こんにちは。

 

今回は、社会情勢と神の裁きへの備えについて書きます。

聖書についての話は後半部分にあります。前半は社会情勢、法律論、経済論が中心です。

 

以前もお話したとおり、FEMAの存在、警察権力の強化、軍隊化していることはご存知でしょうか。アメリカでは、当初の建国理念の「自由」は、もはや過去のものとなり、監視社会になっています。アメリカは、Facebook等のSNSで、個人の住所や本名等の情報や顔写真、友達の交友関係等の情報を収集して、データベース化しています。警察の手間が省けますね、個人自らが進んで情報提供してくれるのですから、警察や政府がFacebook社等から情報収集すればいいだけとなります。

そして、政府に楯突く者を危険人物視し、政府や議会の方針に従わないでデモ等によって抗議する人たちを不当に逮捕、罰金刑を課したりしているのが現状です。もはやアメリカという先進国でも国としての存亡の危機に立たされています。

 

これはアメリカに限らず、日本も同様です。個人情報を抜き取られたくないなら、すぐにFacebookやLINE等は個人情報を削除し、退会してからアプリ等も削除するべきです。LINEも携帯端末の電話帳情報をすべて抜き取っています。元CIA職員のスノーデンがアメリカが日本に監視システムを供与したと暴露しています。参考までにこちら(Naverまとめ)。過去記事で書いたとおり、アメリカに隷属する日本は、すべてローマ教皇を黒幕とする新世界秩序New World Order、以下NWOという)を掲げ、その実質的推進をするアメリカによって裏で指示どおりに動かされています。偽預言者RAPTは日本中心で動くと虚言を言っていますが、中心はローマ教皇とアメリカです。

日本の内閣や国会議員を見れば、一目瞭然でしょう。明らかに、アメリカの言いなりになっており、日本人のための政治をしていません。

 

上述したように、Facebookは日本でも多くの人が使っていると思いますが、アメリカだけでなく、登録しているすべての人が収集対象であり、日本人の情報も収集されており、監視されています。共謀罪が成立しそうな状況であり、この法律を使えば、警察が遠慮なく、Facebookだけでなく、LINEやメール等、すべてのSNSやネット上の発言も監視対象になり、反政府、反NWOとみられる者は危険人物視され、最悪の場合、逮捕されて有罪にされてしまう可能性も否定できません。

 

過去記事で申したとおり、共謀罪は言論統制と思想統制をするのが目的です。そもそも、これは日本国憲法19条の思想及び良心の自由に違反、21条1項の表現の自由と2項の通信の秘密に違反、31条の罪刑法定主義、罪となる構成要件や罪となる対象が明確にならない等と違憲の疑いが濃厚です。これだけ共謀罪は違憲要素が多くあり、過去三度廃案になった経緯があり、本来は当然に立法されるべきではないにも拘らず、与党は2017年5月23日に衆議院で強行可決しました。どれだけ必死なんだという感じです。特に今の内閣はアメリカの指示に何が何でも従うという使命感に燃えています。

 

共謀罪について、意外と国民が知らないのは、政治家の典型犯罪である「公職選挙法違反、政治資金規正法違反、政党助成法違反」や警察の典型的犯罪「特別公務員職権濫用罪、暴行陵虐罪」、そして、大企業や富裕層のために、会社法違反も対象外とされ、見事に権力者たちのためには抜け道を作っていることです。共謀罪は、明らかに一般人に向けられています。いくら内閣が取り繕いの答弁をしても嘘でしかありません。

 

もし、共謀罪が成立したら、当該法律について違憲訴訟を起こすべきです。共謀罪の対象が不明確である以上、誰でも原告適格はあるはずです。違憲訴訟を提起し、裁判所がきちんと判断できれば違憲無効になれば、廃止できます。しかし、裁判所も内閣が人事権を握っている以上、内閣の支配下にあるので、理不尽な理由(例えば、統治行為論)で違憲と判断しないか、何か適当な理由を付けて判断を避けそうなのが怖いです。

統治行為論というのは、国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為について、法律上の争訟として裁判所が終局的解決ができるとしても、司法審査の対象にはならないという考えで、これは裁判所が逃げの姿勢を見せているに他なりません。内閣に逆らわないもっともらしい言い訳に過ぎません。裁判所が司法の役目を放棄しているに等しいです。誰もが立法、行政、司法という三権分立を小学校の頃から習ったと思いますが、実際は分立していません。すべて行政権の内閣が支配、他は従属しているのが実情です。

