックを下ろしてサッと済ませるのとはわけが違う。それ以前に、男子トイレには「小便器」があり、オール個室の女子トイレに比べ、便器の数で上回る。男子トイレの利用状況にまだ余裕がある一方で、女子トイレには列をなしているのも当然。個室も含む便器の数で男女を同数にしなければ、そもそも不公平でしょう。

小便器

 

さらに私見を云わせてもらえば、ワタシは男子トイレを女子トイレのように、オール個室にすべしと思っています。

男子トイレの問題は、個室を使用することで「ウンコをしてるのがバレる」ということです。まさしく大問題です。

小学校、中学校の時など特に大変で、個室を使っているだけで、「こいつ、ウンコしとるー!!!」とか冷やかされ、からかわれ、バカにされるのです。(不思議とこれが高校以上になると「ババしてくるわぁ」とか、平気で云えるようになるのですが……。)

おまえらの中に一人でも、ウンコをしないやつがいるのか。イエス・キリストだって「ウンコをしない者だけが石を投げよ」と云うでしょう。少年犬神明だって「さっきウンコしただろ。おれは鼻がきくんでね」とは(文字通り人間離れした嗅覚で察知したとしても)云わないでしょう。

こんなことがあるから、使いたくても使えない。せっかくあるのに無用の長物。そうやって年少の頃に我慢をしていると、将来の便秘の原因にもなります。したい時にはしましょう。使いましょう、男子トイレの個室を。

オール個室にすれば、そんな問題は即解消するのです。使用目的が「小」なのか「大」なのか、そのプライバシーが個室によって隔たれ秘められるのですから。

反対だ。立ち小便器が無くなっては困る。――そういう男、いるんでしょうか? ワタシは男ですが、ワタシはちっとも困りません。だって家では普通に洋式トイレ(もちろん個室)なんですから。おしっこを立ってするか、座ってするかの違いはあるにしても。※(おしっこの誤射により床を汚すことを防止するため。多くはその家を取り仕切る主婦によって命じられる。)
不都合というかデメリットがあるとすれば、オープンで効率の良い小便器が主のトイレに比べ、全体の便器の数が減るということでしょう。でも、それは女性と同じ条件になるというだけの話です。

そして、男子トイレをオール個室にできたら、もはやトイレを男女で分けなくてもいいんじゃないでしょうか?

男が立ち小便器で用を足している空間に、女性は立ち入れません。だから、トイレは男女で分かれている。
でも、オール個室だったら、男女兼用でいいんじゃないですか?

どうなんでしょう? ワタシの感覚は、前衛的過ぎるでしょうか?
たとえオール個室でも「トイレ」という空間で男性といっしょになりたくない。男性が使った便器なんて使いたくない(喫茶店みたいに一つしかなければ、否応なくそうなるのですけどね)。性犯罪を助長する。――そういった反対意見はありそうです。

諸々、問題はあります。問題をすべてクリアする方法は、たぶんありません。問題解決のために何かを変えるとき、どこかに別の問題は生じるものです。
要は損得勘定です。そういったデメリットがあるとしても、それでも現状の待ち行列を解消できるなら、そちらのほうが「マシ」、と考えるのか。それとも現状をこのまま受け容れ続けるのか、その選択です。

 

もちろん、あらゆる全てのトイレをそのルールで統一する必要はありません。学校や職場、そういった使う人間が限られ、互いに顔見知りの環境では従来通りの男女別のトイレでよく、ドライブインや映画館、ショッピングモールといった、顔を合わせるのは赤の他人、そんな施設や空間では男女兼用。そのように分ければいいのです。

「女子トイレ」は現状のまま、「男子トイレ」を「オールジェンダー」にする。というやり方も考えられます。「女のいるトイレなんてイヤだ」と云う男って、あんまりいないと思うのです。
これなど、LGBTQ問題改善への道筋にも一役買いそうな気がします。


