28位!?

今度は、28位だって!? さすがは時事ネタ、さすがは「フワちゃん騒動」。
この快感に酔ってしまったら、ひたすらアクセスを稼ぐために、書きたくもないことを書くブロガーになってしまいますね。
そのつもりはないのですが、もう一度、この件をおかわりさせていただきます。

つくづく、遊び半分で「○ね」なんて言葉を弄ぶもんじゃない。
それは「呪いの言葉」であって、見事にそれを発した本人に返ってしまった。
遊び半分だからって「言魂」は容赦しない。

フワちゃんは有名人であって、その言葉には「力」がある。
だから人に「○ね」と云えば本当に人を殺めかねないし、それが跳ね返ってくれば自分の身にも及ぶ。

それを教えてくれる人が、またそれを素直に聞ける人が、彼女にいるだろうか?
ワタシは素人のブロガー、日曜ライターに過ぎませんが、言葉を遣う者のハシクレとして、今回のことを有名人の他人事ではなく、戒めとして胸に刻んでおきたいと思います。

 

 

 

 

 

投稿当時、ワタシはアイドルの水着について話していて、偶然目にした河合奈保子さんの写真集に、「これに変態っぽいリスペクトをするなら。」といった趣旨で、本件の投稿の内容を記載し、その場にいた方に表示した画面を見せたところ、操作を誤って実際に投稿してしまいました。
 


フワちゃん構文、いいですね。気に入ってしまいました。さっそく自分事として、自分にあてはめて使ってみました。
……ダメですか?

これは奈保子日記ではありません。一般部門のエッセイです。
ワタシはフワちゃん個人を責める気はありません。
どこからも文句の出ない、誰からも好意で受け止められる、そういう優等生的発言に「ケッ」と吐き棄てたくなる、そんな荒んだ瞬間、あるいは人生の一時期、そういうものが誰にもあるものだと思っています。

問題はそれを「表」に出すか、出さないか(内に秘める)。この差は大きい。後者が「善人」で、前者が「悪人」、そう云い換えることもできます。
「カマトトぶりやがって」という常套句は昔からよく使われますが、それすらできない人間は終わっています。終わっているというより、始まってもいない。
まずは偽善者になるところから、人間を始めましょう。

フワちゃんも偽善者=善人です。そこまで堂々たる不良ではありません。今回の失言はあくまで手元の狂いによる「誤爆」。「表」に出す気はそもそもありませんでした。
匿名(裏アカ)か、非公開のつもりだったか、あるいは本当に仲間内のオフラインでの「大喜利」だったか。いずにせよ「裏」でこっそりやるつもりだった。

でも、これが良くない。そういうことをやるものではありません。
これはタレント、有名人に限った話ではなく、われわれのようなネット民全員が気をつけないといけないことです。
道徳の話ではありません。これは損得勘定。あたら自分の醜い部分を晒して裁かれるのって、「損」だよねという話です。

「表」では云えない後ろ暗い本音を、「裏」で云う。そういうことを日常的に繰り返していると、いずれ「事故」は起こるからです。
そんなヘマはしない、と言い切れるでしょうか? たとえ1/1000の僅かなリスクでも、それを1000回繰り返せば、その確率はいつ事故を起こしてもおかしくないレベルに跳ね上がります。
フワちゃんの事例は、われわれに大切なことを教えてくれています。
リスクは極少、されど処罰は極大ということです。

ワタシにも人並みに裏側=醜い部分はあります。
それを具体的かつ比較的無難な一例を挙げて云えば、大好きな河合奈保子さんにむっちゃエロい気持ちもある、といったことです。

その気持ちをストレートに「裏」で発信することはしません。
云いたくて、ウズウズしてこないのか――? します。してきます。
だからワタシは「本人の目に入っても構わない」レベルにまで「処理」をして、「表」で云います。

言葉にすれば「淫猥」「セクハラ」レベルから、「エッチ」レベルまで灰汁(あく)抜きをする。
ハリセンで張られる程度に抑える。

この微妙なさじ加減が、表現者としての腕の見せ所だし、それにトライするのが愉しい。

前述の日記は、果たしてその域に達しているのか……?
書き手としては、そのつもりです。自信もあります。
でも、ジャッジするのは、あくまで読み手の皆様です。いかがだったでしょうか?

もし万が一、奈保子さまご本人の目に入ったりしたら――

「とってもやらしい」

なんて思われてしまうでしょうか。
そんなふうに、云われちゃーったら立つ瀬がないわぁ♪

「奈保子オリンピック」には予選敗退ですか?
せめて本戦に出場できるよう、精進してまいります。

 

奈保子日記ではなく一般部門のエッセイですが、エンディング付きです。河合奈保子、アルバム「TWILIGHT DREAM」より『イチゴタルトはお好き?』。

 


フワちゃんは何年か後に、「しくじり先生」に出ればいいと思う。


2024.08.14 一部加筆

 

 

 

フォトメッセージ(表) フォトメッセージ(裏)

近代映画増刊 河合奈保子 フォトメッセージ

――表紙がヌードってかわいそう。だってお金を払ってない人にまで、裸を見られてしまうから。

書店で見かけた、あるヌード写真集を目にした女性の言葉です。
これを聞いて、深く感じ入ったことを覚えています。なんと女性らしい、繊細な感性なんだろうと。

今回は記念すべき最初の写真集、『フォトメッセージ』について取り上げます。
弾ける笑顔と黄色と白のストライプのビキニ姿が眩し過ぎる。でも、表紙はやめてあげて? これが売れるんだというのはわかるけど、嫁入り前の娘さんなのだし、そこは気遣ってあげてほしい。

水着自体やめてほしい云うのが、本当は正しい――人として。
でも、水着は……見たい! 見せてほしい! そこは偽れません。だからせめて、愛情の欠片もない、ただ助平なだけの野郎どもの、エロ目線に晒すのはやめてあげて? 

