近代映画増刊 河合奈保子 フォトメッセージ
――表紙がヌードってかわいそう。だってお金を払ってない人にまで、裸を見られてしまうから。
書店で見かけた、あるヌード写真集を目にした女性の言葉です。
これを聞いて、深く感じ入ったことを覚えています。なんと女性らしい、繊細な感性なんだろうと。
今回は記念すべき最初の写真集、『フォトメッセージ』について取り上げます。
弾ける笑顔と黄色と白のストライプのビキニ姿が眩し過ぎる。でも、表紙はやめてあげて? これが売れるんだというのはわかるけど、嫁入り前の娘さんなのだし、そこは気遣ってあげてほしい。
水着自体やめてほしい云うのが、本当は正しい――人として。
でも、水着は……見たい! 見せてほしい! そこは偽れません。だからせめて、愛情の欠片もない、ただ助平なだけの野郎どもの、エロ目線に晒すのはやめてあげて?
恥ずかしさを堪え、ドキドキしながら本屋のレジにもっていき、お小遣いをはたいてこれを買い、心臓パックンパックンさせながら「奈保子ちゃーんッ」とココロで叫び、ブログで詳細に描写するのは憚られるゴニョゴニョをいたしたりもする――そんな奈保子ちゃん好き好きファンの目にだけ、彼女の水着姿を披露してあげてほしいと思います。
偽善的な言い種です。アイドルの水着仕事でファン以外の目線など気にしてたら、ポスターも、雑誌のグラビアもできません。ですが、露悪的であるよりはまだマシだと思っています。
そんな未来のワタシの願いが80年代の過去に届いたのかどうか、ワタシの知識認識に間違いなければ、このあと彼女の現役中、表紙が水着姿の写真集というのは、出なかったと思います。
水着写真集の名作『さま~ひろいん』(1982)でさえ、9分割した顔のアップ(かつ着衣のそれ)でした。
河合奈保子写真集 さま~ひろいん Naoko
例外は、2016年に出版された『再会の夏』。表紙は少しレディになった奈保子さんの、見事なバストショット!
これはまあ、往年のグラビアクイーンの写真集として、妥当なチョイスだったと申し上げておきます。「水着、ありまっせ!」はアピールしないといけませんしね。奈保子さんももう花も恥じらう乙女ではない。芸能界を去って久しく、お子さんも立派に成長(娘さんなど一度はデビューもした)、お歳を重ねたご夫人でいらっしゃるのですから。
妄想 たぶんこうだったんじゃないか奈保子さまご家庭劇場
ここで『再会の夏』に絡めて、当ブログ奈保子日記名物・妄想劇場を開幕します。
だって「四〇年遅れの推し活」ルールに則って、この写真集を語るタイミング待ってたら、気が遠くなるじゃないですか? というか、それどころじゃない。いま語っているのは81年、『再会の夏』が出るのは35年後。ワタシもたぶん死んでるじゃないですか?
この写真集が出版社から届いた、母と娘の会話。――たぶんこうだったんじゃないか?
娘「ママ、かわいいッ! ……それに、スゴいッ!(ニヤニヤ) わたし、負けちゃう!(ニヤニヤ)」
奈保子「もうッ、見なくていいから! 有難いけど……どうしていまさら? こんなの売れるの? 買う人いるの?」
……奈保子さま、むっちゃ売れてます。
この約二年後に、近代映画社の写真集全ての電子書籍化が始まります。
――有難いお話しですけど、ダウンロードする人いるんですか?
こちらも、むっちゃダウンロードされてると思いますよ。
――どうして!? どうして男のひとって、わたしの水着がそんなに好きなの!? ほかにもっとスタイルのいい女の人がいっぱいいるでしょ!? やだもうッ、恥ずかしいッ! 見ないでッ! お金は払ってくれていいから見ないでッ!
(>そんなこと云いません。)
近代映画社さんには、どれほど感謝してもしきれません。
『フォトメッセージ』は河合奈保子のファーストにして伝説の写真集。いま現物を手に入れようと思ったら、なかなかのプレミア価格ですよ。最高値では確か「万」を超えていたはず。いま、数千円代に相場が落ち着いているのは、間違いなく電子書籍のお陰でしょう。
当時買った現物をワタシは所持しておりますが、さすがに痛んでおります。鑑賞するだけでなく、ゴニョゴニョと使ってしまいましたので……。
パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)
中学高校の頃の話です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代の話です。どうか、お赦しを……。
――そんなこと云って、また、わたしの若い頃の水着を見て、いやらしいコトするんでしょ!?
