(1)ネットというタイムマシン

 


少し時間が開いてしまいましたが、この番組について触れたいと思います。正確には、この番組を通してワタシが思っていたことについて、ですが。

昭和歌謡、なんだか流行ってますね。この手の番組が、近頃多くなったように感じます。当時、青春時代を過ごしたワタシのようなオジサンオバサンが、過ぎし日を懐かしんでいるだけでしょうか? そうではないと思います。
前回お話しした芹澤青年の音楽趣味だって、決して新海監督のそれの反映だけではないと思います。こういう若者、現実にけっこういるんじゃないでしょうか?

 


「博士ちゃん」なんかを視てても、そう思うのですよ。中森明菜や昭和アイドルをむっちゃ好きで詳しいティーンの女の子が出てきたりしますからね。ネット時代の申し子だと思います。ネットがメディアになって、過去へのアクセスが、いとも容易になったからです。
ネットは過去への扉を開く、タイムマシンです。笠置シヅ子をモデルにした朝ドラが放映される――。親がその人の大ファン――。そうした特殊な事情や環境は、 生まれる前の時代の文化を好きになるのに、もはや必要ではないのです。物心ついた頃からネットがあったデジタル・ネイティブ、21世紀生まれの若者には。
オンタイムで同じ時代を過ごして生きた、自分自身の記憶と体験。そんなことはもう必須条件ではないし、関係がないのです。

 


ワタシのいま現在の「河合奈保子推し活」だってそうです。それはワタシの青春時代の思い出とむろん無関係ではありませんが、それだけでは片付けられない。ネット抜きには、語れません。ネットによってワタシは再び奈保子さんに出逢い、惚れ直し、ワタシの人生に登場したアイドルとして、現在進行形で夢中になっているのです。令和の、五十過ぎの、にわか奈保子ファンとして。
その点で、あの当時生まれてもいない若者と同じです。「奈保子ちゃんて、かわいいよね?」――そんな風に彼らと同じ目線で語り合える気がします。
 

ネットが過去への扉を開くのは、なにも(多くは私的に)公開・拡散された過去動画に限った話ではありません。商品である「ソフト」の入手も、きわめて容易になりました。街のレコード屋の店頭にCDがなくとも、ネットショップで購入が可能です。現に河合奈保子のアナログ版のアルバムの多くはCD化され、いまでも普通に買い求めることができます。さらには配信もされています。音楽だけではなく、出版物も同様です。河合奈保子の近代映画社の写真集は電子書籍化されており、ワタシはその一冊をダウンロードして読みました。希少なムックである現物の入手は困難な上、買えるとしても高くついたに違いありません。それを普通に安価に購入し、愉しむことができたのです。
物品の流通、デジタルデータの配信、その両面で過去の文化を享受する簡便さは、ネット以前の時代に比べれば、飛躍的に向上しているのです。

 


「――80年代ソング総決算」の話です。
毎度おなじみ、『スマイル・フォー・ミー』でございます。
――そんなタモリさん的お定まりのフレーズを使う気マンマンでいました。この番組を視るまでは。
ですが、この番組には登場なさいませんでした。
80年から88年までの、各年度の年間ベストテン――。「アイドル」に限定しない、オールジャンルで――。

このランキングの中には、残念ながら入れませんでした。奈保子さんは。
仕方ありません。柏原芳恵「春なのに」(83年)※(1)も、小泉今日子「なんてったってアイドル」(85年)※(2)も、ここには入らなかったのですから。ちょっと意外でした。
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資料として、末尾にこの番組の各年度のランキングを貼っておきます。

 

セールス・チャートという数字の競争になると、奈保子さんはちょっぴり弱い。当時のトップアイドルのひとり、というポジションにどうしても甘んじてしまいます。
彼女には彼女ならではのストロング・ポイントがあるのですが、それは数字では表せません。そこのところについては、これまでも語ってきましたし、これからも語っていくでしょうから、ここでは省きます。