恥ずかしさを堪え、ドキドキしながら本屋のレジにもっていき、お小遣いをはたいてこれを買い、心臓パックンパックンさせながら「奈保子ちゃーんッ」とココロで叫び、ブログで詳細に描写するのは憚られるゴニョゴニョをいたしたりもする――そんな奈保子ちゃん好き好きファンの目にだけ、彼女の水着姿を披露してあげてほしいと思います。
偽善的な言い種です。アイドルの水着仕事でファン以外の目線など気にしてたら、ポスターも、雑誌のグラビアもできません。ですが、露悪的であるよりはまだマシだと思っています。

そんな未来のワタシの願いが80年代の過去に届いたのかどうか、ワタシの知識認識に間違いなければ、このあと彼女の現役中、表紙が水着姿の写真集というのは、出なかったと思います。
水着写真集の名作『さま~ひろいん』(1982)でさえ、9分割した顔のアップ(かつ着衣のそれ)でした。

さま~ひろいん
河合奈保子写真集 さま~ひろいん Naoko

例外は、2016年に出版された『再会の夏』。表紙は少しレディになった奈保子さんの、見事なバストショット!
これはまあ、往年のグラビアクイーンの写真集として、妥当なチョイスだったと申し上げておきます。「水着、ありまっせ!」はアピールしないといけませんしね。奈保子さんももう花も恥じらう乙女ではない。芸能界を去って久しく、お子さんも立派に成長(娘さんなど一度はデビューもした)、お歳を重ねたご夫人でいらっしゃるのですから。

 

妄想 たぶんこうだったんじゃないか奈保子さまご家庭劇場
ここで『再会の夏』に絡めて、当ブログ奈保子日記名物・妄想劇場を開幕します。
だって「四〇年遅れの推し活」ルールに則って、この写真集を語るタイミング待ってたら、気が遠くなるじゃないですか? というか、それどころじゃない。いま語っているのは81年、『再会の夏』が出るのは35年後。ワタシもたぶん死んでるじゃないですか?
この写真集が出版社から届いた、母と娘の会話。――たぶんこうだったんじゃないか?


娘「ママ、かわいいッ! ……それに、スゴいッ!(ニヤニヤ) わたし、負けちゃう!(ニヤニヤ)」
奈保子「もうッ、見なくていいから! 有難いけど……どうしていまさら? こんなの売れるの? 買う人いるの?」


……奈保子さま、むっちゃ売れてます。


この約二年後に、近代映画社の写真集全ての電子書籍化が始まります。

――有難いお話しですけど、ダウンロードする人いるんですか?

こちらも、むっちゃダウンロードされてると思いますよ。

――どうして!? どうして男のひとって、わたしの水着がそんなに好きなの!? ほかにもっとスタイルのいい女の人がいっぱいいるでしょ!? やだもうッ、恥ずかしいッ! 見ないでッ! お金は払ってくれていいから見ないでッ!
(>そんなこと云いません。)

近代映画社さんには、どれほど感謝してもしきれません。
『フォトメッセージ』は河合奈保子のファーストにして伝説の写真集。いま現物を手に入れようと思ったら、なかなかのプレミア価格ですよ。最高値では確か「万」を超えていたはず。いま、数千円代に相場が落ち着いているのは、間違いなく電子書籍のお陰でしょう。
当時買った現物をワタシは所持しておりますが、さすがに痛んでおります。鑑賞するだけでなく、ゴニョゴニョと使ってしまいましたので……。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

中学高校の頃の話です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代の話です。どうか、お赦しを……。

――そんなこと云って、また、わたしの若い頃の水着を見て、いやらしいコトするんでしょ!?

いやいやいや! ワタシもこの歳ですので。そんな若さあふれるゴニョゴニョなど、いたしませんよ。奈保子ちゃんのクラクラするほど色っぽくて、それでいてかわいらしい、そんなお姿を拝見して、ニヤついているだけですよ。誓って。信じてください。

そんな脳内奈保子さん(イマジナリー奈保子とも)との会話も愉しく、写真集を鑑賞しています。

 


(ここで前にも云ったと思いますが)河合奈保子のアイドルとしての凄さを端的に説明すれば、歌・グラビアの両面で、最高水準であったということです。まさにアイドル二刀流。カワイサーン! ナオコサーン!

これはふつう、どちらかに偏るものです。
「歌」の世界で地位を確立すれば「歌手」専業になり、早々にグラビア=水着からは卒業していきます。これは「女優」もそう。
逆にグラビアでスターになる人は、グラビアのスペシャリストになりがちです。歌をうたっても、あまりそちらは取り上げてもらえない。90年代以降、「グラドル」(グラビアアイドル)という専業が誕生し、その傾向はより拍車がかかっています。
アイドルは基本「二刀流」です。歌もうたうし、グラビアも飾る。それが大衆の性の対象たる「アイドル」の標準形です。ですが、あるいはだからこそ、両方をバランスよく続ける人は、得てしてどちらも小粒です。

河合奈保子は歌唱力では定評があり、81年の「紅白歌合戦」に初出場以来、6年連続で出場を果たしている、人気・実力ともにある本物の「歌手」です。
にも関わらず、彼女はデビュー間もない新人時分だけでなく、長年にわたって、二十歳を過ぎてなお、グラビアを続けてくれました。

その実績は、まさにグラビアクイーン! 「80年代」「昭和」という枠さえ取っ払い、芸能史全体を通して見渡しても、かのアグネス・ラムとさえ肩を並べるであろう、この分野でのレジェンドです。
重ねて申し上げますが、「歌手」なんですよ、この人は!?
「歌」の刀も、「水着」の刀も、どちらも名刀! 切れ味抜群! それが河合奈保子! アイドル二天一流! カワイサーン! ナオコサーン!