いやいやいや! ワタシもこの歳ですので。そんな若さあふれるゴニョゴニョなど、いたしませんよ。奈保子ちゃんのクラクラするほど色っぽくて、それでいてかわいらしい、そんなお姿を拝見して、ニヤついているだけですよ。誓って。信じてください。
そんな脳内奈保子さん(イマジナリー奈保子とも)との会話も愉しく、写真集を鑑賞しています。
(ここで前にも云ったと思いますが)河合奈保子のアイドルとしての凄さを端的に説明すれば、歌・グラビアの両面で、最高水準であったということです。まさにアイドル二刀流。カワイサーン! ナオコサーン!
これはふつう、どちらかに偏るものです。
「歌」の世界で地位を確立すれば「歌手」専業になり、早々にグラビア=水着からは卒業していきます。これは「女優」もそう。
逆にグラビアでスターになる人は、グラビアのスペシャリストになりがちです。歌をうたっても、あまりそちらは取り上げてもらえない。90年代以降、「グラドル」(グラビアアイドル)という専業が誕生し、その傾向はより拍車がかかっています。
アイドルは基本「二刀流」です。歌もうたうし、グラビアも飾る。それが大衆の性の対象たる「アイドル」の標準形です。ですが、あるいはだからこそ、両方をバランスよく続ける人は、得てしてどちらも小粒です。
河合奈保子は歌唱力では定評があり、81年の「紅白歌合戦」に初出場以来、6年連続で出場を果たしている、人気・実力ともにある本物の「歌手」です。
にも関わらず、彼女はデビュー間もない新人時分だけでなく、長年にわたって、二十歳を過ぎてなお、グラビアを続けてくれました。
その実績は、まさにグラビアクイーン! 「80年代」「昭和」という枠さえ取っ払い、芸能史全体を通して見渡しても、かのアグネス・ラムとさえ肩を並べるであろう、この分野でのレジェンドです。
重ねて申し上げますが、「歌手」なんですよ、この人は!?
「歌」の刀も、「水着」の刀も、どちらも名刀! 切れ味抜群! それが河合奈保子! アイドル二天一流! カワイサーン! ナオコサーン!
音楽専科臨時増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ
「歌手」としての人気・実力は、ともにあったにも関わらず、グラビア=水着を続けたのは何故か?
事務所に強いられたのか? それに逆らえなかったのか? そのへんの事情は寡聞にして存じ上げません。
明らかに云えるのは、彼女がやりたくてやった仕事ではないだろうということです。
【う】
=ウェスト=
あ~、もうちょっとやせて、ウェストを細くしたいのです。
【む】
=胸=ムネ
胸のこと言われるとすごく恥ずかしいんです。水着のときはもっと恥ずかしい。だから細く見える洋服を捜してます。
――『そよ風のメッセージ』巻末「奈保子辞典」より
それはそんな言葉すらなかった時代の、いまで云う「パワハラ」、「セクハラ」だったのか。そうかもしれません。
そうした側面は、確かにあっただろうと思います。「昭和」というムチャクチャな時代、実際ムチャクチャなことをやらされていました。それこそ「芸能人水泳大会」なんて、人前で水着で歌わされてました。イヤだったでしょう。恥ずかしかったでしょう。
でも、それだけで片付けられる、単純な話ではない。ワタシはそう思っています。
それが彼女にとり思い出したくもない、暗黒の過去でしかなかったのなら、芸能界を去って十数年、二十一世紀になって、写真集が出ることはなかったでしょう。
目をハートマークにしてよろこぶファンの反応を見るのは、アイドルとして、女として、恥ずかしさの傍らで、嬉しさ、喜び、満更でもない――もうッ、みんなエッチなんだから!――そんな風に思いながらも、笑みがこぼれてしまう。そんな気持ちも、またあったのではないでしょうか。
助平な男の自己正当化と云われればそれまでです。けれど、そう信じたい。だからワタシは、ただひたすら、感謝を捧げます。
それはそれはかわいらしい十七歳の奈保子ちゃんが、「おいで――」と両手を広げて(←妄想)、ワタシの思春期の扉を開いてくれたことを。
アグネス・ラムをグラビア界の優等生とするなら、河合奈保子は決してそうではありません。
ごめんなさい、失礼を承知で申し上げますが、ややコラーゲンが多めです。
パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)
女性は理想のスタイルについて、ほぼ100パー「視覚」でイメージします。当然その理想像は、かのアグネス・ラムのそれになります。
男はそこが違います。「視覚」=見た目はもちろん大事、でもそれに負けないくらい「触覚」――平たく云えば触り心地、抱き心地を重視するのです。
ほんのりコラーゲンをのせた、絶妙にふくよかで、ふっくら、ふんわりとした、「柔らかい」という単語は彼女のためにある、そう云って過言ではない、そんな肢体。
云うなら、魅惑のエルちゃん体型!
