【2】より続く。
ポータル右側を登っております…ってことで、
何をしてるかというと、もちろん反対側を見に行こうとしている。
ならば現道から回り込めば?ってところだが、この時にはそういう頭はなかった。反対側の残存情報と登りやすそうな右側を見ると、自然に登ってました、的な。
少し登ると、
このような石積み土留めが現れ、
徐々に道が浮かび上がってきた。
これは、隧道ができる前の山越え道で、通称「朝鮮人街道」(江戸時代に朝鮮通信使が江戸までの往来にこの道を使ったことによる)の一部である。
今昔マップも貼っておくのでご覧あれ。
余談だが、アメブロに今昔マップを地図の状態で貼っている方、どうやっているんだろう。HTML表示にして埋め込みURLを貼り付けたら「禁止タグが含まれているから修正しろ」的な表示が出て、どう直しても表示されないのだが…。なのでしかたなく、このようなリンクURLでの載せ方しかできなくて。わたくしがアホなだけ?やり方のわかる方、ご教示願いたいです~。
さらに詰めていくと、このような
ステキな掘割が。これは感動した。
もういっちょ感動したのが、ここから左手前方向奥に見つけたもの。
これなんだが、
「八幡宮常夜燈」と刻まれた石柱。
常夜灯っぽさは全然ないのだが、どうなってたんだろう。あるいは常夜灯の跡地的なことを示す石柱なのか?そもそも八幡宮ってどこの八幡宮だ?
いつのものかと見てみたら、
「嘉永七季(年)」の文字が。
でも他の面もよく見ると、
「明治十四年」「六月」「再發起人」といった文字が読み取れる(たぶん)ので、嘉永七年建立の石柱が失われたか損壊したかで、明治十四年に再建した?
でも、嘉永七年って1854年、明治十四年は1881年。江戸時代から明治時代へ、この27年の間に我が国に起こった激動を考えると、感慨深いものがあるなあ。
ちなみに佐和山隧道の建造は、以前書いた通り1924(大正十三)年。この石柱から比べればまだ若輩者だが、すでに鬼籍に入ってしまっている。
掘割は、その姿をよく留めていた。
そういえば先人の記録で、この掘割周辺に「官地界」と刻まれた標柱を見つけたとあったのだが、わたくしは気づけなかった。
さて、こっからはなぜかあまり写真を撮ってなかった。
掘割を後にしてしばし、隧道反対側の正確な位置やアプローチは知らなかったが、およその見当をつけ、朝鮮人街道を外れた。
そして、
現道の隧道を抜けてきた国道8号上を見下ろし。
写真中央あたり、国道から右に滑らかに分岐していく道が、かつての朝鮮人街道をトレースする滋賀県道239号。てことは、あの道から手前に向けての延長線上に隧道が眠っているはず。
…ってことで、さらにガサガサと斜面を降りていくと…
あった。
竹藪に埋もれた、煉瓦の壁。あれは埋められたポータルの最上部、パラペット部分に違いない!
降りてみたら、ビンゴ!
もっと苦労するかと思っていたが、案外あっさり見つけられた佐和山隧道・鳥居本側(東側)ポータル。
なにしろ、扁額が
こんな目前に!
まあ目前でじっくり見たところで、なんて書かれてるのかわからなかったのだが…(笑)。
上の写真手前側には、
揮毫者のものと思しき落款があった。これはなかなか間近で見られるものじゃない。…まあ、さっぱり判読できないことには変わりないんだが。
扁額向かって左あたりで、
パラペットにはでっかいクラックが。状態は良くない。
埋められてからのものか、こうした変状によって現隧道に切り替えられたのか…。
ちょうど帯石から上が露出している感じなので、本気で掘り返せば再貫通も可能かもしれない(実際にちょっと誰かが掘り返した痕跡も)。けど、そうしたことはやめておくべきと個人的には考える。このまま寝かしておいてあげようよ、と。やったところであのド水没なんだし。
なんか色々と写真は撮ったのだが、似たり寄ったり&使い物にならないものも多く、割愛。
堪能した。
扁額にタッチして撤収。
あの廃車群あたりで、
行きには気づかなかった赤い実を見つけた。南天に似てるけど、違うんだろうな。
最後に、現道の佐和山隧道についてもご紹介しておこう。
こちらが、彦根側(西側)。
判読しづらいだろうが、
「昭和参拾(たぶん)年参月竣功」とある。これまたすでにけっこうな古参である。
で、こちらが鳥居本側(東側)。
西側では離れていた佐和山歩道トンネル(1994年11月竣功)と並列している。
今回ご紹介した旧隧道の東側ポータルは、歩行者トンネルの直上あたりに位置している。どっから行くのか?まあそれは各自で見つけていただいて…(笑)。
老婆心ながら…。上の写真の撮影時期は9月初旬だが、わたくしの横断した斜面はとんでもないマント群落の海、そしてポータル付近もおぞましい激藪(&竹藪)となっているのがわかる。訪問されるには冬季一択、とだけ忠告しておこう。
以上で、初訪問時の一部始終は完結。ブレイクを挟んで、それぞれ思い出深い二度目、三度目の訪問も記事にしていく。