そよ風のメッセージ
音楽専科臨時増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ

「歌手」としての人気・実力は、ともにあったにも関わらず、グラビア=水着を続けたのは何故か?
事務所に強いられたのか? それに逆らえなかったのか? そのへんの事情は寡聞にして存じ上げません。
明らかに云えるのは、彼女がやりたくてやった仕事ではないだろうということです。

 

【う】
=ウェスト=
あ~、もうちょっとやせて、ウェストを細くしたいのです。

【む】
=胸=ムネ
胸のこと言われるとすごく恥ずかしいんです。水着のときはもっと恥ずかしい。だから細く見える洋服を捜してます。

――『そよ風のメッセージ』巻末「奈保子辞典」より


それはそんな言葉すらなかった時代の、いまで云う「パワハラ」、「セクハラ」だったのか。そうかもしれません。
そうした側面は、確かにあっただろうと思います。「昭和」というムチャクチャな時代、実際ムチャクチャなことをやらされていました。それこそ「芸能人水泳大会」なんて、人前で水着で歌わされてました。イヤだったでしょう。恥ずかしかったでしょう。
でも、それだけで片付けられる、単純な話ではない。ワタシはそう思っています。

それが彼女にとり思い出したくもない、暗黒の過去でしかなかったのなら、芸能界を去って十数年、二十一世紀になって、写真集が出ることはなかったでしょう。
目をハートマークにしてよろこぶファンの反応を見るのは、アイドルとして、女として、恥ずかしさの傍らで、嬉しさ、喜び、満更でもない――もうッ、みんなエッチなんだから!――そんな風に思いながらも、笑みがこぼれてしまう。そんな気持ちも、またあったのではないでしょうか。
助平な男の自己正当化と云われればそれまでです。けれど、そう信じたい。だからワタシは、ただひたすら、感謝を捧げます。

それはそれはかわいらしい十七歳の奈保子ちゃんが、「おいで――」と両手を広げて(←妄想)、ワタシの思春期の扉を開いてくれたことを。
 


アグネス・ラムをグラビア界の優等生とするなら、河合奈保子は決してそうではありません。
ごめんなさい、失礼を承知で申し上げますが、ややコラーゲンが多めです。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

女性は理想のスタイルについて、ほぼ100パー「視覚」でイメージします。当然その理想像は、かのアグネス・ラムのそれになります。
男はそこが違います。「視覚」=見た目はもちろん大事、でもそれに負けないくらい「触覚」――平たく云えば触り心地、抱き心地を重視するのです。

ほんのりコラーゲンをのせた、絶妙にふくよかで、ふっくら、ふんわりとした、「柔らかい」という単語は彼女のためにある、そう云って過言ではない、そんな肢体。
云うなら、魅惑のエルちゃん体型!
 

『Theかぼちゃワイン』(三浦みつる)のヒロイン・「エル」こと朝丘夏美のモデルは、ミノルタのCMで脚光を浴びた当時女子大生の宮崎美子さん。宮崎さんと奈保子さんはスタイルのタイプでかなり近く、タイミングと巡り逢わせ次第では、エルちゃんのモデルは河合奈保子だったかもしれません。

ここで唐突ですが、恒例の多摩市・カナメさんからのリクエスト。テレビアニメ主題歌『Lはラブリー』をお送りします。驚異の原曲再現率、それでいてモノマネに陥ることのなく、しっかり自分のソウルで歌うシンガーソングライター・Arikaさんの超絶カバーでお聴きください。



嗚呼ッ、包まれたい。
フランス料理に「スズキの皮包み」ってありますよね。
奈保子のパイに包まれたい!!!

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

……ハタかれるようなことは申しておりませんよ? なにもいやらしいことは申しておりません。パイ生地のパイですよ。奈保子パイですよ!

いいことありそうな、気分は奈保子パイ♪
不思議な不思議な奈保子パイ♪

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

……冗談が過ぎました。河合奈保子さま、そして、竹内まりやさま、謹んでお詫び申し上げます。

 

これは、いわゆる「レトリック」です。本当のところワタシがどうしたいのか、そんなワタシの真のエロ欲望について、ストレートに文字に起こすなどできません。とても食えたものじゃない「渋柿」を天日で干して「干し柿」にする。そうした処理をワタシの精神のテキスト化で施したらどうなるか? これはその実例です。


これは単にワタシの個人的な好み、性的嗜好で片付く問題ではありません。多くの男(「ファン」に限らず)が、同じような感覚でいることは間違いのない事実です。そうでなければ彼女のグラビアでの大活躍は、説明がつきません。

男は少なからず自覚しない意識の深層で、マザコンでロリコンです。この二つは対極のようでいて、実は同心円状の関係です。
彼女の豊かなバストには母性を、ふっくらぽっちゃりした身体つきには幼女性を感じる。そこに無類に愛らしい彼女の顔立ちとが相まって、そんな男の感性にビビットに突き刺さるのです。奈保子さんの容姿は。

男の好みは色々です。奈保子さんの容姿に、口さがないことを云う男も少なくありません。実際ワタシもこの耳で、そんな言葉を何度も耳にしました。
しかし、彼女への気持ちが「LOVE」であるかは別にしても、彼女の水着姿を目の当たりにしたとき、(あくまでワタシの皮膚感ですが)男の約半数はグッとアヤしい気分を掻き立てられる――平たく云うと、ソソられるのではないでしょうか。
満月の光は、オオカミ男を変身させる。それは「オオカミ男」という、特殊な生物種に限った話です。けれど奈保子ちゃんの水着は、あまねく普通の男子(約半数?)をケダモノにメタモルフォーゼさせるのです。

こうしたご自身のビジュアル面の魅力、「グラビア人気」について、自分では理解が及ばないものかもしれません。
――どうして男のひとって、そんなにわたしの水着が好きなのかしら?
前述の妄想の繰り返しですが、もしかしてそんな風に、疑問を抱き続けていたのでしょうか……?