むしろ、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」(88年)がここに割って入ったことを「流石」と讃えるべきでしょう。
奈保子ファンとしては恥を忍んで申し上げねばなりませんが、ワタシは『デビュー』(85年)※(1)も、『ハーフムーン・セレナーデ』(86年)※(2)も知らなかった人間です。80年代後半の歌謡界、音楽シーンにはまったく無知な、それらにまったく無関心に当時を過ごしてきた男です。世代的には直撃でしたが、その頃旋風を巻き起こした、おニャン子クラブに対しても。
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そんなワタシでさえ、
めーとーめーでーつーじあうー♪※(1)
あーらしをッ おーこしてッ♪※(2)
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は、知ってるんですよ。オンタイムの記憶として。
当時、どれだけ流行っていたか。どれだけヒットしていたかということだと思います。
 

まったくの余談ですが、工藤静香といえば思い出されるのが「FU-JI-TSU」(88年)です。
あれは平成になったばかり、社会人になったばかりのワタシが会社の同期のみんなでカラオケにいったときのこと――。
だれかがこの曲を入れました。カラオケのディスプレイには、この曲名が表示されます。それを見た会社の同期のひとりがこう云ったのです。
「富士通? どんな歌やねん!?」

――完全な職業病です。システム屋の。その頃ワタシが勤めていたのは、その種の業種でした。
「不実」です。「富士通」ではありません。そんな歌うたいません、工藤静香さんは。「日立です♪」とか。
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話を「――80年代ソング総決算」に戻します。
奈保子も芳恵もキョンキョンも、手の届かなかった――おニャン子メンバーが僅かに食い込んだこの超難関のランキングに、常連としてその名を連ねていた女性アイドルが二人。

云うまでもなく、松田聖子と中森明菜です。女性アイドル、という切り口でこの番組を視れば、まさにこの二人の独壇場。二人で独壇場というのもおかしいのですが。

彼女らこそ、80年代アイドルのクィーンでした。女王が二人いたのです。

(2)70年代の女王

80年代の女王について触れる前に、話は70年代に遡ります。
「アイドル」と称されたアイドル第一号は、南沙織(1971年デビュー)と云われています。
「アイドル」が生まれ、その基本スタイルが確立したのが70年代。
様々なアイドルがいました。岡田奈々、大場久美子、榊原郁恵、石川ひとみ、石野真子……挙げればキリがありません。
そんな70年代、アイドル界の頂点に立ったのが、山口百恵です。
暗い過去を背負い、闇色のオーラをまとった、およそアイドルらしくないアイドルが、アイドル界の女王として君臨したのです。

山口百恵の歌がどのようなものであったか。それはもう多種多様で、とてもひと言では云い表せません。
ただ、印象深いのはなんといっても、宇崎竜童×阿木燿子夫妻による歌の数々です。
 

交差点では隣の車がミラーこすったと
怒鳴っているから私もついつい大声になる
馬鹿にしないでよ

――『プレイバック Part2』より


……アイドルの歌じゃない(笑)。
でも、そんな彼女がアイドル界のクィーンでした。

ここがアイドル界の不思議で、パラドキシカルで、面白いところです。
いつの世も、アイドルらしくない規格外のアイドルが、アイドル界のトップを獲るのです。

70年代は山口百恵でした。
そして80年代は、松田聖子と中森明菜のふたりでした。
山口百恵の引退が1980年。松田聖子の歌手デビューが、奇しくも同じ1980年。あまりにも出来過ぎた偶然です。

まるで先代の女王が、次代の女王にその玉座を明け渡したかのようです。
その玉座に座したのは一人ではなく、二人でした。

『乙女座 宮』※(1)、『いい日 旅立ち』※(2)に象徴される山口百恵の「陽」の部分を聖子が――
『プレイバック Part2』※(3)、『愛の嵐』※(4)に象徴される山口百恵の「陰」の部分を明菜が――
それぞれ分け合い、色濃く受け継いだように、ワタシには思えます。
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(3)「アイドル」らしさとは?

