RW 10th Anniversary ~祝杯はまたの機会に~
須々木です。
10年前の今日、横浜で一つのサークルが始動しました。
その名も・・・ Random Walk!
というわけで、本日、Random Walkは始動10周年を迎えました。
まずは、ここに至るまでお世話になった多くの方、気に留めてくれた多くの方に心より感謝を。
どうもありがとうございました!!
せっかくの節目ということで、本日、メンバー5人がそれぞれブログ記事を更新することになりました。
僕もその中の一人として、軽く今の心境など触れておきたいと思います。
さて、いきなりですが――
祝! Random Walk始動10周年!
・・・と言って良いものか?
これについては、実はそこそこ微妙という感覚が個人的にはあります。
いや、実際には間違いなく、めでたいのですが。
この「微妙」というやつの原因は、このサークルが「続けることに意義がある」と思って動いているわけではないため。
そして、この感覚は、多分サークルのメンバーみんなで共有されている感覚だと思います。
この10年のどの時点においても、常に「この先こうしたい」というところをサークル内で非常にクリアにして活動してきました。
そして、もちろん、そう簡単に「この先こうしたい」のリストを倒していけるわけではありません。
なので、常に何重もの飢餓感を静かに抱いて進んでいる感じがします。
だから、「祝ってる場合じゃないんだよなー」という感覚が強いです。
まだまだ足りぬ!・・・という感じで。
「始動10周年」というやつも酒の肴にはなるかもしれないけれど、本当は、自分たちで狙い定めて仕留めた獲物で盛大に乾杯をしたい。
待っていれば勝手にやってくるものではなく、もっと得がたいものを豪勢に並べて本当のお祝いをしたいですね。
始動した当初は、「三日坊主じゃないけど、三ヶ月続けられるかがヤマだな」みたいなことを言っていました。
それが気付けば10年。
時間が流れるのは速いなあと思うばかりです。
自分は、メンバーの中では唯一、いわゆる創作活動というものが日々の生活の一部になっていたタイプの人間ではありません。
話を考えるのは昔から好きだったし、創るということに関して「チャンスがあればいずれ」という気持ちは常々持っていたけれど、まだだいぶ先のことだろうな・・・。
そんなことを思っていたところでRW始動となりました。
始動からしばらくは、創作するというより、裏方的な感じの役回りでやっていて、まともに創作に絡むようになったのは、サークルで初めてノベルゲームを制作したあたりから。
他のメンバーが、以前から蓄積してきていた創作ノウハウを発揮しRWで活動していく中、僕はRWが始まってから学ぶことや身につけたことの割合が圧倒的に高く、その意味で分かりやすく世界が広がった感があります。
もともと興味はあったし、肌にあっているけれど、なかなかやるきっかけがなかったので、RW始動の影響はかなり大きいです。
この先のことについて。
「この先どうしていきたいか」「どうしていくつもりか」というのは、自分の中では常に結構整理されていますが、ここで語るのはやめておきましょう。
ある程度付き合いのある人は分かるかもしれませんが、僕は、物凄くきっちり計画を組んで着々とこなしていくタイプではなく、一方で、思い付きだけで衝動的に動くタイプでもありません。
日頃いくつものパターンのアイデアをためておいて、その時々で条件を満たしたもののランプが順次点灯&起動していくような感じです。
将来どうなるか分からないけれど、どのような状況でも楽しんでいきたいので、アイデアの手札は幅広く持っていたいものです。
そもそも、先が分からない状況の方が個人的には楽しいというのもあるので、幅の広さはかなり重要です。
ただ、いずれにせよ、それらのアイデアリストのベースにはRWがあるので、とりあえず、RWがこれからも楽しく刺激的な場であり続けることが第一と思っています。
夢と現実の両方を吸い上げ、多少寄り道しながらも前進し続けていくサークルであり続けて欲しいです。
外部から見たらなかなか掴みどころのない不思議なサークルなんだろうなと思いつつ、それでも気付けば結構な人にRandom Walkの名を知ってもらえるようになり、嬉しい限りです。
そして、たぶん今後もなかなかよく分からない不思議なサークルであり続けるんだろうと思います。
さらに言えば、「よく分からない不思議なサークルだけど、なんか面白そうだな」と思ってもらえるくらいが、個人的にはちょうど良いと思っています。
今後も、酔っ払いの千鳥足のようにわけの分からない動き方をするかもしれませんが、ほんのり温かく見守ってもらえると幸いです。
sho
RW 10th Anniversary ~真剣に、たのしく道を創る~
こんにちは、遊木です。
本日10月1日は、創作サークルRandom Walkの結成記念日です。そして、今年はサークルが始動してから10年の節目でもあります。
まず、この10年間様々な形でRWと関わり、直接的、または間接的にサークルを支えて下さった沢山の方々にお礼を申し上げます。
