選択を求められる「メディア芸術」 ~第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(後)
※この記事は(前)のつづきです。
須々木です。
第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に関する雑感のつづきです。
前半を読んでいない人は、そちらからどうぞ。
さて、ここまでのところで、会場で受けた印象、及び、展示作品からいくつかピックアップしたものに触れましたが、ここらで、冒頭でも挙げた「カテゴライズの問題」について、少し情報を整理したいと思います。
◆サブカテゴリーを経時的に見る◆
いろいろと思う所があるものの、とりあえず足がかりとなる客観的情報が欲しい。
というわけで、手元には、これまでに行った第14回から19回までの「受賞作品集」があるので、そこに記載されている応募作品数のデータをまとめてみました。
名称や数値はすべて「受賞作品集」に記載のもの、すなわち「公式」を採用していますが、いくつか注意点があります。
まず、14回以降、大きく4つの部門を設けるという基本は変わっていませんが、その下にあるサブカテゴリー(応募時に選択する)は、かなりの頻度で変わっています。
厳密にまとめるため、少しでも名称が変化したものは分けようとも思ったのですが、「実質的に同じサブカテゴリー」と言えるものも多いので、継続性を見る意味でも、それらは同じ並びにしました。
そういう「途中で名称が改められているサブカテゴリー」が(※)のついたものです。
※例えば、「エンターテインメント部門」の「ウェブ」は、「Web」→「ウェブを使った作品」→「ウェブ」→「ウェブサイト」→「ウェブ」という名称の変遷をたどっているが、これらは事実上同一とみなした。
なお、ほぼ同義であっても、カテゴリー分割や、カテゴリー拡大などにより、完全にイコールと言えるか議論の余地があるものは別の扱いとしました。
グレーのセルは、その年に存在していないサブカテゴリーです。
「アニメーション部門」、「マンガ部門」で、名称そのままに統合されたサブカテゴリーは、セルを連結して表示しています。

以下、公式情報(最新回の「応募概況」はこちら)、及び、この表から読み取れることを列挙していきます(つまり、ことわりのない限り、14回から今回までの範囲)。
・現在の4部門になったのは、第7回から。第1回から第6回までは、「デジタルアート(インタラクティブ部門)」、「デジタルアート(ノンインタラクティブ部門)」、「アニメーション部門」、「マンガ部門」という構成だった。
・「マンガ部門」において、第14回までは「ストーリーマンガ」、「コママンガ」という、マンガ作品の形式による分類がなされていたが、その後「単行本」、「雑誌掲載」という、流通方式による分類に改められた(そして、さらに第17回でそれらが統合される)。
・第16回まで全4部門に存在していた「その他」は、第17回以降消滅。
・「ウェブ」、「映像作品」は、同時期に「アート部門」、「エンターテインメント部門」に存在していたことがある(どちらも名称はよく変わっているが、同年に同一名称のときもある)。
・第19回は、応募総数が4417作品、「アニメーション部門」が700作品、「マンガ部門」が948作品で、これらはいずれも過去最多を記録している(「アート部門」は第17回の2482作品、「エンターテインメント部門」は第18回の782作品が最多)。
・第19回は、調べた範囲では唯一、前回(第18回)とすべてのサブカテゴリーが完全に同一名称になっている(分割、統合、新設もなし)。
・第19回では、「短編アニメーション」の増加が顕著(前回から倍増)。
・「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」、すなわち「デジタルマンガ」は、第18回に激増したものの、第19回にはそれ以前の水準(もしくはそれ以下)まで落ち込んだ。
さて、いろいろと興味深いところがありますが、思ったことをいくつか書いておきます。
・サブカテゴリーごとに見ると、意外と増減が激しい。ただ、部門や総数としては、全体として増加傾向は明らか。
・サブカテゴリーの変化をみると、「アート部門」、「エンターテインメント部門」の試行錯誤と、「アニメーション部門」、「マンガ部門」の安定感が対照的。
・以前は全部門に「その他」が存在していたという事実は興味深い。そして、それを消したということは何を意味するのだろうか? 「メディア芸術祭」が求める作品は、他のサブカテゴリーで許容できるという感触を得たということだろうか。
・全体としては、細分化より統合の流れを感じる。もしくは、守備範囲の拡大。例えば、「アート部門」において「ウェブ」が消滅し、第18回に「ネットアート」が新設されるが、これも守備範囲の拡大と言えるだろう。また、「アニメーション部門」、「マンガ部門」も、サブカテゴリーの統合がなされている。
・「短編アニメーション」は、全体として増加傾向だが、年ごとの変動も激しい。日本の短編がハイレベルだった第17回、フランス勢の存在感が大きかった第19回など、年ごとにかなり毛色が違うが、これは何を意味しているのだろうか?