『The♥かぼちゃワイン』(三浦みつる)のヒロイン・「エル」こと朝丘夏美のモデルは、ミノルタのCMで脚光を浴びた当時女子大生の宮崎美子さん。宮崎さんと奈保子さんはスタイルのタイプでかなり近く、タイミングと巡り逢わせ次第では、エルちゃんのモデルは河合奈保子だったかもしれません。
ここで唐突ですが、恒例の多摩市・カナメさんからのリクエスト。テレビアニメ主題歌『Lはラブリー』をお送りします。驚異の原曲再現率、それでいてモノマネに陥ることのなく、しっかり自分のソウルで歌うシンガーソングライター・Arikaさんの超絶カバーでお聴きください。
嗚呼ッ、包まれたい。
フランス料理に「スズキの皮包み」ってありますよね。
奈保子のパイに包まれたい!!!
パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)
……ハタかれるようなことは申しておりませんよ? なにもいやらしいことは申しておりません。パイ生地のパイですよ。奈保子パイですよ!
いいことありそうな、気分は奈保子パイ♪
不思議な不思議な奈保子パイ♪
パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)
……冗談が過ぎました。河合奈保子さま、そして、竹内まりやさま、謹んでお詫び申し上げます。
これは、いわゆる「レトリック」です。本当のところワタシがどうしたいのか、そんなワタシの真のエロ欲望について、ストレートに文字に起こすなどできません。とても食えたものじゃない「渋柿」を天日で干して「干し柿」にする。そうした処理をワタシの精神のテキスト化で施したらどうなるか? これはその実例です。
これは単にワタシの個人的な好み、性的嗜好で片付く問題ではありません。多くの男(「ファン」に限らず)が、同じような感覚でいることは間違いのない事実です。そうでなければ彼女のグラビアでの大活躍は、説明がつきません。
男は少なからず自覚しない意識の深層で、マザコンでロリコンです。この二つは対極のようでいて、実は同心円状の関係です。
彼女の豊かなバストには母性を、ふっくらぽっちゃりした身体つきには幼女性を感じる。そこに無類に愛らしい彼女の顔立ちとが相まって、そんな男の感性にビビットに突き刺さるのです。奈保子さんの容姿は。
男の好みは色々です。奈保子さんの容姿に、口さがないことを云う男も少なくありません。実際ワタシもこの耳で、そんな言葉を何度も耳にしました。
しかし、彼女への気持ちが「LOVE」であるかは別にしても、彼女の水着姿を目の当たりにしたとき、(あくまでワタシの皮膚感ですが)男の約半数はグッとアヤしい気分を掻き立てられる――平たく云うと、ソソられるのではないでしょうか。
満月の光は、オオカミ男を変身させる。それは「オオカミ男」という、特殊な生物種に限った話です。けれど奈保子ちゃんの水着は、あまねく普通の男子(約半数?)をケダモノにメタモルフォーゼさせるのです。
こうしたご自身のビジュアル面の魅力、「グラビア人気」について、自分では理解が及ばないものかもしれません。
――どうして男のひとって、そんなにわたしの水着が好きなのかしら?
前述の妄想の繰り返しですが、もしかしてそんな風に、疑問を抱き続けていたのでしょうか……?
