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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

スケープゴート【scapegoat】 

1,古代ユダヤで、年に一度人々の罪を負って荒野に放たれたヤギ。贖罪のヤギ。

2,責任を転嫁するための身代わり。不満や憎悪を他にそらすための身代わり。

(出典:小学館 デジタル大辞泉)

 

 

また…

 

 

”本来、古代ユダヤで贖罪(しょくざい)日に苦難や罪を負わせ荒野に放したヤギのことをいい、〈贖罪のヤギ〉などと訳す。転じて、欲求不満から生ずる破壊的衝動を、直接その原因となっているものに向けるのではなく、他の対象に転嫁して不満の解消を図る場合、その対象をいう。その対象には社会的弱者が選ばれることが多く、ナチス政権下のユダヤ人や関東大震災時の朝鮮人等はその例。大衆操作の一手段として用いられる場合も多い。“

(出典:平凡社 百科事典マイペディア)

 

 

 

 

 

今の状況はまさに、「”逆”スケープゴート」じゃないのか?。そんなように使われてないか?

 

 

 

 

改めて、心より安倍晋三氏のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

つうわけで(どんなわけで?)、

FEAR FACTORYの”Scapegoat”(もうタイトルだけの話だけども)

 

 

 

 

 

 

 

92年のアルバム「SOUL OF A NEW MACHINE」。

これが確か彼らの1stアルバムだったかと思うのだが、まあ最初に聴いた時の衝撃は凄かった。爛熟期を迎えていたデスメタルというジャンルにおいて、インダストリアルを組み合わせてきたか!っていう。

 

そして3曲目がこの曲だったわけだが、いや、たまげた。デスヴォイスとクリーンヴォーカルをここまで効果的に使い分けたのは、彼らが最初じゃないかな~。そのクリーンヴォーカルがまた詠唱ふうというか、対比がより鮮やかで。どこか千鳥足のようなリズム(謎)も面白いし、めっちゃ好きな曲だ。

 

 

…まあ、一般の方にはとてもお勧めできないが(笑)。いや~、だいぶストレス溜まってきまして…。そろそろ心の洗濯が必要っす。

 

 

 

2018年2月13日、仕事で行った大阪の商談先近くでプチ徘徊した際に出会った橋をご紹介。記事にしているのは、ラストの片江七福橋これ

 

 

 

まずはこれ。お隣の橋からのサイドアングル。

デカい緑のやつは近鉄大阪線の橋梁であり、その下のが今宵のお題である。

 

え?つまらなそう?まあそれは個人差アリってことで。けど、真っ当な橋梁愛好家は見向きもしないだろうなとは思われ(笑)。

 

 

 

 

 

つうわけで、

上の写真でいえば左側から正対。取り付けの道路が狭いため、左右からのステップがついた歩行者用橋である。

 

現在地こちら。今里駅の直下といってもいいような場所なのがわかると思う。

 

 

 

 

 

右側側壁に、銘板二種。

「片二橋」、そして「昭和51年6月竣工」。

 

 

 

 

 

左側の銘板は

「かたにはし」。

 

 

 

 

 

かたわらにのしかかる、

近鉄大阪線。手を伸ばせば届きそうだ(いや、届かんけど)

 

 

 

 

 

跨ぐのは平野川分水路で、

こちら上流側。

 

 

 

 

 

対してこちら、

下流側。

 

近鉄越しに見えるあの橋も、続いて後ほどご紹介する。

 

 

 

 

 

すぐに渡りきるのだが、

この状況は…?

 

 

 

 

 

パッと見、民家の勝手口か?くらいに見えたが、

右方向には一応道が続いていて、上流側の橋まで行けそう。冒頭の写真はその橋からのもの。

 

 

 

 

 

そして左方向は…

…ちょっと躊躇する雰囲気だったのでやめて(笑)、渡り返した。

 

 

 

 

 

そして近鉄をくぐって、

先ほど見えた橋へ。これまた同じつくりの歩道橋だ。スロープがない、完全歩行者専用タイプ。現在地こちら

 

 

 

 

 

銘板の構成も同じで、

「片一橋」、「昭和51年3月竣工」。

 

 

 

 

 

そして左側には

「かたいちはし」。

 

構成は同じだったが、高欄の仕様はちょっと違う。そして「一」のほうが「二」よりも3か月古い。

 

ところで「片」ってなんだろう、と思っていた。近鉄を挟んでニコイチの兄弟橋として「片割れ」の「片」なのかな?とか。

この後で「片江」七福橋に出会ったので、かつてのこの辺りの地名による命名なのかも、という説も出てきたが、まあなんであれ、このネーミングならばやはりいっしょに紹介しておかねばならんだろう、ということでね。

 

 

 

 

 

「二」と違ってこっちは、

渡った先にちゃんと道路が見えてるので、ちょっと安心感があった(笑)。

 

 

 

 

 

橋上からの上流側。

近鉄と「二」。

 

 

 

 

 

そして下流側、

あの橋もいつかは記事にする日が…来るのかな?来ないのかな?どっちなんだい?