現実として、憲法81条の違憲立法審査権が政治に関することとなると、まったく機能していません。過去、憲法9条と自衛隊の関係性について、裁判所はことごとく逃げて、判断を忌避しました。一番酷いのは、警察予備隊違憲訴訟(最大判昭27.10.8)です。警察予備隊というのは今の自衛隊の前身で、これが憲法9条の戦力にあたり、違憲であるとして提訴したものですが、警察予備隊についての判断を一切せず、具体的な争訟ではないから憲法や法律について判断できないとしたものです。もはや仕事を放棄している状態です。要するに、裁判所は、実際に何か事件が起こってからでないと動かないということです。

最高裁がこんな状態ですから、共謀罪も出来てすぐでは違憲無効にするのは難しそうです。共謀罪で理不尽に一般の人々が逮捕され、重い場合は懲役刑、軽い場合は逐一全員を刑務所に収監できないので、略式起訴等の罰金刑で金だけを巻き上げ、反政府の人々を前科者扱いして社会的に抹殺していく恐れが非常に高いです。

そうなってからでは取り返しがつかないのに、裁判所は事件が起こる前に動かないでしょうね。すべてはNWO実現のためなのです。今に始まったことではありませんが、裁判所に正義はありません。仮に裁判所が正義であれば、冤罪など起こらないはずですが、実際は多くあります。警察、検察の言うことを鵜呑みにするのが裁判所です。

万一、共謀罪で逮捕、勾留されたら、共謀罪の違憲性も併せて主張すべきです。事が起こる前に動かない裁判所も、事が起これば逃げられないからです。

 

いずれ、アメリカは、まともな国として存続し得ない状態に陥るでしょう。なぜなら、アメリカは単一民族ではなく、様々な人種が入り乱れる国であり、高い失業率、高い犯罪率、人種差別や敵視が進むと、アメリカ社会において簡単に人々の間で信頼関係が無くなります。そうすると、他人を蹴落としたり、排除したりする傾向が強まり、暴動が起き、内戦に発展しかねません。アメリカは銃社会ですし、非常に恐ろしいです。そうすると、アメリカ政府は、国内の秩序を守るために、国民の自由を奪う法律等を作って施行し、軍隊化した警察がアメリカに住む人々を武力行使して強制的に抑圧することになります。これに使われるのがFEMAと思われます。これについては過去記事をご覧ください。

 

日本も例外ではありません。日本政府は、緊急事態条項について検討しています。そして、日本版FEMAである緊急事態管理庁を創設しようと企んでいます。アメリカのFEMAと同じ口実で災害対策として設立しようとしていますが、実態は、独裁に反対する反政府の正常な人間を逮捕、強制収容して処分する目的のものです。気になる方は各自お調べください。日本版FEMAについては、参考までに、こちら(カイレドスコープ)やこちら(情報速報ドットコム)。過去記事で申したとおり、よりNWOに近い政治体制に変えるために、経済危機がもうすぐ起こされるでしょう。日本においてもです。日本人は貯金精神が根強く、銀行にお金を預けて残高を見て満足している、または満足していない人がいるでしょうが、銀行を盲信することが危険である時が来ます。将来、深刻な金融危機が来た時、政府によって銀行の預金封鎖まで起こされることも有り得ます。実際に第二次世界大戦直後の日本で起きたことです。預金封鎖とは、銀行に預金しているお金を引き出せなくなる、または引き出す金額が著しく制限されることです。政府が財政難になると、政府が預金封鎖し、銀行預金から国民の資産を把握し、その金額に応じて税金をかけることもあります。過去記事で書いたように、ヨーロッパでは預金封鎖は現在は無いものの、口座残高を把握して税金を課する手法は既に取られています。銀行に預けるのはもはや安全とは言えないので、今のうちに最低限の資金を残し、引き出しておき、外貨や金などの貴金属類の実物資産にしておく方が賢明でしょう。

 

アベノミクスという言葉が生まれましたが、あれは一時的に富裕層や大企業を潤すためのもので、結果的に量的緩和政策は失策でしかないのは明らかです。マスコミは政府の回し者なので、景気回復等謳っていましたが、実際は上がるどころか、年々景気は悪くなっています。もはや日本は経済大国とは言えない状態にまで成り下がりました。このままでは確実に日本は破綻、沈没します。NWOの方針に従い、故意にそうしたいがために、今の政府は動いているようにしか見えません。日本経済が崩壊すると、2008年のリーマンショック以上のものになります。今、日銀は政府の方針に従い、円紙幣を多く印刷してばら撒いている状態ですが、富裕層だけが潤い、庶民にはお金が行き渡りません。お金を大量印刷しても成功しないのは、過去の歴史が証明しています。世界中で若年者の失業率も上昇しており、各国で政治家たちは自滅するような政策を立てて破滅に突き進んでいます。この動きは、NWOに向けた計画としか思えません。

