(1)あの昭和アイドルソングの名曲がCDで蘇る
 

 

多摩市・カナメさんからのリクエスト、つちやかおり『恋と涙の17才』をお送りしました。
前回の日記に続き奇しくも「17才」続きになってしまったのは、ただの偶然です。これもなにかの巡り合わせでしょう。
このデビュー曲はもちろんのこと、シングル11曲(を含む全18曲)を収録した、つちやかおりのベストアルバムが発売されました。

恥ずかしながら四十年間、この曲が「カバー」であることをワタシは知りませんでした。
このアルバムの購入に先立ち、iTunesで「恋と涙の17才」を検索したところ、「つちやかおり」はヒットしませんでしたが、レスリー・ゴーアの原曲を始め、弘田三枝子、中尾ミエといった錚々たる顔ぶれがヒット!
この歳にして初めて知りました。知らずに死なずに、本当によかった。そのことだけでも、このCD発売には感謝しなければなりません。

もちろん、『恋と涙の17才』の全バージョン、聴き比べましたとも。
もちろん、つちやかおり版に軍配です。

確かにワタシは、四十年前の「つちやかおり版」の衝撃に、刷り込みをされてしまっています。そのバイアスは当然かかっています。それでも、つとめてそれを差し引いても、「つちやかおり版」の勝利は動きません。もちろん、ワタシの個人的「好み」に基づくジャッジですが。

 

ああ、もうすぐ夜が わたし連れに来るわ
せかせる夕陽を 引き止めておいて

なぜ、なぜ、こんなにあなたが好きなのに
少しさわられて 泣き出してしまうの


日本語カバーの詞は、弘田三枝子版、中尾ミエ版、ともに異なっており、歌唱とともに、その違いを際立だせています。
後出しジャンケンの有利はあるにしても、キュンキュン、グサグサ、胸に刺さり具合がハンパありません。
歌は最後に――
 

なぜ、なぜ、なんにも
してくれないの?


をリフレインし、フェイドアウトしていくのですが、そりゃあ、なんにもしませんよ。
泣いちゃってるんだから。
マトモな男なら、心ある男なら、なにもしない。できないですよ。

それでも構わず、なにかしてくるような男とは、即刻別れるべきです。
令和六年現在の、かおり夫人も、間違いなく同意してくださると思います。

(2)アイドルソングの真骨頂

「アイドルソング」のアイドルソングたるその最たる所以は、その年頃にしか歌えない点にあると思っています。

たとえば、この歌を二十三歳の女性に歌われても刺さりません。少しさわられて泣き出してしまう二十三歳……。
人の成長には時差があります。だから、そんな二十三歳の女性が現実にいてもかまいません。ですが、アイドルソングとして、世の中には通用しません。
逆に、十五歳以下でこれを歌うのも「アウト」です。「さわるな」という話です。

「十七歳」という絶妙の年齢、一生で束の間のこの年頃、この瞬間にだけ歌うことが許される。そんな「歌」――。

「三年B組金八先生」第1シリーズでデビューした当時リアルに中学3年生だった、つちやかおりが、二年の時を待って、この曲で歌手デビューを果たしたのは、まことにむべなるかな。それは大人たちの計算だったのか、それとも天の配剤か。
 

わからないの 動けないの
でも ほんとに好きなの


原曲を含め、これまでの歌にはなかった科白をはさんで、衝撃の詞(うた)が畳みかけます。
 

NO、NO、
まだ帰らないで、ねえ あきらめないで
そんな、悲しそうな 目付きをしないで


この続きは、自主規制します。実際にお聴きになってみてください。
続きは『つちやかおり ゴールデン☆ベスト』で。

(3)令和時代のコンプライアンス、そして風潮

さらに令和時代の今日では、この歌を17歳のアイドルに歌わせることは、もはや不可能です。

ですから幸か不幸か、今後この歌がこの詞そのままにカバーされることはありません。

オールディーズの名曲として、「歌」がカバーされることはあるかもしれない。けれど、「詞」がカバーされることはもはやありません。

だから、かおりさん。この「詞(うた)」は、あなただけのものです。永遠に。ずっとずっと。

加うるにもし仮に誰かが歌ったとしても、現代の風潮からいって、こうツッコまれてしまうことでしょう。

そんなにしたかったら、さっさと自分からチューでもなんでもしなさいよ?

それはまったくのド正論。
男と女はフィフティ・フィフティ。それはフェミニズムの観点から云っても正しい。
「なにもしてくれない」なんて嘆いているヒマがあったら、自分から襲いかかりなさいよ? あんたみたいな女がいるから、昭和の老害ジジイどもが「いやよいやも好きのうち」なんてほざくのよ。

それはまったく正しい。
それでも昭和の老兵として、ワタシはあえてこの時代の潮目に抗い、こう問いたい。

そこにロマンはあるのかい?

さわられて泣いてしまう、純情可憐な十七歳。
泣いてしまったけれど、でもほんとうはうれしい――。
彼女の涙におじけづき、彼氏は縮こまってしまう。それをじれったく思い、そのことを腹立たしくさえ思いながら、でも、自分からはなにもできず、「なぜ、なんにもしてくれないの?」ともの云わず問う少女の、いじらしいこと。かわいいこと。

ワタシがこうして昭和の歌の世界に浸るのは、ここに現代という時代の砂漠の、オアシスがあるからかもしれません。


2024.03.29 一部加筆