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皆さんこんにちはニコニコ

 

 

気づけばあっという間の7月笑い泣き

6月は1つも記事を書いてないという体たらくあせる

(もう1つのカメラブログは時々更新してますビックリマーク左差し免罪符文)

 

そうそうビックリマーク

前回の旧朝香宮邸の記事への反響が多く

驚いておりますびっくり

 

コンスタントにアクセスがあるので

建物に興味のある方が多いのかな?

と思っていましたが

 

5月に開いた「横浜レトロ茶会」に参加してくださった方がおっしゃってたこの言葉下矢印

旧朝香宮邸は行ったことがある場所だけど、こんな歴史があるなんて驚いたし、普通は建物の説明だけで終わる記事が多いけど、家族のエピソードまで書いてあって凄いと思いましたビックリマーク

 

 

うわぉ〜ビックリマークありがたいです爆  笑

M様、ありがとうございますニコニコ

 

また別の方からは

どうやったらこんな記事書けますか?コツは?

というメッセージもいただいたので

 

本邦初公開ビックリマーク

「あまり役に立たないブログの書き方」ご紹介しますキラキラ

 

私のブログ記事の出発点には

「興味を持つととことん調べる(知りたがる)」という特徴がありますビックリマーク

 

旧朝香宮邸でいうと、まずは興味があって訪問ダッシュ

この時点で記事にするかどうかは未定

 

自分の中で知りたいビックリマークという欲求が湧くと

テーマについて書かれた本を

図書館で借りて最低5〜6冊読みます

そこからさらに興味が広がると本も増えますビックリマーク

 

例えば、旧朝香宮邸の建物の歴史だけでなく

住まわれていた朝香宮家の人々についての記述があるものや

当時の歴史背景がわかる書物を同時に読みます

 

読んでいるうちに

そこからまた芋づる式に興味が広がるので

エンドレスになりますあせる

(朝香宮家→東久邇宮家というように親戚の方の本まで読んでしまう…終わらんわなネガティブ

 

そしてこの面白さを記事にしたいビックリマークと思って初めて、記事に使う写真を選びますカメラ

(だいたいここで時間をかなり要する驚き

 

文章を書き出し、後から写真と見出しを付けていきます(反対のパターンもたまにあり)

 

容量制限があるのでオーバーする場合は

文章を要約したり、泣く泣く写真を削ったりします魂

 

ブログを書き上げる時間は

記事のボリュームにもよりますが

長くて2日、短くて4時間くらいですビックリマーク

興が乗ると短時間で一気に書き上げたりもしますビックリマーク

 

仕事ではないので

編集者によるチェックがなく

自由に、気軽に、自分の好きなように書けるのがブログの醍醐味キラキラ

 

どうでした?

ね、役に立たないブログの書き方でしょ(笑)

10人いたら10通りの書き方があるかもしれませんねニコニコ

皆さんはどんな風にブログを書いていますか?

 

前置きが長くなりましたあせる

では今日の本題へ走る人

 

 

  街中にそびえる国指定重要文化財

 

ここ最近の暑さに比べたら

まだまだマシな気候の折

仕事で都内へ行った時のお話です

 

 

例によって帰りに気になるお店を訪問しようと

向かう途中にあったのがこちら

下矢印

 

私学の名門キラキラ慶應義塾大学

 

 

道すがらにこんな建物あったらビビるでしょ驚き

え?ここ何?(前情報全くなし)

 

芝大門から田町に向かっていたので

慶應義塾大学の三田キャンパスにぶち当たったのですねビックリマーク

 

 

ええ、躊躇せず入りましたとも…

これだけの建築物を見ないのはもったいないビックリマーク

 

歩いてる学生すべてがお坊っちゃま・お嬢様(死語かも)に見えるキラキラ

 

ここで石原裕次郎が学んだのか〜ビックリマーク(発想が昭和で止まってます凝視

そんなことを思いながら進むと

何やら立派な門が見えてきました

 

 

  慶應義塾大学のシンボル「幻の門」

 

この荘重な雰囲気を持つ門は「幻の門」と呼ばれていますビックリマーク

 

歴史は古く、明治4年に三田にあった肥前島原藩の屋敷の門を表門としていたのを

老朽化のため現在のような近代的な門に建て替えましたビックリマーク

 

その後第二次世界大戦中は学徒出陣で

多くの塾生がこの表門から戦地へと旅立ちました悲しい

 

昭和20年には空襲で倒壊ネガティブ

寄付により修復され、昭和34年には慶應義塾創立100年事業の一環として

現在の門が新設されましたビックリマーク

 

 

名称は「表門」から「東門」になったものの

未だに「幻の門」と呼ばれて親しまれているとかニコニコ

 