・「マンガ部門」で、かつて「ストーリーマンガ」、「コママンガ」というサブカテゴリーが存在していたことは興味深い。「デジタルマンガ」、「同人誌等」と並列される概念としては相当な違和感があるわけだが、やはり無理を感じたのだろうか。
・「マンガ部門」で、「単行本」と「雑誌掲載」が統合されるが、そもそもこれを分けていたのがよく分からない。重複する作品が多いので、カテゴリーの設定としては厳しかっただろう。
・その意味では、現状の「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」というのも難しさを感じる。現在、多くの商業作品がデジタルでも閲覧できるわけで、カテゴリーの名称変更が求められるだろう。
・「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」は、第18回に激増したが、これは一過性のものだったのだろうか? 「マンガ部門」に見られた唯一の根本的な変化とも思えたが、今後に注目したい。
・第18回と第19回は、完全にサブカテゴリーを引き継いでいるが、これは「第18回のカテゴライズはある程度評価できる」という判断なのか、「もはや多少いじるだけで対処は不可能。やるなら第20回に大きく再編すべき」という判断なのか。「受賞作品集」などを見る限りでは、後者ではないかと思える。
・ここまでいろいろ書いておいてなんだが、サブカテゴリーの考察については、客観的に応募作品の傾向を見る上では有意義だが、それぞれに対して賞を出すわけではないので、過大に捉えるべきではないだろう。
◆「受賞作品集」を読んで◆
というわけで、第19回の「受賞作品集」を読んでいきましょう。
第18回のときのブログでも触れましたが、「メディア芸術祭」において「受賞作品集」は必須アイテムです。
これを見たら十分というわけではありませんが、これを見なければ不十分だと思っています。
※「受賞作品集」の重要性については、第18回のブログと被る内容は割愛します。
ここまでに長々と書いてきた内容は、基本的には「受賞作品集」を読む前にあれこれ考えたことですが、それらを抱えた上で、その業界の方々の言葉に耳を傾けていきます。
まずは、会場で感じていた「カテゴライズの問題」についてですが、これは講評、鼎談などでたびたび触れられていました。
審査委員でも、これに関連する議論は多くなされていたようです。
「メディア芸術祭」として並べる作品を選ぶ上で、その物差しとなる部分ですから、当然と言えば当然ですが。
なお、毎年のように、審査委員が「メディアアートとは何か、という部分から頭を悩ました」と書いているわけですが、今回は、それに加えて、「この部門はどういう部門なのか?」という問いが存在感を増している印象を受けました。
会場で見ていても強く感じましたが、審査委員の方でもすっきり整理されているわけではないようです。
この点については、審査委員が応募されてくる作品に対して完全に受け身にならざるを得ない以上、やむをえないとも思いますが(何が来るか事前に予測は不可能)。
また、複数の審査委員は、次が第20回の節目であることと合わせて、根本的な変革に言及していました。
例えば、「アート部門」の審査講評で、中ザワヒデキさんは、以下のような二者択一を求めています。
① 理念不在のまま門戸を広げる方向
② 門戸を狭めて理念を打ち出す方向
審査委員ごとに意見は異なると思いますが、恐らくこの二者択一の設定の妥当性は、あまり異論がないと思われます。
そして、これが非常に選びにくいものだということも明らかです。
そもそも、「メディア芸術祭」の募集条件が凄いことが根本的なところです。
第19回の「募集概要」より、各部門の募集条件を見ると・・・
アート部門 → 「デジタル技術を用いて作られたアート作品」
エンターテインメント部門 → 「デジタル技術を用いて作られたエンターテインメント作品」
アニメーション部門 → 「アニメーション作品」
マンガ部門 → 「マンガ作品」
それぞれの部門に応募するときに、サブカテゴリーを選ぶ仕様みたいですが(選考には一切影響しないものと思われる)、その他の条件は、「2014年9月3日(水)から2015年9月9日(水)までの間に完成した作品、または、すでに完成してこの期間内に公開された作品」(更新、リニューアルは、リセット扱いとなり、新たに完成とみなし、応募可能)、「応募作品数に上限はないが、同一の作品を複数の部門に重複して応募できない」というだけ。
当然、制作者の国籍や、個人・団体・企業、商業or同人などの制約は一切存在せず。