「芸能人水泳大会」の映像と沢村一樹
すごく印象に残っているネット動画があります。テレビ番組の一部を切り取ったもので、「芸能人水泳大会」の映像を流して「昭和のアイドルはこんなことまでしていた」というのを紹介していました。そこに映る水着で歌うアイドルは、もちろん河合奈保子です。面白いのは、ひな壇でそれを見ているタレントたちで、みなさん一様に、そして明らかに、平静を装っているのです(笑)。
「ムチャクチャしてるなぁ」というリアクションとしては、「苦笑い」ぐらいしてもよさそうなものですが、硬く無表情なのです(笑)。いまピッタリの云い方をすると、朝ドラ『寅に翼』の寅子=伊藤沙莉がよく口にする「スンッ」という、あの感じ。
わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ! ソソられとるな、男として!
そこに映る水着姿の奈保子ちゃんは、確かにエッチで、なのにあどけなくて、それを「たまらんなぁ」みたいな反応をしようものなら、ド変態の烙印を押されかねなくて、硬い無表情にならざるを得ない。わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ!
その中でただ一人、もう嬉しそうにニッコニコしてたのが、沢村一樹(笑)。この方は、我が国公認のド助平ですからね。これが赦されるイケ面、ええなぁ。かういふ人にワタシはなりたい。
ここで本当ならリンクを貼りたいところですが、探し当てることができません。Y○uTubeなんですが、御存知の方がいたら、教えていただけると嬉しいです。
世間的標準的基準でスタイルを採点し、アグネス・ラムのそれを「100点」とするなら、河合奈保子のそれはせいぜい「80点代」といったところでしょう。にも関わらず彼女のグラビア人気は、アグネスにも引けを取りません。その理由については、すでに述べました。
それは採点には表れない「魅力」です。
喩えるなら、それは八重歯。歯科的に云えば「悪い歯並び」です。けれど奈保子さん自身がそうであるように、それは魅力=チャームポイントたり得るのです。
絶妙な欠陥は、満点に勝る。そう強く主張したいと思います。「ミロのビーナス」は両腕の先を無くしています。そのことそれ自体は単に欠損、失点であり、不完全であることを意味します。ですがそのことが人々の想像を掻き立て、魅了しています。
仮に完全体であったとしても、素晴らしい彫刻には違いありません。けれども現在の姿ほど、人々の心を捕らえることはなかったのではないでしょうか。腕の欠損が、ミロのビーナスを満点を超える存在たらしめたのです。
じゃあ河合奈保子ぐらい、太ればいいのね? ――そんな単純な問題ではありません。ビジュアルの魅力とは、顔も含めた全体のパッケージですから、単に体型を真似ればいい、体脂肪率を同じにすればいい、というものではありません。
どこをどの程度どういった条件で欠損させればいいのか? それは公式化できません。ミロのビーナスの腕の欠損が、人為によらない偶然の産物であったように、それは云わば《神の創造の領域》であって、ゆえにAIの自動生成によって河合奈保子的美女を作り出すのは、なかなか難しいのではないでしょうか。
まったく想像ができないのですが、もし河合奈保子のスタイルが、アグネス・ラムのような、マリリン・モンローのような、完璧なプロポーションであったら? ――正直個人的にはあまり魅力を感じず、世間的(グラビア分野での)人気もそれなりにあったにせよ、現実の河合奈保子のそれには及ばないような気がします。
先にも引用したように、奈保子さん本人は自分のスタイルを気にし、コンプレックスに感じていました。
もしも彼女のスタイルが、彼女自身が理想とする身体つきであったとしたら、もっと早く、彼女は「水着」から卒業――解放されていたかもしれません。
自身のコンプレックスである身体的特長そのものが、彼女のビジュアルの魅力を高め、そちらの仕事へと駆り立てやまなかったのは、これ以上ない皮肉です。ファンにとっては、うれしい皮肉ですが。
河合奈保子は(ミロの)「ビーナス」なのです。
「芸術」か「猥褻」か――といった論争が昔から繰り返されてきましたが、バカバカしいと思います。
それがどう見えるかは、それを見るひと次第だからです。「エロティシズム」とはそれ自体が内包するものではなく、それを見る者の目線・意識にこそあるからです。
――河合奈保子の水着はいやらしくない。健康美そのもの。
そのように世間では、よく云われます。このことはワタシもまったく同感です。(意外ですか?)