10年と言えば、中学に入学し、大学を卒業するのと同じ年月ですね。同等の期間、RWとして活動してきたと考えると、なかなかに感慨深いものがあります。
とはいっても、まだまだ道半ばの挑戦者ということに変わりはありません。途切れさせず、10年の経験を積み重ねたことは一つの成果かもしれませんが、そこで得たものをブラッシュアップし、次のステージに繋げてこそのサークル活動です。
10年と聞くとそれなりの長さを感じますが、RWのメイン活動であるミーティングは月に2回。
単純計算で、10年×12ヶ月×月2回=240回が、サークル結成以降、RWが行ったミーティングの回数になります。
この数字をどう捉えるかはメンバーによっても違うと思いますが、240回は大体、常時の大学生が1年間で登校する日数と同じくらいではないでしょうか。つまり、我々はまだ1年生分の活動しかしていないんですよね……。(もちろんオンラインでの意見交換や、ミーティングでは足りない分を補う活動もありますが)
私個人としては、進度のペースアップを図りたいのが本音です。10年で大学1年分は、お世辞にも良いペーストとは言えません……。しかし、それぐらいの活動期間で、結構な数の制作物や企画をこなしてきたことは、今後の自信と期待に繋がります。ペースアップの先に自分たちはどのくらいのことが出来るのか、と。
目下の目標は、やはり「メンバー共有の作業場を得る」(それに耐えられるだけの能力をサークルで確保する)ことでしょう。この課題のクリアが、進度のペースアップや、より活発な意見交換、技術や知識の共有、充実した創作活動に繋がると考えます。
とはいっても、部屋を一つ確保し続けることは、口で言うほど簡単なことではありません。メンバーが創作時間を削り、部屋を維持し続けるために資金を稼ぐシステムでは、目的が逆転していて意味がない。資金の確保は重要ですが、それはサークルが至上と掲げている“自由な創作”の延長線上になければならないのです。まったくもって贅沢な条件ですが、これを違えてはRWである意味がない。
作業場の確保。なかなか転がらない問題として、我々を悩ませてきたこの案件に、ほんの少し動きが見え始めたのがここ2年ぐらいです。詳細は書けませんが、この2年で見えてきた光明を無駄にしないよう心掛け、今後の活動を続けていきたいと思います。
実は10周年を迎えるにあたり、自身の思考整理のためにいくつかキーワードをあげていました。本当はこのキーワードに沿ってブログも書くつもりでしたが、語ると長くなる題材ばかりだったので、今回まとめて書くのではなく、何かきっかけとなる出来事があったときにでも語ろうと思います。
というわけで、今回はキーワードだけ列挙。
・個人創作と集団創作の実態。
・同人、商業、趣味、仕事の包括。
・自由と不自由の必要性。
・サークル外部との繋がり方。
・「超結果重視型システム」の成果と弊害。
・「たのしむ」という支え。
約10年前、私たちが活動を始めた5ヶ月後、東日本大震災がありました。そして今年、10周年を迎える5ヶ月前、私たちはコロナ禍故の緊急事態宣言の中にいました。
このような災禍に見舞われたとき、ふと、創作について改めて考える瞬間があります。
3.11のときは、創作界隈で「こんなときに創作活動をしているのって、なんだか不謹慎じゃないか……」という空気が流れていました。私自身も、どう振舞うべきか悩み、気持ちが揺れていた時期があったように思えます。
しかし、今回のコロナ禍では、気持ちの振れ幅が10年前とは少し違いました。立ち止まるのではなく、粛々と創作を続けることで、自分の創作活動や生活自体を俯瞰していたような、そんな感覚です。そして、この感覚こそ、10年で身につけた大切な財産なのかもしれません。
実は、10年間RWが存在していたことに、あまり大きな意味があるとは思っていません。特に何もしなくても時間は流れるからです。
しかし、10年の間、一度も創作活動を止めなかったことは、自分自身とサークルを支える大切な土台になると思います。
水滴でも、やがては石を穿つといいますし。
……まぁ、私たちの時間は有限ですので、当然そのことは考えなくてはいけませんがね。
この10年間、おふざけの企画から真剣なプロジェクトまで、様々な挑戦をしてきました。
展覧会、取材、旅行など、実際に見て体験することも大切にしてきました。
そんな10年間の活動記録については、本日から開始した結成10周年企画で項目ごとに振り返っています。よろしければ、作業BGMなどにゆるりと聞いて下さると嬉しいです。
「乱れ歩きも 酔いの歩きも 十も巡れば 道となる」
不規則に、でたらめに進んでいるような歩みでも、貫けばやがて、自分たちの筋となる。
筋が通れば、やがてそこに道が出来る。
道が出来れば、見知らぬ誰かもそこを歩むようになり、やがて周囲に街ができるかもしれない。
またここからの1年、5年、10年、RWという道をしっかり踏みしめていこうと思います。
aki
【RW10th】略して乱歩酔歩 第1回配信!
