こんにちは。

 

今回は、表題の問題を取り上げます。

 

この問題は、真のキリスト者か、にわかキリスト者かを見分けるのに比較的簡単な議題です。一方で、これが重要な運命の分かれ道ともなります。そして、世の中は、この点について明らかに間違った方向にサタンが導いていることが明白であることをお伝えします。何度も私が言っていることですが、大勢の人が賛成することが正しいとは限らず、さらに、それは往々にして誤っているのです。だから、過去記事の「携挙の真実」でも人々に人気のある教えや説を信じないことと警告したとおりです。以前、「反キリストについて」という過去記事で、反キリストとして正体を明確にしました、ローマ教皇が現在、同性愛について問題を起こしている中心人物です。しかし、これは、彼がこうも神に反抗するのは仕方がないことです。聖書が預言していることだからです。聖書が預言したことは必ず実現します。預言といえば、自らが時代の中心者と寝言を言っている偽預言者RAPT、そして、最近私がたまたま見つけた、「私こそが本物の預言者」と言っている三枝クララという者まで出てきました。彼女は、自らキリストの子、預言者と自称していますが偽預言者です。彼女は何も神の言葉を述べていません。くだらない事ばかり書き、伝道すらしていません。単なる田舎の占い師にすぎません。過去記事で書いたように、占いや霊媒等は、神が厭われるとも聖書(申命記18:10〜14)に記述があるとおり、占い師や占いを頼りにする人々はサタンに惑わされた人です。そして、彼女のこちらの記事を見れば明白なとおり、かなり高額の金銭(5,000〜30,000円)を要求しています。もっとも、金銭の額が問題ではないのです。安ければいいということではありません。RAPT信者は月800円だからRAPTは問題ないと思い込んでいるようです。金銭欲が問題だと私の前回記事「真のクリスチャンになる道」で述べたとおりです。私は彼女ともまったく接点はありませんが、確実にRAPTと同様、彼女も偽預言者です。聖書が言っているとおり、終末の時代は偽預言者、偽善者が非常に多くなります。騙されないようにしてください。騙されないためには、聖書の真理を知ることです。私が宣べ伝えてきた内容に、あなたがたが聖書の真理を理解する手助けとなる要素があります。

さて、話が逸れましたが、ローマ教皇の話です。この話題は、過去記事で触れたとおりなのでお読みいただきたいのですが、重要な事柄ですので再度取り上げます。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 13章3〜4節

このの頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。

 

この獣は、ローマ教皇を指します。竜はサタンです。「死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」というのは、1798年ナポレオンが教皇ピウス6世を収監して教皇の権威が失墜して死んだかのように思われましたが、致命的な傷も治ったとあります。これは、1929年イタリアのムッソリーニが教皇の復活とイタリア国内にバチカン市国をラテラノ条約で認めたことを指します。過去記事「反キリストについて」でローマ教皇がサタンの最大の代理人と指摘したとおり、真のキリスト者以外の人々は、サタンから権威を与えられたローマ教皇に従うようになるのです。以下、2015年、ローマ教皇が全世界の人々に向けて公開したものです。こちらです(LAUDATO SI)。日本語でお読みになりたい方は翻訳する等してください。先のリンク先の内容で205、206に、ライフスタイルの変革が必要だと言っています。そして、237では、安息日に関係することを言っていますが、「ユダヤ教の安息日」という言い方をして、聖書がいう安息日を無視し、ローマ教皇(カトリック)は日曜日を神との関係を修復する日と明言しています。この点について、私の過去記事で糾弾済のとおり、日曜日を守るのは非聖書的であり、誤った信仰です。そして、これにアメリカの前大統領のオバマがこちら(Obama Whitehouse Archives)のように公式声明を出しました。その内容は、ローマ教皇の頒布内容を賞賛するものです。アメリカがローマ教皇に従順なのが明白です。今後、アメリカの大統領が誰に変わろうとも同じです。今のトランプ大統領もローマ教皇には逆らいません。何故かと言えば、それも聖書が預言しているからです。上記の引用した箇所、ヨハネの黙示録13章がいう第一の獣はローマ教皇なのです。第二の獣はアメリカです。これは揺るがない事実なのです。

 

