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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋法恩寺跨線橋加茂隧道三子生隧道二股橋一ノ坂隧道旧・一ノ坂橋

 

 

今宵ご紹介するのは、時系列では三子生隧道と二股橋の間、昼下がりに立ち寄った物件。

 

 

 

 

まずはこれ。

ちょっとユニークな感じの吊り橋。現在地こちら

 

 

 

 

 

木製玩具的な親柱?に掲げられたお名前は、

揉合橋。名称もユニークときたもんだが、どういう由来なのかな?

 

ちなみにもう一方の親柱には「安田川」と河川名。

 

 

 

 

 

銘板だけは、

どこかハードモード(笑)。「馬路村森林組合」という文字がそう思わせるのか?

 

この日は魚梁瀬森林鉄道の遺構を追いかけてここまで来たわけだが、実際この吊り橋の背後の山にも、林鉄のインクライン跡が(正確に言えばインクラ跡を活用した乗り物が)ある。

 

 

 

 

 

この吊り橋、他にもちょっとユニークなのは

両岸の高さが違うのを合わせるため、主塔までの一径間めは階段状にせり上がっているところ。

 

 

 

 

 

その先の主径間は

普通の吊り橋になった。が、さすがに林業のまち、床版含め木製吊り橋だった。

 

 

 

 

 

橋上より、

こちら安田川上流。

 

 

 

 

 

で、こちら下流側だが、

このデンデン太鼓みたいな意匠、なんかいいなあ(笑)。

 

 

 

 

 

渡りきって、左岸へ。

こちらには宿泊できそうなバンガロー?的建屋が一棟建っていた。

 

 

 

 

 

左岸より正対。

最初の右岸側とはちょっと印象が(意匠も)違った。ラウンドした階段もちょっといい感じ。

 

 

 

 

 

読み方はやっぱり…

(変体仮名混じりだが)「もみあいばし」。

 

もう一方の親柱には「平成元年三月完成」と。

 

 

 

 

 

可能な範囲でサイドビュー。

木製+赤っていう色味の橋、案外珍しいと思うのだが、意外と悪くない配色だな、と思ったり思わなかったり(笑)。

 

 

 

 

 

戻りながらもう一度じっくり見て…

やっぱここが一番好きかな(笑)。

 

 

このモチーフと「揉み合う」という橋名には、何か関連があるんだろうか?たぶんだけど…ないな(笑)。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

埋め草記事として、モタスポネタを。最近YouTubeで見つけて微笑ましかった動画をご紹介。先日イギリスで行われた伝統的モタスポ行事「グッドウッドフェスティバル」でのひとコマである。

 

今回の目玉は92年F1王者・ナイジェル・マンセル(もちろんイギリス人)による、タイトルを獲得した時のマシンであるウィリアムズFW14Bのデモランだった。伝説的なマシンであるFW14Bとの取り合わせはまさに人馬ともにアイコニックというか、生で見られるだけで大感激モノであり、とくにイギリス人にとってはタマランものがあったと思う。

 

 

現在メルセデスからF1参戦中のジョージ・ラッセル(イギリスの次世代ホープのひとり)も2019年のマシン・W10のデモランで参加していたわけだが、ラッセルがパドックでこの「マンセル+FW14B」に出会った様子が、もうかわいらしくて。出会ったというか、明らかにこの「伝説的人馬」を見に来たんだろうけど(笑)。

 

 

 

 

動画冒頭、礼儀正しく緊張した感じでちょっと遠巻きに見つめるラッセル君。それに気づいたマンセルに「ヘイ、ジョージ!こっち来いよ!」的に呼ばれて、ちょっとはにかんだ感じで嬉しそうに握手するのがカワイイんだなあ(笑)。マンセルが気づくまで近づかないのもなんかいいなあと。っていうか、全体的なたたずまいやしぐさが、まさに「憧れの人に会えたらこうなりますよね」そのもの。

 

 