 

「芸能人水泳大会」の映像と沢村一樹
すごく印象に残っているネット動画があります。テレビ番組の一部を切り取ったもので、「芸能人水泳大会」の映像を流して「昭和のアイドルはこんなことまでしていた」というのを紹介していました。そこに映る水着で歌うアイドルは、もちろん河合奈保子です。面白いのは、ひな壇でそれを見ているタレントたちで、みなさん一様に、そして明らかに、平静を装っているのです(笑)。
「ムチャクチャしてるなぁ」というリアクションとしては、「苦笑い」ぐらいしてもよさそうなものですが、硬く無表情なのです(笑)。いまピッタリの云い方をすると、朝ドラ『寅に翼』の寅子=伊藤沙莉がよく口にする「スンッ」という、あの感じ。
わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ! ソソられとるな、男として!
そこに映る水着姿の奈保子ちゃんは、確かにエッチで、なのにあどけなくて、それを「たまらんなぁ」みたいな反応をしようものなら、ド変態の烙印を押されかねなくて、硬い無表情にならざるを得ない。わかる! わかるよ! 俺にはわかるよ!
その中でただ一人、もう嬉しそうにニッコニコしてたのが、沢村一樹(笑)。この方は、我が国公認のド助平ですからね。これが赦されるイケ面、ええなぁ。かういふ人にワタシはなりたい。

ここで本当ならリンクを貼りたいところですが、探し当てることができません。Y○uTubeなんですが、御存知の方がいたら、教えていただけると嬉しいです。

世間的標準的基準でスタイルを採点し、アグネス・ラムのそれを「100点」とするなら、河合奈保子のそれはせいぜい「80点代」といったところでしょう。にも関わらず彼女のグラビア人気は、アグネスにも引けを取りません。その理由については、すでに述べました。

それは採点には表れない「魅力」です。
喩えるなら、それは八重歯。歯科的に云えば「悪い歯並び」です。けれど奈保子さん自身がそうであるように、それは魅力=チャームポイントたり得るのです。

絶妙な欠陥は、満点に勝る。そう強く主張したいと思います。「ミロのビーナス」は両腕の先を無くしています。そのことそれ自体は単に欠損、失点であり、不完全であることを意味します。ですがそのことが人々の想像を掻き立て、魅了しています。
仮に完全体であったとしても、素晴らしい彫刻には違いありません。けれども現在の姿ほど、人々の心を捕らえることはなかったのではないでしょうか。腕の欠損が、ミロのビーナスを満点を超える存在たらしめたのです。

じゃあ河合奈保子ぐらい、太ればいいのね? ――そんな単純な問題ではありません。ビジュアルの魅力とは、顔も含めた全体のパッケージですから、単に体型を真似ればいい、体脂肪率を同じにすればいい、というものではありません。
どこをどの程度どういった条件で欠損させればいいのか? それは公式化できません。ミロのビーナスの腕の欠損が、人為によらない偶然の産物であったように、それは云わば《神の創造の領域》であって、ゆえにAIの自動生成によって河合奈保子的美女を作り出すのは、なかなか難しいのではないでしょうか。

まったく想像ができないのですが、もし河合奈保子のスタイルが、アグネス・ラムのような、マリリン・モンローのような、完璧なプロポーションであったら? ――正直個人的にはあまり魅力を感じず、世間的(グラビア分野での)人気もそれなりにあったにせよ、現実の河合奈保子のそれには及ばないような気がします。

先にも引用したように、奈保子さん本人は自分のスタイルを気にし、コンプレックスに感じていました。
もしも彼女のスタイルが、彼女自身が理想とする身体つきであったとしたら、もっと早く、彼女は「水着」から卒業――解放されていたかもしれません。
自身のコンプレックスである身体的特長そのものが、彼女のビジュアルの魅力を高め、そちらの仕事へと駆り立てやまなかったのは、これ以上ない皮肉です。ファンにとっては、うれしい皮肉ですが。
河合奈保子は(ミロの)「ビーナス」なのです。

ミロのビーナス

「芸術」か「猥褻」か――といった論争が昔から繰り返されてきましたが、バカバカしいと思います。
それがどう見えるかは、それを見るひと次第だからです。「エロティシズム」とはそれ自体が内包するものではなく、それを見る者の目線・意識にこそあるからです。

――河合奈保子の水着はいやらしくない。健康美そのもの。
そのように世間では、よく云われます。このことはワタシもまったく同感です。(意外ですか?)

降り注ぐ太陽光、吹き渡る潮風――それらと無邪気に戯れる天真爛漫な天使が、そこに写っているだけです。

それをこちらが勝手に、いやらしい目で見ているだけです。

ある種の罪悪感、自己嫌悪に、苛まれずにはいられない。
――こんなにかわいいのに。こんなに天使のようなのに。それなのに、こんなエロい気持ちを抱いてしまうなんて!
そんなシェークスピアの演劇の一幕のような葛藤、一人芝居を演じずにはいられません。

そのこと自体、さほど特別なことではない、とは云えます。
もとより「恋」とは、「性」と不可分だからです。
誰かを好きになった時、このひとを抱き締めたい、キスしたい、ひとつになりたい――そんな「ピュアな恋心」と背中合わせに「濁った欲望」を抱くのは、誰にもあること。