 

しかし、これらの世界の動向は、すべて聖書のヨハネの黙示録十三章の預言が実現するためであると私は思います。みなさんは、経済危機や戦争、新世界秩序のような独裁、監視管理社会を望まないでしょう。勿論、私も望んでいません。それを望む人はサタンの配下であるNWO支配層位でしょう。世の中や、新世界秩序に明るい希望、未来はありません。では、私たちは何に希望を見出せばいいのでしょうか。それは、主イエス・キリストです。また、キリストの再臨です。過去にも述べてきましたとおり、真のキリスト者はキリスト再臨に重きを置き、それに希望を持っています。早く主イエスに会いたいと思っています。勿論、それがいつ来るか明確な時期については不明だと聖書が言っているとおりですが、キリスト再臨は世の終わりの時であり、終わりが来る前の兆候についても聖書は述べています。また、キリスト再臨の時に携挙があることは過去記事で述べたとおりで、大艱難の末期、人類歴史に幕を閉じる最後の最後で生きている真のクリスチャンが携挙されます。勘違いしてはいけないのが、携挙にあずかるために必死になって聖書の真理から逸れてでも逃げ回って生き延びることが義とされないことです。これでは、臆病者のにわかキリスト者です。

 

みなさんはキリスト再臨、神の裁きに向けて準備ができていますか。

私は、多くの過去記事で時間が多く残されていない、今すぐ悔い改めるようにと何度も繰り返し言い続けてきました。果たして、この忠告をどれ程の人が真剣に聞き入れて実践しているでしょうか。

 

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章四十三節~四十四節(拙訳)

このことを理解しなはれ。もし家の主人が泥棒は何刻に来るかを知っとったら、目を覚ましていて、自分の家に押し入らせへんやろう。せやから、あんた方も用意していなはれ。思いがけへん時に人の子は来るさかい。

 

これは過去にも取り上げた箇所で、私のブログの読者なら、もう知っているでしょう。キリスト再臨は、思いがけない時に来るのです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 24章50~51節

その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

 

この聖句は、きちんと準備していないにわかキリスト者は、偽善者と同じように罰せられるということです。偽善者がどういう者か、過去記事で名前を挙げたり、前回記事でも何が偽善かも言及しました。偽善はそれらだけでなく、キリスト再臨があることを知っており、それを楽しみにしたり、携挙されることを楽しみにしていると言っておきながら、実際には聖書の御言葉に従って生活せず、自分の都合に合わせて好きなように生きている者も偽善者です。これらの者の数は非常に多いです。

 

新約聖書 ペトロの手紙二 三章十節(拙訳)

しかし、主の日は夜の盗人のように来るであろう。その時、各天は大きな音をたてながら崩壊し、更に諸要素は焼かれ滅ぼされるでしょう。また、地とそこにある業は焼き尽くされるでしょう。

 

ここでも盗人が夜やって来るように突然という表現があります。キリスト再臨が明確にいつか分からないと繰り返し強調されています。そして、以下のとおり、主イエス御自身も分からないと仰いました。

 

新約聖書 マルコによる福音書 13章32~33節

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」

 

上記は主イエスの御言葉です。神の御子である主イエスですら時期についてご存知ないと明確に宣言されています。これも勿論、キリスト再臨とその時に起こる天地が滅びる世の終わりがいつなのかは明確には分からないということです。

それにも拘らず、あるRAPT信者によれば、偽預言者RAPTは、2016年6月19日からそれぞれを6を足し、2022年12月25日に悪人を壊滅させると神は言ったと2017年4月17日にこのような寝言を言ったそうです。あと5年半で世の終わりを迎えるのでしょうか。主イエスでもご存知ないことを、何故言えるのか不思議でなりません。サタンの力を借りて、お得意の呪いの力で無理矢理実現させるのでしょうか。起算点の日付の根拠も6を足す根拠もまったく存在せず、この偽預言者の発言はどうでもいいです。私の推測ですが、年、月、日それぞれ3回にわたって6を足すということは、666、即ち、獣の数字である反キリスト、12月25日というのも太陽神崇拝(悪魔崇拝)の根源である創世記に出てくる反逆者ニムロドの誕生日を意識しているようにしか思えません。ちなみに、ニムロドについてはこちらの過去記事、666が誰を指すのかはこちらの過去記事で言及済なので、忘れた方は復習してください。また、こちらの過去記事「偽預言者RAPTやその他の偽善者たちと心中したければご勝手にどうぞ」のとおり、やはり偽預言者RAPTはサタン崇拝者の反キリストで間違いないです。