どうも遊木です。
本日より、Random Walk結成10周年企画「乱れ歩きも 酔いの歩きも 十も巡れば 道となる」(略して乱歩酔歩)を開始致します。
この企画はRWメンバーが、過去10年の活動を振り返ったり、普段は発信していない日常の雰囲気を再現したり、サークルやメンバーの情報を改めて発信する、トーク動画となっております。
個人の制作が忙しい現在の体制を考慮し、1年半ほど前から隙間の時間を使って少しずつ準備を進めました。
基本的には、メンバーがサークルトークを繰り広げている音声のみの動画ですが、OP曲、途中のアイキャッチなどには小ネタが含まれております。お時間がある方はぜひ見て頂けると嬉しいです。
今後、項目ごとに収録したものを月に2~3本、半年ほどかけて更新する予定です。
長さはまちまちですが、どれも作業BGMとして軽く聞き流すような内容ですので、ぜひ作業のお供にどうぞ。
というわけで、記念すべき第1回目の更新です。
【RW10th】らんすい学園 特別授業 RWを勉強しよう!【略して乱歩酔歩#01】
収録;Random Walk
動画編集;遊木秋勇
OP曲;yokoyamongoose
BGM;久世康絢
初回はプロローグのようなもので、自己紹介代わりにサークルの基本的な情報(設立の趣旨、目標、体制についてなど)を改めてお届けします。
実は、横浜創作オフ会などでもたまに、RWの基本情報について質問を受けます。サイトに載せていても、やはり、なかなか読まれることが少ない項目なのでしょう。
RWの活動に興味がある人も、まず押さえておいて欲しい情報でもあるので、この機会に改めて発信することにしました。
基本はすべてサイトに記載されている内容なので、本編の雑な小芝居のせいで全然頭に入らなかった人は、サイトを見れば同じ内容が記載されています。
……そうです。トーク企画のくせに、初回から小芝居をしています。
もともとこの項目は、「淡々と情報だけ読んでも絶対につまらない」という意見があったので、どういうわけだか「じゃあ、なんか雑な小芝居でもしたら……」という流れになりました。
なので、もちろん本気の本気で演技をしているわけではありません。しかし、今になって考えると「もう少しやりようがあったのでは?」と思う程度には、頭を打ち付けたくなるデキです。ぅ……頭が…ッ。
サークルの土台部分を話しているので、結構重要な項目ではあるんですけどねぇ……勢いって怖い。
個人的に、ノリで教師役をやらされたことがいまだに解せません。
いつかメンバーには仕返しをしたいと思います。
aki
3DCG映画『アダムス・ファミリー』を見て来ました。
良い感じの気候になって過ごしやすい日が続き思わずニッコリ。こんにちは米原です。でももう9月が終わる!怖っ!
