
色々摂取してきた!
どうもこんばんは霧島です。
なんか今日寒かったね〜〜〜長袖に逆戻りしてました。
今月前半にずるずる体調崩してて記憶があまりないですがな
そんななか用事があって中華街方面に行ったので、
らんま1/
やばない?どピンク。
味は美味しかったです。
ちょっと食べ歩き(いや普通に店先で座って食べたか…)
小籠包と肉まん。
雑貨屋さんとか細い路地にある中国のお茶扱ってるお店とか色々見
あまり頻繁には行かないけど、たまに行くと楽しいよね…
山下公園で花壇展をやっていたので、歩きながらお花見(?)
今年はあまりしっかり桜を見られなかったので悲しみを紛らわしま
きゃわいい。
お花もとても綺麗だったけど、
これは白雪姫かな…?
おちゃめひよこ。
ここからは赤レンガですね。
普段一生白黒の画面見てるからたまにはこうやって色を摂取しない
したらば!
rin
“劇場版”についてのぼやき
どうも遊木です。
先日、去年撮影した分の写真整理がようやく終わりました。
それに伴い個人のインスタをばばーっと更新したので、よろしければご覧ください。
そういえば最近、超々々久しぶりにポケモンGOを起動させたのですが、知らない要素が増えすぎて「???」状態です。
剣盾をほぼ未履修なので、ダイマックスが理解できません。
なんや、なんでアイツらデカくなるんや。
メガシンカは、ZAがあったので辛うじて分かります。
久しぶりと言えば、『黄泉のツガイ』アニメ化の影響からか、Xのタイムラインに懐かしきハガレンの情報が流れてくるようになりました。
というわけで(というわけで?)久しぶりにハガレンの映画を見直した。
ハガレンのアニメといえば、特に旧作が賛否両論のイメージですが、個人的には「原作とは違う作品」と割り切ると、あの鬱々しい雰囲気、錬金術やホムンクルスの設定は面白いと思います。
ちなみにFAは序盤と途中しか見てないけど、ほぼ原作準拠とはいえ、流石に速足過ぎると思ってる。
しかし……改めて思い返すと、旧作はびっくりするほどキャラ同士がすれ違ってますよね。
特に大佐周辺が……旧作の大佐、原作より遥かに兄弟を気にかけてるのに、最終盤まで信用得られてないのツラ……。
っていうかマスタング組の面々も「大佐の本心がわからない」って感じで、これが原作と圧倒的に違います。
原作はどのキャラも、それなりに理性的で、馴れ合いはせずとも“繋がってる感”がありますが、旧作は物語の主役であるエドも、大人組の主役である大佐も、どっちも自身の弱さに翻弄されていて、その雰囲気が作品全体に広がっている。
だから、どこかトーンの低いメランコリーな作風になっていて、人によってはそこに“美しさ”を感じたりするかもしれません。
『シャンバラを征く者』は、ある意味その集大成と言えなくもない。
好き嫌いはあるにせよ、記憶に残る作品になっていると思います。
旧作最終回の位置付けなので、シリーズを見てないとさっぱり話がわからないのが難点ですが、未視聴の方は、機会があったら是非見て欲しい。
(ところで、シャンバラって私は普通にバッド寄りのメリバだと思ってるんですが、どうなんでしょう)
ふと妄想しちゃうんですが、シャンバラのエドが原作軸の結末を見たらどう思うんだろう……。
「そうか…あったのかそういう未来も、そういう世界も、そういうルートも……」ってどこかのキスショットと同じこと言いそう……ツラ。
一方、『嘆きの丘の聖なる星』は、個人的にはあまり記憶に残らない映画だなぁと感じます。
(ミロスの位置付けをいまいち理解してないのですが、噂によるとFAと原作を跨いでるような?世界線?らしいですね)
実は私、原作ありアニメ映画(オリジナルストーリー)の「それはゲストが主人公やん」という構成が好きじゃないんですよねぇ。
主人公vsゲスト(敵)は楽しめるんですが、ゲストの物語を主人公ズがサポートする、ゲストが主人公より活躍する、ゲストが最終的に事件を解決する、みたいな構成は「別にそれが見たいわけじゃないんだけど……」と思ってしまう。
ミロスはまさにそのタイプで、PVからも滲み出ている通り、あれはエドではなくジュリアの物語なわけで。
劇場版には良くあることだし、監督的にはゲスト=オリジナルの主人公を立てた方が作りやすいのも、もちろんわかるのですが。
違うんだ…!見たいのは……ッ!それじゃないんだ…!
