こんにちは。

 

今回は、表題のとおり、人々の誤認識と今後必要な信仰と心の準備について書きます。

「世の中のことはよく分かっているよ。」とお思いのあなた、絶対に分かっていないと思いますので、以下の内容をよく読んでからもう一度その言葉を言えるか考えてみてください。

 

最近の世の中は、テロというのが流行かのように多く発生しており、何が本物のテロなのか、サタンは人々のテロに対する認識を誤誘導しています。みなさんは、テレビ、新聞やネットニュースを真に受けて、テロが単なる死傷者を発生させる暴力行為や破壊行為で、世のならず者が行う犯罪行為と簡単に思い込んでいることでしょう。しかし、その認識は大きな誤りです。そもそも、テロという言葉は、テロリズム(英語: Terrorism)の略で、語源はフランス語のTerrorismeから来ています。由来は、1793年のフランス革命の時のロベスピエールによる恐怖政治からです。恐怖政治とは、権力者が、反対勢力の人々を権力者に都合の良い法律を用いて逮捕、投獄等の弾圧を加え、フランス革命の時代においては、処刑も辞さずに国民に恐怖を抱かせて強制的に従わせ、強引に権力を保持する政治のことをいいます。

 

今の日本の政治もこのようになってきているのがお分かりでしょうか。過去記事「共謀罪と真のクリスチャンのあるべき姿勢」、「今後の社会情勢と神の裁きへの備え」等で説明したとおり、共謀罪というのがまさに権力者に都合の良い法律であって、国家権力に対して唯一の抑止力となっている憲法が改悪されれば、政府の暴走を止める物が無くなり、国民を完全に支配できることになり、恐怖政治の始まりとなるでしょう。したがって、上述のとおり、テロの定義は、独裁的な権力者が、民衆の自由な思想と言論を封じ、恐怖を与えて強制的に従わせて支配する行為、また、独裁に反対する人を犯罪者扱いして処罰する行為です。要するに、権力者がテロの主体なのであって、権力を持たない民衆の行為はテロには当たらないのです。これが正しいテロの認識です。あなたがたやマスコミが気軽に口にしたり、聞いたりするテロというのは本当の意味でのテロではないのです。この機会に認識をしっかり改めてください。繰り返しますが、過去記事「共謀罪と真のクリスチャンのあるべき姿勢」で申したとおり、最近起こるテロと呼ばれる事件は単なるやらせ茶番であって、本来のテロではありません。それらは意図的、かつ、目的があって行われるのであって、偶然に発生するものではありません。日本において、外国で起こるような事件が発生しないのは、その必要が無いからです。必要になったら起こされるでしょう。日本では、海外で起こるような事件の代わりに、気象操作による人工的な豪雨、台風や人工的な地震が起こされています。これも人工的に引き起こす災害をだしにした緊急事態条項の新設のためだと過去記事で説明したとおりです。これを夢物語だと思うのは勝手ですが、実際に起こって初めてその危険性に気付いた時にはもう手遅れなのです。しかし、ほとんどの人々は、実際に危機が目の間に迫らないと分からない程に盲目なのです。聖書の真理を知らないのに、真のクリスチャンと思い込んでいるにわかクリスチャンに似ています。

 

今まで人類史上、誰が最も多く殺戮を繰り返した凶悪な存在でしょうか。戦争を主導した人たちを真っ先に思い浮かべるのではないでしょうか。毛沢東、スターリン、ヒトラー、ポル・ポト等でしょうか。このように、あなたが思い浮かべる人はすべてハズレです。彼らは世界歴史を見ても、時代の一定の時期だけの間を生き、虐殺行為をしました。しかし、前回記事「ダニエル書7章の預言と反キリスト」で説明したように過去に1260年間、また、その期間以外の時期も表に出ないで影から他人や組織を操り、間接的に大量虐殺をしてきて、今も存在している中心人物は誰でしょうか。この者こそ最も凶悪な存在です。それは特定の一人の人間を指すのではありません。その存在は、現在は本性を隠し、これから世界の覇権と独裁権力を得て恐怖政治をするために精力的に活動しています。

