こんにちは。

自主的な行動と信じる対象について述べていきます。

自主性を善い行いに向けることはとても大切だと思います。なぜなら自主的な行いは義務感、やらされている感が無い為です。日頃テレビを見たり、仕事に行くというのは、自主的に善い行いをするというよりも日々の惰性、またはやらされている感から来ており、主体性による行動ではないように感じております。テレビや新聞から得られる情報は嘘が多分に含まれていたり、誰でも容易に取得出来、他の人も知っているので率直に言えば価値が無いのです。こんなことを言うのも今更ではありますが、情報は取りにいく必要があるし、仕事も業務を行う上で自らの良心を苛む機会、過剰なストレスや疲労を感じて体に支障をきたす程なのであれば、自主的に変える必要があると思うのです。是非有益な情報はネットを使って調べて入手し、入手した情報を周知したり、勤務が大変な方は働き方を見直して頂ければ幸いです。私は会社勤めの頃、報告は速度が命だから、顧客から得た情報はすぐ報告するようにと上司から教えられました。貴重な情報も機を失えば、競合先に出し抜かれ利益に結びつかず情報価値が薄れることがあり、その情報に対する反応は早く起こした方がいいので、そのように教えられたものです。行動するのは早い方がいいのは確かです。ただ、評価を得ようと自分を大きく見せようとするのは高慢の原因ですし、聖書では偽りの噂を流すのは罪とされています(出エジプト記二十三章一節参照)ので情報を得て他者に伝える際は、行いの内心や正しい内容か確認する用心深さも必要です。昨今のテレビ、新聞、雑誌、Youtube等の媒体は特に情報統制が進んでおり、視聴者本人が情報に騙されるに留まらず、偽りの情報を他人に流布し迷惑をかける危険性がある為です。偽りの情報が多く伝染しすぎたせいで、人は自ら情報をとりにいく能動的な動きをせず、怠惰、無関心にさせられ、統制された情報に基づいて意思決定をするが故に日本人が悲惨な状況にあるのは御存じの通りです。また、受動的な情報取得は知るべき内容を知り得なかったり、娯楽に釣られて能天気になってしまう有害性もあります。そのため、情報収集時は、テレビ、新聞、youtube等といった情報媒体からではなく、無料で出来るネット検索での情報調査、情報分析がいいと思います。相手にどう分かりやすく伝えるかも考えるきっかけにもなります。世の事についてはネット(DUCKDUCKGO)で検索をかければ、調査可能です。以前よりは権力者達に都合の悪い情報が表示されづらくなりましたが。また、聖書については過去の預言は悉く実現し、万物の創造主である神が人が幸いに至る唯一の道が示された貴重な書物で、かねてよりお伝えしておりますミカエル氏の「真の聖書福音と預言」や兄弟達が書かれたブログ記事と共にお読み頂ければ聖書解釈について、非常によい学びが得られます。聖書解釈について「真の聖書福音と預言」程、内容が充実したブログ及びホームページは他にありませんので、聖書と同様にブログを一回通読しただけで全て完全に理解することは難しいと思います。聖書と同じく目に見えない人間の内面性に通ずる内容が多く含まれるので、理解出来ないことがあろうことと、人は覚えたことを忘れてしまう為です。ただ、聖書の通読、正しい聖書解釈の理解、各種検索、周知の手間は惜しまないで頂きたいと思います。「分からないまま放置」、「他人事」、「わかったつもり」の状態を脱することになりますし、隣人への配慮にも繋がる為です。

世の終末時代は偽メシアたちと偽預言者たちが現れ、出来れば選民も堕落させるために、しるしと奇跡を起こすだろうからや。(マルコ十三章二十二節 聖書の終末預言 四 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)ミカエル氏訳)と警告されている通り、目を奪う超常現象を起こす偽メシアや偽預言者達が現れます。聖書と正しい聖書解釈を知り、世の状況を把握して神の律法、御言葉に忠実に従っていなければ、しるしや奇跡に目を奪われ信仰を全うする道は閉ざされてしまいますので、平素から聖書を読み、福音伝道することはとても大切です。更にこの時堕落した自覚もないでしょうから、聖書と世の出来事、双方に対して、他人事、受け身、能天気でいることの危険性を窺いしることができます。来る時に堕落せぬよう自主的に聖書の内容を第一に理解し、第二に世の状況を把握し、日々、自らの利己心、臆病、怠惰、愚かさ、高慢、見栄張り等といった醜い内面性を認識の上改善に努めていくことが大切だと感じています。そのため、聖書の通読、正しい聖書解釈の理解、各種検索、周知の手間を惜しまないで欲しいと申しました通りです。先般、こちら(X)の通り、数多くのドローンで空中に目の形状を構成し光らせた報道がありました。何ら奇跡とよべる類の演出ではありませんが、悪魔崇拝者である支配層は自身達の行動を隠さなくなってきていることは分かります。支配層は何か事を起こそうとするときには、事前予告をします。故に今後支配層が計画する青い光線(ブルービーム)計画で空中にUFOや超常現象を見せる、またはその他のしるしや奇跡によって信仰から脱落させんとする試みが聖書預言の通り実現していくのもそう遠い未来ではないと思っています。こちら(YouTube)を見てもホログラムの現行技術は既に非常に高いことがわかりますし、奇跡が起こされる時にはサタンの力が働くのでホログラム技術のように種があるしるし、奇跡だけには留まらないとも想像致します。しるしと奇跡に騙されてはいけないと主イエスの預言の通り、巧みな欺瞞と真理 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)でも、サタンが起こす奇跡に惑わされるなと警告されています。

ニューエイジでは、チャネリングというものがあります。霊界と通信することです。これは心霊術です。このような霊媒行為も聖書で禁じられているとおりです。何度も言いますが、ニューエイジは悪魔崇拝です。サタンの力で起こされるあらゆる不思議な経験を通し、その思想や信仰が真実かのように思わせ、人を神から遠ざけとる。このような思想を信じて行ったらあかん。これから経済危機、犯罪や暴動の増加、戦争、地震、その他の自然災害等が起き、そのように人々が混乱している中で、いずれサタンはその代理人を救世主かのように振舞わせて人々の前に現れます。サタン自身が光の天使に変貌するから(コリント二 十一章十四節拙訳)で、奇跡や不思議な業を起こして世界中の人々を惑わし、黙示録の獣と形容される反キリストの人物に従うように強要します。これが新世界秩序(New World Order、以下NWOという)の動きの中にあります。