ここのところは、女性(男性)全般の社会的議論と承認を必要とするでしょう。いますぐどうこうはできません。
ほとんど「SF」の域に達しているワタシのトイレ論はともかくとして、まずは施設を新設する際は、男女のトイレを便器の数で等しく(できれば男女比で、2:3~1:2の割合で)造ってはいかがでしょうか。そして(特に学校の)男子トイレのオール個室化。それを関係者の皆様には提案したいと思います。

 

オール個室の男子トイレにどんな効用があるかと云えば、それは「転用」が利くのです。女性利用者が急増(人気男性アイドルがイベントを開催するなど)したりした際に、「男女兼用」にできます。将来を見据え、「オールジェンダー用」にも工事なし、パネルひとつで替えられます。
「小便器」を設置してしまうと、そこを「男子用」に限定・固定化してしまうのです。
そして当事者である男子にすれば、たいして困りません。繰り返しますが、家では普通に洋式トイレを使っているのですから。
新規施設を建設予定の事業者様には、ぜひご検討いただきたいと思います。

2024.05.22 一部変更

第5話 湯けむりの攻防!?

劇団ひとりが演じる「半沢直樹」は、敵(かたき)役として登場します。彼は花咲舞らが苦労の末に取り付けた融資案件を彼女のアイデア込みで丸ごと横取りしてしまいます。

その目的は花咲のいる「東京第一銀行」と「産業中央銀行」との合併を前に、その地域の統廃合を半沢のいる産業中央銀行側に有利に運ぶため。

なるほどね。それで「東京中央銀行」の「半沢直樹」になるわけだ。もちろん、これから色々あって善玉シフトし、『半沢直樹』の「半沢直樹」になっていくのでしょうけど。
ワタシは池井戸潤の原作は読んでいないので、ドラマの知識だけで書いています。

でも、ワタシがホントに云いたいのは、そんなことではありません。
金なし嫁なし人望なしのカナメさんが、NHKに続いて日テレにも文句を云わせていただきます。

NHKへの文句。


山本耕史と劇団ひとりの入浴シーンに、興味はありません。


花咲舞が黙ってない

今田美桜さんの入浴シーンは、ここでもなしですか……。

この画面から、彼女の声だけが元気に響き渡ります。

 

コラアッ! 泳がないッ! 犬かきしないッ!


さすがは花咲舞さん。赤の他人のお子さんにも黙ってません。

テレビの画面には映らないその向こう側には、一糸まとわね麗しい湯船の花咲舞=今田美桜のお姿があるのだと、ニヤニヤすることにします。

そういえば今田美桜さんって、『半沢直樹』のスピンオフドラマにも出演してましたよね? 他人の空似?
※『狙われた半沢直樹のパスワード』

 

2024.05.14 一部変更・加筆

 

なんてタイトルだよ(笑)。
でも、これは「四〇年遅れの河合奈保子推し活」をやろうと決意した日から、いつか語らねばならないと思っていたテーマでした。その日が来たと思いました。このニュースを見て。

 


ワタシは奈保子さんの素晴らしいバストを賞賛の念を込めて、「ボイン」と呼びます。
「巨乳」とは云いません、決して。
これは奈保子さんの現役時代をオンタイムで過ごした、昭和男の鉄則です。
その当時、「巨乳」という言葉はありませんでした。奈保子さんをはじめ、リッパなバストの女性は「ボイン」と呼ぱれていたのです。榊原郁恵さんとかね。
その発祥は、大橋巨泉が「11PM」で朝丘雪路のバストを「ボイ~ン」と評したことが起こりと云われています。

「巨乳」という言葉が世間一般に広まったのは1990年前後と云われており、ワタシの記憶でもそんなところだろうと思います。
時代的に河合奈保子はタレントとして「ボイン」と呼ぱれた最後の世代、「ラストボイン」と云えるかもしれません。

ラストサムライみたいに云うな。

奇しくも「昭和」と「平成」という時代の境目が、「ボイン」と「巨乳」の境目にもなっています。
ゆえに平成以降生まれの人からすると、「奈保子さんは「巨乳」ではない、「ボイン」なのだ」――といった昭和男の妙なこだわり(笑)は、奇異に映るだろうと思います。