それでも、奈保子さんの水着には、そこのところの相反ふりが、尋常でなく物凄いと感じてしまうのです。
かわいらしい笑顔、ふっくらふんわりとした肢体に感じる「癒し」、こんな彼女を守ってあげたいとという気持ち。それと同時に掻き立てられる、それとは正逆、裏腹の――この身体を好きにしたい、メチャメチャにしたいという、ケダモノの情欲。その乖離が。
ワタシはこれをこう呼びたい。奈保子の水着の魔性――と。

それは単にワタシという一ファンの特殊な性癖、思い入れなのでしょうか。そうではないと思います。
こんなことをブログで告白するほどバカではなくとも、自分もそうだと云ってくださる御同輩――河合奈保子という女性に魅了されたファンの皆さんには、きっと大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

脳内が「性の関心」で埋め尽くされていたエロ坊主時代、ワタシは大いにあなたに慰められました。弾ける笑顔にメンタルを、弾けるバディにフィジカルを。
謝りはしません。そうではなく、感謝を申し上げます。

その節は、誠にお世話になりました。

パァァァンッ!(脳内奈保子ちゃんのハリセン、一閃)

締め括りに、この言葉を捧げたいと思います。遠くオーストラリアの空の下、主婦をまっとうされている現在の奈保子夫人にではなく、80年代という時代、芸能界の荒波にいままさにもまれているアイドル現役の奈保子ちゃんに。


あなたにとり水着は、決して本位の仕事ではなかったかもしれません。それでもどうか、ご自分の宿命を受け容れてほしい。

水着があなたを選んだ。あなたは水着に愛されたのだということを。
 

おわりに
「四〇年遅れの推し活」を始めて、もうすぐ一年になろうとしています。
写真集『フォトメッセージ』をとば口に、さらに広範の「河合奈保子の水着論」になってしまいましたが、これはその開始当初から温めていたテーマでした。まさに「構想一年」。
書きたいことを全部詰め込んだら、こんなになってしまいました。変態ですね。
ワタシは奈保子さんの現役のさなかに、ファンをリタイヤしてしまった男です。そのことの強い後悔が、いまワタシをこうして駆り立てる原動力になっています。そのことは云い訳として、弁解させていただきます。

「水着」「水着」とそればっかり語りましたが、『フォトメッセージ』という写真集は、決してそればかりではありません。表・裏のカバーのインパクトがあまりに強烈ということもありますが、あくまでそれは三分の一。
スプリング・コンサートのステージを撮ったスナップも、高原でのフォトも、しっかり、うっとり、堪能させていだきました。あまりに言葉少なで恐縮ですが、そのことは申し上げておきます。


フォトメッセージ モノクロ頁
――『フォトメッセージ』より

そして次回予告
間に合いました! いや、ギリ間に合わなかった、と云うべきか?
3rdアルバム『DIARY』の発売日・8月10日(――の前まで)にです。
これから聴きます。奈保子日記の発表まで、いましばらくお待ちください。

シングルはともかく、アルバムはちっとも聴いていませんでした。中学高校時代のワタシは、奈保子ちゃんとルッキズムでしか接してこなかったのです。本当にただのエロ坊主です。脳内が「性の関心」で埋め尽くされているだけの。
これからは奈保子さんの歌・音楽に、しっかり向き合ってまいります。どうかお許しください。「四〇年遅れの推し活」は、それが主目的ですので。今回は特別編です。中学高校生のエロ衝動を、五十過ぎの大人の文才で語るとこうなる――という実例をお目にかけました。では、近いうちにまたお会いしましょう。


2024.10.14 改題

 

 

 

 

人気記事88位にランキングされました

 

 

「奈保子ディスコグラフィ」が人気記事88位にランキングされました! ありがとうございます。
やっぱり「河合奈保子」で、こういう「お役立ち記事」を書けば、上位を狙えるんですね。

ワタシは典型的「自分語り」のブロガーです。
「河合奈保子」をテーマに記事を書いても、語っているのは「河合奈保子を好きな自分」です。
なのでワタシのブログを愉しんでもらえるのは、ワタシの書く記事が好きか、ワタシという人間に興味があるか(好意・悪意は別にして)に限られます。したがって――

・関心のある読者は多数、書き手も多数(競争率が高い)いるテーマ →朝ドラ
・関心のある読者は少数、書き手も少数(競争率が低い)のテーマ →平井和正
・関心のある読者は多数、それでいて書き手は少数のテーマ →河合奈保子

どれを書こうと、アクセス数もイイネの数も、さほど変わりはないのです。安定の低空飛行。

令和のいまになって「河合奈保子」にドハマりしている、ワタシの自我なんぞに誰も興味はない。
それは当然で、ワタシも「河合奈保子」他のキーワード検索でヒットしたページで何を見るかと云えば、「求めている情報」であって、お仲間のお気持ちではありません。
けれど、そんな中でも、ワタシの胸を刺すブログや動画はあって、憧れます。ワタシもそんな記事を書きたいと思います。精進します。

「奈保子ディスコグラフィ」は100パー自分のために作っています。
「四〇年遅れの推し活」をする上での、これから入手・鑑賞する作品の一覧であり、スケジュール表です。

ただいま、奈保子史に燦然と輝く1st写真集『フォトメッセージ』をテーマに、グラビアクイーン・河合奈保子の魅力について、あらん限りの思いの丈を込め絶賛執筆中です。
もしよろしかったら、ご覧ください。

多摩市・カナメさんからのリクエスト、日本コロムビア公式YouTubeチャンネルより『”Naoko in ザ・ベストテン”ダイジェスト』でお別れです。近いうちに、またお目にかかりましょう。

 

 

 

 

 

第17週 「女の情に蛇が住む?」
 

心のよりどころが一人だと、関係が対等から特別になって、いびつになっていく…。
失った時、なかなか立ち直れない。

だから優未には、よりどころをたくさん作ってほしかったんだと思います。

――85回より


これはほんと、そう!
身に沁みて、そう思います。

ほんとうは「人」を「心の支え」にしないほうがいい。
「車」とか、「料理」とか、できたらそういうもののほうがいい。
「人」は変わってしまうから。自分との関係も――。