サタンは偽メシアや偽預言者を通じて、奇跡やしるしを起こすのは、ヨハネの黙示録十三章十三節に書かれている第二の獣が人々の前で天から地上へ火を降らせると書かれている事とも通じていると思います。第一の獣のローマ教皇も第二の獣の米国が、多くの人にとっては善なる存在に見えたり、偽りに気付いた人達も恐怖政治により支配されて、共謀罪と真のクリスチャンのあるべき姿勢 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で書かれているように同性愛や安息日の規定等聖書の真理に反する彼ら獣の要請を受け入れ、拝んでしまう帰結かと思われます。よって、聖書の律法を隅々まで知り、世相がどのようになっているかは注視しなければなりません。また、奇跡や目に見える超常現象だけではなく、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(フリーメイソンの構成員)が記述した引き寄せの法則のようにニューエイジと似た思想の実践で自己肯定感を高め、よい(人間にとって心地よい)機会や経験をするようになることも奇跡の一種とみなす人も多いです。しかし、世の悪に抵抗しなさい | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で以下の通り警告されており、心地よい経験によって惑わされないよう細心の注意が必要です。

金銭欲、支配欲、名誉欲、物欲等といった肉の欲から来る間違った動機で神を信じたり、神に祈ったりしても何も与えられまへん。仮に金銭を神に願ったとして、それが叶ったらそれは天の神ではなく、この世の神(コリント二四章四節拙訳)であるサタンが叶えたんです。このような祈りをする人間は誤った信仰に陥って抜け出すことが難しくなります。また、彼らは柔和を装い、彼ら自身が悪い人間だと他人から評価されたないので、誰に対しても良い人間になろうとします。即ち、世の友となるということです。

 

引き寄せの法則は自己否定を求める聖書とは正反対の内容です。引き寄せの法則に嵌ってしまう人がいるのもこの世で生きている内の出来事に目を奪われすぎている為です。他にはキャサリン・ポンダーの「宇宙の力を使いこなす方法」、ロンダ・バーンの「ザ・シークレット」等も引き寄せの法則と似たものと思います。しかし、偽使徒パウロの書簡にさえ、悪魔による偽りの奇跡や不思議な業に欺かれ、救いとなる聖書に書かれた真理を人が愛そうとしない故に滅びると書かれていることもご参考下さい。

 

不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そしてあらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなある真理を愛そうとしなかったからです。(テサロニケの信徒への手紙二 二章九節~十節)

 

エジプトの魔術師が行う目を奪う奇跡を行いエジプト王が心を頑なにしたことと、魔術を使う悪魔崇拝者も奇跡を起こせることも聖書の出エジプト記からの一つの教訓ですから、目に見える奇跡、相手が知名度がある人であれ組織であれ、盲信して貴重な諭しを受け入れない姿勢は変えていく必要があります。奇跡やしるしを見せたり、現在の情報媒体が画一的な内容ばかりを報道するのは、一般大衆を悪魔崇拝に導き崇拝させ心をかたくなにさせ、聖書を信じさせず、第二の死に至らしめる目論見の為です。主イエスがペトロに「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。(ルカ二十二章三十一節)と予め警告されたように現在も、悪魔は人をふるって地獄行きに導くことを生業として、主イエスや聖書の真理から大衆の目を遠ざけようとします。悪魔崇拝者たる支配層の手先である日本の報道機関も嘘報道、情報操作を行い、お笑い、クイズ番組、他バラエティ番組、嘘ばかりのニュース等、人としての資質向上に寄与しない番組報道し、聖書の真理を一切報道されないこと自体が、全ての人がサタンの篩にかけられていると捉えるべきではないでしょうか。日本の情報流通に関しては米国中央情報局(以下、CIA)が絡んでいるので、ご参考までにCIAについて調べた内容に軽くふれて参ります。

CIAがサタン(悪魔)崇拝組織であることはFBIロサンゼルス元支部長テッド・ガンダーソン氏が告発した動画 (youtube.com)が有名ですので宜しければご視聴ください。CIAは第二次世界大戦中の特務機関であった戦略諜報局OSS(Office of Strategic Services )がCIAの前身組織です。太陽暦千九百四十七年に中央情報局(CIA)に改名され、第二次世界大戦後、日本に非常に大きな影響を及ぼしました。こちら (kinoshitayakuhin.com)に日本人のCIA工作員の名簿が出ております。CIA工作員の名簿に書かれている第五十六・五十七代内閣総理大臣の岸信介氏は、こちら(asahi.com)の通り、CIAと密接な関係があります。当時、岸信介首相とアイゼンハウアー大統領との間で日米安保条約が改定され、米国による日本防衛が義務付けられ、米国は日本に対する親切心で米軍が日本での戦争抑止力になってくれていると思いきや、一方では悪名高い日米地位協定という不平等な行政協定があり、米軍は日本の法律に従う必要がなく、日本は米軍に対する刑事裁判権(犯罪事実を確定し、科すべき刑罰を定める権限)がありません。むしろ日本人が領空を飛ぶ為に米国の許可を得る必要があったり、米軍基地から発生したと疑われる有害なPFAS(炭素とフッ素の原子を持つ化学物質ペルフルオロアルキル化合物またはポリフルオロアルキル化合物の総称)に関して基地への立ち入り調査も認められず米軍基地には排他特権があったり、米軍の暴行や犯罪も起訴されなかった過去実績があり、日米は明らかに対等関係にありません。日米合同委員会では、この日米地位協定の運用、日米安全保障の問題に関わる内容や日本の政策について協議され、協議内容が国民に公開されず、密約の温床とも言われています。こちら (youtube.com)でも山本太郎氏が安倍晋三氏に日米地位協定について言及しています。この安保改定の前段に、岸信介氏がCIAから継続的財政支援を受けることの約束取り付けがあったことは有名な話で、これまで日本が行ってきた売国行為に益々拍車がかかったと言えるかと思います。石破茂氏も過去、憲法九条と日米安保、日米地位協定はセットで考えるべきと発言したことがこちら| アベマタイムズを見ると分かり、現国会議員は米国の言いなりだということも明白です。また、最近こちら(フォーブス ジャパン)では、陽暦二千二十四年四月に新たな安全保障協定に調印予定とあり、その内容は明らかにされていないようですが、支那の脅威を名目とした日本の軍備拡大に関する内容と予想されます。誤解していはいけないのは日本人の消滅危機と生き様について | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)に書かれている通り、目的は日本防衛や平和を目指すことではなく、米国と支那が二国間対立を装った形で、純日本人ではない見た目は日本人の政治家達によって日本潰しが行われているということです。日本潰し、売国の始まりは日本乗っ取り計画、日本人抹殺計画 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)の通り、明治維新から始まっています。

また、戦後、日本に洗脳装置であるテレビ放送を導入し、CIAの諜報人の一人である正力松太郎氏については、正力松太郎 - Wikipediaで、以下のように記載されています。

 

