(1)二十歳過ぎの奈保子に刮目
今回は、前回の奈保子日記※1の裏付けとなったデータを詳しくご紹介します。
あわせてあらためて思ったこと、さらに調べを進めて明らかになった不都合な真実(笑)も交え、お話ししたいと思います。前回の「続編」「資料」としてご笑覧いただければと思います。
まずは次の画像をご覧ください。各シングルのオリコン最高位をgoogle AIに質問、まとめて表示させたものです。

あらためて感心するのは、奈保子さんのヒット街道の快進撃です。
『スマイル・フォー・ミー』で初のトップ10入り、続く二曲は惜しくも10位を逃すものの※2、その後の『愛をください』から『ハーフムーン・セレナーデ』まで※3、余すところなくトップ10入りを果たしています。
※2 ここでの『ラブレター』の表示は「7位」ですが、オリコン公式データ「you大樹」の記録では「11位」です。
※3 ここでは『十六夜物語』が27枚目のシングルとして表示されていますが、正確には『想い出のコニーズ・アイランド』というシングルが、アルバム『Scarlet』からのシングルカットでリリースされており、カセットテープ限定で販売、オリコン100位圏外となっています。
同期の松田聖子さんは、新曲を出せば1位が指定席の、アイドル界を超え日本歌謡界に君臨したまさに女王です。どうしてもそんな彼女の陰に隠れてしまった感はありますが、これだけの曲数、これだけの期間、これだけの成績を残したアイドルはそうはいません。
『エスカレーション』以降の、進撃の奈保子ぶりにご注目ください。
『スマイル・フォー・ミー』の最高位「4位」に並ぶ歌だけでも3曲、さらに上回る歌すら2曲存在します。
『スマイル・フォー・ミー』、『けんかをやめて』が、知名度において河合奈保子歌謡史のツートップであることに異論を挟む余地はありません。ですが、それら二曲を擁するデビューからの三年間に増して、『エスカレーション』から『ハーフムーン・セレナーデ』に至るその後の三年間こそ、シンガー・河合奈保子の真の全盛期だったのではないか? そんな風にも思えます。
「河合奈保子は『スマイル・フォー・ミー』だけじゃありません」――そう赤木キャプテンのように熱弁を振るいたくなる気持ちも、ご理解いただけるのではないかと思います。
そうは云っても――。
実際問題として、河合奈保子に対する世の中の強い印象・記憶は、水着においてはビキニ姿、歌においては『スマイル・フォー・ミー』、『けんかをやめて』に代表される、いわゆる「アイドル」そのものであった彼女の十代の頃に、傾いているように思えます。
水着はわかります(笑)。そりゃあ二十代のワンピースより、十代のビキニですよね!
歌のほうは、前回の繰り返しになりますが、「懐かしの過去映像」を取り上げてきたテレビ番組の影響は大だと思います。判で押したように『スマイル・フォー・ミー』(たまに『けんかをやめて』)では、世の人々の印象・記憶は、ますますそれに固定化されていきます。ニワトリと卵ですけどね。
大衆の求めに応えるのが「仕事」なのはわかります。が、知られざる真実に光を当て、大衆を正しく導いていくのもマスコミの「使命」であるはずです。これも前回の繰り返し。
奈保子さんが芸能界を去って、早三十年。当時を覚えている現役世代より、河合奈保子を「歴史」でしか知らない世代がこれからもっと増えていくからこそ、マスコミ(特にテレビ)には、「正しい歴史」を伝えていってほしいと心から願っています。
でも、ここのところ、あんまり強くは云えないんですよね。
ワタシもデビュー三年で、ファンをやめてしまった人間なので。
少しずつ、されど急速に、大人になってゆく奈保子ちゃんに、心が離れていったんでしょうね……。いまのワタシに云わせれば、この色っぽさとかわいらしさを兼ね備えた、レディの魅力がなぜわからん!?――と説教したいところですが、若いというのは残酷で愚かなものです……。
とまれ、「四〇年遅れの推し活」※4は、いよいよこの領域に突入しました。
「青春の想い出」という手持ちのカードはもうありません。
二十代の奈保子さんの活動という、当時は見過ごしてしまった未知の大海原――ワンピース風に云えば、奈保子海のレッドラインを越えた「新世界」といいますか。現役世代のにわかファン(笑)として、ワクワク胸躍る想いです。
恒例の多摩市・カナメさんからのリクエストで、この歌をお聴きください。ファーストアルバム『LOVE』より、河合奈保子『新世紀』。
奈保子さんの歌に『新世界』という曲はなく、代わりと云ってはなんですが、こちらをお贈りいたします。

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(2)チャートとセールスの不一致
さて、ここからは調べを進めて知ってしまった知らぬが仏、知らなきゃよかった不都合な真実(笑)です。
今度の画像は、冒頭のそれにセールス――売り上げ枚数を加えたものです。

驚きました。意外でした。オリコンチャートの最高位とセールスって、ここまで比例しないものなんですねえ!
これはどういうことなのか? 後半のチャートの好調さとは裏腹に、セールスの枚数はその数を減らしています。熱心なファンが頑張って、発売初週の集計期間に思いっ切り瞬間風速を吹かせたとでもいうのか?
セールスも考え合わせると、『エスカレーション』こそ順位・セールスともに文句なく『スマイル・フォー・ミー』を上回っているものの、『疑問符』以降は20万枚超のシングルもなく、右肩下がりを辿ります。
21枚目のシングル『デビュー〜Fly Me To Love』で、奈保子さんはシングル初で唯一の「1位」を獲得しますが、セールスでは16.1万枚。これは、セカンドシングル『ヤング・ボーイ』(オリコン最高位13位)の18.9万枚を下回る数字です。
ならば、河合奈保子のデビューからの三年間に、世の人々が強い印象をもち、記憶しているのはやはり正しく、ワタシの主張するテレビの影響以前の問題なのか?
――そう単純には云えないと思っています。年度の違うセールスを、単純に比較はできないからです。
そこで、以下の画像をご覧ください。google AIがこんな回答をはじき出しました。

1980年から87年にかけて、シングルの売り上げ全体が、大きく下落していたことがわかります。
おりしもCD(コンパクト・ディスク)が登場し――もちろん当初のハードの価格は高く、メディアとして「レコード」に取って替わるのは、80年代終盤を待たねばなりませんでしたが――市場が大きく変革する時機にありました。
「レコード」全体の売り上げが落ち込む音楽業界で、奈保子さんは他の歌手との競争の中で頑張って、コンスタントなトップ10入りという快挙を果たしたのだと思います。
いずれにせよ、『エスカレーション』後の歌を、奈保子さんを、「懐かし系」のテレビ番組で取り上げてほしいというワタシの願望に変わりはありません。
グッとオトナになった奈保子さんを、放映してほしい。出演者に語ってほしい。そして、グッとオトナになった奈保子さんの魅力を、河合奈保子の知らない世代の人々に伝えてほしい。そう、願ってやみません。
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