(1)はじめて聴いた『スマイル・フォー・ミー』のB面
多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『スマイル・フォー・ミー』のB面から、『セレネッラ』をお送りしました。
「四〇年遅れの推し活」を絶賛実行中の身ですので、奈保子さんの未知の歌は「その日」が訪れるまで、つとめて聴かないようにしています。
そんな事情で去る六月一日、満を持して『スマイル・フォー・ミー』のB面であるこの曲を聴きましたよ。
刺さりましたねぇ。ブッ刺さりました。
(2)奈保子ちゃんの心の叫び?
それでは愛は届かない
もしも本気で好きならば
ひとりの少女に恋をして
「セレネッラ」という耳慣れない単語を連呼する女性コーラスに続いて、奈保子ちゃんがいきなりこんな言葉を口にします。
「私を女神と呼ばないで」
アイドルの奈保子ちゃんがそんなこと云う?
なんか「痛いところ」を突かれた想いです。
でも、しょうがないよ。
だって、ほんとうに「女神様」なんだもん。
あなたは、アイドル――。
夜空に浮かぶお月様のように、冴え冴えと、煌煌と輝いて、あなたを愛で仰ぎ見る者に惜しみなく、かつ平等に光を注ぎ、照らす――。
でも、どんなに手を伸ばしてみても、お月様を掴むことも、触れることもかなわない。そんな存在なんですよ。
この歌は秋元康が得意とする、小泉今日子「なんてったってアイドル」に代表される「アイドル」である自分や立場をストレートに歌った、云わば「メタ・アイドル歌謡」とは違います。
この歌を普通に聴けば、それとは正反対。普通の女の子が普通の男の子に交わす言葉を詞にした、普通の歌のように聴こえます。
ですが微妙かつ絶妙に、アイドル・河合奈保子が、自分自身のリアルを歌っているようにも聴き取ることはできます。
それはまさにワタシが前述したような、数多のファンから寄せられる「崇拝」にも似た「憧れ」に、彼女は倦んでいる――? そんな受け止め方ができるのです。
「女神」あつかいしないで。ふつうの女の子として、私に恋して。
「女神じゃなくなるその日がほしい」
「ひとりの少女にかえりたい」
二番のこんな詞にも、そんな印象を強く感じてしまいます。それがズッキズッキ刺さるんですよ。
まるで目の前に奈保子ちゃんがいて、そう訴えかけられているかのような――。そんな錯覚に、そんな幻に、束の間酔ってしまうのです。
よごれた言葉をぶつけていいわ
月が雲にかくれたら
私を女神と呼ばないで
たしかに、この手はよごれています。でも、あなたにふれることはできません。
しかしこの現代、よごれた言葉をぶつけることは可能です。
でも、しません。書きませんよ、ブログには、決して。ワタシの心の裡に、そんなよごれた言葉があふれているのは認めますが。
どうしたんですか、そんな挑発するような目をして? 云っていいんですか? 怒りませんか、ほんとうに? じゃあ云いますよ?
きみのボインに乾杯。
ほらほらほら、やっぱり怒る。この程度のライトなジョークで、ハリセン振り上げてるじゃないですか?
(註 ただいま筆者は脳内河合奈保子――イマジナリー奈保子さんと会話中です。どうか、そっとしておいてあげてください。)
でも、奈保子ちゃん、ごめんね。ワタシにはムリです。そう云ってくれるのは嬉しいけれど。(>云ってない?)
あなたの存在は、あまりにも遠くて。あまりにも尊くて。ワタシにはその距離を詰められない。
まあ冷静に我に返れば、二人のお子さんもとっくにリッパに成人してる人妻になに云ってんだ? ってハナシではあるのですけど。
まあ気分は81年なので。約四〇年前の奈保子ちゃんに申し上げている気分なので。その点は何卒ご容赦の程を。
(3)曲名の意味(&それを調べて知る過失)
曲としても、すごく面白い――変則ですよね。
曲名でもある「セレネッラ」というワードを、奈保子さん自身の口からは、歌詞として一言も発せられてはいません。女性コーラスが前奏、間奏、後奏でリフレインするのみです。
「セレネッラ」とは何か? 奈保子さんの3枚目のアルバム『DIARY』の歌詞カードに、その答があるそうです。「セレネッラ(Selenella)はイタリア語で水の妖精(Selena)の愛称」とのこと。現物はまだ入手していないので、これはネットで教わった情報です。
参照 河合奈保子・Pure Dream https://blog.goo.ne.jp/n_twilight/e/1b0400b6a04b93717fa3d14aabcf47a1
それよりこれを書いていて、重大な事実に気がつきました。
セカンドアルバム、もう出てたやん!?
>『TWILIGHT DREAM』/1981年5月10日
2024.06.10 一部変更
2024.06.13 一部構成変更・一部訂正