日本へのテレビ放送の導入と原子力発電の導入について、正力はCIAと利害が一致していたので協力し合うことになった。その結果、正力の個人コードネームとして「podam」(ロシア語などで「我、通報す」の意)及び「pojacpot-1」が与えられ、組織としての読売新聞社、そして日本テレビ放送網を示すコードネームは「podalton」と付けられ、この二者を通じて日本政界に介入する計画が「Operation Podalton」と呼ばれた。これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになった(アメリカ国立公文書 Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53)[41][42]。正力と共に日本のテレビ放送導入に関わった柴田秀利は「pohalt」というコードネームを与えられた。

 

引用しましたように、CIAとその諜報人達によって日本にテレビ放送や原発導入が進められました。テレビは一億白痴化という言葉が流行語になったように3S政策の道具として機能しました。また、日本はウラン燃料を米国から調達したり、原子炉製造元であるGEや当時のウェスティング・ハウス製の炉を導入し、米国に利する動きを徹底していました。米国と日本の政治家・報道機関との関係による売国の結果、人工地震による福島原発の悲惨な大問題が引起こされたことは御存じの通りです。平田オリザ参与「撤回して謝罪」 「汚染水放出は米要請」発言: J-CAST ニュース【全文表示】の通り、原発汚染水放出は米国要請によると真実を漏らし、その後撤回する事もありました。

また、大手広告代理店である電通は、広告主の自民党のために情報を収集し日本の「世論」を作り上げていますが、この電通は明治時代の終わり頃設立された「日本電報通信社」が前身で、満州事変以降に国策で満洲国通信社となり、満州国通信社の初代主幹兼主筆には里見甫(さとみはじめ)が着任しました。こちら (youtube.com)によれば、この里見氏もCIAの諜報人であった様子。

宗教方面でもCIAの影響が見られます。日本財団を創設した笹川良一氏もCIAの名簿にあった通り、CIAの支援を受けていたことは明白で、こちら (kodansha.co.jp)で統一教会の勢力拡大に岸信介、笹川良一氏の後ろ盾があったことが述べられています。笹川家は、ローマ教皇のフランシスコと面会しハンセン病対策を推進しています(となれば、ハンセン病が大々的にらい菌が原因だとされていることも非常に疑わしいです。)。

続いて行政機関である東京地検特捜部は法務省の特別機関ですが、過去、米国の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって創設された歴史的事実があって、現在も東京地検特捜部の上層部は米国中央情報局CIAの手下であり、日本国内の反米的人間を処分する為に設置した機関であると真の聖書福音と預言 【第五回】ほんまもんの愛と暦とは(bitchute)にて述べられています。

こちら| NHK | 千葉県でも、検察が不起訴にした事案が掲載され、検察はその理由も明らかにしていない様子。東京地検特捜部の上層部はCIAの対日工作活動について徹底した教育を受け、直接摘発指令が来ることもある様です。要するに米国が日本の官民組織の要職の人事権を握っているといえます。CIAは日本のみならず世界的に反米組織を打倒する為にテロを支援したり、政治家、宗教団体、民間企業、芸能人等、様々なところに工作員を紛れ込ませるのは今も過去も変わっていません。

尚、テロの定義については、人々の誤認識と今後必要な信仰と心の準備 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で、以下の通り書かれており、テロという単語の意味の認識を誤らないように改めてお伝えさせて頂くものです。

テロの定義は、独裁的な権力者が、民衆の自由な思想と言論を封じ、恐怖を与えて強制的に従わせて支配する行為、また、独裁に反対する人を犯罪者扱いして処罰する行為です。要するに、権力者がテロの主体なのであって、権力を持たない民衆の行為はテロには当たらないのです。

 

以上の通り、政治家、行政機関、報道機関、宗教、民間団体とあらゆる分野でCIA諜報員による工作活動が存在しており、その裏では一般人が思いもよらない誘拐や生贄の儀式等という犯罪行為が行われているのも、CIAの創設母体であるローマカトリック・イエズス会や悪魔崇拝の思想を汲んだものです。日本の野党も無関係ではありません。維新の会の松井一郎氏は先に述べた笹川氏と深い関係があり、公明党母体である創価学会の起源もCIAと関係するものです。過去から現在に至るまで与野党グル、官民グルで米国主導の売国政策が進められています。中には反グローバリズムをうたう参政党を猛烈に推す人もおられますが、参政党の神谷氏は、創憲といいながら、憲法改悪賛成派で、こちら(X)の通り、「むしろ人口が減っていく方が地球規模で考えればいいだろうと思っています。」と、日本人の人口削減に賛成の立場であり、自民党のガス抜き要員であろうことが分かります。太陽暦二千十二年に神谷氏は戦略国際問題研究所(CIAの別動隊で、前身のジョージタウン大学戦略国際問題研究所はイエズス会が創設した外交学院から発展)のリチャード・アーミテージ氏やマイケルグリーン氏と面会実績があり、ジャパンハンドラー(日本を操作する者の意味)と言われる米国人脈と交流を持つ人物です。また、安倍晋三氏を日米地位協定の件で批判していた山本太郎氏は、現在消費税やインボイス制度の廃止を訴えており、国民に寄添う様子が見られ一部の国民に熱烈な支持を受けているようですが、彼自身はマスクをしたりワクチンを肯定したり、イルミナティを知らないととぼけたりと、問題はあります。そのため、誰かが国民の為に何とかしてくれると政治に無関心であったり、野党に他力本願になるのは誤りです。安保闘争の時は三十万人規模の国民が国会を取り囲んだとされていますが、それでも安保改定が強行されました。過去の歴史を考えれば、数十人、数百人が集まって抗議活動をしたとしても規模が小さすぎますし(勿論抗議活動そのものを諦めて放棄するべきではありませんが)、莫大な金銭を持った権力者達が工作員を雇って偽りの抗議活動をでっち上げることも出来るので、工作員による大規模な抗議活動に期待しても無駄で抗議は国民自ら数十万、数百万人規模でやらなければ意味が無いと考えることが出来ます。ただ、聖書の預言の通り世相は悪化する以上、そして日本全体を覆う圧倒的多数の国民の政治や法に対する無関心さを見るに、もはや安保闘争以上の大規模抗議は起こりえないだろうとも考えられます。自身の力だけではそれだけの規模の人を集めることは到底力及ばず、抗議活動は各自の危機感の高まりによる主体的行動に委ねられていると思える為です。

