『すずめの戸締り』については予告映像を見た時点で「これはワタシのシュミではない」と直感しました。
それが「観なければならない」作品になったのは、云うまでもなく『けんかをやめて』が挿入歌として使われていると知ったからです。

そのことを知ったワタシには、ある先入観――思い込みが発生してしまいました。
ヒロイン=鈴芽(すずめ)をめぐって、ふたりの男子が殴り合いのケンカをするのだろう。そのシーンに『けんかをやめて』が流れるのだろう――。そんなベタでどストレートな、いま思えばオーソドックス過ぎて、そんな演出するアニメ監督いねーわ、という想像をしてしまったのです。

知ってるひとは大笑いだと思いますが、まったく違います(笑)。

ふつうに見れば簡単な話です。芹澤(鈴芽のお相手=草太の友人)はスマホでユーミンの「ルージュの伝言」始め、昭和ポップスの数々を再生していたのですから、その流れで『けんかをやめて』が使われるであろうことは明らかでした。
しかしワタシは、前述の思い込みに思い切り支配されており、そのことに思い至りませんでした。

さすがに一時間も過ぎる頃には、おかしいと思い始めます。
どう見ても、どう考えても、そのような展開になるとは思えない……。『けんかをやめて』は、どのように使われるのか――? ワタシはそれが愉しみで愉しみでしょうがありませんでした。

……まさか鈴芽をめぐって、ネコとイスがケンカすんのか?

(けんかをやめて~ 二人を止めて~♪)
「二人」ではなく、「一匹と一脚」ですけどね。

正解は前述のとおり、劇中で芹澤のスマホから再生される「懐メロ」。

 

といっても、これは監督やワタシのような世代の観客にとっての「懐メロ」であって、ただいま大学生の芹澤青年にとっては「懐かし」どころかオンタイムでは生まれてもいません。彼のスマホに入った曲目の数々は、なかなかの昭和歌謡愛好家です。きっと、つちやかおりの『恋と涙の17才』も彼のプレイリストには入っていたに違いありません。
 

 

鈴芽を好きな男子同士が殴り合うのではなく、母を亡くした鈴芽と保護者である叔母との(疑似)母娘ゲンカ。それを見た芹澤が、そんな二人に合わせてナイスな選曲をするわけです。

 

イントロはわずかなドラムだけ。サビから始まるこの歌は、その点でもこのシーンにピッタリでした。

 

『すずめの戸締り』よりスマホに映る『けんかをやめて』

作品そのものはワタシのシュミではなく、冒頭で述べた予告に感じた直感は当たっていました。
ちょっとファンタジー要素が濃すぎるというか。
(同じ新海誠監督作品の)『君の名は。』は好きなんですけどね。

大切なひとが姿を消す。その人を救うべく、事情のよくわからない関係者を道連れに、“問題の場所”へ赴く旅――。その構図は、『君の名は。』に瓜二つです。

この二作品に感じる「差」について、自分でも論理的な整理はついていません。
現時点で思いついたことを云っておくと、描きたい「絵」から逆算したであろう設定、ストーリー展開、それらにちょびっと無理を感じてしまいました。

草太がなぜ「椅子」にされないといけなかったのか? それはもちろん、それこそが一義的創作衝動であったからだろうと思います。女子高生と椅子との冒険を描きたい――という。それはいいのです。その初期衝動は物語を生む原動力であり、創作のごく普通のあり方でしょう。問題は、そのことに説得力が感じられない、ワタシ自身が納得できない、うまく騙せてもらえなかったことです。
そもそも、草太を椅子――鈴芽の幼少期、生前の母が手作りでくれたプレゼント――に変えた(憑依させた)、ダイジン(猫)の前半の悪玉ぶりが、結末まで知ってしまうと不自然に思えます。

みんなで普通に協力し合えばよかったのじゃないか? そんなムダに回りくどい真似をするのは、つまるところドラマを盛り上げるための観客へのミスリードであり、そうでないと「女子高生と椅子との冒険」というファンタジーが成立しない。そのためありきの無理くりさを、あからさまに感じてしまう。
――そんなところでしょうか。

作品の「評価」――良し悪しを論じるつもりはありません。好き嫌いで云えば、残念ながらワタシの好きなタイプではなかったというだけです。

そもそもが「シュミ」ではないとわかった上で観た人間――『けんかをやめて』が使われている、それだけの理由で鑑賞した河合奈保子ファン、そんな「招かれざる客」の個人的「感想」に過ぎません。
 

ダイジンが善玉にシフトすることなく、最後まで「理不尽な神」であり続け、その上で、鈴芽がその「神」すら凌ぐやり方で、草太と世界を救っていたら、ワタシの好みの作品になっていたかもしれません。
じゃあ、それ具体的にどういう筋立てでやるんだ? と訊かれたら、「急に云われても」――という、プレバトの梅沢富美男さんの決まり文句を口にするしかないのですが。


それでも、鈴芽と環(鈴芽の保護者で叔母)の大ゲンカには、グッと刺さるものがありました。
どんな仲良しにも、日頃口にしない「溜めこんだ気持ち」はあるものです。ふとした拍子に、それが噴き出してしまうことも。
ふたりともいいひと過ぎて、これまでそういう感情を表に出してこなさ過ぎたんだと思う。そうやって、たまには云いたいことを云い合って、適度にぶつかり合って、ぶつけ合って、ガス抜きすればいいと思う。適度にね。

 

(環)「あんね、駐車場で私が言ったこと… 胸ん中で思っちょったことはあるよ。でもそれだけやないと」
(鈴芽)「うん」
(環)「全然、それだけやないとよ」
(鈴芽)「私も。ごめんね、環さん」


それだけやないとよ。


やっぱりワタシって、こういうヒューマンドラマに弱いんですよ。

蛇足ですが、エンドロールを見るまで忘れてました。ヒロイン・鈴芽の声って、原菜乃華ちゃんなんだよね。可愛らしく美しい、そのルックスの素晴らしさもさることながら、それに負けず劣らず、演技者としてこの娘は素晴らしい。
新海誠のアニメーションのヒロイン役でブレイクだなんて、まるで上白石萌音の再来じゃないか。

 

※原菜乃華ちゃんについてもちょこっと触れた『泥濘の食卓』評。

多摩市・カナメさんからのリクエストは、もちろんこの曲、河合奈保子『けんかをやめて』。
ネコとイスのケンカを妄想しながら聴いてください。
神戸遊園地跡の決闘シーンで再生してみるのもアリかと。(実際にやりました)