 

私は、真のクリスチャンは迫害されることになると過去に申しました。その根拠は、聖書にあります。その一つが以下です。

 

新約聖書 ヨハネによる福音書 16章1~4節

これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。

 

上記聖句は主イエスの御言葉です。16章1節で「これらのこと」というのは、15章18節から始まる迫害の予告の箇所を指します。天の父なる神、御子である主イエスを知らない(従っていないの意味)者たちが神の名を騙って、神に属する真のクリスチャンを迫害すると予告されています。そして、上記引用聖句にあるとおり、16:2を言い換えれば、神の名において殺人をするということです。即ち、過去の中世時代にローマカトリックが行ってきたように、彼らが(授権なしに)神の名において聖書にのみ依拠する真のクリスチャンを殺すということです。改めて言っておきますが、神の名において殺人というのは旧約時代(紀元前)で終わったことです。主なる神がイスラエルの民を特別扱いしていた頃は、旧約聖書に書かれているとおり確かにありましたが、主イエス・キリストが地上に来られた時からは、神の名において殺人が正当化されることは一切ありません。もし、そのような事を言う者があれば、それはサタンや悪霊に惑わされている反キリストに相違ありません。十戒の第6条にも「殺してはならない」とあるとおりです。

 

他の聖書の預言にも注目します。

 

旧約聖書 ダニエル書 7章21節(私訳)

わたしが見ていたら、その同じ角は聖者らと闘って勝った。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 13章7節

獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 17章6節

わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。

 

上記の小さな角、獣、淫婦はすべて同一の存在を指します。上述した最も殺戮を繰り返した凶悪な存在のことです。私のブログ読者の方ならば、誰のことかは明白ですね。このことも繰り返し言いますが、にわかクリスチャンたちは、この聖書の真理を理解しようとしてもできず、盲目になっています。これ程私が何度も分かり易く説明しているのに、理解できないとすれば、それは神が意図的に心を頑なにされているからです。即ち、聖書の真理を理解できない人は神に選ばれていないのです。ほとんどの教会や牧師たちをはじめとするにわかクリスチャンたちが信じて主張している艱難期前携挙説や秘密携挙説によれば、携挙されなかった人たちが、上記引用のヨハネの黙示録13:7のとおり、未来の反キリストである獣と聖徒たちが戦うと思い込んでいます。携挙されれば聖徒が地上からいなくなるはずなのに、後で反キリストと戦うというのは矛盾しています。彼らはこんな単純な論理矛盾にも気付かない程、盲目なのです。この考えが誤りというのは、私が過去記事「携挙の真実」等で明確に説明済です。過去記事で言及したように、大艱難は私たち全員が経験することになるのです。携挙は、艱難前ではなく、すべての艱難が終わった後に起こります。ダニエル書12:1の「国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難」、マタイ24:21の「世界の始めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難」とあるとおり、過去歴史上の迫害よりもさらに酷い大艱難を私たちが経験するのです。それこそが、複数の過去記事で再三述べてきた、新世界秩序New World Order、以下NWOという)という名の恐怖政治です。ヨハネの黙示録13:15のとおり、獣の像を拝まないと殺されるという艱難です。これについては過去に説明済です。最近、殉教者というのは聞かないと思います。聖書に登場するステファノ、パウロやイエスの弟子たちが代表例であり、その後も中世時代等を過ぎると、キリスト教の殉教者が大々的に事件化することはほとんど無くなりました。それは過去の歴史から学んで、各国(例外あり)で信教の自由をある程度認められ、少しは平和になったからです。だから、今を生きる人々は殉教者のことを過去の敬虔で勇敢な人たちと他人事に思っています。しかし、彼らは特別な人たちではなく、今を生きる本物の信仰を保つ真のクリスチャンと何ら変わりありません。現在(2017年7月17日)までは厳しい迫害が未だ行われていないだけのことです。しかし、将来の迫害のために、権力者たちによる準備は着々と整ってきていると複数の過去記事で説明しました。