以上の点により、日本の政治家、大企業、宗教団体の成り立ちや背景から、著名であるというだけで信用するのは誤った行いだと改めて述べたいと思います。テレビや新聞が出す情報をそのまま信用したり陰謀論という言葉に騙されるのではなく、自分で聖書と世の事を調べて正しい情報を掴む、隣人の為に正しい情報を拡散したり行動を働きかけるということが合理的であり愛ある考え方と行動だと考えられます。陰謀論と言う言葉は、こちら (alzhacker.com)の通り、CIAの造語です。そのCIAを日本だけではなく各種方面で暗躍させている米国は、聖書では第二の獣として登場します。その詳細については神の刻印、獣の刻印と黙示録の獣 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)からご参照下さい。悪魔崇拝、ワクチン関係、5G等に関係して陰謀論と呼ばれていることが真実であり、アメブロだから信用出来ない、どこの誰が書いているか分からないから信用出来ない、公式口座ではないから読むに値しない等と、即座に切り捨てることのないようにした方がいいでしょう。実態を知らず陰謀論と評したり、権威を重視する行動は、肩書、外見、地位等といった木を見て、発言内容や行動という森を見ない行動の為です。冒頭で述べた偽メシアや偽預言者に騙されるなという警告にも通ずる話です。情報発信に何ら金銭授受等の利害関係が無い個人運営のブログやHPはテレビ、新聞、Youtubeよりも恣意的な内容が圧倒的に少ないと考えられます。ただ個人ブログも全て正しいわけではなく、多くの人は本音と建て前を使いわけたり、心にないことを口に出来る(嘘付きは第二の死となることはヨハネの黙示録に書いてあり悔い改めるべきこと)し、それを罪と思わず本音を言わないことをよいことと思っている人もいるので、本当に信用出来る人は非常に少いのが実態です。そこで著者が話す内容に根拠があるか、辻褄があうか見極める力が必要です。見極める力は究極的には真理である聖書を理解してその教えを実践していくことで少しずつ身に付くように思います。信頼すべきは人類生誕から今に至るまでそして将来もおられる方、神である主イエスと神の偽りのない御言葉が書き記された聖書(ただしパウロ書簡を除く)、そして聖書や世の状況を把握して正しい生活を実践している人達です。

 

〇聖書にのみ正しく生きる指針が書かれているので、聖書を読みこんで神の教えを実践し狭い道を歩むことが必要

 

ここで述べることは、人生において正しく生きる指針、真理は聖書にのみ書かれており、地上に存在するその他の本には書かれていませんので、聖書を読み、神の教えを日々実践出来る様尽力いただきたいということです。

多くの人は正しく生きること、真理を遠ざけ、先に例示した引き寄せの法則のような自己肯定感を高める方になびくことを問題視しております。心地よさを優先するが故に主観や感情を除いて正しく状況把握することは難しいと言えますが、真理を学ぶことを遠ざけても外的環境や状況がかわるわけではないからです。例えば、この先も日本国内の税金、物価は上がる一方で、日本人の生活は益々苦しくなり不当な支出が増える故、聖書が戒める拝金主義者が益々増えていくと思います。現実的な政治や大衆の動きと聖書預言を基にそうならざるを得ないと考えます。そのような世でも引き寄せの法則を使って自己肯定感を高めて更に拝金主義になったり、世の楽しみを求めていることで外部の問題が解決するかといえばそうではありません。むしろ過酷な環境故に益々現実逃避し、悔い改めが難しくなりそうです。斯様な時流に巻き込まれたり、先述したような奇跡の類が起こされて惑わされ堕落する道に進まない為には、今から聖書を読んで聖書の教えに従う正しい道を選択して備えるしかありません。道は、神の律法を守って神に仕え、永遠の命を得るか金銭の背後に潜む悪魔に仕えて第二の死に至るか、どちらか一方です。その意識が無くても、神の律法を知って守らなければ、罪を犯しこの世の神である悪魔を拝んで仕えることになります。罪が何かを明確に知りえない為です。罪の定義については、是非罪について | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)と聖書を御確認下さい。自身も以前は聖書を知らず神の存在を信じていなかったので、今振り返ると罪深い行動ばかりでした。例えば、日本に馴染みある風習に沿って、神社で賽銭して手を叩いて拝んで適当な願望を願っておりましたが、誰に願っているのかは考えたことがありませんでした。周りの人達が風習でやっているし伝統文化っぽいし、自分もやるか位の軽い感覚です。これと似た考え方の人が多いと思いますが、実際拝む対象が神(豊穣の神や商売繁盛の神)とうたいつつ悪魔であることを知らずに拝んで神の怒りを蓄えてしまう行為である事が非常に問題です。世の唯一の神以外を拝むことはこの世の神である悪魔を拝むことなのです。この例に留まらず、悪魔の罠は至るところにありますので、先の私自身の失敗のように、自らの心や行いが聖書の教えに合致しているか確認できなければ、知らずの内に悪魔が好む思いや行動を避けることは不可能といえます。そのため、聖書を読んで自らの罪となる思いや行為を知ることを優先して悪魔の手に乗らない状態を作っていく必要があります。聖書を知って神の律法を守り神に仕えて悔い改める段階を経験せねばなりません。その時に、気の緩み、肉の欲、世俗的問題に対する思い煩い、怠惰、愚か、高慢、臆病風に吹かれる等、数々の自己愛が自分の中に眠っていたことに気付かされます。自身の経験から、不甲斐ない経験をしながら、諦めず次への教訓として活かす時間が必要で、内に蓄積された自己愛の瓦解には尚、時間がかかると認識しています。人によって必要な時間は夫々ですが、主イエスが自分を捨てるようにと仰っていることから、その御言葉を守るべく各々の自我に関する課題認識と対策は誰もが避けては通れないものと考えます。

わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。(ルカ九章二十三節~二十四節)

この御言葉は多くの人には厳しいと感じるであろう内容だと考えます。現代社会で誰かの為に命を賭す覚悟で生きている人がほとんどいないし、自分の欲を満たすことを優先している人が多い為、この御言葉の達成が余計に難しく感じる原因ではないかと思います。また、聖書を知らず、内容も知らなければ、主イエスの為に命を失おうという思いを持つ人はいないであろうし、多くの場合は出来るはずないと諦めたり、何かの冗談だろうと他人事に感じて終わるだろうからです。しかしその思いこそ、自己愛があることを示しているので、一笑に付して終わりにするのではなく、御発言の意図を確りと考察することは必要だとは思います。自分の命を張ろうと思える相手がいるならば、身体と魂を整えて下さった神の為に命を省みず働き命を捨てる覚悟が芽生えても不思議ではないと思う為です。この御言葉に従う為には、神の愛を知り、自分の中にある「世俗との馴れ合い、世俗への期待」、「油断」、「不要な欲望」等を認識して捨て、主イエスの為に命を捨てられる程に愛が完成した人に成長する必要があるとわかります。また、主イエスの使徒であるペトロでさえ、主イエスに服従する思いが強かったものの、迫害を恐れて三回も主イエスを知らないと発言したことからも、自分自身を客観視し誇り高ぶらない重要性や難しさもわかります。そこで成長にはその時に応じて各自が誇り高ぶらないよう受くべき苦難を受け忍耐強く我慢し、信仰を保ち続ける必要があると痛感します。この苦難も自分一人では受けようにも受けることが出来ないので、周囲の人々、不信仰の人達、信仰の兄弟達との関わり合いが必須です。