これは「モハメド・アリ」を頑なに「カシアス・クレイ」と呼ぶ人と同様の心理だと思います。
「猪木×アリ戦」で彼を知ったワタシのような「知った時には「モハメド・アリ」だった」人間には、その名前に何の違和感もありません。しかし、もともとの彼の本名は「カシアス・クレイ」であり、オリンピック金メダリストとして、アマチュア・ボクシングではすでに世界的有名人でした。その後イスラム教に改宗した彼は、プロ転向後にムスリム名である「モハメド・アリ」をリングネームにしました。なので、以前から彼を知り、好きだった人からすると、それこそ違和感アリアリ。そんな名前で呼びたくないないわけです。

平井和正ファンにしか通じない云い方をさせてもらうと、『人狼白書』(NON NOVEL)を『ウルフガイ不死の血脈』とか『ウルフガイ凶霊の罠』(角川文庫等)だなんてダサいタイトルでゼッタイ呼びたくない。その感じに通じています。

河合奈保子を(熱く)語る上で、いままでもそうでしたが、これからも頻繁に登場するでしょう。「ボイン」という用語が。
なぜ、「巨乳」と云わず、「ボイン」なのか?
そのことはどこかで説明しておかねばならないと思い、この機会に筆を執りました。

 


前にも云いましたが、ワタシの中には「脳内河合奈保子」――イマジナリー・奈保子さんが棲んでます。
ワタシが「ボイン」「ボイン」と連呼するとき、彼女は「微妙」な顔をします。

それはなんというか、苦笑いのような、ちょっぴり傷ついているような、それでいて全てを諦めたかのような――そんな微妙な表情を。

わかっています。それがあなたにとって決して嬉しい、愉快な行為でないことは。
「愛情」から発しているなら、何もかも赦されるわけではないということも。

ごめんなさい。赦しください。――そう謝り、赦しを乞うしかできません。それでも、云いたいんです。書きたがり屋の「業」とでも云うしかありません。奈保子さんの素晴らしいバストを、イジりたいのです。いえ、そういう意味ではなく。どうか振り上げたハリセンを下ろしてください。
節度をもって、やり過ぎないように、心掛けいたしますので。
不忠のファンをお赦しください。

お別れの曲は、多摩市・カナメさんからのリクエスト、月亭可朝『嘆きのボイン』。
だんだん、なんでもアリになってきました。

 

(1)ネットというタイムマシン

 


少し時間が開いてしまいましたが、この番組について触れたいと思います。正確には、この番組を通してワタシが思っていたことについて、ですが。

昭和歌謡、なんだか流行ってますね。この手の番組が、近頃多くなったように感じます。当時、青春時代を過ごしたワタシのようなオジサンオバサンが、過ぎし日を懐かしんでいるだけでしょうか? そうではないと思います。
前回お話しした芹澤青年の音楽趣味だって、決して新海監督のそれの反映だけではないと思います。こういう若者、現実にけっこういるんじゃないでしょうか?

 


「博士ちゃん」なんかを視てても、そう思うのですよ。中森明菜や昭和アイドルをむっちゃ好きで詳しいティーンの女の子が出てきたりしますからね。ネット時代の申し子だと思います。ネットがメディアになって、過去へのアクセスが、いとも容易になったからです。
ネットは過去への扉を開く、タイムマシンです。笠置シヅ子をモデルにした朝ドラが放映される――。親がその人の大ファン――。そうした特殊な事情や環境は、 生まれる前の時代の文化を好きになるのに、もはや必要ではないのです。物心ついた頃からネットがあったデジタル・ネイティブ、21世紀生まれの若者には。
オンタイムで同じ時代を過ごして生きた、自分自身の記憶と体験。そんなことはもう必須条件ではないし、関係がないのです。

 


ワタシのいま現在の「河合奈保子推し活」だってそうです。それはワタシの青春時代の思い出とむろん無関係ではありませんが、それだけでは片付けられない。ネット抜きには、語れません。ネットによってワタシは再び奈保子さんに出逢い、惚れ直し、ワタシの人生に登場したアイドルとして、現在進行形で夢中になっているのです。令和の、五十過ぎの、にわか奈保子ファンとして。
その点で、あの当時生まれてもいない若者と同じです。「奈保子ちゃんて、かわいいよね?」――そんな風に彼らと同じ目線で語り合える気がします。
 