先日、『ミッドサマー』ぶりに映画館で映画を見て来ました!いや~やっぱり大画面で見るの楽しい~最高~。今ビックリするくらいどこの劇場でもガチガチにコロナ対策してますね。マイナスイメージを払拭する為にすごい頑張ってる。座席に関しては1つ開けて座るの快適すぎてもうずっとコレでも良いんだが…。前回のブログでも少し書きましたが、実写映画『アダムス・ファミリー』1・2は子どものころから大好きな作品なので、このホラーコメディシリーズをまた見られると思うと嬉しかったです。
アニメーション作品ということで日本語吹替のみの公開でしたが、俳優陣のキャストの演技も結構合ってたと思います。ママのモーティシアと娘のウェンズデーは常に淡々としゃべるってるのがむしろ良い所ですし。ファミリーが全員キャラが濃すぎて最高なのもありますが、現代アレンジされたお話や演出も良かったです。いつの時代になってもあのファミリーのノリと雰囲気は相変わらずだったなぁ~と安心感すらありました。安定した独特の面白さ。あと例のテーマ曲もしっかり引き継いでくれていたのがとても嬉しい。5000点。
最初はシリーズが再始動したことが嬉しい反面、「CG映画かぁ~子供向けに調節されてるだろうしあの不気味さとブラックユーモアさが抑えめにしてあるんだろうなぁ~」と思い、正直そこまで期待していなかったのですが、予想してたより全然楽しめました。不気味さとブラックユーモアも確かに控えめだったかなという印象ではあるんですが、自分が思ってたより気にならない塩梅でした。
原作は絵本か児童書だったかな?と思っていたですが、調べてみたら雑誌『ザ・ニューヨーカー』の一コマ漫画が元で、ドラマ化やアニメ化の際に設定も色々追加され変更されて行き今の形になったみたいですね。アダムスは作者の名前から来ていて、最初は『著者アダムスの描く一家』という意味だったみたいですね。いやぁ~すごいな。今の形に至るまでに色んな人の手が入り過ぎてどの会社が権利を持っているんでしょうね。今回の映画はユニバーサル・スタジオだったのでユニバが持ってるんですかねぇ。謎だ。日本でも人気になればUSJにアトラクションとして来てくれるかもしれない。というか今年のハロウィンからもう来てくれて良い。コロナだしダメか?
また実写映画も見たくなって来てウズウズしております。映画見た後にGetWildを背負ってビデオレンタル屋に向かったんですが、やはりというか、全部借りられちゃってましたね。はい。子ども心ながらすごい(特に撮影セットというか美術や大道具が)良くできた印象だったんですが、wiki先生によると巨額の製作費がかかってたみたいですね。また巨額で作った映像を浴びたい。
去年までは『最近の実写映画は頑張ってるな!』って感じで元気だったんですが、最近はまた『やっぱり実写映画はクソだな!!!!』て心が荒み切ってたんですが、アダムスファミリーのお陰でまた元気になって来ました。ありがとうアダムスファミリー。令和の時代でもそのままであってくれ。
それではまた来月に。失礼いたします。
noz
時勢の影響と試行錯誤 ~第23回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~
須々木です。
先日、第23回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に行ってきました。
会場は、前回に続き日本科学未来館です。

会期は、9月19日から27日までだったので、もう終わってしまいましたが。。
もう少し会期を長くとってもらえると良いんだけどなあ・・・と思いますが、大人の事情があるんでしょうかね。
せっかくなので、簡単に感じたことをメモしておきます。
「文化庁メディア芸術祭とはなんぞや?」という人は、先に公式サイトなど見てください。
もしくは、過去の受賞作品を眺めるだけで、雰囲気くらいは分かるかもしれません。
また、2011年より毎回行っている(遊木、須々木は皆勤)ので、このブログでもかなりの回数、取り上げられています。
かなりボリューミーな記事もあるので、興味があればご覧あれ。
《当ブログ内の「メディア芸術祭」関連過去記事》
▽ 文化庁メディア芸術祭(2012-02-28 by aki)
▽ メディア芸術祭に行って思ったことなど(2012-02-29 by sho)
▽ とりあえず忘れないうちに走り書き~第16回文化庁メディア芸術祭(2013-02-22 by sho)
▽ 何故だろう何故だろう?(2013-02-28 by aki)
▽ 一区切り…?メディア芸術祭感想(2014-02-10 by aki)