また、上述しました油断に関しては、人は喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、且つペトロが主イエスを知らないといった歴史からも分かるように手痛い過ちの原因になります。この油断について「油断の語源」を栄助氏がともし火には影が無い | 真理は聖書にある (ameblo.jp)の中で、以下のように述べられており非常に参考になりますのでご紹介致します。

余談ですが、「油断」という言葉の意味は、「気を許して注意を怠ること」ですが、「油断」の語源には一般的には三説あるようです。参考までにこちらをご参照ください。ただ、「油断」の語源は、言葉は神であった。(ヨハネによる福音書一章一節 参照)と聖書に書いてあるとおり、創造主であられる主イエスがたとえを用いて述べられた「愚かなおとめ」の箇所が語源になっているのではないかと個人的には考えます。

栄助氏は油断の語源は、油を準備していなかった愚かなおとめが油断の語源ではないかと考察をされています。確かに聖書で、油断してやり直しがきかない状態にならぬよう、常に目を覚ましているように警告されている(マタイ二十五章十三節御参照)ので、その通りだと思いました。また、マタイ五章十五節~十六節にともし火が家の中の全てを照らすように、キリスト者は、立派な行いをすることで光を人々の前で輝かせよとの御言葉があり、光となって周囲を照らす火の点火には油の準備が必要です。「聖書では油が聖霊を象徴」することはゲツセマネの祈り | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)に書かれており、神の律法を守って聖霊を授かり、以降も聖霊の思いを絶やさずに行動する大切さを学ぶことが出来ます。信仰を行いで示し続けるに、心においては愛、誠実さ、熱意、親切心が伴い続けることが分かります。

 

ゲツセマネという名前は、油絞りという意味です。また、そこはオリーブ山でもありオリーブを絞ってオリーブ油を作っていたと思われます。過去記事「今後の社会情勢と神の裁きへの備え」で説明したとおり、油は、聖書では聖霊を象徴しています。主イエスが神の怒りをお受けになり、押しつぶされて油を絞り出す、聖霊を出すということを暗示しているように思えます。主イエスが地上で宣教されていた間は、人々に聖霊はまだ与えられませんでした。聖霊が与えられるのは、十字架での死、それから三日目に復活、昇天という段階を経てからでした。それは、主イエスが「わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」(ヨハネ16:7)という御言葉から分かります。

油断は霊の思いではなく、肉の思い(各種自己愛)なのです。肉の思いの全てを網羅している訳ではありませんが、具体例として、ガラテヤ(パウロが異邦人伝道をしたガラテヤはガラティア - Wikipediaによれば、現在のトルコに位置する都市で、当時はローマの属州となっていた場所)の信徒への手紙が参考になります。(注:ガラテヤの信徒への手紙を含むパウロ書簡は律法廃止論を唱えている箇所があり、主イエス及び使徒の書簡とは異なる見解が書かれているので、読む際は騙されないように注意を払う必要があります。ミカエル氏が偽使徒パウロの反キリスト教義 一~七までその反キリスト教義を指摘されていますので、是非ともご参照下さい。)

姦淫、猥褻、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことは出来ません。(ガラテヤの信徒への手紙 五章二十節~二十一節)

読んで下さっている方でも、日頃生活している中で、肉の思いの例示に思い当たる節はあるかと推測します。個人的には世俗の事に熱心になっている時に肉の思いが湧きあがりやすい傾向にあり、この個人的な経験則から、世俗の事で忙しくするのは本来は程々にすべきと思っています。日本人の問題点 五 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)ほんまに時間的なゆとりは大事であり、日本に住む日本人は危機感を持って立ち上がり、今の狂った労働観や習慣をすべて変えるべきやで。行動せず改善もせえへんから日本が落ちぶれてるってことを理解せいと書かれている通りです。信仰の為には世俗の用に使う時間を極力少なくし、肉の思い、油断を招かぬ環境作りに努めることが望ましいのです。生活の為の仕事面においては、広く低賃金が罷り通り、無用な就業規則やワクチン伝播が蔓延る社会環境を考慮すると難儀に思うところもありますが、外部環境は益々厳しくなる一方なので、出来るだけ速やかに自分が可能な限り試せることを試し、信仰を第一に出来る働き方を模索して、律法に反したり、善い行いを阻む状態から脱する必要があります。聖書が伝える律法違反の顛末は偽使徒パウロの反キリスト教義 二 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)の通りまた聖書に書かれている通り悲惨な状態であることは確かだからです。

過去のファリサイ派たちはモーセの律法を守るように口先で言いつつ、実際は彼らは人間の教えや習慣や伝統等を重視してそれらを細則として勝手に作り、それを守ることを重視し、聖書にある律法の掟を蔑ろにした点があった。主イエスはその点を非難しはったが、モーセの律法を守ることについては一切非難しはらへんかったし、そのことで対立したんやない。当たり前やろ。モーセの律法は、廃止されることがないんやから。主イエスは、「律法学者とファリサイ派の人らは、モーセの座に座ってる。」(マタイ二十三章二節参照)と言わはり、律法を守ることと人々に律法を守るように指示することについて認めてはった証拠や。せやから、主イエスは、ファリサイ派の義よりも優れた人でなければ決して天国には行けへんとも言わはった(マタイ五章二十節参照)。よって、律法を無視して違犯するようでは論外なことが分かるし、律法を守るだけでも不十分なんが分かるであろう。世の自称キリスト者たちよ、律法違犯を改めへんあんたらには不信仰の者と同じように絶望しかなく、後で泣き喚いて歯ぎしりするであろう。

 