(BGM : It's My Life / BON JOVI)

 

 

 

 

 

階段下は、即民家の門前。

しかし、先ほどの「二」のように進むのに躊躇するような雰囲気はなし。

 

今気づいたけど、「一」のほうだけ後付けで階段部分に手すりが完備されてるな。やはりこっちのほうが圧倒的に利用者が多いのだろう。端の一部だけでもスロープ状にすれば、自転車づれでも渡れるのにね。

 

 

 

 

 

振り返って正対。

左の民家脇に一応辿れそうなスペースはあり、そっちへ向かえばあの躊躇したエリアがある方向だったのだが、いや~あそこはちょっと進入は憚られたので確認はしていない。公道なのか私有地なのか、グレーすぎて。

 

そんな周辺状況も含め、なかなか「兄弟橋」だった。

 

 

 

 

 

最後に、下流側の橋より望む「一」。

うっすらと「二」も見えてる。近鉄電車が写り込むと、やっぱちょっといいな。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

2011年3月6日、丹後~京都府北部方面遠征。この日のネタで記事にしているのは、時系列で新旧日和山トンネル盛上橋気比トンネル第一・第二網野街道架道橋犬ヶ崎トンネル津母トンネル旧廃道六部橋撥雲洞大波隧道そして河辺由里バス停

 

今宵ご紹介するのは、大波隧道の前に訪ねたトンネル。期待はしてなかったのだが。

 

 

 

記事構成上、まずはこれから。

これ実は最後に撮った西側抗口。全然駐車スペースがなかったので、諦めて引き返してきた通過しながらの一枚。

 

 

 

 

 

で、これが、東側抗口。現在地こちら

煉瓦隧道か?と空目しそうなつくりだが実際は近代的なコンクリートトンネル。しかしながらこのビジュアルには謂れがあって。それはまあ後ほど。

 

 

 

 

 

まずお名前は、

「道芝トンネル」。

 

 

 

 

 

銘板によると、

1995年5月の建造となっている。

 

が、実際のところこのトンネル…いや隧道は、1902(明治35)年建造の古洞なのだった。このトンネル東側に整備されたスペースに保存されていたものたちによって、それを知った。

 

 

 

 

 

まずはこれ。

「旧トンネル覆工煉瓦」という解説看板とともに、組煉瓦が存置してあった。内容は以下の通り。

 

「旧道芝トンネルは、明治35年に建設されたもので90年以上舞鶴の幹線道路として利用されてきました。この煉瓦はトンネルのアーチ部のもので、手作業により丹念に施工されており、現在でもかなりの強度を持っています。」

 

 

 

もうひとつ、舞鶴市のトンネル長寿命化修繕計画資料によると、

「旧道芝トンネルは鎮守府を中心とした市街地整備のため、京都府が明治35年(1902)年に開通させたもので、当時、軍の施設内を通行できなかった市民にとって、東西を結ぶ唯一の幹線道路でした。現在の道芝トンネルは、平成6~7年の拡張工事により整備されたものです。」
 
とのことで、東西に二分されている舞鶴の町を結ぶ、昔から非常に重要な隧道だったわけだ。というわけで、銘板にあった1995年というのは、旧隧道が拡幅改修された年なのだった。
 
 
 
 
 
そしてこれ、

「旧トンネル東側銘板 光大道其」。

 

 

 

 

 

その現物がこちら。

内容は「出典は不明であるが、「道がおおいにひらかれた」という意味であり、トンネル貫通による、のびのびした気分のあらわれである。」というもの。

 

あえて突っ込ませていただければ、これ銘板じゃなく扁額ですよね?…まあ細かいことは言うまい。

 

こうして残してもらっていることは大変ありがたいのだが、雰囲気を残すためであろうレンガ風タイルがはかなくもポロポロ剥がれて落ちているのがちょいと侘びしい(笑)。

 

 

 

 

 

もういっちょ、これ。

「旧トンネル西側銘板 通貫然豁」。

 

