マザーテレサは次の言葉を残しています。
「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」
好きとか嫌いとかの感情を持つのは
そのものに対して興味、関心を持っているからです。
関心のないものには何ら感情が湧いてきません。
どうでもいいということです。
このどうでもいいがくせ者です。
私は名前から使命を紐解く話をしていますので
講座をやるときなどに受講者の方に名前について
どう思うかを聞いています。
名前が好き、名前が嫌いとはっきり答える方もいますが
一番多いのが何とも思っていない人です。
自分の名前を好きでも嫌いでもない人が圧倒的に多いのです。
つまりどうでもいいのです。
名前に無関心の人が多いのです。
マザーテレサの言葉を借りると愛の反対は無関心なら
名前に無関心ということは自分を愛していないことに通じます。
名前に無関心なのはさまざまな原因があると思います。
名前を単なる人と区別するための符号ととらえる人もいますし、
親の子どもに対する期待であり、自分とは関係ないと思う人もいます。
名前=自分なので名前に対して無関心なのは
自分を愛していないことに繋がってしまいます。
名前の由来を聞くだけでは、多くの人は名前に興味を持つことは
少ないことを多くの人の名前を見ることで感じてきました。
名前に意味を込めて伝えることで、名前に興味を持ちます。
名前が動いてくるのです。
名前に含まれた親の思いを伝えるだけでは少し弱いです。
名前に自分がこの世に生まれて来た意味を伝えることがです。
あなたが必要ということを伝えることが必要です。
人は必要とされると力が出てくるからです。
名前に向き合ってみる。
名前に関心をもってみる。
それが名前を愛する第一歩になるのです。