だからこそ、ワンピースの『STRONG WORLD』が公開された当時は、「これだよこれ!私はこれが見たかったんだ!」となったし、銀魂の『万事屋よ永遠なれ』もとても良かった。
まぁ、漫画家が映画製作にどっぷり関わるのはどうなの?という意見があるのもわかりますが、ファンからするとサービス以外の何者でもないので、ぐぬぬ…ッとは言われても見たいんじゃ…というのが正直な気持ち。
ちなみにワンピースの『FILM RED』は、ううーん(悩み)……って感じです。
ルフィが冒険の途中で誰かを助ける、というのは原作でも良くある構図ですが……あれもやっぱり「これはウタの物語じゃね?」という印象。
原作でルフィが「音楽家」に拘っていたことの回収や、物語展開は好きな部類なんですが、“ワンピースの映画”として見ちゃうと引っ掛かっちゃうんだよなぁ。
終わり方の問題もあるかもしれません。
だってアレ、結局ウタとシャンクスが大トリですよね?
そう考えると、コナンは上手いバランスで劇場版を作ってる気がします。
コナン映画には「今回のコナンのバディ(もしくはチーム)は〇〇」という基本の型があります。
その位置にゲストキャラが置かれることはないし、作中でゲストがコナンより優れた推理力を見せることもありません。
まぁ、普段からゲストが沢山登場する物語というのもありますが、劇場版から「これはコナンの物語じゃなくね?」という印象を受けることは少ない。
展開や演出の良し悪しはあるにせよ、コナンが“添え物”になることはないんですよね。
ちなみに、服部くんの映画はちょっと添え物感が出ているので、あまり刺さらないです。
服部くん自体は好きなのに……!
キッドの場合、コナンと役割が被らないのでちゃんとバディ感が出るのですが、服部くんとは役割が被るのか、コナンくんが結構見せ場を譲っちゃうんだよなぁ。
ただ、コナン映画は全体的に「あくまでゲストはゲスト」という姿勢が保たれているので、「お前の物語には興味ない」現象が起き辛く、個人的には、これが劇場版では結構大事なことだと思っています。
……なんかここまで書いて気付きましたが、私はようするに主人公を食っちゃうゲストが苦手なのかもしれない。
以上、“原作ありアニメ劇場版”についての所感…じゃないな。ぼやきでした。
「ハガレン久しぶりに見たよ」から、何故こっちにいった?
今回は深く考えないで書き始めてしまいましたが、やはり定期的な作品分析は必要かもしれません。思考が整理される。
展覧会はともかく、アニメや漫画の分析は最近サボっていたので、今年度は少し意識して取り組めればと思います。
2026年度も頑張っていこう。
aki
六本木クロッシング2025展
須々木です。
先月初めに行った展覧会に関する記事です。
テーマは「時間」。いろんな切り口の作品がありました。難解すぎず、それでいて深みもあって良い感じの刺激をもらえました。 pic.twitter.com/vnYFlZ4l6P
— 須々木正(Random Walk) (@rw_suzusho) March 2, 2026
展覧会のタイトルは
『六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠』
森美術館が3年に一度、日本の現代アートシーンを総覧する定点観測的な展覧会として、2004年以来、共同キュレーション形式で開催してきたシリーズ展で、今回は第8回です。
ちなみに前回(第7回)も行っています。
遊木の記事中でも触れられています
↓↓↓
今回(第8回)については、Instagramの投稿でもあれこれ書きましたが、このブログ記事ではそれらのまとめのようなノリで書いておきたいと思います。
まず、前回同様、全体的に満足度が高かったです。
テーマがわりとシンプルだったせいか、現代アートの展覧会として考えたとき、難解という印象はありませんでした。
それでいて浅いわけではなく、充実した内容でした。
軸がしっかりしていても、押し付けがましいわけではなく、良いバランス感覚を保っていたように感じます。
以下、たくさんあった作品の一部をご紹介します。
ケリー・アカシによる彫刻作品は展覧会で最初に目にする作品群です。
人体や植物など「生命」を感じさせるモチーフが、無機的な質感をもって作品化されています。
常に変化し続けるものの象徴でもある「生命」が、時間変化を奪われ固定化されたかのような印象を受ける、独特な作品でした。