確かに、マタイによる福音書七章二十一節に、私に向かって、『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。と書かれています。律法を守っていなければ、死後裁きの座において、あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れと主イエスから言い渡され第二の死が確定致します。その悲しい結末を回避する為に試練と悔い改め神を賛美する機会が残されていることは本来は誠に感謝すべきことです。一方では先の愚かな乙女のたとえの通り、まだ大丈夫だろうと高を括って悔い改めを先延ばしにしている内に、神に仕えることが不可、やり直しがきかない状態(既に悔い改められる恩恵期間が終わっている)に陥る可能性がありますので、常に気を引き締めていることも求められます。誰もすき好んで自らの第二の死を願うはずがないものの、そのような事態が起こるはずがないという根拠ない希望的観測を抱きやすく怠けることも事実だからです。悪い人間的気質の全ては愛や信仰心の欠如に生み出されていると思います。よって信仰者達が主イエスと真の聖書福音を定期的に述べ伝えるのは、神の御心であれば救われて欲しく、繰り返し言わないと人はすぐに油断して周りを見て怠ける癖がある為です。隣人と同じ生活様式で安心し、聖書に関心を示さず、神などいない、この世での出来事が人生の全てだと思っている不信仰の状態から脱却して頂く為のきっかけを作って頂いているのです。主イエスは、信じない者にとっては、つまずきの石、妨げの岩なのです。彼らは御言葉を信じないので、つまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められている(ペトロの手紙一 二章八節参照)と述べられている通りで、不信仰な周囲と同じであることをもって安心するのは悪手であります。そして、ペトロが義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに(ペトロの手紙二 二章二十一節)と厳しい警告を残している通り、途中で信仰から離脱することのないように肉の思いを抱かない環境整備に努め、主イエスの為に命を賭せる状態にまで歩を進めていく必要があります。個人的には日々聖書を読んで神の律法や御言葉を頭に暗記する事と、現実生活に落とし込み行動及び継続する事は全く別だと感じております。言うは易しというように、神の律法や御言葉を覚えた上で、神に喜んで頂けるように自制し善い行いを続けると口で言うのは簡単なのですが、心と行いで示すのは少しでも利己心が残っていれば途端に達成不可となってしまいます。ファリサイ派や律法学者の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。と主イエスが仰った通り、ファリサイ派のように律法を守っていると自認して自己満足したり、本当は守れていないのに守っていると勘違いしていたことも聖書から得られる教訓となります。現実的には聖書を確り理解したり、独りよがりになっていないか確認したり、自己愛を克服したり、世俗の問題との絡みの中で神の律法を守る為にどうするべきか頭を悩ませ、兄弟達の知恵や経験をお借りしながら自分で解決案を見出し行ったり、良心に基づく善い行いをしていく、多くの人には非常に狭い道であることは事実です。ですがどうか初めから諦めず、聖句を読んで励みにして行いによって目先の利益ではなく、本当の幸せをつかんで頂くように願っています。共に頑張って参りましょう。

ヤコブの手紙/ 一章二十五節

しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。

マタイによる福音書/二十六章四十一節

誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。

 

〇恵まれた環境は整っている。変化のきっかけを逃さないことと自己を制御すること

 

本題の結論としては、聖書を読んで、神の律法、御言葉の体現に注力することです。幸いなのは、神の言葉を聞き、それを守る人である。(ルカ十一章二十八節参照)と書かれている通りです。そしてそもそも聖書を読み、神の律法、御言葉を守ろうとするきっかけは、人生の挫折とか、生き方や世の中に対して疑問を感じることから始まると思います。挫折や疑問を感じなければ、過去から続く世俗的人生の延長線を歩み続けるだろうと思うからです。生き方や世の情勢に疑問を持つことは辛い事に感じますがよい機会です。しかし、折角疑問を持っても、聖書の通読を避けたり、信じなかったり、世の事ばかりに気をとられていたり、聖書が支配層による計画書だ等と堕としたり、聖書に関して誤った教義を伝える牧師や神父の生温い教えを信じて悔い改めを拒んで楽な教えになびく人を数多く見てきましたので、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない(マタイ二十二章十四節参照)という御言葉は真実だと感じています。主イエスはわたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。(マタイ十五章十三節、十四節)と仰っているので、そのような状況になっているのだと思います。何と厳しいことかと思います一方で、信仰から脱落するか否か、誰が救われるかは人間が予め知る必要もなく、それよりも恩知らずで高慢な自分を認め、神の御言葉の実現に向けて聖書の教えを愚直に学び、行っていく道を歩むべきと感じております。神が御求めになっている善を行うのは人の本分であり、少なくとも行えるようになることを求めることが、マタイ七章十一節からも必要だと考える次第です。

正しい道は何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい(マタイ六章三十三節ご参照)の通り、神の愛に呼応してキリスト道に入る決意し、聖書通読・研究・他者の言説が聖書に沿っているか確認して騙されず、神の律法に沿った悔い改め・愛ある善い行いをしていくことだと思います。聖書の真理については、冒頭の方で申し上げたように、世の終わりの時代、聖書解読を行ったミカエル氏が先駆けて伝道を始められ、その伝道によって聖書の真理に気付いた兄弟達により、ブログが公開されており、正解に至る手引きがあります。一から聖書解読する必要がないところまで完成しており、滅びに通じる広々とした道(マタイ七章十三節)を選択せず、非常に狭く、細い道(マタイ七章十四節参照)を選択し、羊の皮をかぶった貪欲な狼である偽預言者を警戒(マタイ七章十五節参照)し、各種聖書の教えを実践していける状態は整っています。主イエスが終わりの時代に聖書真理を知る環境を整えて下さり、そして兄弟達が伝道して下さったことによって、それを知る機会に恵まれています。その環境を選択せず偽りや耳ざわりのいい言葉を愛する結末は、盲人が盲人の道案内をして二人とも穴に落ちてしまう(マタイ十五章十四節)の通りで後の世で、あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れと言われ、その御発言に容赦はなく、その時こそ人には絶望しか残らないのだと思います。手遅れにならないよう貴重なきっかけを取りこぼさず、偽りの広々とした自滅の道を選択しないよう自分のよこしまな思いや行動を観察、制御し続けることが大切です。

 

〇虚しい思いは人との比較、世俗的価値感を重視することにより生まれる

以上の通り、聖書が教える道を進むべきことを強く推奨して参りました。本記事の最後に多くの人が虚しい思いを抱く事例を紹介します。見て頂ければ、どちらの道に進むべきかは明らかだと思います。人が虚しいと感じる場面について、「ふとした瞬間に虚しくなるのはなぜ?」虚しいと感じやすい場面と理由、解決法を解説 (careerdrive.jp)の例を参照しながら述べていきます。

画像引用:「ふとした瞬間に虚しくなるのはなぜ?」虚しいと感じやすい場面と理由、解決法を解説 (careerdrive.jp)

①自分と人を比べて劣等感を抱いた時

劣等感は他者を羨む気持ちから生まれますが、比較はよくないと思います。その理由は競争心が強い人ほど自分の人生を生きられない理由 (ishiryoblog.jp)が参考になります。他人と比較して自分の境遇を不遇に思ったり、思い悩む必要は無く、自分が与えられた環境において善を行うことに心を向けるべきと思います。参考となる聖句を以下に示します。

 

あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。(申命記五章二十一節参照)

 