 

改めて、キリスト教の本質について申します。

キリスト教は、各個人に決断を求め、妥協が一切ありません。主イエス・キリスト以外に、マリアを崇めたり、偶像を崇めたり、太陽等の物質を崇めたり、他の神々も尊敬したりしてよいということは絶対にありません。また、聖書が教えるモーセの律法や神の掟等も遵守して生活することが必要です。過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」で説明したように、一部だけ守れないものがあってもいいというのは有り得ません。さらに、自分の命がかかった時、棄教や背教を迫られても屈しないという決断も求められます。この理由は、主イエスが仰り、明確に聖書に書かれているからです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 10章22節(私訳)

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最期まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

新約聖書 マタイによる福音書 10章37〜39節(私訳)

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担わずにわたしに従う者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

 

殉教者たちは、主イエスのこれらの御言葉を胸に刻んで信仰が揺らがなかったからそのような決断ができたのです。選択は二者択一であり、主イエス・キリストに従って死まで神に従順であり続けるか、サタンに従うかのどちらかです。命が惜しくて、棄教や背教してまで、この世で生き長らえようとする人間は、サタンに仕える、世に属する人間であるのは明白です。にわかクリスチャンたちは霊的にもろい状態なので、殉教者のような決断は絶対に下せません。だから、私は、にわかクリスチャンは艱難が来ると背教、脱落すると過去に申してきたのです。複数の過去記事で説明したとおり、偶像礼拝だらけのカトリックの頭で、主イエスの十字架は失敗だったとか、同性愛者に謝罪すべきとか、安息日を勝手に変更したり、十戒を勝手に変えたり、日曜日に休むことを推奨したり、イスラム教と融合するクリスラム等と何を信じても救いがあると宗教多元主義で、平和や友愛というような偽りの建前で妥協と偽善を宣伝して回るローマ教皇こそが世界で最も強力な反キリストであり、問題がある存在です。このような存在が、キリスト教を看板に掲げており、世界の多くの人々はそれを信じて疑いません。それは彼らがキリスト教の本質と聖書の真理を知らないのが原因です。ローマカトリックは今まで数え切れない程のクリスチャンを迫害してきましたが、そのほんの一例を紹介します。中世時代よりも前の12世紀から13世紀に渡り、南フランスで起こったアルビジョア十字軍によるアルビ派の迫害です。アルビ派というのは、カタリ派とも呼ばれ、彼らの信仰内容を詳細に知ることは今ではできませんが、おそらく完全に聖書の真理に基づく立場ではなかったものの、ローマカトリックの教義には従わない人たちであったことは確かです。ローマカトリックは、カトリックを正統と決めつけてカトリックに従わない者を異端扱いし、武装した十字軍を使って、無慈悲にも多くの人々を殺害してきました。カトリックの信条や教義は、当時から現在も変わっていません。現在は上述のように、(カトリック自体が異端、異教ですが)過去のカトリックの原形を留めない程になり、更に悪化しています。現在のカトリックは、裏ではイエズス会主導で様々な事件を起こし、表面上は大人しい状態です。しかし、ローマ教皇がNWOの下で権力者の頂点に君臨した時、自らを神とまで言ってのけ、政治的権力を握ると恐怖政治を行い、NWOの方針、秩序等に従わない真のクリスチャンに対する迫害を敢行するでしょう。私のブログ読者ならご存知のとおり、カトリックは異教にも拘らず、キリスト教の看板を掲げて人々を欺瞞に陥れています。過去記事で少し説明したとおり、カトリックは多くの非聖書的な教えや習慣(クリスマスやイースター、日曜礼拝等)、主イエス・キリストの教えに反する教義を持ちながらキリスト教と騙り、神の名で正当化して平気で殺人等の数々の罪深い行為をしてきて、今も変わっていません。物事の表面しか見れない人々(外部の人)は、その様子からキリスト教は悪魔教だとさえ非難します。はっきり言っておきますが、キリスト教を悪魔教と罵る者は、主イエス・キリストを悪魔と言っていることに他なりません。したがって、彼らは反キリスト、サタン崇拝者ということになります。本人たちにその自覚が無くてもそういうことになります。そういう者たちの言動は聖書の真理からかけ離れているはずです。過去のカトリックや十字軍の残忍な所業は、過去で終わったことではありません。上述のとおり、今後はさらに悪化するであろう大艱難を迎えるのです。ある人々は神の名で冷酷非道に殺人をし、他方では神の名を呼んで賛美しながら死んでいきました。どちらが神に属し、神に仕える者でしょうか。よく考えたら簡単に分かることです。