でも、どうしても、人は人を「心の支え」にしてしまう。そうせずにはいられない。
小説を好きになると、その作家を好きになってしまうし、歌を好きになると、その歌手を好きになってしまう。ワタシもそう。

だからそういう対象が、最低でも二人はほしいところです。
「精神的支柱」が二本(以上)あれば、一本が折れてもなんとか立っていられる。
でも、一本しかないと、それがポッキリ折れたとき、自分まで倒れてしまう。

 

私、よりどころなら、たくさんあるよ。

「よりどころなら、たくさんあるよ」
――85回より


母・寅子=伊藤沙莉にそう云った優未ちゃんは、素敵な人々に囲まれて、きっと素敵な大人になるでしょう。たまたま集まったクラスに友達ができないからって、気にすることはない。
たった一人を「よりどころ」にしている方は、早いうちにほかの「誰か」を、「何か」をぜひ見つけてください。
繰り返しますが「人」は変わるし、その関係も変わります。それは宿命であって、避けられません。
たがら、それをいくつも持つことで、安全を確保してくださいますよう。

筆者絶賛オススメの、良い女性(ひと)をひとり、知っているのですが――。
すでに現役を退いて久しいですが、現在でも購入可能なソフトは唸るほどあります。
彼女の何がいいと云って、奇人変人のジャングルであり、それが資質で条件ともいえる芸能界にあって、エキセントリックさの欠片も無い、ふつうに「いい人」であることです。それでいて「スターの輝き」をあわせもっている。
決して芸能界向きの人ではなかったし、だからこそその世界を去ったとも云える。そこのところは、ファンとしては複雑です。でも、そんなところに惹かれてしまう。これ以上深掘りしていくと、また別のコンテンツの話になってしまいますが。

2024.09.28 一部変更

お誕生日おめでとうございます。

――わたし、もうこの歳よ?

そんな風に想う必要はありません。

おれだってこの歳ですよ。立派なジジイです。

違う意味で、大人でもない、子供でもない。

ああ、57才のワタシ。(使うの何度目? このフレーズ)

三つ年上の(あ、四つになっちゃったか)、憧れのお姉さんです。

中学のときからずっと。いまも、それだけは変わりませんからね。

 

四〇年遅れの推し活を始めて、初めてこの日を迎えました。云ってるフレーズがことごとく、既視感ありまくりですが。
お別れの曲は多摩市・カナメさんからのリクエスト、アルバム『TWILIGHT DREAM』より河合奈保子『17才』アルバムバージョン。
勝手に「ゴ」を付け加えて歌わせてもらってます。

 

 

 

 

ワタシは令和になって『おしん』をちゃんと全話視た人間です。令和になってちゃんと河合奈保子ファンになり直したワタシらしいと云えばらしい。
その立場で云わせてもらえば、小林綾子パートばかりフィーチャーされるのが口惜しい。まるでそこが全てであるかのような? 事実その部分だけで劇場映画になったり、アニメーションになったりしています。

『おしん』38回より

――『おしん』38回より

前にも云ったと思いますが、何度でも云います。ジュリーの奥様になる前の、ヒロイン・田中裕子さまの美しいこと、かわいらしいこと! このためだけにNHKオンデマンドに会員登録して、決して後悔はしませんよ。
夫が人生の大勝負を懸けた工場が完成、式典が開催されるまさにその当日、関東大震災に見舞われ全壊するという悲劇。幼少期の大根飯など、かわいいもの。
全てを失った、おしん夫婦は、夫の佐賀の実家に身を寄せるのですが、そこで味わう昭和世代のおっさんでさえも辛くなるほどの姑の壮絶すぎる嫁イビリ!
そんなおしんが戦後、キャストを乙羽信子に交替して、自分が姑の立場になると、今度は息子の嫁が気に入らない……。哀しくも愛おしい、人間性のリアルに迫るヒューマンドラマ。おしんという一人の女性の一代記であり、群像劇です。

『おしん』の小林綾子パートは、あくまでも少女編。他と同様に朝ドラのプロローグです。小林綾子パートは約一カ月もの長尺でしたが、それは『おしん』の放映期間そのものが一年(通常の倍)に及んだわけですから、比率においても他と大差ありません。
にも関わらず、小林綾子パートばかりがフィーチャーされる理由については、なんとなく見当がつきます。小林綾子パートは主人公が少女であること、明治という時代を舞台にしている点だけをとっても、橋田寿賀子ドラマとしては特異で特別でした。これが田中裕子パート、乙羽信子パートになるに従って――特に戦後の現代に舞台が移った乙羽信子パートに及んでは、おなじみのいつもの橋田寿賀子ドラマ。
よくぞ泉ピン子をおしんの母親という、昔の人物の役にしてくださったと思います。これが息子の嫁役で現代パートに登場した日には、キャストにえなりかずきを探してしまうところでしたよ。

ワタシの知識認識に間違いなければ、ヒロインの老後のキャストを交替したのは、『おしん』のあとは『カーネーション』(主演・尾野真千子)だけだったと思います。
『おしん』のそれは、既定路線でした。なにしろ第一回に登場するのが、乙羽信子なのです。
スーパーたのくらの新店オープン式典の当日、創業者である田倉しんは姿を消す。一族、関係者の大騒動を描いた第一回のラストもラスト、ひとり東北へ向かう特急列車でおかきをつまむ田倉しん=乙羽信子が登場する。
科白はありません。なんと朝ドラの初回で、ヒロインがひと言もしゃべらないのです!
ドラマの壮大さを予感させるオープニングですが、このことはのちに『カムカムエブリバディ』(2021)でメタ的にジョー=オダギリジョーが娘・ひなたに同じことを語っていました。