「アイドル」とは何か?
歌手ないし女優を本業とする、フォトジェニックな清純派女性タレント――。
女性に絞って云えば、そんなところではないかと思います。
なので歌手でも女優でもない「グラビア」が本業のスペシャリストは、「グラドル」(グラビアアイドル)などと呼ばれるわけです。

70年代に確立した「アイドル」――そんな「アイドル」像を体現した百点満点のアイドルらしいアイドルが、河合奈保子さんだったと思います。
歌がうまく、かわいらしさは無類であり、しかも醜聞(スキャンダル)に無縁の清純派、何より水着でがんばり続けた80年代を代表するグラビア・クィーンでした。

まさに、アイドルの鏡。
ワタシ個人の私見ですが、70年代型のアイドルは河合奈保子をもって完成した――と思っています。

ですが、「セールス」でも「チャート」でも、聖子・明菜にはまったくおよびませんでした。
まあ、仕方がないと思います。

『ラブレター』※(1)の――ためらい ライライ ラブレターぁぁぁ♪
『夏のヒロイン』※(2)の――甘いですか 酸っぱいですか ちょっと青いフルーツみたい♪
このちょっぴり鼻にかかったこの歌声の、かわいいこと、かわいらしいこと!

 

アイドルソングにも名曲はあって、そんな歌はよく「聴き」ます。でも、どんなにかわいいアイドルも、聴覚だけで「かわいい」とは思えない。視覚は前提、ビジュアルは必須。でも、奈保子さんに限っては、彼女の歌声に耳を傾けているだけで、「か・わ・い・い」――そう思えるのですよ。「キュン」×2刺さる、刺さりまくる。メロメロにトリップしてしまう、合法麻薬。音声だけでそんな気持ち・心地にさせてくれたのは、Folder 5以来そこそこ長いワタシのアイドル好き人生のなかでも初めての経験です。


『17才』※(3)のサビ前、チャーチャ・チャチャ・チャチャチャチャ♪ の時の振り付けのこれまたかわいらしいこと!
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でも、その「魔法」は、「ファン」にしか効かない。効力をおよぼしません。
それ以外の人には、いかにもアイドルっぽい歌をうたってる「アイドル」にしか見えない、映らない。事実、そのとおりですし。

聖子・明菜が、河合奈保子をはじめとする他のアイドルと隔絶していたのはこの部分でしょう。
ワタシは松田聖子にも中森明菜にも、「アイドル」としての思い入れは正直あまりありません。でも、彼女たちの歌はよく聴きます。
聴き惚れる、名曲揃いだからです。70年代のクィーン・山口百恵と、その点で通じています。

彼女らは優れた「アイドル」でしたが、それ以上にその枠を遥かに超越した「スター」でした。河合奈保子らアイドルのマーケットが「ファン」であるのに対し、彼女らのそれは「ファン」を数で遥かに凌駕する「大衆」そのものだったのです。

 

このことを考えるとき想起されるのは、70年代のグループアイドルであったピンク・レディとキャンディーズの競争です。1位街道をひた走るピンク・レディに対して、キャンディーズは(活動中の)ラストシングルである『微笑がえし』まで、なかなか1位を獲れませんでした。子供からお年寄りまで幅広い「大衆」に支持されたピンク・レディに対して、キャンディーズの支持層は、男子大学生を中心とする「ファン」に比重があったためではないでしょうか。


歴史は繰り返される。
70年代、山口百恵は他のアイドルの追随を許さず、圧倒しました。
80年代、河合奈保子は松田聖子に、中森明菜に、敵いませんでした。

真正のアイドルという意味合いでの超アイドルが、アイドルであることを逸脱・超越しているという意味合いでの超アイドルに負け続けてきた――。それがアイドルの歴史であったようにワタシには思えるのです。

(4)探しています――アイドルらしいアイドル

その歴史は途絶えることなく、いまなお継続している。そのように、ワタシには思えます。
記憶に新しいところでは、まゆゆ――渡辺麻友も、指原莉乃に勝てませんでした。
 

AKB48には、ワタシもアイドル好きのハシクレとして人並み(?)にハマりました。なかでも指原莉乃はけっこうお推しメンで、最初は「インパクト強いルックスのコがいるなぁ」と思ってたのですが、次第に彼女の「ダメっぽい」ところが他人のように思えず、応援するようになりました。(振り返れば、それは指原流の「あざとさ」であり、手管だったのでしょう。見事術中にハメられました(笑)。)
スキャンダルでHKT48に事実上の「左遷」をされたときは、「総選挙で君を中央に返り咲きさせる!」と燃えたものですが、フタを開けてみれば結果はなんと総選挙1位!? 「そこまでやれとは云ってない」と思いましたね。ワタシも悪いんですけど。