 

上述したように、世のテロもどきの事件で殺されるのは数えられる程度で、局地的、かつ、単発的です。日本に住んでいる人にとって、ヨーロッパやアメリカで起こる事件は他人事のようでしょう。しかし、これが世界中で起こり、しかも権力者がそれを行うことになったらどうでしょう。もはや他人事ではないのではないでしょうか。そうなる前に準備しなさいと再三申しているのです。なってからでは遅いのです。注意点として、このことは世界同時に一斉に起こるのではありません。徐々に起こります。日本がその最初の目標になっていると私は考えています。共謀罪の衆議院での強行採決から施行までの2か月以内という普通では有り得ない位の速度、憲法改悪も今から3年後の2020年までに施行するとまで政府は言っています。なぜこうも急いで、かつ、なぜ期日を断言できるのでしょうか。焦る理由があるからであり、また、無理矢理実現させるからに決まっています。よって、イルミナティカードと同様、これは予言ではなく予告なのです。その算段が政府にあるから自信満々に憲法改正の時期を明言できるのです。憲法改正の発議は、国会議員によりますが、決定は国民投票によってなされます。今の選挙システムでは、不正選挙がまかり通っているので、国民投票なら否決されるだろうと高を括っていてはいけないのです。改悪された憲法はおそらく二度と今の日本国憲法のように戻させない規定が盛り込まれるに違いありません。憲法が改悪されてからは、恐怖政治が始まり、前の方が良かったと言う余裕も無くなる位に社会は悪化していることでしょう。前回記事「ダニエル書7章の預言と反キリスト」で、共謀罪は憲法改悪後に本格運用されると申しました。憲法改悪された後は、緊急事態条項も入っているでしょうから、日本版FEMAが作られていることでしょう。FEMAの恐ろしさについては過去記事を参照ください。その他、ご自身でも調べてみてください。もう日本に明るい未来はありません。過去記事「日本の将来と真のクリスチャンの姿勢」で警告した内容について、今は覚悟を決める時です。日々、今日が最後だという緊張感を持ち、聖書の真理という光の武具を身に着け、揺るがない信仰を持って生きてください。俗世界を楽しむにわかクリスチャンにならないでください。殉教者たちが耐え難いような拷問や刑罰を受けることができたのは、それに耐え得る聖霊の力を神がお与えになったからです。それは突然得られるものではなく、日々の信仰生活で学んで成長する過程で得られるのです。大艱難の時には、マタイ24:11~13で主イエスが仰ったように、「偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われ」ます。もし、人を妬んだり、憎んだり、恨んだりして、自尊心が傷つけられたら我慢せずにすぐに怒り出すような状態では大艱難を乗り切ることができる状態ではありません。日常の些細な試練に耐えられないのに、大艱難に耐えられるはずがないのです。このような人は、たとえ聖書を熱心に読んで真理を知って殉教をしたとしても神はすべてを見通されているので命の冠をくださらないでしょう。なぜなら、殉教することが目標になってしまっているからです。即ち、永遠の命という財宝に目が眩んで殉教するというのは不純な動機でしかなく、このような者は偽善者です。過去記事「ヨブ記にみる正しい信仰と大艱難」で利益信仰を否定する説明をしました。私は、利益信仰という言葉を使い、現世利益とは書きませんでした。第一の死後の利益のための信仰は、現世利益には当たらないからです。ですから、利益信仰というのは、この世での利益のみならず、死後の利益をも考えて信仰することも指しているのです。ヨブ記のとおり、利益信仰はサタンも見抜いていることです。クリスチャンになっている理由が利益信仰ならば、たちまちサタンの惑わしに引っ掛かり脱落するのです。