ネットが過去への扉を開くのは、なにも(多くは私的に)公開・拡散された過去動画に限った話ではありません。商品である「ソフト」の入手も、きわめて容易になりました。街のレコード屋の店頭にCDがなくとも、ネットショップで購入が可能です。現に河合奈保子のアナログ版のアルバムの多くはCD化され、いまでも普通に買い求めることができます。さらには配信もされています。音楽だけではなく、出版物も同様です。河合奈保子の近代映画社の写真集は電子書籍化されており、ワタシはその一冊をダウンロードして読みました。希少なムックである現物の入手は困難な上、買えるとしても高くついたに違いありません。それを普通に安価に購入し、愉しむことができたのです。
物品の流通、デジタルデータの配信、その両面で過去の文化を享受する簡便さは、ネット以前の時代に比べれば、飛躍的に向上しているのです。

 


「――80年代ソング総決算」の話です。
毎度おなじみ、『スマイル・フォー・ミー』でございます。
――そんなタモリさん的お定まりのフレーズを使う気マンマンでいました。この番組を視るまでは。
ですが、この番組には登場なさいませんでした。
80年から88年までの、各年度の年間ベストテン――。「アイドル」に限定しない、オールジャンルで――。

このランキングの中には、残念ながら入れませんでした。奈保子さんは。
仕方ありません。柏原芳恵「春なのに」(83年)※(1)も、小泉今日子「なんてったってアイドル」(85年)※(2)も、ここには入らなかったのですから。ちょっと意外でした。
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資料として、末尾にこの番組の各年度のランキングを貼っておきます。

 

セールス・チャートという数字の競争になると、奈保子さんはちょっぴり弱い。当時のトップアイドルのひとり、というポジションにどうしても甘んじてしまいます。
彼女には彼女ならではのストロング・ポイントがあるのですが、それは数字では表せません。そこのところについては、これまでも語ってきましたし、これからも語っていくでしょうから、ここでは省きます。


むしろ、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」(88年)がここに割って入ったことを「流石」と讃えるべきでしょう。
奈保子ファンとしては恥を忍んで申し上げねばなりませんが、ワタシは『デビュー』(85年)※(1)も、『ハーフムーン・セレナーデ』(86年)※(2)も知らなかった人間です。80年代後半の歌謡界、音楽シーンにはまったく無知な、それらにまったく無関心に当時を過ごしてきた男です。世代的には直撃でしたが、その頃旋風を巻き起こした、おニャン子クラブに対しても。
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そんなワタシでさえ、
めーとーめーでーつーじあうー♪※(1)
あーらしをッ おーこしてッ♪※(2)
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は、知ってるんですよ。オンタイムの記憶として。
当時、どれだけ流行っていたか。どれだけヒットしていたかということだと思います。
 

まったくの余談ですが、工藤静香といえば思い出されるのが「FU-JI-TSU」(88年)です。
あれは平成になったばかり、社会人になったばかりのワタシが会社の同期のみんなでカラオケにいったときのこと――。
だれかがこの曲を入れました。カラオケのディスプレイには、この曲名が表示されます。それを見た会社の同期のひとりがこう云ったのです。
「富士通? どんな歌やねん!?」

――完全な職業病です。システム屋の。その頃ワタシが勤めていたのは、その種の業種でした。
「不実」です。「富士通」ではありません。そんな歌うたいません、工藤静香さんは。「日立です♪」とか。
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話を「――80年代ソング総決算」に戻します。
奈保子も芳恵もキョンキョンも、手の届かなかった――おニャン子メンバーが僅かに食い込んだこの超難関のランキングに、常連としてその名を連ねていた女性アイドルが二人。