スキャンダルをものともせず、むしろそれをエネルギーにして巨大化し、バラエティ界をまたにかけて活躍するブレイク後の指原はもはや「怪獣」でした。アイドルがアイドル性だけを武器に彼女に勝負を挑むのは、まるで仮面ライダーがゴジラに向かっていくようなもの。
――だから、腐らないでほしい。あなたの努力も、あなたの真面目さも、あなたの魅力も、あなたのファンはわかっているのだから。
あなたはあなたにできる、あなたにしかできないことを続けほしい、胸を張って。――そう思っていたのですけどね。
まゆゆ、どうしているのかなぁ?
 

例外としてひとつ思い当たるのは、おニャン子対決である、新田恵利と国生さゆりのバトルではなかったかと思ます。気が強く、勝ち気で、芸能界に真剣であり、努力家で野心家であった国生さゆりは、おっとり、のほほ~んとした、芸能界にさほど本気ではない、クラブ活動感覚の――それ故に「アイドルらしく」もあった新田恵利の後塵を拝することになりました。
新田恵利のファーストソロシングル「冬のオペラグラス」※(1)は、オリコン1位。対する国生さゆりの「バレンタイン・キッス」※(2)は2位。それが彼女にとりどれほど悔しかったかは、のちに彼女自身が談話で語っており、ワタシも目にしたことがあります。
その両者の対立ごと、後輩の工藤静香が飲み込んでしまうのですが……。
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松田聖子と中森明菜は、まさしく「好敵手」と書いてルビを振る「ライバル」でした。
互いの目線が宙で交差し、バチバチと火花を散らすような。
ふたりは人気・実力で伯仲・拮抗するだけでなく、競争心、勝ち気さ、といった気性においても、互いに通じるところがあったように思います。いわゆる「噛み合う」相手でした。ガチっとギアがハマるという意味でも、互いの喉元に咬みつき合い、血を流し合うという意味でも。
ゆえにふたりは、それこそ公私にわたって激闘を繰り広げたのです。

ですが、ふたりのデビュー時期は異なります。
松田聖子は1980年、中森明菜は1982年――世に名高い「花の82年組」のひとりです。

河合奈保子は松田聖子と同期であり、ゆえに80年デビュー組同士であるふたりは、しばしば「聖子VS奈保子」というようなライバル視をされました。それは当時のアイドルトップツーとして、必然だったかもしれません。

しかし、ファンであるワタシの目から見ても、この図式には無理があります。
繰り返しの比喩になりますが、まるでゴジラVS仮面ライダーです。
階級が違う。それ以前に、競技が違う。
それどころか、河合奈保子を「仮面ライダー」に喩えること自体、そもそも間違っている気がします。

聖子×明菜は、龍と虎――。
明菜虎が爪を振るい牙で噛みつけば、
聖子龍は光線のような火炎を吐き出す。

そのような、「動物」への変換を試みるなら――。
河合奈保子は「コアラ」ですよ。歌うコアラ。戦闘力、ゼロ(笑)。
ベジータのスカウターで透して見たら、「0」ですよ。

芸能界という弱肉強食のジャングルには、そもそも不向き。とても生き残っていけそうもない。
それでも類を見ない、圧倒的な「かわいらしさ」で、芸能界を生き延び、渡り歩いてきた。そんなアイドルです。

云うまでもないことですが、ワタシは河合奈保子さんをこの主張によって貶めるつもりはありません。ワタシはそんな彼女を好もしく想い、全力で讃えています。
芸能界には不向きなひとで、だからなのか、わずか十六年間という歳月で芸能界を去った。そして、幸せな主婦としての人生をまっとうしている。そんな彼女をこころから尊敬してもいます。(カムバックしてほしい、という矛盾する願望を同時に抱きながら――ですが。)

 

ゆきりんこと柏木由紀さんが、AKB48からの卒業を発表しました。15歳でデビューし、32歳でAKBを卒業する彼女のグループ在籍期間は17年。16歳でデビューし、32歳で芸能界を去った奈保子さんの「16年」が、いかに束の間であったかを実感します。五十過ぎのオッサンのワタシに云わせれば、ゆきりんなんてついこの間のひとですよ?