アメリカでは、ご存知のとおり、州ごとに法律が異なりますが、2003年から地方州で同性婚を合法化し始め、遂に2015年に最高裁がすべての州で同性婚を認容する判決を出しました。これは先に紹介したローマ教皇の頒布内容の影響がありました。そして、セレブと呼ばれる人の一部に同性愛、同性婚を公にしているのを見たことがあるでしょう。今後、この勢いは止まらないでしょう。なぜなら、ローマ教皇を筆頭として、新世界秩序(New World Order、以下NWOという)が同性愛と同性婚を許容、推進しているからです。アメリカに限らず、多くのヨーロッパの国々、ニュージーランド、南アフリカ共和国をはじめとするいくつかのアフリカの国々、アルゼンチン等の南米も徐々に合法化を進めています。これらすべて、21世紀になって急に起こってきたことです。それまでは同性愛などというのは嫌悪され、発覚すれば、同性愛者たちはホモ、レズ等言われたので必死に隠そうとし、人前に出ることすら憚られたはずです。90年代までは同性愛は社会的に許容されていませんでした。しかし、現代の子供は、NWOが教育内容をねじ曲げ、同性愛が当たり前のように教育し、その教育を受けた子供たちは同性愛に違和感を持っていません。これは非常に危険です。最近、日本のみならず世界中で様々な差別禁止法を制定し、真のクリスチャンを迫害する法整備を整えています。権力者の環境整備を受けて同性愛者たちは、これ見よがしに人前、テレビ等に公然と現れ、隠すこともしていません。さらに、その数はどんどん拡大していっています。繰り返し言いますが、これはNWOを推進する権力者たちの仕業なのです。

 

この同性婚の法制化が意味することが何か分かりますか。2016年の時点で、ローマ教皇は同性愛を認容し、同性婚には反対しています。この立場は既に矛盾しているのですが、彼は真に聖書やイエスを信じていませんから仕方ありません。ですから、いつ同性婚にも賛成するか分かりませんが、そう遠くない未来です。言っておきますが、過去のローマ教皇は同性愛、同性婚を一切認めてきませんでした。認めたのは、イエズス会出身の現教皇のフランシスコだけです。このことだけで、終末に相応しい反キリストといえるかもしれません。そして、ローマ教皇が同性婚も公に認めた時、聖書のみに依拠する真のクリスチャンは迫害されるのです。それは教皇の権威を完全に聖書の上に置いたことになります。そして、ローマ教皇に逆らう者を反逆者、異端分子として真のクリスチャンを扱い、中世時代よりもっと酷く迫害するのです。同性愛、同性婚に反対する唯一の根拠は聖書の御言葉です。人間の法律で同性婚を合法化したからといって、神も合法化するということには絶対になりません。むしろ、人間の権威や法律で同性愛や同性婚を認容することは、神に反逆することに他なりません。さて、ここで、聖書で同性愛についての記述を確認します。

 

旧約聖書 レビ記 18章22節(私訳)

女と寝るように男と寝てはならない。それは嫌悪である。

 

こここで明白です。男が女と寝るように、男が男と寝てはならないとはっきり書かれており、神が嫌悪だと仰っていることから、神は断じて同性愛、男色等を認めません。

 

旧約聖書 レビ記 18章26節(私訳)

あなたたちはわたしの法と裁きを守り、あなたがたの国で生まれた者であろうと、あなたたちのもとに寄留する者であろうと、これらの嫌悪感を起こすことを一切してはならない。

 

22節では同性間の性行為についての禁止、22節以前で近親相姦(異父母間も含む)の禁止、23節で獣姦の禁止があります。つまり、結婚した男女間以外の不自然な関係を神は戒めておられるのです。性転換した者は、自然の男や女ではないので論外です。こちら(BitChute)とこちら(BitChute)に性転換の例が多いのが分かるし、この世の高い地位を占める人たちにもこないな異常者が多いのも事実。なぜなら、性転換や同性愛は神の律法で罪とされ、反キリストの行いやからや。この世を支配する悪魔は、神の律法を破る人に権力や富を与える故に、この世の王族、貴族、富裕層、為政者たちは悪魔崇拝をし、聖書と主イエス・キリスト、そして真のキリスト者を忌み嫌う。

 

さらに、新約聖書にも記述があります。

 

新約聖書 ローマの信徒への手紙 1章26〜28節(私訳)

こういう訳で、神は彼らを下劣な感情にまかせられました。彼らの女たちは自然の関係を自然にもとるものに変えたからです。同じく男たちも、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしでふさわしくないことを行い、そのの当然の報いを身に受けています。彼らは自分の知識に神をとどめようとしなかったのと同時に、神は彼らを堕落した思いに渡され、彼らはしてはならないことをしています。