審査委員も触れていますが、例えば「アート部門」については、「デジタル技術を用いて」という文言があることで、単なる絵画や彫刻などは除外されます。
一方で、現代の映像作品で、デジタル技術を一切使わないものなどないので、映像作品はほぼ自動的にOKとなってしまいます。
というか、そもそも、「アート作品」、「エンターテインメント作品」とは何ぞや?と。
敢えて言うなら、「マンガ作品」だけが、現状で唯一、このシンプルな規定でも揺るがない謎な安定感を保っていますが、他の部門はすでにその輪郭が不明瞭になりつつあります。
そうすると、結局、会場で一般来訪者が目の当たりにする“部門の壁”は何に由来するのか?
これは、はっきり言えば、審査委員の裁量です。
毎度、審査委員が根本的な問いをグルグルと議論して無理やり生み出した壁でどうにか区切っている印象です。
メディア芸術祭では、4部門の審査委員は独立していて、最終的に結果が発表されるまでは互いの状況が一切分からないようになっているようです。
つまり、この「独立性」が4部門の違いをかろうじて保つための力を持っているものと思われます。
とは言うものの、近年、壁は急激に綻んできているようにも感じます。
話を戻して、二者択一ということですが、「門戸を広げる」(多様化路線)は「デジタルの制約を抹消する」、「門戸を狭める」(純化路線)は「部門の定義を明確に打ち出す」とほぼ同義です。
難しいのは、どちらも一理あるからですが・・・
前者の「多様化路線」は、「メディア芸術祭」が積み上げた特徴の一つであり、アイデンティティーとも言えるところなので、これを捨てる決断は容易ではありません。
なんでもあり、ごちゃまぜな感じが「メディア芸術祭」のイメージとして確立しているので、それを一掃することにもなります。
ところで、そもそも「デジタル」の規定の必要性は謎です。
「メディアアート」であれば良いわけで、そこに本来「デジタル」は求められていないはずです。
ただ、確かに、この文言をカットしたとき、果たしてそれらを裁けるのかという問題はあります。
後者の「純化路線」は、会場で感じる「カテゴリー問題」を一番ストレートに片づける方法として有効です。
「カテゴリー問題」の根本は、定義が曖昧であることによるので、入口のところでしっかりと定義をすれば自然と解決に向かうのでしょう。
ただし、結果的にメディア芸術祭「らしさ」が失われる恐れは、かなり大きいとも思われます。
受賞作品集では、「映像作品」の部門独立などの案も示されていましたが、少なくとも、第20回で何らかの手を打つ必要性は、広く共有されているようでした。
しかし、さらに根本的な所も無視できなくなってきました。
それが、「メディア芸術」という“造語”です。
受賞作品集のアート部門の鼎談(246ページ)で詳しく触れられていますが・・・
アートは、芸術とも訳されるので混乱を来しやすいですが、いわゆるテクノロジー言及型の美術のみを指す「メディアアート」とは異なり、マンガやアニメーションなどを含む「メディア芸術」は日本独自の言葉です。
「文化芸術振興基本法」(2001年施行)の第3章第9条に「メディア芸術」の定義が次のように定められています。
「国は、映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため、メディア芸術の製作、上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする」。
簡単に言えば、当時のお偉いさん方(通産省の官僚?)が、
「メディアアート(世界的に美術としての地位を確立している)」+「マンガ、アニメーション(美術しての地位を確立していないが、日本では強い)」=「メディア芸術」
という、日本にとって、とても都合のよい、そして果てしなく安易な裏技を発動させ、今に至るというわけです。
やがて時代は流れ、当時はアートの領域と思われていなかった「マンガ」や「アニメーション」がアートの本場である欧米でも「アート」と認められ始め、事態はより複雑に。
完全にちぐはぐな定義を抱えたカオスな芸術祭は、第20回を目前にする所まで来たということです。
だからこそ、「メディア芸術」は選択を求められるわけです。
一度バラして土台から組み直すのか、それとも、ここまで積み上げた不安定な土台に手を加え独自路線を突き進むか。
世界の潮流への接近か、独自性の追求か。
スマートになるか、ガラパゴスになるか。
※余談ですが、曖昧なまま突き進んだ例としては、「ライトノベル」という括りも近いものを感じます。定義がないのに、「ライトノベル」というイメージは共有されている。他にも同様の例は枚挙に暇がないと思いますが、これは日本的な現象なんでしょうか?