また、だからといって、聖子・明菜を「怪物」呼ばわりして、ディスるつもりも毛頭ありません。
80年代のクィーンであるお二人には、こころからのリスペクトを捧げるものです。

奈保子さんの代表曲『けんかをやめて』に倣って、こう云いたいと思います。
違うタイプのアイドルを好きになってしまう。よくあるでしょう?
 

ちなみにこれも余談ですが、あの当時、河合奈保子と同時期に好きだったのは、伊藤つかさでした。見境が無い、というべきでしょうか?

どこがよ? まッ――たくおんなじやんか? 奈保子ちゃんと、つかさちゃんて。

これはこれは、非実在レディさん。ご無沙汰してます。
 

 

あんたが無自覚――というより、自分でもわかってるくせに、自分の口ではよう云わんから代わりに云うたげるわ。奈保子ちゃんも、つかさちゃんも、判で押したような同じタイプ。歌手のコアラと女優のコアラやんか? 芸能界に不向きのくせに、「かわいさ」だけで生き残った、その双璧、二大巨頭やんか? 思春期のカナメちゃんの好み、わかりやす過ぎ! 違うのは、乳の大きさだけ。それで「見境が無い」とか、云わんといてもらえる?
ふっくらボインの奈保子ちゃんには「母性」――自分を無条件に受け容れてくれる優しさを。幼児体型のつかさちゃんには「幼児性」――自分に云いなりの従順さを求めてる。早い話が、マザコンでロリコンやんか。


そんなワタシも、Folder 5を好きになったんですよ? 少しは成長したと思いませんか?

三十過ぎて、Folder 5? 堂々たるロリコンやわ! 捕まれ! だからその歳になって、ようやっと二十代の河合奈保子の良さがわかったんやろ? このロリコンオヤジめ、連行されろ!


いつだったか「キョコロヒー」で、日向坂46を卒業する直前の齊藤京子さんが、「私って、アイドルらしくないアイドルなんで――」というようなことを口にしていました。そう、記憶しています。
それを視て、ワタシは心のなかで、こうツッコミを入れました。

この現代、どこに70年代型の「アイドルらしい」アイドルがいるんですか?――と。
電柱に貼りたいですよ? 家出した猫ちゃんを探すように。

 

探しています!!
アイドルらしいアイドル。

河合奈保子
特長
・とってもかわいい
・ボイン


見つけた方は、連絡してください。
080-XXXX-XXXX


それはたぶんワタシの不見識、不勉強なのでしょう。探せば、きっとどこかにいるのだろうとは思います。
けれども、そんな努力なしで視界に飛び込んでくるほどの、ブレイクはしていない。それもまた事実。

それを特段、寂しいとは思いません。その必要は、ないと思うのです。
いまの時代には、いまの時代の「アイドル」のあり方があります。

昭和のアイドルが好きなら、昭和の時代に行けばいい。当時を生きた人も、そうでない人も。
ネットというタイムマシンを使えば、それは可能です。
クリックひとつで、逢いにいける。
そこに、奈保子さんもいるのですから。

多摩市・カナメさんからのリクエスト。エンディングを飾るのは不朽の名曲、中森明菜『DESIRE -情熱-』。
いつかどこかで、この曲を使ってみたかった。ようやく、その時がきました。

 

 

〈資料〉各年度シングル売上TOP10

シングル売上TOP10 80年・81年


シングル売上TOP10 82年・83年

 

シングル売上TOP10 84年・85年

1985年・1位 ジュリアに傷心(ハートブレイク)

 

1988年・1位 パラダイス銀河、2位 ガラスの十代、3位 Diamondハリケーン

――「時代がよみがえる!昭和の名曲 あのころ最も売れた80年代ソング総決算」より

2024.05.11 一部変更