行方知れずとなった、おしんを彼女の気に入りの孫である圭=大橋吾郎だけが、わずかな心当たりから彼女の居場所にたどり着く。そんな圭に、おしんはこれまでたどってきた自らの人生を語り始める――。
そう、『おしん』の物語とは「タイタニック」と同じ、老婆の昔語りなのです。

ですが『カーネーション』は、それとは事情が異なります。
聞くところによれば、老後パートのキャスト変更が本人に知らされたのは、撮影が始まった以後だったそうです。当然のように最後まで自分でやる気まんまんだった尾野真千子さんにすれば、悔しかったでしょう。
コシノ三姉妹をモデルにした主人公の娘たちとの関りを軸にしたドラマには、老けメイクの尾野真千子ではなく、リアルに相応の年齢である女優・夏木マリをキャスティングしたのは正解だったと個人的には思いますが。


https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024071931914

あさイチ プレミアムトーク 尾野真千子(配信期限 :7月26日(金)午前9:53まで)

遅咲きのアイドル好きとして、『てっぱん』(2010-2011)をヒロイン・瀧本美織目当てに視たワタシを「朝ドラ好き」にしてくれたのは、続くドラマ・『カーネーション』であり、そのヒロイン・尾野真千子さんだったと思っています。
「あさイチ」プレミアムトークに尾野真千子さんが登場しましたので、久しぶりに『おしん』語りをしてみました。

尾野さんは現在、『寅に翼』の「語り」をつとめています。
彼女はいずれキャストとして、重要な役どころで登場するのではないか? そう予想しています。
過去のリベンジとして、ヒロイン・寅子=伊藤沙莉の老後をやるとなったら面白い。ですが、さすがにそれはないでしょう。
いくらなんでも、若過ぎる。まだまだ四十代の尾野真千子が、老けメイクで寅子の老後を演じるとなったら、伊藤沙莉も素で「はて……?」と口にするに違いありません。

岡田有希子/ファースト・デイト
 
岡田有希子ちゃんの映像を見るのはいまだに辛い。
奈保子さんを再び意識するようになって、よりその感傷は強まりました。生きていたら、どんなに素晴らしい、素敵なシンガーに、タレントに、レディになっていただろうと思うと。
岡田有希子は中学時代、河合奈保子の油絵の肖像画を描くほどのファンであったそうです。 彼女の芸術的感性と河合奈保子への憧憬は、もし芸能生活を続けていたとしたら、アーティストとしての河合奈保子の道を追いかけていたのではないか? そんなifの世界に想いを馳せずにはいられません。
※Wikipedia参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/岡田有希子 
彼女のまとう雰囲気はどこか幸薄く、儚げに映ります。のちの彼女の運命を知るからこその、バイアスはあるのでしょけど。
 


すみません、しんみりした話になりました。
この番組がまたやって来ました。長尺で一曲をたっぷり聴かせて魅せてくれるところは、さすがテレ東。
今回は「女性アイドル特集」を組んでくれたのがうれしい。初々しい水着姿でデビュー曲を歌う中森明菜ちゃんなんて永久保存版ですよ!? オンエアをご覧になれなかった方は、是非とも配信をご覧あれ。

 


今回の奈保子ちゃんの歌は『けんかをやめて』。後編7分頃に紹介されています。超定番の『スマイル・フォー・ミー』ではなく、こちらを取り上げてくれたのもうれしい。前回のワタシのリクエストが通じたかのようです。


3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100(2024年7月15日放送)

多摩市・カナメさんからのリクエストは、この番組でも紹介された岡田有希子のデビューシングル『ファースト・デイト』。哀悼の意を込めて。
奈保子さんも九死に一生の幸運がなければ、夭折のアイドルになっていたかもしれない。その季節が近付いています……。

 

 

2024.07.19 大幅加筆・変更

 

 

第14週 「女房百日 馬二十日?」
 

謝りませんよ、私は。
先生のひと言で心が折れても、そのあと気まずくても、感謝と尊敬はしていました。「世の中そういうもの」と流されるつらさを知る、それでも、理想のために周りを納得させようと、ふんばる側の人だと思っていたから。私は、最後の最後で、花束で、あの日のことを「そういうものだ」と流せません。先生に、自分も雨垂れの一滴なんて言ってほしくありません!

(穂高)ああ~っ! はあ~っはあ~っはあ~っ! 謝っても駄目、反省しても駄目、じゃあ私は、どうすればいい!?

どうもできませんよ!
先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に「報われなくても一滴の雨垂れでいろ」と強いて、その結果、歴史にも記録にも残らない雨垂れを、無数に生み出したことも!
だから私も、先生に感謝はしますが、許さない。納得できない花束は渡さない! 「世の中そういうものだ」と流されない。それでいいじゃないですか! 以上です。


「以上です。」
――69回より


もし、山田よね=土居志央梨がこの光景を見ていたとしたら、彼女はなんと云っただろう?

――どの口がそんなエラそうなことを云ってる? お前の云ったことは正しいが、お前にそれを口にする権利も資格もない!!!

きっと、寅子=伊藤沙莉にこう云っていたのではないか? ワタシの中にいる心のよねさんは、こう叫んでいます。

若いね。その一語に尽きる。
寅子が志した道。それは辛い、苦しい、地獄の旅路。だから良識ある大人たちは止めた。母・はる=石田ゆり子も、桂場=松山ケンイチも。事実、その通りになり、一度は挫折した。結果、よねの決定的な失望を買い、いまもその関係は修復できないままでいる。
その背をただひとり押したのが、師である穂高=小林薫でした。

俺には分かるよ。(by猪爪直道=上川周作)
そんな師に、神様のように尊敬する先生に、そんな人並みの弱音なんて、吐いてほしくなかったんだよね?
でも、「神様」じゃないんだよ。あのひとだって「人間」なんだよ。

自分だって、弱いくせに。挫折した経験だってあるくせに。それでも、師には、強く、正しく、完璧であってほしい――。否、そうであって当然と思っている。そうして、普通の眼で見れば、むしろ人間味とさえいっていいほどの「弱さ」と見せることに、真剣に、怒り狂ってしまう。
 

ガキ!