◆より良い「メディア芸術祭」へ◆
ここまでの話とは別の次元で、可能なら改善を求めたい点があります。
それは、作品展示方法です。
受賞作品集などに掲載されている情報を加味すると、やはり展示方法の制約が大きすぎるという印象を受けるわけですが・・・
これは原理的に無理な部分があり、むしろ、そこに真価があるものが多いため、かなり難しい問題ですが、少なくとも、その難しさだけでも来訪者に伝える工夫をしても良いのではないかと思ったりします。
会場に収められるのは、せいぜい、作品の物質的側面、補助的な映像等、キャプションです。
しかし、芸術祭で評価されるだけの作品の多くは、これだけでその真価に迫ることができません。
「無料」にて開催する以上、その敷居は低く、日頃アートに触れる機会の少ない人が多く来訪するイベントです。
故に、「ここに並べているものが、作品のすべてではない」ということをしっかりと示しておく必要があると思います。
その認識が共有されないと、制作者にも芸術祭にも来訪者にも、かなり不幸なことだと言えるでしょう。
「アニメーション部門」(特に長編)、「マンガ部門」が展覧会であますことなく紹介されることがないというのは、素人でも分かりやすいですが、「アート部門」においては、そのようなコンセンサスは存在していないように感じます。
アートはどこまでが作品なのかという輪郭が千差万別であるためです。
同様の理由で、「受賞作品集」はもっとプッシュする必要があると思います。
美術館の展覧スペースで収まらないことが明白である以上、それを丁寧に補うための情報伝達手段が必要であり、その中核を担えるのがこの受賞作品集だと思います。
欲を言えば、「廉価版」「完全版」の2種類を作成し、少なくともどちらかは来訪者の大半が手に入れるような状況が望ましい。
これも含めて「鑑賞」だという点をかなり強調しても良いと思います。
※はっきり言えば、展示スペース拡張、展示作品数アップ、個々の展示方法改善についてもお願いしたいところですが・・・。そのためなら、入場料をとっても良いと思うのですが・・・。
制作者の他、審査委員や関係者のとてつもない労力の結果だと思いますが、なんやかんやで毎度ネタに尽きない「文化庁メディア芸術祭」。
何よりも凄いのは、「面白くても面白くなくても面白い」というところだと勝手に思っています。
字面だけ見ると矛盾しているようですが、仮に“ハズレ”を引いても目一杯楽しめるゲームのような感覚です。
こんなものはそうそうあるものでもないので、是非今後も頑張ってもらいたいと切に願っています。
そして、そんな「メディア芸術祭」も次で第20回。
大きな節目です。
メディアを取り巻く環境が劇的という言葉では足りないくらいの変化、衝撃を受けてきた中で歩みを重ねたフェスティバルが、この先どうなっていくのか。
新たな作品との出会いは当然のことながら、この芸術祭そのものの歩みにも興味が尽きない中、今から大いに期待したいところです。
そして、その一歩手前ということで、第19回はそれまでを総括し、良くも悪くも現状を見事に映し出していたように感じます。
故に、今年もしっかりと「メディア」の役割を果たせる「メディア芸術祭」になっていたと思います。
長々とお読み頂きありがとうございました。
sho
須々木です。
第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に関する雑感のつづきです。
前半を読んでいない人は、そちらからどうぞ。
さて、ここまでのところで、会場で受けた印象、及び、展示作品からいくつかピックアップしたものに触れましたが、ここらで、冒頭でも挙げた「カテゴライズの問題」について、少し情報を整理したいと思います。
◆サブカテゴリーを経時的に見る◆
いろいろと思う所があるものの、とりあえず足がかりとなる客観的情報が欲しい。
というわけで、手元には、これまでに行った第14回から19回までの「受賞作品集」があるので、そこに記載されている応募作品数のデータをまとめてみました。
名称や数値はすべて「受賞作品集」に記載のもの、すなわち「公式」を採用していますが、いくつか注意点があります。