 

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 6章9〜10節(私訳)

正しくない者が神の国を受け継げないことを知らないのですか。騙されてはいけない。婚外性交する者、偶像を礼拝する者、姦通をする者女々しい者同性愛者、泥棒、貪欲な者、酒におぼれる者、口の悪い者、ゆすって人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぎません。

 

ここでも同性愛とそこから生じる行為を神が下劣な感情、ふさわしくないこと、堕落した思い、罪として考えていることは明らかです。神が定めた罪である同性愛、またそれを合法化する同性婚など、あってはならないことなのです。それを世界の人々は、「法の下の平等」だ等と人間の憲法や法律を盾にして、神に反逆しています。憲法が人間の作る法律の中で最高法規である等、私は百も承知です。しかし、神の掟、神の律法は、人間の憲法や法律などとは比べ物にならないです。神に従うのか、サタンに惑わされた人間に従うのかがはっきりする時代がすぐそこまで来ているのです。サタンの代理人であるローマ教皇(獣)に従う者は、ヨハネの黙示録にあるとおり、目に見えない霊的な獣の刻印を押されることになるのです。隣人愛、平和、友愛、融和、平等といった綺麗事で同性愛や同性婚を肯定する情報操作に騙されてはなりません。それらはサタンの主張です。同性愛は、真に悔い改めれば赦されない罪ではないのです。以下のとおりです。

 

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 6章11節(私訳)

あなたがたの中にそのような者もいました。しかし、あなたがたは主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。

 

分かりますか。同性愛は、パウロが生きた時代の1世紀で、既にあったことです。「そのような者もいました」と過去形になっています。同性愛という罪を犯した人もいましたが、悔い改めて同性愛を以後しなくなった者が救われると11節で述べられています。同性愛は、上述のレビ記で神が戒めたとおり、紀元前の頃からあったことです。そのような神が厭われる人間の行為が昔からあったから罪と定められたのです。ですから、イエスを信仰し、真に悔い改めれば(同じ罪を犯さない)、義とされるとあります。同性愛にまで至らなくても、趣味で男装、女装する人はどうなんだと思う人もいるかもしれません。しかし、これらも神からすれば罪なのです。同性愛に手を出さないから大丈夫、ちょっとした出来心でも罪です。以下、聖書のとおりです。

 

旧約聖書 申命記 22章5節(私訳)

女は男の着物を身につけてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主にとって嫌悪だからである。

 

女性の男装と男性の女装は、神にとって嫌悪とはっきり書かれています。ですから、男は男らしく、女は女らしくするのは当然のことです。昭和みたいなことを言うなとか、現代では容認された等言っている人は、サタンに惑わされた人々なのです。数が増えれば、正しいのではありません。勘違いしないでいただきたいですが、同性愛を容認したのは人間であり、神ではありません。そして、同性愛を容認するクリスチャンは、真のクリスチャンではありません。以前も述べましたが、NWOというのは、ローマ教皇を筆頭にして、世界各国において、ローマ教皇の意に沿う秩序を強要することです。現ローマ教皇フランシスコは、2014年に、「幸福のための十戒」を発表しました。こちら(CNN)で確認できます。9条目に信教を強要しないとあります。もし、ローマ教皇自身が信じていること(カトリック)が真理であれば伝道することを推奨するのが普通ではありませんか。しかし、それをしないと言ってしまっています。これは、ローマ教皇がカトリック自体に何の興味も無いということです。カトリックを世界の人々に強制することではありません。そうすれば反発は避けられないからです。ローマ教皇は、彼の言うこと、決めたことを全世界が従う、そして全世界を支配する権力が欲しいだけなのです。また、彼は、同性愛について、「キリスト教徒は同性愛者に謝罪する必要がある」と2016年6月26日に語りました。こちら(Naverまとめ)にあり、勿論、これ以外のサイトにもこの発言をめぐってサイトは多くあります。何故、罪人に対して謝罪をさせるようなことを言うのか、まったく理解できません。むしろ、同性愛者という罪人がイエスに謝罪し、悔い改めてから、赦しを請うべきです。悔い改めないで赦されると思わないことです。

 