当時「大英帝国の愛すべき息子」と呼ばれ、常軌を逸した速さと精神的もろさを併せ持つ魅力的なキャラクターもあって、絶大な人気を誇ったマンセル。もちろん現在も認知度。人気は抜群であり、記録以上に記憶に残る名ドライバーだと言えると思う。

ラッセルが生まれたのはマンセルの戴冠よりももちろん後だが、レーシングドライバーとしてそんな母国の伝説的な先輩を大いにリスペクトしているのは当然であり、そのあたりこの動画から色濃く伝わってくる。マンセルも楽しそうに話してるし、こういうの、いいよなあ…。

 

 

 

日本ではアイルトン・セナのライバルとしてキャラ付けされたものの、プロストのように変にヒール扱いされることもなく、マンセルファンも多かったと思う。近年はまあまあの恰幅だったが、よくFW14Bのコックピットに収まったなあ(笑)。多少絞ったのかな?

 

 

 

 

 

【笠木トンネル】より続く。

 

 

 

使い回し写真で恐縮だが、

これより笠木トンネルを背後に、もう一本の隧道へ向かう。今回は道なりに左だ。

 

ちなみに正面に見えるコンクリ擁壁は、この先の旧道のもの。

 

 

 

 

 

その旧道、

明らかに…

 

 

 

 

 

醸していた。

せっかくの二車線幅もかたなし。

 

 

 

 

 

何度か止まりながら、のんびり進むこと6分。

現れた、もうひとつの隧道。天川村のカントリーサインとともにお出迎え。

 

 

 

 

 

道路状況も、そして隧道そのものも、

笠木トンネルよりもワンランク廃れていた。

 

 

 

 

 

お名前は、

「川合隧道」。そう、笠木「トンネル」に対して川合「隧道」と、名乗り方の流儀も異なる。

 

この川合隧道、昭和29年建造だという。昭和45年建造だった笠木トンネルとは16年の開きがあるが、この間に「隧道」は「トンネル」になった…って、まあそんなシンプルなことじゃないけど、基本的に「隧道」という呼び方は一般的ではなくなったのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

廃オーラの濃淡とは裏腹に、

こちらはちゃんと照明が複数点灯。管理者が違うからだろうな。

 

 

 

 

 

振り返り~の、鉄板の構図。

もうちょっと引いて撮れよ、へたくそ~(笑)。

 

 

 

 

 

ノートさんは寛いでいた。

もはや半廃道…なのかね?

 

 

 

 

 

では、天川側へ。

笠木トンネルと違い、こちらは全面プレート改修ではなかった。これはいいアクセント。

 

 

 

 

 

抜けまして、

川合隧道、天川側坑口。高さ制限バーが素敵。

 

かつては陸の孤島とも言われた天川村。吉野や黒滝、下市、五條などから村への入り口が、車道だとこの川合隧道と小南峠隧道だけだったのだから、そりゃそうも言われるわなあ、と。

 

 

 

大変読みやすい扁額。

どこか風格も感じる。

 

 

 

 

 

現道へと降りていく途中で、

このような祠があった。たしか天川らしく役行者がらみのものだった気がするが、さすがに覚えていない。

 

 

 

 

 

現道までは、

残り数百m。

 

 

 

 

 

最後に、現道の新川合トンネルも紹介しておこう。

こちらも、現代の基準で見ると大して素晴らしいスペックとも言えない。が、これで十分なのだろう、たぶん。

 

 

 

 

 

銘板によれば、完成は1997年。

1984年建造の新笠木トンネルから遅れること13年、ようやく併せて供用されることで、天川村にはまさに交通革命となったことだろう。

 

ちなみにその13年間、新笠木トンネルだけが供用されていた時期には、トンネルを抜けてからはループ状のルート取りとなり、非常に興味深いものだったと思う。一時期のR169瀞峡トンネルのように(って、関西人しかわからんか)長大トンネル抜けたら酷道、みたいな状態だっただろう。