まず、14回以降、大きく4つの部門を設けるという基本は変わっていませんが、その下にあるサブカテゴリー(応募時に選択する)は、かなりの頻度で変わっています。
厳密にまとめるため、少しでも名称が変化したものは分けようとも思ったのですが、「実質的に同じサブカテゴリー」と言えるものも多いので、継続性を見る意味でも、それらは同じ並びにしました。
そういう「途中で名称が改められているサブカテゴリー」が(※)のついたものです。
※例えば、「エンターテインメント部門」の「ウェブ」は、「Web」→「ウェブを使った作品」→「ウェブ」→「ウェブサイト」→「ウェブ」という名称の変遷をたどっているが、これらは事実上同一とみなした。
なお、ほぼ同義であっても、カテゴリー分割や、カテゴリー拡大などにより、完全にイコールと言えるか議論の余地があるものは別の扱いとしました。
グレーのセルは、その年に存在していないサブカテゴリーです。
「アニメーション部門」、「マンガ部門」で、名称そのままに統合されたサブカテゴリーは、セルを連結して表示しています。

以下、公式情報(最新回の「応募概況」はこちら)、及び、この表から読み取れることを列挙していきます(つまり、ことわりのない限り、14回から今回までの範囲)。
・現在の4部門になったのは、第7回から。第1回から第6回までは、「デジタルアート(インタラクティブ部門)」、「デジタルアート(ノンインタラクティブ部門)」、「アニメーション部門」、「マンガ部門」という構成だった。
・「マンガ部門」において、第14回までは「ストーリーマンガ」、「コママンガ」という、マンガ作品の形式による分類がなされていたが、その後「単行本」、「雑誌掲載」という、流通方式による分類に改められた(そして、さらに第17回でそれらが統合される)。
・第16回まで全4部門に存在していた「その他」は、第17回以降消滅。
・「ウェブ」、「映像作品」は、同時期に「アート部門」、「エンターテインメント部門」に存在していたことがある(どちらも名称はよく変わっているが、同年に同一名称のときもある)。
・第19回は、応募総数が4417作品、「アニメーション部門」が700作品、「マンガ部門」が948作品で、これらはいずれも過去最多を記録している(「アート部門」は第17回の2482作品、「エンターテインメント部門」は第18回の782作品が最多)。
・第19回は、調べた範囲では唯一、前回(第18回)とすべてのサブカテゴリーが完全に同一名称になっている(分割、統合、新設もなし)。
・第19回では、「短編アニメーション」の増加が顕著(前回から倍増)。
・「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」、すなわち「デジタルマンガ」は、第18回に激増したものの、第19回にはそれ以前の水準(もしくはそれ以下)まで落ち込んだ。
さて、いろいろと興味深いところがありますが、思ったことをいくつか書いておきます。
・サブカテゴリーごとに見ると、意外と増減が激しい。ただ、部門や総数としては、全体として増加傾向は明らか。
・サブカテゴリーの変化をみると、「アート部門」、「エンターテインメント部門」の試行錯誤と、「アニメーション部門」、「マンガ部門」の安定感が対照的。
・以前は全部門に「その他」が存在していたという事実は興味深い。そして、それを消したということは何を意味するのだろうか? 「メディア芸術祭」が求める作品は、他のサブカテゴリーで許容できるという感触を得たということだろうか。
・全体としては、細分化より統合の流れを感じる。もしくは、守備範囲の拡大。例えば、「アート部門」において「ウェブ」が消滅し、第18回に「ネットアート」が新設されるが、これも守備範囲の拡大と言えるだろう。また、「アニメーション部門」、「マンガ部門」も、サブカテゴリーの統合がなされている。
・「短編アニメーション」は、全体として増加傾向だが、年ごとの変動も激しい。日本の短編がハイレベルだった第17回、フランス勢の存在感が大きかった第19回など、年ごとにかなり毛色が違うが、これは何を意味しているのだろうか?