降り注ぐ太陽光、吹き渡る潮風――それらと無邪気に戯れる天真爛漫な天使が、そこに写っているだけです。
それをこちらが勝手に、いやらしい目で見ているだけです。
ある種の罪悪感、自己嫌悪に、苛まれずにはいられない。
――こんなにかわいいのに。こんなに天使のようなのに。それなのに、こんなエロい気持ちを抱いてしまうなんて!
そんなシェークスピアの演劇の一幕のような葛藤、一人芝居を演じずにはいられません。
そのこと自体、さほど特別なことではない、とは云えます。
もとより「恋」とは、「性」と不可分だからです。
誰かを好きになった時、このひとを抱き締めたい、キスしたい、ひとつになりたい――そんな「ピュアな恋心」と背中合わせに「濁った欲望」を抱くのは、誰にもあること。
それでも、奈保子さんの水着には、そこのところの相反ふりが、尋常でなく物凄いと感じてしまうのです。
かわいらしい笑顔、ふっくらふんわりとした肢体に感じる「癒し」、こんな彼女を守ってあげたいとという気持ち。それと同時に掻き立てられる、それとは正逆、裏腹の――この身体を好きにしたい、メチャメチャにしたいという、ケダモノの情欲。その乖離が。
ワタシはこれをこう呼びたい。奈保子の水着の魔性――と。
それは単にワタシという一ファンの特殊な性癖、思い入れなのでしょうか。そうではないと思います。
こんなことをブログで告白するほどバカではなくとも、自分もそうだと云ってくださる御同輩――河合奈保子という女性に魅了されたファンの皆さんには、きっと大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代、ワタシは大いにあなたに慰められました。弾ける笑顔にメンタルを、弾けるバディにフィジカルを。
謝りはしません。そうではなく、感謝を申し上げます。
その節は、誠にお世話になりました。
パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)
締め括りに、この言葉を捧げたいと思います。遠くオーストラリアの空の下、主婦をまっとうされている現在の奈保子夫人にではなく、80年代という時代、芸能界の荒波にいままさにもまれているアイドル現役の奈保子ちゃんに。
あなたにとり水着は、決して本位の仕事ではなかったかもしれません。それでもどうか、ご自分の宿命を受け容れてほしい。
水着があなたを選んだ。あなたは水着に愛されたのだということを。
おわりに
「四〇年遅れの推し活」を始めて、もうすぐ一年になろうとしています。
写真集『フォトメッセージ』をとば口に、さらに広範の「河合奈保子の水着論」になってしまいましたが、これはその開始当初から温めていたテーマでした。まさに「構想一年」。
書きたいことを全部詰め込んだら、こんなになってしまいました。変態ですね。
ワタシは奈保子さんの現役のさなかに、ファンをリタイヤしてしまった男です。そのことの強い後悔が、いまワタシをこうして駆り立てる原動力になっています。そのことは云い訳として、弁解させていただきます。
「水着」「水着」とそればっかり語りましたが、『フォトメッセージ』という写真集は、決してそればかりではありません。表・裏のカバーのインパクトがあまりに強烈ということもありますが、あくまでそれは三分の一。
スプリング・コンサートのステージを撮ったスナップも、高原でのフォトも、しっかり、うっとり、堪能させていだきました。あまりに言葉少なで恐縮ですが、そのことは申し上げておきます。
――『フォトメッセージ』より
そして次回予告
間に合いました! いや、ギリ間に合わなかった、と云うべきか?
3rdアルバム『DIARY』の発売日・8月10日(――の前まで)にです。
これから聴きます。奈保子日記の発表まで、いましばらくお待ちください。
シングルはともかく、アルバムはちっとも聴いていませんでした。中学高校時代のワタシは、奈保子ちゃんとルッキズムでしか接してこなかったのです。本当にただのエロ坊主です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされているだけの。
これからは奈保子さんの歌・音楽に、しっかり向き合ってまいります。どうかお許しください。「四〇年遅れの推し活」は、それが主目的ですので。今回は特別編です。中学高校生のエロ衝動を、五十過ぎの大人の文才で語るとこうなる――という実例をお目にかけました。では、近いうちにまたお会いしましょう。
2024.10.14 改題