▽ 偏在する相転移 ~第17回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(2014-02-16 by sho)
▽ 迷走なのか、迷走の忠実な反射なのか ~第18回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(2015-02-25 by sho)
▽ 選択を求められる「メディア芸術」 ~第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(前)(2016-02-12 by sho)
▽ 選択を求められる「メディア芸術」 ~第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(後)(2016-02-13 by sho)
▽ 第19回メディア芸術祭感想 ― 価値ある無駄の到達点へ(2016-02-14 by aki)
▽ 第20回文化庁メディア芸術祭感想① ―今、「直感的楽しさ」を見つめ直す。(2017-10-06 by aki)
▽ 第20回文化庁メディア芸術祭感想② ― 「共感」か「伝達」か、それとも。(2017-10-31 by aki)
▽ 第20回文化庁メディア芸術祭感想③ ― モノクロで世界を創る(2017-11-06 by aki)
▽ 第20回文化庁メディア芸術祭感想④ ― 芸術を希求する。芸術に希求する。(2017-11-30 by aki)
▽ アート界隈の言語表現はなかなか面白いと思う。(2019-06-19 by sho)
いくつか印象に残った作品をご紹介しつつ、感じたことをつらつらと。

[ir]reverent: Miracles on Demand (Adam W. BROWN)
アート部門の大賞作品です。
メディアインスタレーション、バイオアート。
作品の説明は、作品タイトルのリンク先を見てください。
ネルフが隠し持ってそうな雰囲気が漂っていました。
近年チラホラとバイオアートを見かけますが、大賞は初めてのはず。
すごく勝手な感想ですが、今回のアート部門大賞は、例年と比べ分かりやす過ぎて、逆に拍子抜けした感はありました。
俗っぽさと高尚さが同じ場に集結して混沌とした感じがメディア芸術祭の面白さと思っているところもあるので、難解高尚な要素が減ると「あれれ・・・」という。
between #4 Black Aura (ReKOGEI)
アート部門の優秀賞です。
メディアインスタレーション。
メイキング動画が流れていましたが、別の文脈で培われた技術が出会い生まれた造形には、新たな可能性を感じます。
伝統工芸の職人芸と3Dプリンターは、相対するものではなく、うまく融合させることもできるという好例でした。
今回の作品は実用性を求めているものではありませんが、ゆくゆくはより一般に向けた製品も生まれるのではないでしょうか。
amazarashi 武道館公演『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』 (『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』プロジェクトチーム)
エンターテインメント部門の優秀賞。
公演の様子が四面モニターで流されていましたが、個人的には、これが大賞で良かったのではないかと思いました。
発想の軸が強くて、技術先行型の軽さがなかったのが良かったです。
球小説 (YouYouYou)
今回より新設された「フェスティバル・プラットフォーム賞」の「ジオ・コスモスカテゴリー」受賞作品です。
映像インスタレーション。
展覧会会場を活用しようという試みは、過去のメディア芸術祭になかった発想なので、今後に期待したいです。
海獣の子供 (渡辺歩)
アニメーション部門の大賞作品です。
五十嵐大介の漫画を原作とした劇場アニメーション作品です。
僕は、劇場アニメを見てから、原作漫画を読みました。
同年は話題性では「天気の子」が圧倒的でしたが、両方みた感想として圧倒的に「海獣の子供」だったので、納得の受賞です。
なお、「天気の子」は、今回より新設された「ソーシャル・インパクト賞」を受賞しました。
原作漫画と劇場アニメでは、表現や終わらせ方に差がありますが、それぞれのメディアの特性を最大限活かしたものだと思います。
そして、「分かりやすさ」の追求が義務付けられたかのような現代において、このような「分かりにくさ」が評価を受けることを嬉しく思います。
ごん (八代健志)
アニメーション部門の優秀賞。
短編アニメーション。
新実南吉による児童文学「ごんぎつね」を原作とするストップモーション・アニメーションですが、ディテールへのこだわりが作品に魂を与えるという好例でした。
