さま~ひろいん

さま~ひろいん

昨年秋の大けがから明け、仕事に復帰。それでも長らく腰に装着したままであったコルセットが外れた、1982年夏――。
そこから始まる進撃の奈保子は、まさに“アイドル”河合奈保子の「完全復活」そのものでした。

シングル『夏のヒロイン』は、「スマイル・フォー・ミー」に次ぐ一年ぶりの、ポップなアップテンポ。弾けたダンスとステップで歌い踊るその衣装は、これまでにない大胆さで、健康的なむっちむちの太ももを披露、ファンの両目をハートマークにしました。※1 一方、オリジナルアルバムとしては4枚目となる『SUMMER HEROINE』を、前作「DIARY」から約11カ月ぶりに発表。※3
さらにこれらシングルとアルバムを飾ったジャケットがそうであるように、彼女の「水着」が復活しました。

今どきの比喩をさせてもらえば、大谷翔平のピッチングが蘇ったようなもの。
「歌」と「水着」の二刀流――?

むろん、「歌」も「水着」も両方やるのが「アイドル」稼業。「二刀流」はアイドルの標準。
ですが、不思議というか必然というか、多くはそのどちらかに偏るものです。

今も昔も、「歌姫」はいました。
「グラビアクィーン」もいました、昔も今も。

しかし、その双方を、ここまでハイレベルで両立させたひとは、ワタシの記憶を遡っても、あとは柏原芳恵と、ほかに誰がいたっけ?――という感じです。
打ってはホームラン連発のスラッガー。投げては100マイル=160km超えの豪速球。右も左もどちらも名刀!
それが河合奈保子! “アイドル”としての彼女の凄味だと、ワタシは思っています。何度でも云いますけど。

 

不思議というか必然というか
「水着」をやりたくてやる人は、あまりいません。その多くは明日の「夢」の扉を開く、足掛かりに過ぎません。
だから、歌手や女優としての地位を確立したら、「卒業」していくのが定石です。
逆に、水着=グラビアでスターになった人は、それ以外の仕事で、なかなか評価してもらえません。そんな傾向はあるようです。


河合奈保子はなぜ、水着をやめなかった(やめさせてもらえなかった)のか?
その理由は大きく二つあると思っています。
ひとつは云うまでもなく、ルックス面の魅力です。
顔はムッチャかわいいのに、身体はセクシーダイナマイト(笑)。絶妙にふくよかなスタイルは、幼女性と母性を兼ね備え、おとなし気な彼女の人柄と相俟って、保護欲と甘えたくなる気持ちを同時に掻き立てられずにはいられない。
これも何度も云いますけど、彼女は水着に選ばれ、水着に愛されたのです。彼女がどんなに恥ずかしがり、いやがろうとも――。怪我が癒えて、コルセットが外れて、そして夏を迎えて――。なのに奈保子は水着を「卒業」するだなんて!?
そんなことは事務所が許さない以前に、もっと大いなる意志――水着の神様が許すはずはありません。
 

水着には それはそれはキレイな
女神様が宿るんやで
だから毎日 着てたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで


そしてもうひとつは、松田聖子の存在――。これが大きかったのではないかと思ってます。あくまで私見ですが。
80年デビュー組・同期のトップツーとして、しばしば「聖子vs奈保子」と取り沙汰されはするものの、その実「ライバル」と呼ぶには、あまりにも差があり過ぎました。人気もチャートもセールスも、まるで勝負にならない、高く、厚い壁――。
 

ご承知のとおり、82年以降「聖子のライバル」の座は、中森明菜に取って代わられることになります。彼女は名実ともに「聖子のライバル」そのものでした。正確には、世間から「ライバル視」されるに相応しい存在――と云うべきですが。
聖子と明菜、という「二つの太陽」を戴くあの頃が、いかに素晴らしい時代であったか! 奈保子贔屓のワタシも、しみじみとそう思い返します。


奈保子ちゃんがもう水着はやめたい、歌一本でやっていきたい。そう訴えたとしても、
――歌だけで聖子に勝てるのか? 奈保子にあって、聖子にないのはなんだ? 自分の強力な武器を自分から手離すんじゃない!

すみません。そんなアイドル根性ドラマを勝手に妄想してます(笑)。
でも、これに近い応酬は、あったのではないでしょうか?

ともあれ奈保子ちゃんは、水着を続けてくれました。怪我を「卒業」の口実にすることなく。
そんな奈保子ちゃんが、珠玉の写真集を出しくれました。それが今回の奈保子日記の主題です。
アルバム『SUMMER HEROINE』に対置するような、ひらがなタイトル。
「カバー付き」の写真集は以前にも出ていますが、そちらはコンサートツアーを追った、云わば記録。※2 オールハワイロケ、純粋ストレートに奈保子のビジュアルの魅力に迫る正統・王道の写真集、『さま~ひろいん』です。

もちろん、水着も盛り沢山。両目はハートマークです。

さま~ひろいん
 

しかし、あえて水着ではない、このパジャマ姿をご覧に入れたいと思います。
椅子に逆に跨る「お行儀の悪さ」がかえって印象に残る、カジュアルな寛ぎのフォトグラフ。


この写真集はワタシが43年前にオンタイムで購入し、いままで所持・保管し続けていた数少ないアイテムですが、いま入手しようと思ったら、なかなかのプレミア価格です。電子書籍化が望まれます。お願いしますよ、ワニブックスさん。

シングル『夏のヒロイン』から、この『さま~ひろいん』までを、ワタシは勝手に「夏のヒロイン祭り」と呼んでいます。
これは未来の人間だからこそわかることですが、この「夏のヒロイン祭り」は、河合奈保子の所謂“アイドル”としての有終を飾る、フィナーレそのものだったと思っています。

これで水着を「卒業」するわけではありませんし、アイドルらしいかわいらしい歌も『夏のヒロイン』が最後ということではありません。
それでも、河合奈保子史における「ステージ」は、確実に変化します。
翌83年の『エスカレーション』から本格的に幕を開ける、シンガー・河合奈保子の「第二のステージ」。そこへ至る端境期が、このあとから始まります。

それは云わずと知れた10枚目のシングル『けんかをやめて』であるわけですが、それについておしゃべりするのは、もうひと月先のお話です。


お別れにこの歌を、もう一度お聴きください。
「夏のヒロイン祭り」の最後を飾るのは、もちろんこの歌。
多摩市・カナメさんからのリクエスト、河合奈保子『夏のヒロイン』。

 

河合奈保子『夏のヒロイン』
YouTube

 

 

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