1824th  信じる | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

宗教を信じるとはどういうことでしょうか。

本来の意味と物質界の一般的な基準は違うような気がします。

神のごとく存在を信じるということでは差違はないと思うのですが、どうしても一般的には己の都合との一致がキーポイントになっているような気がします。

結局ご利益信仰ということになるのですが、このことは単純に語れません。

水波霊魂学では、ご利益を求めて信仰するということに意味を見いだせませんが、何かのきっかけ、最初の一歩という部分ではそれは致し方ないことでもあります。

誰もが地上で生身の人間として生活しているのですから、何らかの苦悩や問題を解決したいという強い思いが、宗教に目を向けるきっかけになることがほとんどだからです。

僕の妻のようになんだかわからないまま、今もよくわからないけれども中伝までいってしまったというパターンもないわけではありませんが、なんの苦悩も感じていない人が宗教に目を向けるということはあまりないでしょう。

ただ、地上で生きている以上、苦悩やどうしても達成したいことが皆無ということはありませんから、霊的修行者になってから人生最大の試練が訪れるということも有り得ます。

霊的に成長する上で、どうしても乗り越えなければならない壁というものは誰にもありますから、それがいつどんな形でやってくるかわかりませんが、皆無ということはないと思います。

そのような過程のなかで、霊的修行者にとっての信じるという意味が問われていくのだと思います。

一般的には信じるというよりも洗脳されるということが危険だと言われています。

僕もそう思いますが、完全に洗脳されてしまっている状態のご本人の精神的な負担というものはある時期にはとても幸せなものなのかも知れません。

自分でなにも考えず、余計なストレスを受けずに生きている状態が続くことは現実からの逃避なので、完全にその状態にハマっている時には一種のトランス状態のようになっていて気持ちが良いかも知れません。

もちろん、そんな状態の中でも意識の中ではこれはおかしいとか、苦痛であるという心理もあるでしょうから、それとの戦いになると劇薬を使った時のような苦悩が押し寄せてくると思いますが、完全支配に近い状態だと精神的には楽なのかも知れません。

水波霊魂学は、当然、洗脳を否定していますが、それとは正反対の自由意思が重んじられているということは、結局、アドバイスは受けられても、自分の力で壁を乗り越えていかなければならないので、なにかを乗り越えても、次の壁が現れれば苦悩が完全になくなるということはないので、洗脳状態ののような楽な状況が訪れるということはなかなかないと思われます。

それでも、信じることができるかということですから、なかなか霊的修行者になる方が増えないのももっともなことだと思います。

しかし、状況はそんなことを言っている場合ではなくなっています。

以前に何回か書きましたが、ノアの方舟のような状況だと思います。

ノアの方舟は物理的なものではなく、人が霊的に目覚められるか否かという問題だと思います。

誰も信じません。

しかし、やはり信じるものは救われるのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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