2011年8月14日、第一次岐阜県探索にてメインターゲットの一つとして訪れた…にもかかわらず消化不良に終わっていた物件をご紹介。
この日のネタで記事にしているのは、北山隧道&新北山トンネル、谷汲カントリークラブのトンネル、九頭師坂隧道、小瀬の遊歩道隧道。
ここを記事にしていなかったのは、ひとえにこの「消化不良」による。それを先日の荘川帰りに解消できたので、さっそく記事にしようという流れである。うまく伝わるか、いろいろ心配だが…。
はい、いきなりドン。これは、
岐阜県道317号剣大間見白鳥線の一谷坂トンネル、東側坑口。
銘板には、
1986年9月完成と示されている。
その東側坑口手前に、
うーん、あやしいね(笑)。場所コチラ。
実際のところ、ここはある先人の記事で衝撃を受けてやってきたので、この先にあるものはわかっていた。また今記事タイトルに「2011」と付けているのは、あくまで次回以降の「2019」がメインだから。よって今回はかいつまんでの「消化不良ぶり」の状況説明って感じでご覧いただければ。
この旧道…にしては少し不自然な感もある(後でわかったが、現道工事の際に削られて原型を留めていないようだ)スロープを登っていくと、
何かある。肉眼ではすでに見え始めていた。
そこにあったのは、
二体のお地蔵さまと石碑
だけじゃないのは一目瞭然。
今回サワリなんで、
いきなり鉄板の構図へ。
外見からの印象よりは広いが、まあ狭めの車道隧道ってくらいの印象だと思う。しかし…
ここで振り返ってみると、わたくしが度肝を抜かれた「あの光景」が眼前に。
準備はいい?
なんじゃあ こりゃあぁ。
コンクリポータルの奥には素掘りの…しかも完全人道サイズの穴が。超アグレッシヴなガリバートンネルとでも言うのか。
そのサイズ感たるや、
身長173cmのわたくしが普通に立ってこの感じ。伸ばせば天井にも手が届く。その狭い洞内には農機やざるかごが置かれて…いや、放置されていた。
真ん中に小さく見える点が西側坑口の明かり。つまり、貫通している。めっちゃ長く見えるが、現トンネルはたかだか185m。どうやら内部で崩落してるっぽい。
いったいなんだ?この隧道は?
その考察(大したこっちゃないが)は次回以降に書くとして、
こちらが真の?鉄板の構図。
当時のわたくしはまだまだ初心者、経験値が足りなかった。この手の長大(当社比)な狭小素掘りの廃隧道を徒歩で通り抜けたことがまだなく、要はビビってしまったんだな。まあ気持ちはわかる(笑)。
なので、この時はここで引き返した。もちろんこれで立ち去ったわけではなく、逆から攻めてみようということで
現トンネルを抜けて、
反対側旧道へ。
こっからはさらに端折るが、
現トンネルのほぼ直上での一枚。ノートさんが見える。
ここらへんじゃないかと思ったのだが…
だーかーらぁ、来る季節間違えてんだってニイサン!
ちーん…。
はい、圧倒的グリーンヘルに阻まれて、
あえなく敗退…。はあ…。
「消化不良」感、遺漏なく伝わっただろうか(笑)。
以来ずっと引っかかったままになっていたのだが、先日ようやく果たしたリベンジにて、初めて全貌を知った。立ち去る時には到着から1時間45分が経過していた。
その全貌を、【次回】以降に。