なんてタイトルだよ(笑)。
でも、これは「四〇年遅れの河合奈保子推し活」をやろうと決意した日から、いつか語らねばならないと思っていたテーマでした。その日が来たと思いました。このニュースを見て。

 


ワタシは奈保子さんの素晴らしいバストを賞賛の念を込めて、「ボイン」と呼びます。
「巨乳」とは云いません、決して。
これは奈保子さんの現役時代をオンタイムで過ごした、昭和男の鉄則です。
その当時、「巨乳」という言葉はありませんでした。奈保子さんをはじめ、リッパなバストの女性は「ボイン」と呼ぱれていたのです。榊原郁恵さんとかね。
その発祥は、大橋巨泉が「11PM」で朝丘雪路のバストを「ボイ~ン」と評したことが起こりと云われています。

「巨乳」という言葉が世間一般に広まったのは1990年前後と云われており、ワタシの記憶でもそんなところだろうと思います。
時代的に河合奈保子はタレントとして「ボイン」と呼ぱれた最後の世代、「ラストボイン」と云えるかもしれません。

ラストサムライみたいに云うな。

奇しくも「昭和」と「平成」という時代の境目が、「ボイン」と「巨乳」の境目にもなっています。
ゆえに平成以降生まれの人からすると、「奈保子さんは「巨乳」ではない、「ボイン」なのだ」――といった昭和男の妙なこだわり(笑)は、奇異に映るだろうと思います。

これは「モハメド・アリ」を頑なに「カシアス・クレイ」と呼ぶ人と同様の心理だと思います。
「猪木×アリ戦」で彼を知ったワタシのような「知った時には「モハメド・アリ」だった」人間には、その名前に何の違和感もありません。しかし、もともとの彼の本名は「カシアス・クレイ」であり、オリンピック金メダリストとして、アマチュア・ボクシングではすでに世界的有名人でした。その後イスラム教に改宗した彼は、プロ転向後にムスリム名である「モハメド・アリ」をリングネームにしました。なので、以前から彼を知り、好きだった人からすると、それこそ違和感アリアリ。そんな名前で呼びたくないないわけです。

平井和正ファンにしか通じない云い方をさせてもらうと、『人狼白書』(NON NOVEL)を『ウルフガイ不死の血脈』とか『ウルフガイ凶霊の罠』(角川文庫等)だなんてダサいタイトルでゼッタイ呼びたくない。その感じに通じています。

河合奈保子を(熱く)語る上で、いままでもそうでしたが、これからも頻繁に登場するでしょう。「ボイン」という用語が。
なぜ、「巨乳」と云わず、「ボイン」なのか?
そのことはどこかで説明しておかねばならないと思い、この機会に筆を執りました。

 


前にも云いましたが、ワタシの中には「脳内河合奈保子」――イマジナリー・奈保子さんが棲んでます。
ワタシが「ボイン」「ボイン」と連呼するとき、彼女は「微妙」な顔をします。

それはなんというか、苦笑いのような、ちょっぴり傷ついているような、それでいて全てを諦めたかのような――そんな微妙な表情を。

わかっています。それがあなたにとって決して嬉しい、愉快な行為でないことは。
「愛情」から発しているなら、何もかも赦されるわけではないということも。

ごめんなさい。赦しください。――そう謝り、赦しを乞うしかできません。それでも、云いたいんです。書きたがり屋の「業」とでも云うしかありません。奈保子さんの素晴らしいバストを、イジりたいのです。いえ、そういう意味ではなく。どうか振り上げたハリセンを下ろしてください。
節度をもって、やり過ぎないように、心掛けいたしますので。
不忠のファンをお赦しください。

お別れの曲は、多摩市・カナメさんからのリクエスト、月亭可朝『嘆きのボイン』。
だんだん、なんでもアリになってきました。