「転職から天職、氏名は使命、改名から解明」~ことだまメッセージ

「転職から天職、氏名は使命、改名から解明」~ことだまメッセージ

あなたの名前にはあなたが生まれ持った使命・役割が隠されています。
あなたの名前の秘密を解き明かす「名前のことだま」。
一番身近なところに、秘密の鍵があるのです。
一番身近なところ・・・それは親からもらった貴方の名前です。

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暑い日が続きます。
ことだま教師です。

しばらくブログをお休みしておりました。
現在、ブログのリニューアルをしておりますので
もうしばらくお待ちください。
マザーテレサは次の言葉を残しています。

「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」

好きとか嫌いとかの感情を持つのは
そのものに対して興味、関心を持っているからです。

関心のないものには何ら感情が湧いてきません。
どうでもいいということです。

このどうでもいいがくせ者です。

私は名前から使命を紐解く話をしていますので
講座をやるときなどに受講者の方に名前について
どう思うかを聞いています。

名前が好き、名前が嫌いとはっきり答える方もいますが
一番多いのが何とも思っていない人です。

自分の名前を好きでも嫌いでもない人が圧倒的に多いのです。
つまりどうでもいいのです。
名前に無関心の人が多いのです。

マザーテレサの言葉を借りると愛の反対は無関心なら
名前に無関心ということは自分を愛していないことに通じます。

名前に無関心なのはさまざまな原因があると思います。

名前を単なる人と区別するための符号ととらえる人もいますし、
親の子どもに対する期待であり、自分とは関係ないと思う人もいます。

名前=自分なので名前に対して無関心なのは
自分を愛していないことに繋がってしまいます。

名前の由来を聞くだけでは、多くの人は名前に興味を持つことは
少ないことを多くの人の名前を見ることで感じてきました。

名前に意味を込めて伝えることで、名前に興味を持ちます。
名前が動いてくるのです。

名前に含まれた親の思いを伝えるだけでは少し弱いです。
名前に自分がこの世に生まれて来た意味を伝えることがです。

あなたが必要ということを伝えることが必要です。
人は必要とされると力が出てくるからです。

名前に向き合ってみる。
名前に関心をもってみる。
それが名前を愛する第一歩になるのです。




美輪明宏は次のことを語っています。


「ありのままの私を受け入れて」

なんていう女はムシがいいのよ。
ありのままのお前がなんぼのもんじゃっていうのよ。
なんの努力もしないで、ずうずうしい。
例えば畑の大根だって、
引き抜いて、泥を落として、皮をむいて、千切りにするなりして、
お皿に盛って、「はい、召し上がれ」って、
それで美味しく受け入れられるんでしょう。
泥だらけの大根を突き出してさあ食えって、失礼だと思わない?



ありのままの自分を受け入れて欲しい、
こんな思いを持っている人が多いのでしょう。

美輪明宏はそんな思いを持つ人に対して
努力もしないで、ありのままの自分を受け入れて欲しいなんて
なんてずうずうしいと喝破しています。

それを大根にたとえて。

それでも、ありのままの自分を受け入れて
そんな思いを持っている人に対して
次のことばを送りたいと思います。

すべての人はありのままの自分を受け入れて貰ったから
今、生きているのです。

赤ちゃんの時に、何もできず
泣きたいと時に泣いて、気分が悪ければぐずり
そんな状態でも、おしめを替えてくれて
ごはんを食べさせてくれて、なだめすかせてくれて
まったくありのままの私を受け入れてくれた親がいたからこそ
大きくなってきたわけです。

ありのままの自分を受け入れて貰うのは
未来永劫では無く、ある時期にそうであればいいのではないでしょうか?

すでに私たちは赤ちゃんの時に
ありのままの自分を受け入れて貰ったわけです。

それをただ思い出すだけでいいのです。
努力もしないで大人になった今、
ありのままの自分を受け入れて欲しいと願ってもそれは
無理な注文と言うことです。

ただ思い出すだけ。
ありのままの自分を受け入れて貰ったことを。
名古屋は今日も暑い一日でした。
こんな暑い夏は久しぶり、そんなことを感じています。


「幼稚舎に落ちる理由はないが、受かるには理由が必要」

このタイトルにひかれて大岡史直氏の著書「子どもはなぜ跳び箱を跳ばなければならないか」を
読んでみました。

大岡史直さんは毎年多数の慶應幼稚舎合格者を輩出する
「ジャック幼児教育研究所」の理事をされています。

幼稚園児を持つ親の必読書ということでさまざまなアドバイスが
書かれてあります。とても参考になります。

その中に次のことばがあります。


「ありがとう」の言える子、言ってもらえる子


母親が
「ありがとうはしたの?」
「ありがとうってちゃんと言ったの?」
と子どもに声をかける姿をよく見かけます。

中略

しかし「ありがとう」と言うだけでは、やってもらってばかりと
いうことになります。できることなら、その先を目指したい。
つまり「ありがとう」と言える子であると同時に
「ありがとう」と言ってもらえる子になるということです。


この箇所を読んで全くその通りと思いました。

「ありがとう」のことばを数多く口にすることの大事さを
伝える人はたくさんいますが、「ありがとう」と人から言ってもらえる
ことがもっと大切と日頃、みなさんに話していますので
とても共感しました。


ここ最近、ありがとうを言いましょうという流れを見ていると
幼稚園児に「ありがとうって言ったの」と諭す母親のようではないかと
思いました。

多くの人たちが子ども、幼稚園児なのかもしれません。
今、多くの人たちが本当の大人になっていく必要があるのを
さまざまな現象を通して強く感じています。