云うまでもなく、松田聖子と中森明菜です。女性アイドル、という切り口でこの番組を視れば、まさにこの二人の独壇場。二人で独壇場というのもおかしいのですが。

彼女らこそ、80年代アイドルのクィーンでした。女王が二人いたのです。

(2)70年代の女王

80年代の女王について触れる前に、話は70年代に遡ります。
「アイドル」と称されたアイドル第一号は、南沙織(1971年デビュー)と云われています。
「アイドル」が生まれ、その基本スタイルが確立したのが70年代。
様々なアイドルがいました。岡田奈々、大場久美子、榊原郁恵、石川ひとみ、石野真子……挙げればキリがありません。
そんな70年代、アイドル界の頂点に立ったのが、山口百恵です。
暗い過去を背負い、闇色のオーラをまとった、およそアイドルらしくないアイドルが、アイドル界の女王として君臨したのです。

山口百恵の歌がどのようなものであったか。それはもう多種多様で、とてもひと言では云い表せません。
ただ、印象深いのはなんといっても、宇崎竜童×阿木燿子夫妻による歌の数々です。
 

交差点では隣の車がミラーこすったと
怒鳴っているから私もついつい大声になる
馬鹿にしないでよ

――『プレイバック Part2』より


……アイドルの歌じゃない(笑)。
でも、そんな彼女がアイドル界のクィーンでした。

ここがアイドル界の不思議で、パラドキシカルで、面白いところです。
いつの世も、アイドルらしくない規格外のアイドルが、アイドル界のトップを獲るのです。

70年代は山口百恵でした。
そして80年代は、松田聖子と中森明菜のふたりでした。
山口百恵の引退が1980年。松田聖子の歌手デビューが、奇しくも同じ1980年。あまりにも出来過ぎた偶然です。

まるで先代の女王が、次代の女王にその玉座を明け渡したかのようです。
その玉座に座したのは一人ではなく、二人でした。

『乙女座 宮』※(1)、『いい日 旅立ち』※(2)に象徴される山口百恵の「陽」の部分を聖子が――
『プレイバック Part2』※(3)、『愛の嵐』※(4)に象徴される山口百恵の「陰」の部分を明菜が――
それぞれ分け合い、色濃く受け継いだように、ワタシには思えます。
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(3)「アイドル」らしさとは?

「アイドル」とは何か?
歌手ないし女優を本業とする、フォトジェニックな清純派女性タレント――。
女性に絞って云えば、そんなところではないかと思います。
なので歌手でも女優でもない「グラビア」が本業のスペシャリストは、「グラドル」(グラビアアイドル)などと呼ばれるわけです。

70年代に確立した「アイドル」――そんな「アイドル」像を体現した百点満点のアイドルらしいアイドルが、河合奈保子さんだったと思います。
歌がうまく、かわいらしさは無類であり、しかも醜聞(スキャンダル)に無縁の清純派、何より水着でがんばり続けた80年代を代表するグラビア・クィーンでした。

まさに、アイドルの鏡。
ワタシ個人の私見ですが、70年代型のアイドルは河合奈保子をもって完成した――と思っています。

ですが、「セールス」でも「チャート」でも、聖子・明菜にはまったくおよびませんでした。
まあ、仕方がないと思います。

『ラブレター』※(1)の――ためらい ライライ ラブレターぁぁぁ♪
『夏のヒロイン』※(2)の――甘いですか 酸っぱいですか ちょっと青いフルーツみたい♪
このちょっぴり鼻にかかったこの歌声の、かわいいこと、かわいらしいこと!

 

アイドルソングにも名曲はあって、そんな歌はよく「聴き」ます。でも、どんなにかわいいアイドルも、聴覚だけで「かわいい」とは思えない。視覚は前提、ビジュアルは必須。でも、奈保子さんに限っては、彼女の歌声に耳を傾けているだけで、「か・わ・い・い」――そう思えるのですよ。「キュン」×2刺さる、刺さりまくる。メロメロにトリップしてしまう、合法麻薬。音声だけでそんな気持ち・心地にさせてくれたのは、Folder 5以来そこそこ長いワタシのアイドル好き人生のなかでも初めての経験です。