過去記事「反キリストについて」で述べたとおり、みなさんは偽預言者RAPTの言うことなど無視し、一切関わらないようにしてください。私はこの偽預言者RAPTの予言(預言ではない)をあるRAPT信者を通じて知っただけで、私からRAPTに連絡を取った訳ではありません。

あと、偽預言者RAPTは2017年6月1日付の記事でしばらく一般記事を更新しないと休業宣言をしました。明らかに勉強不足なのを私に指摘され続けて心が折れたのかもしれません。それでも有料記事をやめないのは私から隠れる意図でしょうかね。隠れて活動しても神はすべて見ておられます。偽預言者RAPTは、偽善の行いを公に謝罪し、金銭欲をなくして有料記事をやめないと悔い改めたことにはなりません。しかし、偽預言者RAPTは、今更引くに引けないでしょうね。彼の今までの行為をすべて捨てて、悔い改めるのはかなり勇気のいることです。しかし、それができるか、できないかで運命は変わります。

悔い改めない偽預言者RAPTは、神の前では偽預言者、偽善者としての罪を負うことになります。

 

さて、話が逸れましたが、主の日が来る日付や時間が分からないのは、キリスト再臨に限った話ではありません。

聖書がいう「目を覚ましていなさい」というのは、実は、他にも意味が含まれます。何故そのような表現の仕方をしているかに着目してください。

人間は寝ないと生きていけません。一睡もせずに起き続けるなんて無理です。これらの聖句は文字どおり、一睡もせず起きていろというような苦行を強いる意味では勿論ありません。

目を覚ましていなさいというのは、いつ、何が起こってもいいように、常に天の国に入る準備を整えていなさいという意味です。

以下の聖書箇所を見てください。

 

新約聖書 マタイによる福音書 25章1~9節

そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

 

上記聖句のとおり、愚かなおとめたちは油が無く、分けて欲しいと頼みますが、それは分けてもらうことができません。ここでいう油は、聖霊を象徴します。聖書には多く「油を注がれた」という表現を目にしたことがあろうかと思います。

つまり、聖書の真理と本物の信仰という神の武具(エフェソ6:10~20)を身につけ、聖霊の力で生まれ変わって信仰による義人、即ち、真のクリスチャンにならなければ、天の国に入れないということです。

過去記事「主イエスの受肉」で説明したとおり、聖霊を受けると生まれ変わる前と品性が変わります。その経験は、個人的な経験なので、人に分け与えたり、貸し与えることは出来ないのです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 25章10~13節

愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしたちはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。

 

この聖句は、聖霊を受けて真のキリスト者にならないと、主イエスから「知らない」と言われるのです。このイエスの御言葉は、過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で紹介した「あなたたちのことは全然知らない。わたしから離れよ、不法を行う者ども。」(マタイ七章二十三節私訳)と同じです。救いの機会の扉が閉じられてから、慌てて聖書を読み出したり、慌てて聖書の真理を知ろうとしたりしても、時機に遅れるともはや手遅れということです。救いの機会の時というのは、キリスト再臨に限らず、各個人で異なる個人的な時間です。寿命が個人で異なるのと同様です。あなたの寿命がキリスト再臨まで残っているとか、いつ終わるなんて誰も言えません。これらのことは天の父なる神しか知らないことなのです。

 

過去記事「ヨブ記にみる正しい信仰と大艱難」でいつまでも主イエス・キリストが罪を赦す働きをすると思わないようにと注意しました。その理由は、各個人の救いの恩恵期間は、盗人が夜来るように、予想だにしない、思いがけない時に来るからです。恩恵期間が終了すると、いくら後で悔い改めるとか、聖書を真剣に読んで真理を理解しますとか、聖霊を受ける機会をもう一度ください等、言ったところで、どうにもならず、無意味な主張になります。即ち、あなたの運命が決定されたことを意味します。恩恵期間の終了は、今日かも昨日かも明日かも分かりません。これは、天の父なる神以外は知ることのできないことなのです。

死ななくても恩恵期間は終了する場合があります。聖書と私が主張することを読んでも、心がまったく動かされず、「自分のみが正しい」、「自分が信じていることが絶対なんだ」というような状態に陥って、悔い改めができなくなった時です。つまり、良心に焼印を押された(テモテ一4:2)状態です。

終わりの兆候がもっと明確になってからと真の悔い改めを先送りにしている者は、にわかクリスチャンです。誰もが分かる兆候が世に出た時、おそらく生きている者全員の恩恵期間は終わっていることでしょう。それで、上記の愚かなおとめ(にわかクリスチャン)のように、慌てて油を求めて買いに行きますが、もう手遅れということです。悔い改めようとしても真に悔い改めることは出来なくなっているのです。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 16章15節