・「マンガ部門」で、かつて「ストーリーマンガ」、「コママンガ」というサブカテゴリーが存在していたことは興味深い。「デジタルマンガ」、「同人誌等」と並列される概念としては相当な違和感があるわけだが、やはり無理を感じたのだろうか。
・「マンガ部門」で、「単行本」と「雑誌掲載」が統合されるが、そもそもこれを分けていたのがよく分からない。重複する作品が多いので、カテゴリーの設定としては厳しかっただろう。
・その意味では、現状の「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」というのも難しさを感じる。現在、多くの商業作品がデジタルでも閲覧できるわけで、カテゴリーの名称変更が求められるだろう。
・「コンピュータや携帯情報端末等で閲覧可能なマンガ」は、第18回に激増したが、これは一過性のものだったのだろうか? 「マンガ部門」に見られた唯一の根本的な変化とも思えたが、今後に注目したい。
・第18回と第19回は、完全にサブカテゴリーを引き継いでいるが、これは「第18回のカテゴライズはある程度評価できる」という判断なのか、「もはや多少いじるだけで対処は不可能。やるなら第20回に大きく再編すべき」という判断なのか。「受賞作品集」などを見る限りでは、後者ではないかと思える。
・ここまでいろいろ書いておいてなんだが、サブカテゴリーの考察については、客観的に応募作品の傾向を見る上では有意義だが、それぞれに対して賞を出すわけではないので、過大に捉えるべきではないだろう。
◆「受賞作品集」を読んで◆
というわけで、第19回の「受賞作品集」を読んでいきましょう。
第18回のときのブログでも触れましたが、「メディア芸術祭」において「受賞作品集」は必須アイテムです。
これを見たら十分というわけではありませんが、これを見なければ不十分だと思っています。
※「受賞作品集」の重要性については、第18回のブログと被る内容は割愛します。
ここまでに長々と書いてきた内容は、基本的には「受賞作品集」を読む前にあれこれ考えたことですが、それらを抱えた上で、その業界の方々の言葉に耳を傾けていきます。
まずは、会場で感じていた「カテゴライズの問題」についてですが、これは講評、鼎談などでたびたび触れられていました。
審査委員でも、これに関連する議論は多くなされていたようです。
「メディア芸術祭」として並べる作品を選ぶ上で、その物差しとなる部分ですから、当然と言えば当然ですが。
なお、毎年のように、審査委員が「メディアアートとは何か、という部分から頭を悩ました」と書いているわけですが、今回は、それに加えて、「この部門はどういう部門なのか?」という問いが存在感を増している印象を受けました。
会場で見ていても強く感じましたが、審査委員の方でもすっきり整理されているわけではないようです。
この点については、審査委員が応募されてくる作品に対して完全に受け身にならざるを得ない以上、やむをえないとも思いますが(何が来るか事前に予測は不可能)。
また、複数の審査委員は、次が第20回の節目であることと合わせて、根本的な変革に言及していました。
例えば、「アート部門」の審査講評で、中ザワヒデキさんは、以下のような二者択一を求めています。
① 理念不在のまま門戸を広げる方向
② 門戸を狭めて理念を打ち出す方向
審査委員ごとに意見は異なると思いますが、恐らくこの二者択一の設定の妥当性は、あまり異論がないと思われます。
そして、これが非常に選びにくいものだということも明らかです。
そもそも、「メディア芸術祭」の募集条件が凄いことが根本的なところです。
第19回の「募集概要」より、各部門の募集条件を見ると・・・
アート部門 → 「デジタル技術を用いて作られたアート作品」
エンターテインメント部門 → 「デジタル技術を用いて作られたエンターテインメント作品」
アニメーション部門 → 「アニメーション作品」
マンガ部門 → 「マンガ作品」
それぞれの部門に応募するときに、サブカテゴリーを選ぶ仕様みたいですが(選考には一切影響しないものと思われる)、その他の条件は、「2014年9月3日(水)から2015年9月9日(水)までの間に完成した作品、または、すでに完成してこの期間内に公開された作品」(更新、リニューアルは、リセット扱いとなり、新たに完成とみなし、応募可能)、「応募作品数に上限はないが、同一の作品を複数の部門に重複して応募できない」というだけ。
当然、制作者の国籍や、個人・団体・企業、商業or同人などの制約は一切存在せず。
審査委員も触れていますが、例えば「アート部門」については、「デジタル技術を用いて」という文言があることで、単なる絵画や彫刻などは除外されます。