『17才』※(3)のサビ前、チャーチャ・チャチャ・チャチャチャチャ♪ の時の振り付けのこれまたかわいらしいこと!
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でも、その「魔法」は、「ファン」にしか効かない。効力をおよぼしません。
それ以外の人には、いかにもアイドルっぽい歌をうたってる「アイドル」にしか見えない、映らない。事実、そのとおりですし。

聖子・明菜が、河合奈保子をはじめとする他のアイドルと隔絶していたのはこの部分でしょう。
ワタシは松田聖子にも中森明菜にも、「アイドル」としての思い入れは正直あまりありません。でも、彼女たちの歌はよく聴きます。
聴き惚れる、名曲揃いだからです。70年代のクィーン・山口百恵と、その点で通じています。

彼女らは優れた「アイドル」でしたが、それ以上にその枠を遥かに超越した「スター」でした。河合奈保子らアイドルのマーケットが「ファン」であるのに対し、彼女らのそれは「ファン」を数で遥かに凌駕する「大衆」そのものだったのです。

 

このことを考えるとき想起されるのは、70年代のグループアイドルであったピンク・レディとキャンディーズの競争です。1位街道をひた走るピンク・レディに対して、キャンディーズは(活動中の)ラストシングルである『微笑がえし』まで、なかなか1位を獲れませんでした。子供からお年寄りまで幅広い「大衆」に支持されたピンク・レディに対して、キャンディーズの支持層は、男子大学生を中心とする「ファン」に比重があったためではないでしょうか。


歴史は繰り返される。
70年代、山口百恵は他のアイドルの追随を許さず、圧倒しました。
80年代、河合奈保子は松田聖子に、中森明菜に、敵いませんでした。

真正のアイドルという意味合いでの超アイドルが、アイドルであることを逸脱・超越しているという意味合いでの超アイドルに負け続けてきた――。それがアイドルの歴史であったようにワタシには思えるのです。

(4)探しています――アイドルらしいアイドル

その歴史は途絶えることなく、いまなお継続している。そのように、ワタシには思えます。
記憶に新しいところでは、まゆゆ――渡辺麻友も、指原莉乃に勝てませんでした。
 

AKB48には、ワタシもアイドル好きのハシクレとして人並み(?)にハマりました。なかでも指原莉乃はけっこうお推しメンで、最初は「インパクト強いルックスのコがいるなぁ」と思ってたのですが、次第に彼女の「ダメっぽい」ところが他人のように思えず、応援するようになりました。(振り返れば、それは指原流の「あざとさ」であり、手管だったのでしょう。見事術中にハメられました(笑)。)
スキャンダルでHKT48に事実上の「左遷」をされたときは、「総選挙で君を中央に返り咲きさせる!」と燃えたものですが、フタを開けてみれば結果はなんと総選挙1位!? 「そこまでやれとは云ってない」と思いましたね。ワタシも悪いんですけど。


スキャンダルをものともせず、むしろそれをエネルギーにして巨大化し、バラエティ界をまたにかけて活躍するブレイク後の指原はもはや「怪獣」でした。アイドルがアイドル性だけを武器に彼女に勝負を挑むのは、まるで仮面ライダーがゴジラに向かっていくようなもの。
――だから、腐らないでほしい。あなたの努力も、あなたの真面目さも、あなたの魅力も、あなたのファンはわかっているのだから。
あなたはあなたにできる、あなたにしかできないことを続けほしい、胸を張って。――そう思っていたのですけどね。
まゆゆ、どうしているのかなぁ?
 

例外としてひとつ思い当たるのは、おニャン子対決である、新田恵利と国生さゆりのバトルではなかったかと思ます。気が強く、勝ち気で、芸能界に真剣であり、努力家で野心家であった国生さゆりは、おっとり、のほほ~んとした、芸能界にさほど本気ではない、クラブ活動感覚の――それ故に「アイドルらしく」もあった新田恵利の後塵を拝することになりました。
新田恵利のファーストソロシングル「冬のオペラグラス」※(1)は、オリコン1位。対する国生さゆりの「バレンタイン・キッス」※(2)は2位。それが彼女にとりどれほど悔しかったかは、のちに彼女自身が談話で語っており、ワタシも目にしたことがあります。
その両者の対立ごと、後輩の工藤静香が飲み込んでしまうのですが……。
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松田聖子と中森明菜は、まさしく「好敵手」と書いてルビを振る「ライバル」でした。
互いの目線が宙で交差し、バチバチと火花を散らすような。
ふたりは人気・実力で伯仲・拮抗するだけでなく、競争心、勝ち気さ、といった気性においても、互いに通じるところがあったように思います。いわゆる「噛み合う」相手でした。ガチっとギアがハマるという意味でも、互いの喉元に咬みつき合い、血を流し合うという意味でも。
ゆえにふたりは、それこそ公私にわたって激闘を繰り広げたのです。