撮影現場の記録映像もありましたが、信心を示すべく仏像を切りだすような、単なる情熱とはまた異質な没頭を感じました。
向かうねずみ (築地のはら)
アニメーション部門の新人賞。
「短編アニメーション」としてアニメーション部門に出されていますが、他部門でも良かったのではないかと。
発想の面白さは、今回見た中で一番だった気がします。
デジタル機器をシンプルに組み合わせながら、妙にアナログな雰囲気でシュールな可笑しさを生み出している気がします。
作品解説(作品名のリンク先参照)にある「毎日のようにねずみを描いていた作者は、このことを他人事と思えず」というのが、結構ツボでした。
以下、全体を通して、さらにつらつらと。
まず思ったのが、「メディア芸術祭のアート部門」の意義についてです。
「メディアアート」という絞った的を先行して攻めていた感のある「メディア芸術祭のアート部門」ですが、いろいろ見ていると、特に「メディアアート」に絞っていない他の現代アート展が追いついてきた気がします。
以前は、ある程度明確に差別化されていた気がしますが、最近は徐々に差を感じなくなってきました。
今の時代、アートをつくれば基本的にはメディアアートになるだろうという気もするので、当然の流れだとは思いますが。
というわけで、埋没してしまわないかと、いらん心配を少々しております。
漫画やアニメーションは、やはり確固たる型を持っているなと(良くも悪くも)。
しかし、それ故に、経年変化を見るには良いサンプルかもしれない。
「アート部門」「エンターテインメント部門」で“流行り”がどんどん変わって行くのを横目に、控えめな変化で妙な安定感を誇っている気がします。
そんな中、「マンガ部門」の大賞が2年連続で「ロボット」「サイボーグ」をテーマにしたものである点は少し興味深いです。
今回のメディア芸術祭では、4大部門それぞれに「ソーシャル・インパクト賞」「U-18賞」が新設されたり、4大部門とは別枠で「フェスティバル・プラットフォーム賞」が新設されたりして、新しい取り組みを印象付ける面もありました。
受賞作品の幅の広さが魅力の一つであるメディア芸術祭において、評価軸が増えるのは良いと思います。
メディア芸術クリエイター育成支援事業のコーナーがありましたが、そこで発表されていたものは、いずれも興味深かったです。
普通にこちらの展示ももっと拡充させてほしいなと。
前回消滅した「紙の受賞作品集」(代わりにウェブで無料閲覧可能とした)。
それが、今回、一応復活しました。
個人的には「メディア芸術祭」において、受賞作品集の情報は不可分の要素と思っているので、それを物体として残せる紙媒体は必要と思っています。
勿論、コスト的にいろいろ厄介な問題はあると思いますが。
どんなイベントも時勢の影響は受けるものですが、メディア芸術祭も例にもれず。
作品そのものに影響が現れるのは次回以降だと思いますが、受賞作品展においても当然影響を感じました。
海外在住クリエイターの作品の展示は、おそらく様々な妥協があったのだろうと推測できます。
例年、体験型の作品は実際にその場で体験できるパターンが多いのですが、今回はほとんどそういうものはありませんでした。
ただ絵画や彫刻を眺めるような展覧会ではないので、これは相当なやりにくさがあったと思われます。
普段より「ライブ感」がなかったように思いますが、こればっかりはしょうがないですね。
代わりに、ネット上のコンテンツはより充実していました。
なお、受賞作品集の選考委員講評を見ると、選考過程において「あいちトリエンナーレ」の影響はそれなりにあったのかもしれないと感じました。
例の騒動は、「文化庁」も無関係ではいられませんしね。
メディアアートの特性として、展示の際の時間的空間的な制約の影響は大きく、どうしても作品の力をあますことなく伝えるのが難しいのは理解できます。
しかし、一方で、その難しさを、できるだけ克服して、来訪者に肌感覚で伝えるのが展覧会の責務だとも思います。
特に、メディアアートにおいて、「伝える」は土台のはず。
今年はいろいろ大変だったと思いますが、それ以前からの課題だとも思うので、是非追究して欲しいところです。
以前の受賞作品展と比べて、単純に、展覧会で見ることができる作品数が少なくなっているのは、かなりマイナスだと感じます。
過去の受賞作品展でも、大賞、優秀賞以外の作品で、きらりと光る作品はいくつもありました。
そして、物量に裏打ちされた「ごった煮」感が、フェスティバルの雰囲気をつくっていたように思います。
ここ2回は、作品数が絞られ、すっきりしすぎていて、展覧会会場でかなり淡白な印象を受けてしまい、少々残念です。
sho










