544th  徳川秀忠 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

僕は小さい頃から歴史が大好きなので覚えているのですが、僕が小学生や中学生の頃は、徳川二代将軍の徳川秀忠という人は、偉大な創始者の暗愚の二代目の典型とされていました。

そもそも、偉大なる創始者という存在自体が、滅多に現われるわけではないのですから、その後を継いだ者が、初代と比べられて、劣っていると言われるのは致し方ない部分があります。

豊臣秀吉の後を継いだ豊臣秀頼も散々に言われていますし、よく引き合いに出されるの劉備の息子の劉禅などは、もう最低の言われ方をしています。

徳川秀忠の場合は、天下分け目の関が原の合戦の時に、必要も無いのに真田氏と戦って、城を落とせず、挙句の果てに合戦に間に合わなかったということで、暗愚の二代目の典型とされてきました。

地上の人々は、ラベリング(レッテルを貼るということ)が大好きなので、その格好の標的にされたのだと思われます。

しかし、最近では歴史の研究も進み、名君と言われる三代将軍徳川家光や八代将軍徳川吉宗よりも評価が高い場合があります。

実際に、徳川家康の大御所政治が終わると、次々と統一国家の統治機構を整えていって、徳川幕府の礎を築きました。

他にも多くの息子がいた中で、徳川家康が後継者として指名したのには、ちゃんと理由があったわけです。

しかし、後世まで関が原の合戦の一件が取り上げられて、ずっと暗愚だと言われ続けたのです。

地上で生きていく以上、どうあがいても動物の身体を維持するために全てを優先しなければならないのですから、所詮、地中の人間はその程度であって、完全などと言う表現とはほど遠い存在です。

だから、失敗や過ちなど毎日のようにおかすわけですし、それ自体は防ぎようがありません。

何もしなければまだしも、何かをやろうとすれば、必ず失敗は伴うものなのですから、その点ばかりを気にしていたら何も出来なくなってしまいます。

高級霊魂が求めているのは、完全ではなくて、霊的に進歩向上しようとする真摯な気持とそれに伴った行動であって、いちいち失敗をあげつらってその真摯な思いを否定することではありません。

そして、例え大きな失敗をしようとも、それを教訓にして前に進もうとする人にレッテルを貼るようなことはされないでしょう。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


地上では弱肉強食の激しい競争が一生続いていくので、人は、他者を低く見たり、他者を蔑んだりすることによって安心するという性質があります。

動物の肉の身体を着てしまった以上、やむを得ないことではありますが、霊的な進歩向上というのは他者と比べるものではありません。

ところが、肉の世界の理屈をどうしても霊的なことにもあてはめてしまうというところが、人間の悲しい性なのです。

しかし、神霊や高級霊魂はそのような物質界の基準ではご覧になっていないでしょう。

もちろん、一度、自由意思を行使して、高級霊魂とのつながりを切ってしまえば、その自由意思の結果が重んじられ、その事実が変わるとことはないのかも知れませんが、そうでなければ、失敗から教訓を得て再度挑戦しようとした時に、高貴な存在が、それをほっておくということはないと思います。
人はそれぞれの事情で地上に再生され、それぞれの境遇があります。

そこに隠されたものは、絶対に他者には分からないことです。

従って、誰にも全てを分かってもらうことは出来ないのですが、同時にそのことによって、他者から辱めを受けなければならないということは絶対にありません。

だからこそ、人は地上に再生された以上、社会のルールの枠内の中で、自分で考え、自分で努力して、生きる意味を知り、その目的を果たすべきなのです。

何もかもが、苦悩に満ちているかもしれませんし、今はいつ天災や人災に巻き込まれるか分かりません。

それでも、事実は事実として存在し、法則はその通りの結果を導き、最終的な判断は個々の自由意思に全てが委ねられているのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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