 

私のブログを通して、偽預言者RAPTから離れて回心した方が数人いましたが、彼らが本物の信仰を持つかはこれからの歩み次第です。聖書の真理を知るのは始まりに過ぎません。これをマラソンにたとえてみましょう。聖書の真理を知るのは、スタートラインに立った状態です。聖書を通読したこともないような最下層のにわかクリスチャンは、競技場にも立っておらず、いつまでも控え室でのんびりしているような状態です。そんな中でスタートの合図が出て、人々は走り出します。100mのような短距離とは違い、先が見えず、ゴールが遠いです。頑張って聖書の真理に従って走っていく途中汗をかいて脱水する影響で喉が渇いて給水します。この水はあなたにとって試練になります。もし間違って炭酸水など給水すれば、体内に空気が溜まって、胸が苦しくなって走るのに支障が生じます。また、脱水症状や熱中症を気にして、真水の大量摂取も問題です。汗をかいてナトリウムが欠乏しているのに真水を多く摂取すると体の塩分濃度が薄くなり、水中毒になります。ですから、適度に塩分を含んだものを飲むことが有益です。このように、信仰生活というマラソンを走っていく中で、様々な試練やつまずき、聖書の真理が一部分からないことがあると思います。その時に、何を摂取しようかと思った時、間違った教えである炭酸水や大量の真水を取り込むとあなたの信仰を破壊し、間違った方向の最もらしい広い道のランニングコースを走ることになり、本当のゴールに通じる狭い道を見失います。偽預言者RAPTは大量の誤った記事を量産することから、この大量の真水にたとえられます。水中毒になった状態がまさに洗脳状態で、そうなったら最後、ゴールには絶対にたどり着けません。その他の偽善者や偽教師らも同じようなものです。したがって、たとえ聖書の真理を知っていても、行動が伴わず、豊かな実を結ぶことのできない人も滅びることがあります。どんなに小さなことでも神の御心や戒め、掟に反することをせず、生きている間に聖霊によってキリストに近い品性を体現し、一切の妥協をせず、貧しさ、拷問、その他様々な苦痛を主イエス・キリストの御名のために耐え抜くことができる人こそが、「世にふさわしくなかった」(ヘブライ11:38)と言われる人です。神はこのような人を探しておられます。神に認められる信仰というのは簡単なものではありません。あなたがたは、その時が来れば殉教する決断ができると思っていますか。若しくは、もっと楽観的で、将来そんな事態になるはずがないからそんなことを考える必要もないと思っていませんか。そういう考え、気持ちでいるのがまさに、にわかクリスチャンなのです。そのような決断ができる信仰を急に持つことはできません。今そのような信仰や心の準備ができていないのに、何故、有事の時になって急に準備が整っていると言えるのでしょうか。神との個人的な関係構築には時間が必要と過去記事「安息日の重要性とモーセの律法」でも述べました。甘い考えはさっさと捨てるべきです。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 2章10節

死に至るまで忠実であれ。そうすれば、命の冠を授けよう。

 

上記聖句のとおりです。逆に、忠実ではない者はどうなるかお分かりですね。

 

新約聖書 マタイによる福音書 5章11~12節

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

 

主イエス・キリストは上記のとおり仰りました。主イエス・キリストのためなら迫害されることを喜びなさい。決して悲しむべきことではありません。忠実ではなく、後で主イエスから知らないと言われる方がよっぽど悲しいことです。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。


以上