ですが、ふたりのデビュー時期は異なります。
松田聖子は1980年、中森明菜は1982年――世に名高い「花の82年組」のひとりです。

河合奈保子は松田聖子と同期であり、ゆえに80年デビュー組同士であるふたりは、しばしば「聖子VS奈保子」というようなライバル視をされました。それは当時のアイドルトップツーとして、必然だったかもしれません。

しかし、ファンであるワタシの目から見ても、この図式には無理があります。
繰り返しの比喩になりますが、まるでゴジラVS仮面ライダーです。
階級が違う。それ以前に、競技が違う。
それどころか、河合奈保子を「仮面ライダー」に喩えること自体、そもそも間違っている気がします。

聖子×明菜は、龍と虎――。
明菜虎が爪を振るい牙で噛みつけば、
聖子龍は光線のような火炎を吐き出す。

そのような、「動物」への変換を試みるなら――。
河合奈保子は「コアラ」ですよ。歌うコアラ。戦闘力、ゼロ(笑)。
ベジータのスカウターで透して見たら、「0」ですよ。

芸能界という弱肉強食のジャングルには、そもそも不向き。とても生き残っていけそうもない。
それでも類を見ない、圧倒的な「かわいらしさ」で、芸能界を生き延び、渡り歩いてきた。そんなアイドルです。

云うまでもないことですが、ワタシは河合奈保子さんをこの主張によって貶めるつもりはありません。ワタシはそんな彼女を好もしく想い、全力で讃えています。
芸能界には不向きなひとで、だからなのか、わずか十六年間という歳月で芸能界を去った。そして、幸せな主婦としての人生をまっとうしている。そんな彼女をこころから尊敬してもいます。(カムバックしてほしい、という矛盾する願望を同時に抱きながら――ですが。)

 

ゆきりんこと柏木由紀さんが、AKB48からの卒業を発表しました。15歳でデビューし、32歳でAKBを卒業する彼女のグループ在籍期間は17年。16歳でデビューし、32歳で芸能界を去った奈保子さんの「16年」が、いかに束の間であったかを実感します。五十過ぎのオッサンのワタシに云わせれば、ゆきりんなんてついこの間のひとですよ?


また、だからといって、聖子・明菜を「怪物」呼ばわりして、ディスるつもりも毛頭ありません。
80年代のクィーンであるお二人には、こころからのリスペクトを捧げるものです。

奈保子さんの代表曲『けんかをやめて』に倣って、こう云いたいと思います。
違うタイプのアイドルを好きになってしまう。よくあるでしょう?
 

ちなみにこれも余談ですが、あの当時、河合奈保子と同時期に好きだったのは、伊藤つかさでした。見境が無い、というべきでしょうか?

どこがよ? まッ――たくおんなじやんか? 奈保子ちゃんと、つかさちゃんて。

これはこれは、非実在レディさん。ご無沙汰してます。
 

 

あんたが無自覚――というより、自分でもわかってるくせに、自分の口ではよう云わんから代わりに云うたげるわ。奈保子ちゃんも、つかさちゃんも、判で押したような同じタイプ。歌手のコアラと女優のコアラやんか? 芸能界に不向きのくせに、「かわいさ」だけで生き残った、その双璧、二大巨頭やんか? 思春期のカナメちゃんの好み、わかりやす過ぎ! 違うのは、乳の大きさだけ。それで「見境が無い」とか、云わんといてもらえる?
ふっくらボインの奈保子ちゃんには「母性」――自分を無条件に受け容れてくれる優しさを。幼児体型のつかさちゃんには「幼児性」――自分に云いなりの従順さを求めてる。早い話が、マザコンでロリコンやんか。


そんなワタシも、Folder 5を好きになったんですよ? 少しは成長したと思いませんか?