 

 

 

 

つうわけで、天川村へのメインルートを担ってきた道と隧道たちを、二回に分けてご紹介した。

 

 

 

 

 

 

 

備忘:記事リストにおいて、自治体跨ぎの物件は当日どちらからアプローチしたかで「所属」を決めているが、今回はそれぞれの出自と名称から判断し、笠木トンネルを黒滝村、川合隧道を天川村物件とする。

 

 

 

 

2010年11月20日、摺子OFF前日の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしてるのは、参陵隧道小南峠隧道

今宵ご紹介するのは、時系列では両者の間に訪ねた、国道旧道のトンネル。

 

 

 

まずはこのようなアイテムから。

現在地こちら

 

 

 

 

 

ここは、旧国道にふさわしい大きな交差点。これは上の写真左手からの景だが、

いまいち全体を捉えてはいないものの、しっかりと整備された交差点であることは伝わると思う。ちなみに地理院地図によると、ここまで走って来た道(上の写真の青看で「立川渡」方面)は奈良県道49号勢井宗川野線であり、この交差点が起点となっている。

 

 

 

 

 

ここで振り返ると…

もうそこに、今宵のお題が。

 

中途半端に置かれたAバリが罠のようだが、当時この旧道はまだ開かれていた。ただし訪問当日は黒滝側の旧道が土砂崩れ復旧中の通行止めとなっていた関係で、こうして牽制するような置き方になっていたのかなと。

 

 

 

 

 

ノートさんを入れて正対。

のんびりとこんなんできるくらいに、全く往来はなかった。前述の状況だったから余計にだ。

 

改めて見ると、しっかりと二車線幅が確保されていて、まあ大型車には窮屈であろうものの「まともなトンネル」だ。あくまでトンネルは、ね…。

 

 

 

 

 

扁額には

「笠木トンネル」。

 

 

 

 

 

洞内から、ノートさん入り鉄板の構図。

洞内はすべて波型ライナープレートで巻かれていた。

 

現地に銘板などはなかったため、帰ってから調べたところによると、昭和45年建造、延長203m、幅員7.5m、有効高5.5mというスペックだった。

 

 

 

 

 

照明は設置されていたが、

この時には無点灯。廃道でもない限り、通常ひとつくらいは点いてそうなものだが…。

 

 

 

 

 

粛々と抜けまして、

当初こっちから来るはずだった黒滝側へ。

 

 

 

 

 

ポータルに正対。

昭和45年製、まさに、って感じのご面相だ。

 

 

 

 

 

引きで見た一枚が萌え~。

おにぎりの消された青看がいいねえ。西吉野村のカントリーサインも残っていたが、今もあるのかな?ちなみに吉野郡西吉野村は2005年9月に五條市に編入されてその名は消えた。

 

そして左へと登る分岐が、トンネル開通前まで使われていた旧道(現国道からだと旧々道)。こうして見ると普通に進めそうに見えるが、えぐい道で撤収。今はもう無理だろう、絶対。

 

 

 

 

 

で、トンネルの先、ほどなく…

しっかりと通行止め。本来はコッチから登ってくるつもりだった。

 

 

 

 

 

それでもいけるとこまで、と、この辺までは登ったんだけど、

すれ違った作業車の運ちゃんに「抜けられないよ~」と言われたので、ヘラヘラ笑って引き返したっけ(笑)。

 

 

この時点では、こうして旧道の土砂崩れを治すというメンテナンスが行われていたわけだが、2022年現在ではどうなっているんだろう。ストビューもカバーしていないようだし、もしかして閉じられた?

 

 

 

 

 

そうそう、この黒滝側の旧道別れが個人的に好きなので、写真を載っけておこう。

まさに二枚上のナビ写真での現在位置だが、この旧道別れ、なんでこんなんなってんだろう。写真左が現道の新笠木トンネルだが、トンネルを抜けてきた車がこの旧道に入る確率は限りなく低いと思われるので、このような上下分離方式(笑)は不要だと思うのだが…もしかして新トンネル工事期の名残りだったりするのかな?