一方で、現代の映像作品で、デジタル技術を一切使わないものなどないので、映像作品はほぼ自動的にOKとなってしまいます。
というか、そもそも、「アート作品」、「エンターテインメント作品」とは何ぞや?と。
敢えて言うなら、「マンガ作品」だけが、現状で唯一、このシンプルな規定でも揺るがない謎な安定感を保っていますが、他の部門はすでにその輪郭が不明瞭になりつつあります。
そうすると、結局、会場で一般来訪者が目の当たりにする“部門の壁”は何に由来するのか?
これは、はっきり言えば、審査委員の裁量です。
毎度、審査委員が根本的な問いをグルグルと議論して無理やり生み出した壁でどうにか区切っている印象です。
メディア芸術祭では、4部門の審査委員は独立していて、最終的に結果が発表されるまでは互いの状況が一切分からないようになっているようです。
つまり、この「独立性」が4部門の違いをかろうじて保つための力を持っているものと思われます。
とは言うものの、近年、壁は急激に綻んできているようにも感じます。
話を戻して、二者択一ということですが、「門戸を広げる」(多様化路線)は「デジタルの制約を抹消する」、「門戸を狭める」(純化路線)は「部門の定義を明確に打ち出す」とほぼ同義です。
難しいのは、どちらも一理あるからですが・・・
前者の「多様化路線」は、「メディア芸術祭」が積み上げた特徴の一つであり、アイデンティティーとも言えるところなので、これを捨てる決断は容易ではありません。
なんでもあり、ごちゃまぜな感じが「メディア芸術祭」のイメージとして確立しているので、それを一掃することにもなります。
ところで、そもそも「デジタル」の規定の必要性は謎です。
「メディアアート」であれば良いわけで、そこに本来「デジタル」は求められていないはずです。
ただ、確かに、この文言をカットしたとき、果たしてそれらを裁けるのかという問題はあります。
後者の「純化路線」は、会場で感じる「カテゴリー問題」を一番ストレートに片づける方法として有効です。
「カテゴリー問題」の根本は、定義が曖昧であることによるので、入口のところでしっかりと定義をすれば自然と解決に向かうのでしょう。
ただし、結果的にメディア芸術祭「らしさ」が失われる恐れは、かなり大きいとも思われます。
受賞作品集では、「映像作品」の部門独立などの案も示されていましたが、少なくとも、第20回で何らかの手を打つ必要性は、広く共有されているようでした。
しかし、さらに根本的な所も無視できなくなってきました。
それが、「メディア芸術」という“造語”です。
受賞作品集のアート部門の鼎談(246ページ)で詳しく触れられていますが・・・
アートは、芸術とも訳されるので混乱を来しやすいですが、いわゆるテクノロジー言及型の美術のみを指す「メディアアート」とは異なり、マンガやアニメーションなどを含む「メディア芸術」は日本独自の言葉です。
「文化芸術振興基本法」(2001年施行)の第3章第9条に「メディア芸術」の定義が次のように定められています。
「国は、映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため、メディア芸術の製作、上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする」。
簡単に言えば、当時のお偉いさん方(通産省の官僚?)が、
「メディアアート(世界的に美術としての地位を確立している)」+「マンガ、アニメーション(美術しての地位を確立していないが、日本では強い)」=「メディア芸術」
という、日本にとって、とても都合のよい、そして果てしなく安易な裏技を発動させ、今に至るというわけです。
やがて時代は流れ、当時はアートの領域と思われていなかった「マンガ」や「アニメーション」がアートの本場である欧米でも「アート」と認められ始め、事態はより複雑に。
完全にちぐはぐな定義を抱えたカオスな芸術祭は、第20回を目前にする所まで来たということです。
だからこそ、「メディア芸術」は選択を求められるわけです。
一度バラして土台から組み直すのか、それとも、ここまで積み上げた不安定な土台に手を加え独自路線を突き進むか。
世界の潮流への接近か、独自性の追求か。
スマートになるか、ガラパゴスになるか。
※余談ですが、曖昧なまま突き進んだ例としては、「ライトノベル」という括りも近いものを感じます。定義がないのに、「ライトノベル」というイメージは共有されている。他にも同様の例は枚挙に暇がないと思いますが、これは日本的な現象なんでしょうか?