沖潤子の裁縫の作品に対し、キャプションでは「抽象的な模様や種子やつぼみを思わせる立体造形」と形容されていました。
しかし個人的には、古布に人体の臓器、もしくは臓器を蝕む腫瘍が浮き上がっているように感じられました。
何とも言えないインパクト、存在感――それはある種の気色悪さと表裏一体――を感じつつ、そういったものを内側に抱え誰もが生きているという事実を提示されているような気がしました。

桑田卓郎の作品は、まず単純に物質的に「これは何?」という疑問が浮かぶものでした。
毒々しい色彩でありながら、妙に有機的で柔らかそうな形状。
高倍率の顕微鏡で節足動物を観察したら、どこかにこんな造形が現れそうだなという印象。
でも、実際にはかなりのサイズ感、重量感、そして明らかに固い素材であることが、接近すると感じられます。
これが陶芸作品であると知ったとき、自分の認識の不確かさが浮き彫りになります。
ちなみに「ポケモン×工芸展 ― 美とわざの大発見 ―」にもこの人の作品がありました。
ピカチュウの杯の人です(参照)。
今回の展覧会の最初の展示空間は、感覚的に言えば“生っぽいもの”、さらに限定すれば、人体を感じさせるものが多かった気がします。
身体のパーツを落とし込んだ立体作品は、不気味さと魅力を兼ね備えていて、なかなか良いです。
その中でも異彩を放っていたのが廣直高の《シグナル》。
自身の身体で型をとる……というところから、いろいろ削ぎ落としていって至ったこの形状に視覚的なインパクトがあります。
デスマスクを思わせる頭部を支えるのは、首ではなく、右脚から対角に繋がる左腕。
自分の手で頭部を押さえているだけのはずが、むしろ左手に掴み上げられているように見えます。
頭部(脳味噌)が主従の主であるという一般的な感覚が揺さぶられる気がします。
A.A.Murakamiによる《水中の月》。
展覧会のメインビジュアルにも採用されていた作品ですが、隙がない良作で、単体としては今回の展覧会で一番お気に入りかもしれないです。
白いシャボン玉が膨らみ、落下し、水面ではねて、転がり、やがて弾ける。
闇の空間で強い光源に浮かび上がる無機質な樹木のようなオブジェから、AIによるオペレーションを内包したシステムが生みだす球体の行く末を、人間の鑑賞者は眺め、そして思う。
ガーダー・アイダ・アイナーソンによる絵画と立体作品を融合した展示空間。
クローズド・キャプションだけ描かれた真っ黒な画面は、動画を表示できるモニターではなく壁に掛けられた絵画。
床に無数に配置されているのは、香港民主化デモの際に抗議者が考案したバリケードを模倣した石膏彫刻。
現在進行形で世界が有する複雑性、その激しい「動」の世界を、敢えて「静」として表現しているところが興味深かったです。
香港のデモに関する作品は、現代アート展において何度か見かけていますが、これまで見てきたものは主張があまりに強く出過ぎてアートとしての満足度を削いでいた感がありました。
それに対して、今回の作品は真正面から向き合いつつアート的面白さ(アイデア、ビジュアル)を成立させていたと思います。

和田礼治郎による《MITTAG》は、ドイツ語で「正午」という意味をもつ作品です。
森美術館の中でも、外の風景と接続している希少な展示空間。
そこに鎮座するのは、葡萄の枯木で型取られたブロンズの台座に支えられた2枚のガラス板と真鍮フレームの容器に注がれたブランデーを通して見える、色づき微かに歪んだ世界。
ブランデーによる水平線を東京の地平線に見立てた作品です。
高層階にある森美術館の特徴をうまく活かしていました。
ブランデーの重さがガラスを曲げてレンズのように機能しているようですが、観覧した日の景色が灰色だったことと相まって、むしろ独特のコントラストを味わうことができました。

現代アートの展覧会は、アーティストの生き様がそのまま作品の形を得て展示されていることも多いです。
ドキュメンタリーの風合いが強いそのような作品もまた、知的好奇心を刺激してくれます。
北澤潤による《フラジャイル・ギフト》はまさにそのようなものです。
インドネシアの空軍博物館で見つけた戦闘機「隼(中島キ43)」と、現地の手法で再構築された実物大の凧としての機体にまつわる長期プロジェクト。
このプロジェクトは、コンセプト、企画、造形、アウトプットなど重層的で質量があってアートとしての強さを感じました。
現代アートの展覧会はシンプルに美しいものを鑑賞するだけの時間になりにくい。