 

 

 

 

 

せっかくなので、

同位置からの新トンネルも。

 

 

 

 

 

「新」とはいえ、

正直なところトンネル自体のスペックは大幅に改善されたとは言えない。やはり旧トンネル前後の屈曲・狭隘路が問題だったということなのだろう。なんと8倍以上もの延長のトンネルで一気にパス。

 

 

 

 

 

あー、大幅に脱線(笑)。


それにしてもこの旧トンネル、第一線を担ったのはわずか14~5年間だったんだなあ。なんだか不憫。

早すぎる隠居生活を持て余してるような、そんな笠木トンネルだった。

 

 

 

 

 

旧道はこの先にもう一つ、隧道を擁している。【次回】はそちらをご紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月28日の県内徘徊。プチお出かけだったから、なんにも記事にはしてなかったな~。

 

今回はその中から、なんか「滋賀県離れした」印象の橋をご紹介。

 

 

 

まずはこれ。

最初に目を引いたのは、この標識だった。場所はこちら

 

 

 

 

 

その第一印象は、たぶん皆様と同じく

「背ぇ低ッッッ!!」(笑)。

 

「落石注意」「シカ飛出し注意」標識の下に、「路肩弱し」「倒木注意」の補助標識。ここは大津市道ではなくて林道なので、ちょっとクセの強い標識が設置されているってことなのだろうか(笑)。

 

 

 

 

 

という流れなので、

現場では、この橋自体はおまけだった。

 

なんでこの橋も撮っとこうと思ったのかといえば、橋自体のたたずまいというか、周辺の感じを含めた立地が、なんか滋賀県ではあまり見かけない類の雰囲気を感じたんですな。写真だけでは伝わらないんだろうけど。

 

 

 

 

 

その直感はある意味当たっていた。

橋のお名前、なんと「硫黄谷橋」!こんな名前の橋が滋賀県に存在するなんて。

 

何もないところにこんな名前はつかないだろうから、この谷筋に硫黄鉱山でもあったのか?とちょっと調べてみたが、その範囲では不明だった…つうか、かつて滋賀県内に存在した鉱山の一覧を見ても、硫黄鉱山は存在しなかった(少なくともそのリストには)。滋賀県には火山もないし、普通に考えて硫黄なんて名前の由来がありそうな土地柄ではないんだけどな~。

 

これぞまさに、「滋賀県離れ」。もっとしっかり調べたなら、面白いかもしれない。…まあやらないんだけどね(笑)。

 

 

 

 

 

もう一方の銘板は河川名。

「加河川」。

 

 

 

 

 

こういう「山中なのにどこか開けた感じ」とか、

もちろん滋賀でもあるんだろうけど、あまり記憶にないんだな~。

 

 

 

 

 

まあおそらくは、

わたくしの思い込みだろうけど。

 

 

 

 

 

こっち側の銘板は、

お誕生日と、

 

 

 

 

 

「いおうだにばし」。

硫黄谷か…。

 

 

 

 

 

その硫黄谷に沿って遡上する林道?が、

硫黄谷橋のたもとから分岐していた。

 

 

 

 

 

すこし進入してみたら、

えげつない洗堀が完全放置されていた。

 

二輪のオフ車なら行けそうだが、基本的にあまり使われてないっぽかったこの道、わたくしもここで引き返したが、なんか記事を書いてて今さらこの奥に興味が出てきた(笑)。

 

建物表記はなさそうだが、隠し畑的に人目を忍ぶような茶畑があるのが気になる(まあ進入はしないけど)。距離も大したことないし、そのうちプチ探索でも行ってみようか…。

 

 

 

 

 

…てな流れで、

標識から引っ張られて面白い展開を見せたネタだった。

 

 

 

 

 

以上。