内容は、「朱熹(南宋の儒家)の大学章句(儒教の教書)から引用したもので「疑いや迷いがさらりと解けて物事がはっきりする」という意味であり、この場合、トンネルの開通により、道がまっすぐ開けたという意味である。」

 

 

 

 

 

現物こちら。

これまた煉瓦風タイルが剥落して、無残な状態に。

 

このあたり、ちょっとは手直しされていることを願いたい。

 

 

 

 

 

ストビューは本記事執筆時点でまだ2013年のものでしかなく、

変化があるのかどうかはちょっと判別できない。

 

このトンネル東側のこの一画、引きでは撮ってなかったので、こうしてストビューで補完してみた。

せっかくの展示?だが、残念ながら駐車できる場所がない。それがあればポケットパーク的に立ち寄りやすくなるのだが、もったいなし…。

 

 

 

 

 

最後に触れておきたいのが、こちら。

 

拡幅改修された現トンネルだが、非常にしっかりと造られていて、

こういう角度から見ると、ポータルには本物の煉瓦が(貼り付けではあると思うが)使われていて、突出した小口面の列などシンプルながらも凝った意匠となっていた。

 

ネットで見られる旧隧道の写真は小さく、この意匠が旧隧道から引き継がれたものなのかは不明。しかしながら、煉瓦造りだった先代へのリスペクトを感じさせる、非常に好ましい改修であると思った。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

5年前の今日書いたある記事、シリーズ化を前提として【1】なんてつけたのだが、全然書きやしねえ(笑)。しかも結局シリーズ化するほどのタマ數もなく…どうするんだねキミい。

 

まあ…しれっと【2】をやっとこうと。

 

 

 

そんなこんなで、写真は一枚しかない。

やはり「大津びわこライオンズクラブ」のもので、これは「健康で明るい生活につとめましょう」とある。これはなんとなくわかりやすいな。時代背景的なものも見えて、良き良き。

 

 

このフレンチブルー的な濃紺の看板、結構好きだったりする。

 

 

 

 

 

シンプルに、以上!

 

 

 

暑いのでちょっと涼しげなネタを…と思ったのだが、微妙に今年最初の酷暑を外しちゃった(笑)。

 

 

2019年8月11日、夏真っ盛り(笑)。この日カインズに買い物に行ったついでに、付近にある物件…近場の甘えで長年にわたってスルーし続けていた物件に立ち寄った。お手軽そうだったので奥様も誘ってみたが、暑すぎるので車で待ってると。そりゃそうか~。

 

 

つうわけで、日陰に車を停めて歩くこと…25秒(笑)。

車からでもすでに見えていたけど、到着~。場所はこちら

 

 

 

 

 

まずは、「農業施設を大切に」の看板がお出迎え。

そう、ここにある物件は、現役の農業施設なんですな。

 

 

 

 

 

ちゃんと見学のためのお立ち台が整備されているので、いきなり上からドン!

ハイ、(すでにタイトルで出てはいたけど)円筒分水~!

 

 

 

 

 

これ、水がないと面白さ半減、涼やかさ皆無なんだけど、

ありがたいことにちゃんと水が出ていた。

 

分水工といえば過去に記事にしたのは追分南の円筒分水井之口円形分水の二件だが、「円筒」と「円形」と微妙に表記の揺れがある。

 

正直なところ、勉強不足でよくわかっていないし意識して使い分けてはいないが、わたくしの理解としては、引かれた水が円筒(円形)から逆サイフォンの原理で湧き上がってくるのだから「円筒」「円形」どちらでもよい、というテキトーなもの。ただ、ここのように均等に開けられた孔から分水するタイプは円筒が高く立ち上がっているので、特に「円筒」分水と呼びたくなる…みたいなニュアンスかな。

 

これはあくまで素人の見解なので、間違っててもご容赦を(笑)。

 

 

 

 

 

その上で、こちらを各自ご覧ください。

昭和37年製とのこと。解説に書かれている「現代の水分神」というフレーズ、いいな。

 

 

 

 

 

あとはもう二枚ほど、目に涼しい写真を~。

 

 

 

 

 

 

こうしてちゃんと整備してもらえているのは、大変ありがたい。

お察しのように円筒(円形)分水って俯瞰気味に見られなければこれまた面白さ半減なので、お立ち台も助かる。

 

 

 

 

 

このように、

解説も充実。

 

 

 

 

 

最後に、引きで全体像を。

結局見学中は直射日光だったので、奥様来なくて正解だった。

 

 

ちなみに、この写真のどこかにノートさんがいます。難易度高め(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

以上。