三十過ぎて、Folder 5? 堂々たるロリコンやわ! 捕まれ! だからその歳になって、ようやっと二十代の河合奈保子の良さがわかったんやろ? このロリコンオヤジめ、連行されろ!


いつだったか「キョコロヒー」で、日向坂46を卒業する直前の齊藤京子さんが、「私って、アイドルらしくないアイドルなんで――」というようなことを口にしていました。そう、記憶しています。
それを視て、ワタシは心のなかで、こうツッコミを入れました。

この現代、どこに70年代型の「アイドルらしい」アイドルがいるんですか?――と。
電柱に貼りたいですよ? 家出した猫ちゃんを探すように。

 

探しています!!
アイドルらしいアイドル。

河合奈保子
特長
・とってもかわいい
・ボイン


見つけた方は、連絡してください。
080-XXXX-XXXX


それはたぶんワタシの不見識、不勉強なのでしょう。探せば、きっとどこかにいるのだろうとは思います。
けれども、そんな努力なしで視界に飛び込んでくるほどの、ブレイクはしていない。それもまた事実。

それを特段、寂しいとは思いません。その必要は、ないと思うのです。
いまの時代には、いまの時代の「アイドル」のあり方があります。

昭和のアイドルが好きなら、昭和の時代に行けばいい。当時を生きた人も、そうでない人も。
ネットというタイムマシンを使えば、それは可能です。
クリックひとつで、逢いにいける。
そこに、奈保子さんもいるのですから。

多摩市・カナメさんからのリクエスト。エンディングを飾るのは不朽の名曲、中森明菜『DESIRE -情熱-』。
いつかどこかで、この曲を使ってみたかった。ようやく、その時がきました。

 

 

〈資料〉各年度シングル売上TOP10

シングル売上TOP10 80年・81年


シングル売上TOP10 82年・83年

 

シングル売上TOP10 84年・85年

1985年・1位 ジュリアに傷心(ハートブレイク)

 

1988年・1位 パラダイス銀河、2位 ガラスの十代、3位 Diamondハリケーン

――「時代がよみがえる!昭和の名曲 あのころ最も売れた80年代ソング総決算」より

2024.05.11 一部変更

 

 

 

 

『虎に翼』、猪爪家の女中は田中真弓!? 海賊王にはならない女中。

 

「この法的根拠を説明できる者は?」
「能力者だからであります」


田中真弓 
 
無能力者だからであります。
――第2回より

 

ゴムゴムのぉぉぉ~

 

森次晃嗣
――第21回より

『虎に翼』第21回にセブンに変身しない森次晃嗣が出演したので、Xへの投稿を再掲しました。
Xに投稿したときは、田中真弓に「無能力者」とくれば、たとえ日本中で一万人ほど同じことを云っているとしても、そこをイジらずにはいられなかったのですが、案外制作側もそういう意図だったのかもしれません。

そういえば田中真弓さん、どこへ行ったんでしょうか? 猪爪家は女中に暇を出したのでしょうか? 弁護士になれない書生=仲野太賀の面倒はいまでも見ているのに。
NHKオンデマンドで視直しましたが、特に「説明」のようなものは確認できませんでした。まあ普通に考えて、兄の嫁として猪爪家に入った花江=森田望智に入れ替わりで猪爪家を出たのでしょう。となると、そんな端役になぜ田中真弓さんを? という疑問が浮かぶ。公式ページによると、これからも出番はあるようです。そりゃそうだよね。

 


そしてドラマ視聴では気付かず、ネット記事を読んで知りました。
明かな「意図」を感じてしまいますね。
 
古谷敏(1) 
 
古谷敏(2)

――第21回より


2024.04.02 X 初出
2024.04.29 再掲にあたり加筆

2024.05.01 加筆・一部変更