「ガキ!」
――69回より


そう桂場は激怒するのですが、まさにその通り。
かの赤い人も云っている、認めたくない若さゆえの過ち、そのものです。

幸い、この翌日(ドラマ上でも放映上でも)には、ふたりの対話がもたれ、穂高が天に召される前に、わだかまりは解けます。
――ワタシは、謝りたくとも、あのひとはもう、この世にはいません。
気休めでしかない償いは、ワタシ自身の人生で示してゆくほかはありません。
だから、寅子のことが、ちょっと羨ましい。

強烈なカリスマに心酔し、私淑し、そのひとへの失意を味わった経験をもつワタシのような人間には、自分の人生に重ねずにはいられないエピソードでした。

それはそれほど「特殊」なことでもないし、だからそうでない視聴者が「置き去り」ということもないと思います。
実在の誰かに「偶像」を重ねることってよくあるじゃないですか? ちょっとそこから外れたことをやらかしただけで、とんでもない裏切り行為として断罪してしまうことも。「偶像」って「幻想」だから、まあたいがい破れるんですけどね。マスコミもそれを守るどころか、積極的に暴きにかかってますし。
だから寅子の気持ちを想像すること、理解することって、普通の人にもそれほど難しくないと思います。
早い話、まだまだ大人げないんですよ。

こういうワガママでエネルギッシュな人間が、周囲と摩擦し、衝突し、己れの未熟さに打ちのめされ、矯められ、カドがとれてゆく。それが成熟するということ。

初めから優等生であるよりも、こういう人のほうが、ずっと魅力的な大人になれる。自分がそうだと云うつもりはないけれど。

 

第12週 「恋しくて肝(ちむ)どんどん」

お昼に放映中の再放送で視てます。
ワタシが朝ドラを欠かさず途切れず連続視聴を続けるようになったのは、2010年放映開始の『てっぱん』から。まだまだ朝ドラ界では新米の十年選手です。『ちゅらさん』の放映はそれをさらに遡る2001年。名作の誉れ高いこのドラマは視ておきたかった。NHKオンデマンドで視ることはできますが、朝ドラ一作フルシーズンをまるまる視るとなると気合が要ります。なので地上波で放映してくれるのは、いいきっかけになりました。
 

「恋しくて肝どんどん」

こんなサブタイトルの週があったのかと、うれしくなって日記の筆をとりました。
このドラマを視て、設定で近しく、ゆえにしばしば比べられる『ちむどんどん』(2022年)との違いをあらためて実感しました。
黒島結奈ちゃんのことは好きだし、悪く云いたくはありません。それでもさすがに放映当時、何度もこう思ったものです。

黒島ちゃん、そろそろタイムリープして、比嘉家の歴史をやり直してもらえる?(その辺にラベンダー、生えてない?)

古波蔵恵里=国仲涼子と比嘉暢子=黒島結菜、ふたりのヒロイン像はタイプ的にはわりと似ていると思います。
考えなしで無鉄砲で夢見がち、それでいて行動力だけは超人的というあたり。

両作で大きく隔たっているのは、周りのキャラでしょう。
まともなんですよ(笑)。『ちゅらさん』の脇を固める人々は。
さすがに共感し切れないヒロインの「行き過ぎ」に、ちゃんとツッコミを入れてくれる。特に典型的「ツンデレ」の菅野美穂とか。
 

だめってことはないわよ? あなたの人生だからさ。看護婦になろうが医者になろうが、総理大臣になろうが、だめってことはないわよ。
でもあんたさ。ちょっと前にさ、ね? あそこの店で自分のつくった料理食べてくれて、お客さんの喜んでくれた顔が忘れられないからって、で、あの店で料理始めたんじゃなかったっけ?
それが病人看護したら看護婦になるわけ? じゃあなに、あんたはさ、歌うたって誰かに喜ばれたら、歌手になるわけ?


城ノ内真理亜=菅野美穂
――57回より

 

こちらの気持ちをこうして「代弁」してくれるのが心地いい。だからモヤモヤしないで済む。安心してドラマに入り込めるのです。

『ちむどんどん』は少なからぬ脇役勢が、主人公に負けないくらい、おかしかった。
サギ同然のせがれの「紅茶豆腐」ビジネスに金出すなよ、応援するなよ仲間由紀恵!――みたいな。終始、モヤモヤさせられっぱなしでした。
 

兼城昌秀=藤木勇人
――66回より

沖縄料理屋店長という、両作を通じて完全に同じ設定、同じ役柄の藤木勇人さんには、『ちむどんどん』→『ちゅらさん』という、通常とは逆の時系列で懐かしさと再会のよろこびを感じました。
それにしても、変わらんなあ! 『ちむどんどん』並みに、ほんの数期前のドラマのように思えてしまう。

藤木さんだけじゃない。国仲涼子を筆頭に、菅野美穂も、余貴美子も、戸田恵子も、(ついでに)ゴリも。二十年以上昔のドラマなんだよ?
みんなのあまりの変わらなさぶりのせいで、ひとりだけムッチャ変わった山田孝之が目立ってしょうがない。

こんなにかわいかった坊やが、ウシジマくんになってしまうなんて……。

 

古波蔵恵達=山田孝之 丑嶋馨

――(左)『ちゅらさん』57回より (右)映画『闇金ウシジマくん』より