発想を揺さぶられ思考を巡らすため、なかなか頭が疲れる。
そんな中、絶妙なタイミングで現れるのが、ユニット「ズガ・コーサクとクリ・エイト」による段ボールアート作品です。
メインの展示空間をつなぐ動線の複数箇所にありました。
美術館最寄りの六本木駅を模した段ボールアート作品など。
遊び心が感じられて絶妙でした。
木原共による《あなたをプレイするのはなに?―ありうる人生たちのゲーム》は、実際にその場でプレイできました。
AIで生成された統計的に存在しうる架空の誰かの人生を追体験するというもの。
レトロなデジタルゲームの画面、実際にありそうな、それでいて妙にステレオタイプな「誰か」。
そして最大の特徴は、その「誰か」の人生が終わったあと、過去の岐路までさかのぼり、そこから別ルートを辿ることができるというもの。
一貫した趣旨で定期的に開催される展覧会は、やはり継続して観覧することが重要だなと思いました。
時代の変化、時代の雰囲気、その時点における「現代」が、当然、現代アートの展覧会会場にちりばめられています。
それは時に分かりやすく、時に非常に回りくどく、様々な形で作品(もしくは作品らしき何か)として見て感じることができます。
そこで得られる感覚の差分は、たぶん日々の生活の中で簡単には気づけない、アーティストの視点を借りてようやく掴めるかもしれない何かだったりすると思います。
こういう貴重な気付きの機会を得られるのは刺激的でありがたいことです。
●Instagram関連投稿 ⇒ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦
sho
君の顔では泣けない
どうもこんばんは霧島です。
3月最終日ですね。
数日前から桜がちらほら咲いているのを見かけてたのですが、この雨だもんな…
お花見楽しみにしてるのに結構な頻度で雨にやられてしまって悲しい…耐えてくれ〜!
話は変わりまして、公開当時観たいなと思いつつ観れてなかった映画が配信に来ていたので観ました。
「君の顔では泣けない」
中学生の夏に同時にプールに落ちて心と身体が入れ替わってしまった男女が、その後15年間一度も元に戻れずにそれぞれの人生を生きていくが、30歳の夏に元に戻れるかもしれない方法が見つかって…というお話しです。
15年間一度も元に戻らないというのが斬新で気になったのですが、予告で女性の方が妊娠している描写があるんですよね。私はそれがなんとなくひっかかってしまっていて映画館に観に行くことが出来なかったのですが、(入れ替わって中身男性で、借り物の身体での妊娠ってどういうこと…!?みたいな)いざ映画を観てみると、ただの杞憂というか、説得力のある映画だったな、と思います。
元は小説が原作のようで私はそちらは未読なのですが、映画として一つの作品に仕上がっていて良かったなと思います。
これは一般の鑑賞者と同じ楽しみ方なのかどうかはわかりませんが、私は個人的に2時間の縛りのある映画という作品において、全てを鑑賞者がわかるように説明しなくてはいけないと思ってはいません。ただ、空白の部分に何があったのかを想像させる説得力は欲しいなと思っています。そういうのが例えば役者さんの一挙手一投足に表れていて想像に難くないと、いい映画だなと思います。
今回の映画は2人が入れ替わる話なので、男女どちらも重要な役ですが、女性(中身は男性)をメインに追っていく構成になっています。
小説だと男性側の心理描写ももっとしっかりあったりするのかなと思います。
でも物語ってそういうものだよね…誰かをメインにして見せるけど、それ以外のキャラもそれぞれに何かを思って考えて行動している。物語というかは人は皆んなそう。
こういう展開にしたいからこのキャラクターはこう動く!ではなくて、こういう考えがあるからこう行動している。それが直接的に説明されていなくとも、そうなんだと感じ取ることができる。そういう作品は好きだなぁと思います。
終わり方も個人的にはとても良かったです。重要なのは結果どうなったかではなくて、キャラクターが意志を持って決断をしていること。そう感じさせてくれるいい映画でした。
さて。
なんかもうこの3月はうっすら体調悪い時間が多くて、こうして月の仕事を終えた今またダウンしています。
昔から文化祭の準備や当日はめちゃくちゃ頑張るし楽しむのに、その翌日の休みに風邪を引くタイプなんだ私は。やだやだ!常に元気でいて!
