こちらをアップしてから『すずめの戸締り』の論評を見聞きし、ちょっと考えが変りました。
「金曜ロードショー」でのオンエアもありましたし、それについて触れたいと思います。

「要石」とは人柱、すなわち生贄。ダイジンがもともと猫だったのか、以前は人間(子供)だったのかはわかりませんが、かつて生きながら「要石」にされてしまったのでしょう。

それを解放されたのが嬉しく、だから解放してくれた鈴芽のことは好きだった。
でも、草太に対しては、彼を次の「要石」にする気マンマンで、だから彼を人間ではない椅子の姿に変えた。(とすると、ダイジンも元は猫ではなく、猫に変えられた人間(子供)、そう考えるのが自然でしょう。なぜ人間に戻らなかったのか? という疑問は残りますが)

それが何故、「要石」になった草太を救うべく、態度を変えたのか?
それは鈴芽と行動をともにするなかで、本気で鈴芽のことを好きになったから。そうとしか、考えられません。

自分の想いは報われない。それでも、草太を愛する鈴芽の想いに添うべく、草太を救い、自らは再び「要石」になることを決意する。

――だから、ダイジンの立場に立つと、すごく切ない物語なんですよ。


ただ、そう考えが改まったからとて――。ではあるのですよね。
前作の『天気の子』もそうでしたが、新海誠作品はワタシのシュミではない。

映像美は確かに素晴らしいし、目の保養になるので、地上波で放映されれば今後も視るでしょうけど。ほとんどマンガ誌のグラビア扱いですね。

もしダイジンが猫ではなく、人間として登場していたら?
草太が椅子に変えられていなかったら?

ダイジンと草太の、鈴芽をめぐる男と男の闘いが繰り広げられたに違いありません。
そうなれば、スマホに繋いだカーステレオから流れる音楽などではなく、まぎれもない映画の挿入歌として、『けんかをやめて』も使えたに違いありません。

書きませんよ? 「シン・すずめの戸締り」とか(苦笑)。
実際、『「スマイル・フォー・ミー」創作ノート』は、えらいもんに手ぇ出したと思ってます。刻々と、『スマイル・フォー・ミー』の発売日(6月1日)が近付いてますのでね。それまでは、せめて「事故」前パートは完成させたいと思っているのですが、なかなか手をつけられずにいます。

四〇年遅れの河合奈保子推し活も、なかなかどうして忙しい。日曜ブロガーには書くことが目白押し。
先日放映の「時代がよみがえる!昭和の名曲 あのころ最も売れた80年代ソング総決算」のことも書きたいと思っています。
『すずめの戸締り』とも無関係ではありません。芹澤青年の音楽趣味は、もちろん新海誠監督の嗜好の反映なのでしょうけど、それだけでは片づけられません。こんな大学生、けっこうといると思うんですよ。ブームですよ、昭和歌謡。だから、あんな番組がたびたび放映される。ワタシら世代が懐かしがってるだけではないと思います。

芹澤くんとオフ会したら、ぜったい盛り上がると思う。彼の聴く河合奈保子ソングが、『けんかをやめて』だけであるはずがないんですよ。
『ハーフムーン・セレナーデ』いいよな? 『大きな森の小さなお家』の、『スマイル・フォー・ミー』の奈保子ちゃんが、こんな歌を歌うようになんだよ? しかも自分で作曲してんだよ?
そんな話、したいわぁ。君に金は借りてないけれどな?


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多摩市・カナメさんからのリクエスト、この前は『けんかをやめて』だったので、今回は荒井由実『ルージュの伝言』を。
画像はこの曲が流れるシーンのワンカット。云うまでもなく『魔女の宅急便』へのオマージュですよのサインであるわけですが、どことなく、ダイジンとサダイジンのシルエットにも見えてきませんか?

 


2024.08.08 一部変更