罪人のことで羨んだりするな。そうではなく、一日中、心で主を畏敬せよ。(箴言二十三章十七節拙訳)

 

悪事を憎んで、善を愛しなさい(アモス書五章十五節拙訳)

 

また、主権は神にあり、人間にあらず | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)他人と自分を比較して「あの人よりはマシ」等と思っている人たちはまったく成長しないと書かれている通りですし、差別と侍の本義について | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で他人と比較することが不幸の始まり、と仰っていることも参考になります。

今の日本語は明治時代に造られたもので、そのせいで古典や古い文献を現代の日本人は読めなくなりましたし、戦争によって多くの資料や文献も失われました。現代では、多くの朝鮮人や支那人等の移民が日本で増え、西洋文明のとりこになり、利己主義や拝金主義に陥る人が増えて民度は下がり、国力も低下しました。日本は食料自給率が低くて輸入に頼っている等と統計を持ち出して主張する人がいますが嘘でしかありません。江戸時代までの鎖国政策で日本は内需だけで十分に生きていくことができる国でした。それが今では売国官僚、政治家、企業家、銀行家が増え過ぎて外資に依存しなければ生きられないように意図的に日本は破壊されました。金融と石油の支配下にある限り、経済的奴隷の状態からは抜け出せません。仏教信仰という点を除き、ブータンもついこの間までは自給自足生活で素晴らしい国で、他者と格差が無かったので幸福度が高かったのです。他人と比べることが不幸の始まりです。他人と比較しないようにしましょう。聖書の十戒にも「隣人のものを一切欲してはならない」(出エジプト記20:17)とあるとおりです。他人と比べて自分が持っているお金が少ない、物を持っていない等と比較することで金銭欲、物欲等と罪を犯す糸口になるから神は人間を戒められているのです。

また、隣人との比較の対象になりやすい金銭や一流企業への就職に関連して、お金があっても不幸な人 | ガールズちゃんねる - Girls Channel -で以下のように投稿がありました。

「お金がないと子育てできないなと思うけど医大生とかが犯罪起こしてるの見るとお金だけでは良い子供は育たないんだなと思う。」という投稿や、「旦那の家がお金持ちで、旦那も一流企業の役職についてるのでお金だけなら一生困らない。でも夫がモラハラ。わたしが自由に使えるお金なんてない。カードで、履歴はネットから夫が逐一チェックしてる。服とかも、数万円程度の服を買うと「そんな安物で外歩かれたら俺が恥かくだろ」と言い、数十万円のものを夫が買ってくれると「誰のおかげでこんな服が着られると思ってるんだ?」と言われる。でも子供が大きくなるまでは絶対離婚はしない。それまではモラハラの記録として、ボイスレコーダーのアプリで常に録音してるし、日記もつけてる。弁護士相談にも行ってる。証拠品は定期的に実家に送って保管してもらってる。離婚する時には慰謝料ふんだくって、夫の会社や友人にも全部バラしてやるつもり。」

以上に述べられている不幸は金銭、生活水準の維持や肩書きという基準で人を判断する故に生まれているのではないでしょうか。ヤコブの手紙二章九節でも人を差別する事を戒めています。また、肥えた牛を食べて憎み合うよりは青菜の食事で愛し合う方がよい(箴言十五章十七節)と書かれている通り、現代社会でも自分が節制したり、相手を気遣うよりも金銭や生活水準を満たすことを前提にするが故に人々の関係性が悪化の原因になっています。最初に考えるべきは、自分が相手に何を施してあげられるかを優先すべきであり、生活水準や給与を高く保つこと自体が目的にならないように注意を要します。

 

②「自分は一人だ」と孤独を感じた時

上記にて紹介した記事の二番目に「自分の気持ちを正直に打ち明けられる人がいない、伝えても分かってくれない」という気持ちが募るうちに、虚しくなってしまうと書かれていました。この問題は孤独を感じる人だけの問題ではなく、相手の意思を汲み取る理解力のない人が増えたことも原因ではないかと思います。主権は神にあり、人間にあらず | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)では、現代社会、日本でも例外なく、強者に弱く弱者に強気に出る性格の人間が増え過ぎています。あなたがたも、身の回りの人間らもこんな人ばかりではないかとの批判されており、現代日本人がその通りの状態になっています。

だから、世俗的関係の中で孤立したとしても、周囲がおかしい可能性もおおいに考えられますし、思いやりのない人に媚びたり正義を曲げてまで理解頂く必要は無いし、孤独感を感じる必要も無いとも思います。思いやりのない人に、間違っていると指摘してもあなたはおかしい等と愛のない反発を受けることが予想されますが、そのような時は、関わりを必要最小限にすることで対処可能です。また、世の友となりたいと願う人はだれでも、神の敵になる(ヤコブの手紙四章四節)の通りで、交友関係や仕事上の人間関係がうまくいかないからといって必要以上に気落ちしないよう気を付け、世の悪事や聖書伝道を行う信仰者は孤独に対する耐久性を持ってしかるべきとも思います。多くの人があまりに世の実情を知らず、聞く耳を持たない事に心身疲れることもありますが、そのことでくじけてはいけない為です。他責だけではなく、相手に分かりやすい説明をすることを常に心がける必要もあり、周囲が聞く耳を持たない状況をもって一喜一憂している訳には参りません。真の聖書福音と預言を伝道しているミカエル氏は聖書の終末預言 五 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で、聖書暦二千十六年末(太陽暦二千十七年二月)から伝道活動を続けており、それでもまともに聞く耳を持つ人があまりにも少ないことに苦しみ、心身共に疲弊してきたが、それでも挫けずに継続してきた。それは拙者が人の評価や評判なんかを気にしてるからやのうて、神への愛と隣人愛を持ち、日々神を仰いで行動してるが故と書かれておられます。隣人からの反応があまりに薄かったり聞く耳が少ないことに絶望せず活動をやめず、神と隣人への愛が活動の原動力となって伝道を継続していることがおおいに励みになる内容で、その姿勢に倣い伝道を継続している兄弟達がいることが心強いことです。反対に神への愛や隣人愛からではなく、自らの義を打ち立てることを活動目的としていたら、相手からよい反応が得られなかった時に、孤独感や虚しさを感じて活動をやめてしまうのではないでしょうか。キリスト道を歩むとは、主イエスが歩まれたように自らの義を求めず、神の義を求め、神と隣人への愛ゆえに伝道し、善い行いに励み続けることだと実感します。以下聖句のように、キリスト者は迫害されると主イエスが予告されており、終末期の迫害(それほど多くの時間は残されていないと思います)を受け入れ忍耐出来るまでに成長することが求められています。