まあ体調不良ぶり返したのはインプット不足の反動で夜遅くまで映画観たりとかしてるからなんだけどね!(それを自業自得という)
イラストは月の初めに描いてた「君の瞳に魅せられて〜愛を知らないモテ上司が、地味で孤独な部下を溺愛〜」より学生時代の椿ちゃん。読んでね!(急な宣伝)
ではでは薬飲んで寝ます。
したらば!
rin
「第15回横浜創作オフ会」をやった!
横浜創作オフ会幹事の須々木です。
3月20日(金祝)に第15回横浜創作オフ会を無事開催できました!
参加してくれた皆様、ありがとうございました!!
そして、残念ながら参加できなかった皆様、またの機会に是非!
最低成立人数を設定した「条件付き開催」に切り替わって2回目のオフ会でした(詳細はこちら)。
第14回もかなりギリギリの成立でしたが――
今回は残り数分の時点で条件を満たしていなかったので「ついに不成立か…」と思っていたら、駆け込みの連絡でどうにか条件を満たしました。
も……もう少し余裕をもって成立すると、いいなぁ……(成立に深く感謝しつつ)
体調不良などで参加断念となった方がいたりして残念ではありましたが、オフ会そのものは今回も大変盛り上がり、「かなり楽しんでいただけたのでは?」と思っています。
たいてい最後まで残っていた人が完全に解散するのが始発後なので、スタートから12時間以上。
その間、オフ会の最中だけでなく、途中の時間調整タイムも含め、ずっと話がやむことがないのがすごいです。
オフ会も1次会から3次会まで、ほぼずっと歓談タイムなのに、永遠に話が途切れない…。
「創作」を掲げて集った面々の熱量を毎度感じています。
今回も非常に濃厚で楽しく刺激的な時間をどうもありがとうございました!
横浜創作オフ会は、「“創作”をきっかけに新たなつながりをつくる」というのが第1回からずっと掲げているコンセプトです。
どれだけ盛り上がっても、それはあくまできっかけの一つ。
あとはこれをうまく活用してもらって、各々の創作ライフの充実に役立ててもらえればと思います。
活用されて初めて真価を発揮するのが横浜創作オフ会です。
遠慮なく踏み台にしてくださいね。
* * *
第15回が終わったばかりですが、
その次の第16回横浜創作オフ会の成立を目指す参加意向調査期間がはじまっています。
成立した場合は2026年9月19日(土)開催となります。
よって、参加意向調査期間は2026年7月19日までとなります。
その時点で参加表明20名に達していれば開催決定となります。
第15回のときに参加表明してくれた人やその後にDMで参加表明してくれた人を含め、現時点で参加表明9名です。
つまり、あと11名でイベント成立です。
第15回と同様、成立するか際どいやつです。
これが不成立で結局第15回が最後だったという可能性もあるし、
なんとか成立したけれど第16回が最後になるということもあるかもしれません。
忖度なし、予測不能、ハラハラドキドキ!
というわけで、興味のある人は是非参加をご検討ください!
いま大丈夫な人は、いま連絡してしまいましょう!
というわけで、
今後も横浜創作オフ会をよろしくお願いします!!
sho


