◆より良い「メディア芸術祭」へ◆
ここまでの話とは別の次元で、可能なら改善を求めたい点があります。
それは、作品展示方法です。
受賞作品集などに掲載されている情報を加味すると、やはり展示方法の制約が大きすぎるという印象を受けるわけですが・・・
これは原理的に無理な部分があり、むしろ、そこに真価があるものが多いため、かなり難しい問題ですが、少なくとも、その難しさだけでも来訪者に伝える工夫をしても良いのではないかと思ったりします。
会場に収められるのは、せいぜい、作品の物質的側面、補助的な映像等、キャプションです。
しかし、芸術祭で評価されるだけの作品の多くは、これだけでその真価に迫ることができません。
「無料」にて開催する以上、その敷居は低く、日頃アートに触れる機会の少ない人が多く来訪するイベントです。
故に、「ここに並べているものが、作品のすべてではない」ということをしっかりと示しておく必要があると思います。
その認識が共有されないと、制作者にも芸術祭にも来訪者にも、かなり不幸なことだと言えるでしょう。
「アニメーション部門」(特に長編)、「マンガ部門」が展覧会であますことなく紹介されることがないというのは、素人でも分かりやすいですが、「アート部門」においては、そのようなコンセンサスは存在していないように感じます。
アートはどこまでが作品なのかという輪郭が千差万別であるためです。
同様の理由で、「受賞作品集」はもっとプッシュする必要があると思います。
美術館の展覧スペースで収まらないことが明白である以上、それを丁寧に補うための情報伝達手段が必要であり、その中核を担えるのがこの受賞作品集だと思います。
欲を言えば、「廉価版」「完全版」の2種類を作成し、少なくともどちらかは来訪者の大半が手に入れるような状況が望ましい。
これも含めて「鑑賞」だという点をかなり強調しても良いと思います。
※はっきり言えば、展示スペース拡張、展示作品数アップ、個々の展示方法改善についてもお願いしたいところですが・・・。そのためなら、入場料をとっても良いと思うのですが・・・。
制作者の他、審査委員や関係者のとてつもない労力の結果だと思いますが、なんやかんやで毎度ネタに尽きない「文化庁メディア芸術祭」。
何よりも凄いのは、「面白くても面白くなくても面白い」というところだと勝手に思っています。
字面だけ見ると矛盾しているようですが、仮に“ハズレ”を引いても目一杯楽しめるゲームのような感覚です。
こんなものはそうそうあるものでもないので、是非今後も頑張ってもらいたいと切に願っています。
そして、そんな「メディア芸術祭」も次で第20回。
大きな節目です。
メディアを取り巻く環境が劇的という言葉では足りないくらいの変化、衝撃を受けてきた中で歩みを重ねたフェスティバルが、この先どうなっていくのか。
新たな作品との出会いは当然のことながら、この芸術祭そのものの歩みにも興味が尽きない中、今から大いに期待したいところです。
そして、その一歩手前ということで、第19回はそれまでを総括し、良くも悪くも現状を見事に映し出していたように感じます。
故に、今年もしっかりと「メディア」の役割を果たせる「メディア芸術祭」になっていたと思います。
長々とお読み頂きありがとうございました。
sho