何故だろう何故だろう?
うわぁあ2月が終わってしまう…!
どうも、いつも月末には同じことをのたまってる遊木です。
あとでいいやぁと先延ばしにしていたら、あっというまに月末になってしまったので、月が替わる前にさらっとメディア芸術祭の感想を書いておきます。
須々木氏が書いた感想に、自分が思ったことと似たようなことが書いてあるのでここではさらっと。
まず今年でこの芸術祭に行くのも3回目となりますが、一昨年や去年に比べて、アート部門に設置されていた作品から感じる「現代アートの方向性」の色が、より顕著になったなぁという印象を受けました。出力方法は様々でも、どの作品からも似た波長を感じると言いますか…。
どの辺が似ていたかというと、どれも無機物でありながら生き物のような動きをする、もしくは人間と融合した作品になっている、という点です。それらによって生まれる、「違和感」「異様」「不気味」という要素が、今回のアート部門では一際目立っていたのではないかと。我々に刷り込まれている「生き物じゃないのに、そんな動きをするのはおかしい」という価値観や、「機械に制御されている」「無機物と一体化している」という恐怖心を、直接的に、もしくは何気なく煽る作品が多かったように感じます。
毎年、特にアート部門はその年の世界の色(事件、事故、世界情勢、自然災害など)を強く感じるので、今年の作品が「人間の深層心理に根付いている恐怖」を煽る作品が多くなったという傾向は、一体何が作用しているのか、なかなか興味深いです。
あと気になったのは、行く前から須々木氏とも話していましたが、東日本大震災を題材にした作品がどのように変化しているか、という点です。去年は起きた直後の年ということもありましたが、じゃぁ地震が起きて2年3年経つと、それらは一体どのように変化するのか。
今年も震災を題材にした作品がいくつかありましたが、個人的にいつも思うのは、なぜ災害をモチーフにした作品の傾向はいつも「この悲劇を忘れないために」なのかというところです。
もちろん、後世に伝える、災害時に同じ悲劇を繰り返さないために、という点においては「忘れないこと」というのは重要なポイントでしょう。それは“人間の歴史”においては必要な行為だと思います。
ただ同時に、「出来ることなら忘れてしまいたい」と願っている人も、絶対中にはいると思うんですよね。人間の歴史上忘れてはいけないことも、今を生きる個人にとっては忘れてしまいたいと思うことって沢山あると思います。
こういった題材を芸術作品として具体化するときに、何が正しい何が間違いということはないと思いますが、もう少し「忘れたい」と願う人間の当たり前の感情を、モチーフにした作品が出てきてもいいのではないかと感じました。
漫画部門に関しては、須々木氏が言っていたのと同様、海外の漫画と日本の漫画はそもそも同じくくりではないのではないかと感じました。どちらが優れている、というところよりそもそも「似ている」だけで、別ジャンルなのではないかと。まさに西洋絵画と浮世絵くらいは、違うもののように思いました。
ところでいつもこの芸術祭を見た後に五美大展をみるのですが、今回思ったのが、美大のあり方について、大学側は見直す必要があるではないかということです。
現在のシステムの中にも、優れている点や必要な点は沢山あるでしょう。しかし、やはり卒業展を見ていると、どこか制作している人間の行き詰った感じや、悪い意味での迷いや不自由さ、投げやりな感じが出てしまっているように思います。「何かを創作する」ということの根本的な部分が、すっぽり抜けてしまっているような。
もちろん全てが大学側の問題ではないでしょうが、創作者を集め、育て、じゃあそのあとに何をしたいのか。仮にも大学という教育の最高機関を名乗るのならば、その辺について真剣に頭を悩ます人がもっといても良いのではないかと、学生時代にも感じていました。
今後、「美術大学」というところがどのような変化を遂げていくのか、個人的に注目していきたいです。





aki
どうも、いつも月末には同じことをのたまってる遊木です。
あとでいいやぁと先延ばしにしていたら、あっというまに月末になってしまったので、月が替わる前にさらっとメディア芸術祭の感想を書いておきます。
須々木氏が書いた感想に、自分が思ったことと似たようなことが書いてあるのでここではさらっと。
まず今年でこの芸術祭に行くのも3回目となりますが、一昨年や去年に比べて、アート部門に設置されていた作品から感じる「現代アートの方向性」の色が、より顕著になったなぁという印象を受けました。出力方法は様々でも、どの作品からも似た波長を感じると言いますか…。
どの辺が似ていたかというと、どれも無機物でありながら生き物のような動きをする、もしくは人間と融合した作品になっている、という点です。それらによって生まれる、「違和感」「異様」「不気味」という要素が、今回のアート部門では一際目立っていたのではないかと。我々に刷り込まれている「生き物じゃないのに、そんな動きをするのはおかしい」という価値観や、「機械に制御されている」「無機物と一体化している」という恐怖心を、直接的に、もしくは何気なく煽る作品が多かったように感じます。
毎年、特にアート部門はその年の世界の色(事件、事故、世界情勢、自然災害など)を強く感じるので、今年の作品が「人間の深層心理に根付いている恐怖」を煽る作品が多くなったという傾向は、一体何が作用しているのか、なかなか興味深いです。
あと気になったのは、行く前から須々木氏とも話していましたが、東日本大震災を題材にした作品がどのように変化しているか、という点です。去年は起きた直後の年ということもありましたが、じゃぁ地震が起きて2年3年経つと、それらは一体どのように変化するのか。
今年も震災を題材にした作品がいくつかありましたが、個人的にいつも思うのは、なぜ災害をモチーフにした作品の傾向はいつも「この悲劇を忘れないために」なのかというところです。
もちろん、後世に伝える、災害時に同じ悲劇を繰り返さないために、という点においては「忘れないこと」というのは重要なポイントでしょう。それは“人間の歴史”においては必要な行為だと思います。
ただ同時に、「出来ることなら忘れてしまいたい」と願っている人も、絶対中にはいると思うんですよね。人間の歴史上忘れてはいけないことも、今を生きる個人にとっては忘れてしまいたいと思うことって沢山あると思います。
こういった題材を芸術作品として具体化するときに、何が正しい何が間違いということはないと思いますが、もう少し「忘れたい」と願う人間の当たり前の感情を、モチーフにした作品が出てきてもいいのではないかと感じました。
漫画部門に関しては、須々木氏が言っていたのと同様、海外の漫画と日本の漫画はそもそも同じくくりではないのではないかと感じました。どちらが優れている、というところよりそもそも「似ている」だけで、別ジャンルなのではないかと。まさに西洋絵画と浮世絵くらいは、違うもののように思いました。
ところでいつもこの芸術祭を見た後に五美大展をみるのですが、今回思ったのが、美大のあり方について、大学側は見直す必要があるではないかということです。
現在のシステムの中にも、優れている点や必要な点は沢山あるでしょう。しかし、やはり卒業展を見ていると、どこか制作している人間の行き詰った感じや、悪い意味での迷いや不自由さ、投げやりな感じが出てしまっているように思います。「何かを創作する」ということの根本的な部分が、すっぽり抜けてしまっているような。
もちろん全てが大学側の問題ではないでしょうが、創作者を集め、育て、じゃあそのあとに何をしたいのか。仮にも大学という教育の最高機関を名乗るのならば、その辺について真剣に頭を悩ます人がもっといても良いのではないかと、学生時代にも感じていました。
今後、「美術大学」というところがどのような変化を遂げていくのか、個人的に注目していきたいです。





aki