見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身につけている人は幸いである。

 

恩恵期間が終わった時、裸の状態ではなく、衣を身につけておく必要があります。この衣というのは、聖霊によって新生したキリストに近い品性です。肉の欲に支配されている世に属する人間が持つ品性とは、天と地の差があるものです。マタイ22章1~14節の「婚宴」のたとえでも、礼服を着ない者が外の暗闇にほうり出されるとあります。そして、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」ともあります。要するに、聖書を読んで神に救いを求めようとする人は招かれた人で数多いですが、きちんと服を着た少数の真のクリスチャンだけが選ばれ、服を着ない大多数のにわかクリスチャンは選ばれないということです。

 

新約聖書 ローマの信徒への手紙 13章11~14節

あなたがたは眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

 

真の悔い改めを先延ばしにしている人は、明日からではなく、今日から悔い改めてください。誰が明日を保障するのですか。それはあなた自身も知らないことです。今がどういう時か知るべきです。時を知るというのは、上述したように時機に遅れないということです。クリスチャンになって時間が経過すると怠惰になる人がいます。新約聖書にもそのような状態に陥ってパウロがたしなめる箇所があります。誰でもクリスチャンになりたての時は、心が燃えているでしょう。しかし、時が経ち、様々な世俗的な欲や誘惑に次第に負けていき、信仰が薄くなったり、脱落する者もいます。にわかクリスチャンは、時間が経つと緊張感を失うのです。もっとも、最初からにわかクリスチャンで生涯成長せずに眠り続けるパターンもあります。これは、軽い気持ちで洗礼を受けた者たちです。聖書を通読せず、聖書の真理も主イエスの教えも知らない状態で、聖書の一部分だけ読んで、牧師や偽善者の言うことを聞いたり、ネット情報を軽くあたっただけで軽い気持ちで洗礼を受ける者たちのことです。こういう者たちは、簡単に舞い上がり、意味もなく「アーメン」、「ハレルヤ」と言う言葉を口走ります。これは私の中では、外見でわかるにわかクリスチャンの典型と思っています。

 

私がこのように説明しているのも永遠にできることではありません。あなたも健康な状態で、何も問題なく、私のブログを読む機会があるのも今だけかもしれません。私自身もどうなるか分かりません。だから、いつ終わるか分かりません。

あなたは、数日、数か月、数年経てば、この内容も存在自体をも忘れ去って、聖書の真理からも離れ、昔と同じ生活に戻るかもしれません。

今が過ぎれば、二度と来ない機会かもしれません。恩恵期間が終わる前に、神の裁きを受ける前に準備を整えてください。

偶像礼拝の話も前回記事「神を愛することと人が生きる意味」でしました。金、権力、人気、快楽、家、車、携帯電話、コンピュータ、頑固な心、プライド等といったあらゆることを神よりも優先したり、大切にするものはすべて偶像です。これらのような偶像を捨て、自分も捨てて、神に服従することは、そんなに難しいことですか。何をためらうことがあるのでしょうか。ためらっているうちは神に服従できていない証拠です。上記聖句の「光の武具」は、闇の行いを脱ぎ捨てないと身に着けることができません。にわかクリスチャンは、このような偶像への思いを捨てていないのに、自分たちは大丈夫と誤信して、また誤信していることにすら気付いていないのです。

過去記事「真のクリスチャンであるためになすべきこと」でも説明済のとおり、イエスの御言葉で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)とあるように、これが守れないと救いはないでしょう。

 

今日がわたしたちに与えられた最後の一日だという気持ちを持ってください。少なくとも信仰はそうあるべきです。世の世俗的な仕事や学校の宿題は、○月○日までに終える等の納期があってよいですが、信仰には納期はありません。特定の日付までに悔い改めるというものではありません。いつ自分の生涯が終わろうとも神の御前に出て恥ずかしくない状態であり続けることが本物の信仰を持つ者の姿勢です。過去記事「ヨブ記にみる正しい信仰と大艱難」に書いたとおり、今、私たちは天において審判されているのです。時間が残っているとあなたが勝手に思っていても恩恵期間は残りわずかの可能性もあります。ですから、悔い改めは先送りにしないでください。聖書の真理を知ることも先送りにしないでください。

人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)のです。その神の裁きに備える時は今からです。時機に遅れないようにしてください。人生は死ぬまでサタンとの戦いです。最後まで戦い続け、神に死まで従順であり続ける(フィリピ2:8,9)者が勝利を得る者になります。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上