私は真のクリスチャンですが、同性愛者を差別したり、裁いたりはしていません。もし、彼らに面と向かうことがあれば、悔い改めるように説得するでしょう。彼らが罪を犯しているからといって、あからさまに嫌な顔をしたり、無視をしたり、悪口を浴びせるということはありません。これらの行為は神の意に沿う行為ではないからです。私なら、主イエスが教えられた隣人愛で彼らを罪から解放させるために、聖書の御言葉、真理を用いて説得します。まさに、この記事を通して説得しています同性愛を肯定することは彼らを救うことにはならないからです。私は、同性愛者が罪人だからといって分け隔てる態度は取りませんが、一向に悔い改めない者は放置します。時間の無駄だからです。前回記事で述べたとおり、世に属する人は、真のクリスチャンの言うことを聞き入れないからです。私がこの記事を書き、どこかの同性愛者も目にするかもしれません。私の記事を読んで、聖書も確認してみて、なお悔い改めない者は、同性愛を神が罪と定めている以上、神の裁きを覚悟すべきです。私からはこれ以上、同性愛者の罪の荷を下ろす手助けはできません。もし、同性愛者が、同性愛を悔い改める気が無いのに、隣人愛や平等だけを都合よく私に主張してくれば、そのようなコメントは私は承認しませんし、相手にもしません。同性愛に関して、私が伝えるべきことは当記事と聖書に集約されています。それ以上何も言うことはありません。何度も言いますが、世に属する人は、私のような真のクリスチャンの言うことを絶対に聞き入れようとはしません。むしろ、そのような者は、反キリストのローマ教皇の言うことに従い、ローマ教皇の言うことを後ろ盾にしたりします。ローマ教皇の秩序に従う者は、獣の刻印を押される者です。獣の刻印を受けると、昼も夜も安らぐことなく火と硫黄で苦しむとあるのは聖書(ヨハネの黙示録14:9〜11)が述べているとおりです。私の過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」にも書きましたとおり、神の掟や律法に反して、人間であるローマ教皇の秩序や各国の定める法律等に従う人間は、獣の刻印を押されます。ですから、真のクリスチャンの数が非常に少数と言っているとおりです。今回、表題のテーマもそうですが、それ以上に反キリストにつくとどうなるのか、どういう末路になるのか、当記事と過去記事を見てよく理解できると思います。それでも、理解できない者は、「見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない」(マルコ4:12)とイエスがお話になったとおりです。私が話す聖書の真理を理解できない者は、決して心から主イエス・キリストに従う者にはなりません。いくら口先で「主よ、主よ」と言っても無駄です。「わたしから離れよ、不法を行う者ども。」(マタイ七章二十三節私訳)と言われるだけです。聞く耳のある人は悔い改めてください。

 

最後に、もし当記事の読者で、真のキリスト者の兄弟がいれば、私と同じように大胆に同性愛、同性婚が罪であり、悔い改めない限り神がお赦しにならないことを宣べ伝えてください。そうしないと、あなたは真のキリスト者ではなくなります。真のキリスト者として人生を全うするのか、脱落してローマ教皇に従って第二の死を受けるのか、この二者択一しかないからです。このような不義が堂々と世でまかり通っている中で、黙って成り行きを見ているだけでは神はあなたを義としません。上述したとおり、これは獣の刻印を受けるか、拒否するかがかかっている重要な問題なのです。単なる同性愛という罪の話にとどまりません。同性愛の問題に限ったことではありませんが、この終末の時代は、特に、聖書の真理を宣べ伝えなければなりません。もし、兄弟たち、まだ知識に不安があるならば、過去記事で伝えたとおり、精神を尽くして、力を尽くして、思いを尽くして聖書の御言葉をきちんと読み込んで理解してください。そして、聖書の御言葉の意味につまずいたら、私の記事を参考にしてください。すべての内容について現時点では言及しきれていませんが、今後も解説し続けていきます。そして、何度も申し上げてきましたが、サタンは狡猾で、聖書に書いてあることを一部抜粋して正しいように見せかける前回記事で注意喚起したところです。他の主張に絶対に惑わされないでください。特に、同性愛者が主張することは絶対に誤っています。なぜなら、同性愛者たちは神に逆らった自分たちを守って欲しいという自己愛から権利主張するために都合よく聖書を引用するからです。まさにサタンの主張なのです。彼らにこそ隣人愛はありません。彼らはサタンの誘惑に負け続け、悔い改めようとしません。悔い改めないのに、隣人愛を全うしないのはおかしいと同じ主張を繰り返すだけです。このような悪魔のささやきに人々の耳を傾けさせてローマ教皇の主張する方針に従わせようとし、獣の刻印を押させるのです。絶対にそれだけは避けてください。騙されないでください。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上