確かに、民は民に、王国は王国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と悪疫と地震(または騒動)があるだろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの始まりや。その時、人々はあんた方を苦難に遭わせ、殺すであろう。また、我が名のためにあらゆる民族に嫌われる。そして、その時、多くの人が(信仰から)脱落し、互いに陥れ、憎み合うだろう。そして、多くの偽預言者が現れ、多くの人を惑わすだろう。不法が増大することにより、多くの人の慈愛が冷やされるだろうからや。しかし、最期まで耐え忍んだ者、その者は救われるだろう。そして、王国のこの福音は、あらゆる民への証しのために、全世界で宣べ伝えられるだろう。そして、その時、終わりが来るだろう。(マタイ二十四章七節~十三節 ミカエル氏訳聖書の終末預言 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)より引用

また、聖句に書かれているについては、日本人の問題点 四 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)に書かれていることが参考になります(特に朱記部)ので、以下に抜粋させて頂きます。是非ご参考にして頂ければと思います。

 

愛とは何でも許容するとか受け入れるという意味やのうて、神の律法において合法の範囲で、かつ、自分のためやのうて他人のためを思てやる行いでなければ、神には認められへん偽りの愛である。よって、過去記事「同性愛、同性婚と獣の刻印」でも述べたとおり、二十一世紀になってから急速に酷くなったことの一つとして同性愛や同性婚があり、それらを容認することは神の律法に反するため、愛ある行いではなく、ええ行いとは断じて言えへん。この世で多くの人間が支持しようとも関係無い。

 

③物事がうまくいかない時

続いて虚しいと感じる三番目に以下のように書かれていました。

人生には、様々な出来事が起きるものです。ただ、悪い事が立て続けに起こったり物事が上手くいかない時期が続くと、人は虚しさを感じやすくなります。仕事や家庭で上手くいかない事や悪い事が続くと、「どうしてこうなるんだ」「もう何もかも上手くいかない」と気落ちする人は少なくありません。その結果、「どうせ何をやっても成功しないんだから無駄だ」という無力感と共に、虚しさが湧き上がってしまうのです。

この虚しいと感じる事例も上述したような世俗的成功や世との友好関係を求めて思い通りにならないことから生まれています。「どうせ何をやっても成功しないんだから無駄だ」という文章が有りますが、悪魔によって信仰から脱落を試みる言葉に似ていると個人的には思いました。しかしこのような悪魔の言葉に屈して世俗の成功を過剰に欲すれば、Daigo氏がこちら(X)にある通りに発信しているようにかえって悪魔に魂を売る(悪魔崇拝)ことになりかねませんので絶対に悪魔に魂を売る行為はやめましょう。世俗の成功、世との友好関係を求めて、虚しさを感じるのは信仰を第一の優先順位としないことから来る弊害です。私も以前はそうだったので十分に世俗に執着する気持ちを理解しておりますが、人は神に仕えるか悪魔に仕えるかは二者択一と述べましたように、神への信仰よりも金銭、快楽を愛すればその裏にいる悪魔を愛することに繋がります。御心であれば神に愛して頂けるよう死ぬまで励むのか、多くの人と同じように世俗を愛する人から愛されたり、金銭や快楽を死ぬまで求め続けるのか、どちらの人生を進むかを決断する必要があります。世俗的価値観に重きを置いた末に断続的に虚無感を味わい、死後の厳しい裁きを受けることを望むなら別ですが、それを望まないなら、世俗の価値観の充足に必要以上の意識を向けるべきではないはずです。信仰者はこの世の神サタンが統治するこの世に期待せず、主イエスが統治される次の世に希望をもっています。ヨブという信仰者が味わった苦悩、悔い改め、希望の例はヨブ記にみる正しい信仰と大艱難 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)と共に旧約聖書のヨブ記を是非お読みください。ヨブが経験した試練(悪魔が神に願い、神が許可された試練)はヨブの子供達、肉体的健康、財産という世俗では非常に価値が高い対象を悉く失った喪失感から信仰心が揺らぐように働きかけるものでしたが、ヨブは信仰心が揺らいで完全に信仰から離脱することはありませんでした。神はそれを見越し、悪魔がヨブに試練を与えることを許可されました。その後、神は試練を経験したヨブに神の行い全てを人間という弱い存在が知る由も無く、高慢にならず、人間としての分を弁えるように諭され、諭しを受けたヨブは改めて自分の落ち度に気付いて悔い改めることを決意しました。この時、神が目をかけられていたことを知ったヨブは言い表せない希望や喜びを感じたと思います。ヨブ程信仰心の厚い人も、辛い試練を受け苦境の中では、自身の思いや行いの客観視が難しくなること、苦境においても鍛錬を受け信仰を継続する重要性、信仰者が持つ希望を学べます。

あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで反抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている主の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を堕としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる物を皆、鞭打たれるからである。」(ヘブライ人への手紙十二章三節~六節参照)

 

④生きがいや大切なものを失った時

今まで必死に取り組んできた生きがい、守りたい大事なものや人、信念を失った時も、人は深い虚しさを感じる場合があります。例としては、大きな物事をやり遂げた後に突然意欲を失う「燃え尽き症候群」や、子供が結婚や進学等で家から独立した時、母親が無力感を感じてしまう「空の巣症候群」などが挙げられます。時間や手間、人生を注いできたものが失われると、人によっては「これから先」を考えられず空虚感を抱いてしまうのです。

 

上記引用の通り、確かに大切な人を失った悲しみ、虚しさは大きいですよね。大切な人を失った時に何かしてあげようと思っても既に手遅れの為、後悔ないように、今この時に自分が神や隣人の為に何が出来るかを考えて行うことが大切です。

 

以上四つの虚しさを感じる事例により、本来すべき対応は㊀他人と比較してあらゆる利己的感情を持たない㊁世俗の価値観や人目を必要以上に気にしない㊂信仰に重点を置く生活をする㊃神への愛と隣人愛に基づき、神の律法に従って、善い行いを続ける事だと思います。

 

〇終わりに

世も世にあるものも愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にはありません(ヨハネの手紙一 二章十五節)は真理です。今まで数多くの失敗や経験をしてきてこの聖句は身に染みております。読んで下さった方も永続される主イエスに望みをかけて、世を愛さず悔い改めの道に進んでみることをお勧め致します。すぐに現在の生活を一変させるのは難しいとしても、行動をかえていく決断や信仰に入る環境を整えたりと準備に取り掛かることは可能です。是非聖書を読む、神の律法、御言葉に従い内面や行動を悔い改める、苦難に遭いまた改善に努める、伝道する、隣人に善い行いをすることを共に努めていけたら幸いです。キリスト道を歩み、兄弟達と励まし合い方は、神のイスラエル教会 | キリスト道 (themedia.jp)をお読みになり申請することをご検討下さい。正しい選択をされますことを願っております。