実はこの「幻の門」

昭和8年にその名も「幻の門」という歌にもなっているんですびっくり

 

作曲は「赤とんぼ」でも知られる

国民的作曲家・山田耕筰

作詞は大学OBの堀口大學

 

当初、作詞は北原白秋に依頼したそうですが

「早稲田出身」であることを理由に断られたとか滝汗

 

早慶戦の優勝パレードでも演奏されるという「幻の門」

歌とともにこれからもずっと大学を見守っていってほしいですねニコニコ

 

 

  慶應義塾図書館旧館

 

このひときわ目を引くゴシック様式の

慶應義塾図書館旧館

明治45年(1912)に慶應義塾創立50年記念事業として寄付で建立されましたキラキラ

 

 

設計者は曾禰達蔵(ジョサイア・コンドルの門下生)と中條精一郎(プロレタリア作家の宮本百合子氏の父)

 

 

前置きは短めに、中に入って素晴らしい内装を拝見しましょう!!

予想通り、深紅の赤絨毯ですキラキラ

レトロ建築には欠かせませんねラブ

 

図書館内は外の喧騒とは打って変わって静けさに包まれています

 

ここは、日本?

大階段までのアプローチが素敵すぎる!!

 

階段下まで移動すると見えてくる

鮮やかなステンドグラスキラキラ

 

 

  残りの人生を賭けて完成させたステンドグラス

 

 

神々しいほどのこのステンドグラスは

洋画家の和田英作によって原画が作られ

それを元にアメリカで修業した小川三知(さんち)によって制作されました


 

図案は、塾章ペンを手にした西洋文明のシンボルである女神

封建とミリタリズムの象徴である鎧武者が白馬を降りて迎えているところ

 

これから新時代を切り開いていく塾の精神をあらわしているのだそう!!

かっこいい〜爆  笑

 

慶應義塾大学

オレンジ色の部分にはラテン語でCalamvs Gladio Fortior(ペンは剣よりも強し)

左右には塾創立の年(1858)と創立50年の年(1907)がローマ数字で記されています

 

制作者の小川未知

ガラスをアメリカから取り寄せ

深い色を出すために二重、三重に重ねるなど技巧を凝らしましたキラキラ

 

この小川未知という人物は

家業の医者を継ぐため

第一高等学校(現・東京大学)に入学するも

 

画家の道を志すため、中退して芸大に入り直したという異色の作家ですびっくり

 

アメリカで学んだ高度な技術と

日本画の要素を持った彼の作品は

 

戦争中に失われたものが多く

現存している物は数少ないといわれていますあせる

 

全国各地に小川未知の作品は散らばっており

中でも最高傑作ともいわれる作品群が青森県中泊町の宮越家離れにありますキラキラ

 

(画像転用元:中泊町公式HP)

いつか観に行きたいですニコニコ

 

慶應義塾図書館のステンドグラスも例に漏れず

昭和20年の空襲で倒壊…(表門もそうでしたねネガティブ

 

4年後に建物は修復されたものの、制作者である小川未知は既に亡くなっており

復元の目処がたたないまま時は流れます

 

復元されないまま22年が経ち…

当時、小川未知の元で見習いをしていた大竹龍蔵が、師の芸術作品を復元するべく立ち上がったのが御年77歳の時でしたびっくり

 

作品の原画は残っていたものの

長年の月日は色を失わせていました真顔

 

そこから執念ともいうべき大竹龍蔵の制作が始まりますダッシュ

 

まずは失った色を取り戻すため、過去に小川未知が取り寄せたアメリカの同じ会社から

ガラスを取り寄せ復元に努めますビックリマーク

 

制作を始めてから3年後の昭和49年

ついに完成まであと一歩のところまできましたビックリマーク

 

階段を上がって

 

ステンドグラスと同じ高さまで上がりましょう

 

大竹龍蔵は最後の色調調整の指示を作業員に与えた翌日に突然この世を去りました…悲しい

 

完成除幕式は、それから2カ月後の月命日の12月10日に行われたそうです

 

恩師・小川未知の傑作を復元するべく残りの人生を賭けた作家・大竹龍蔵の想いが詰まった作品

 

それは既に倒壊前の師の作品を越えているように思うのは私だけでしょうか

 

 

  福沢諭吉記念 慶應義塾歴史展示館

 

2階の一部は「福沢諭吉記念 慶應義塾歴史展示館」になっていて

入場無料で拝観することができますキラキラ

(無料というところに大学の豊かさを感じますね)

 

当然ながら展示スペースもこんなに立派ビックリマーク

 

展示よりも内装に目が行く…にひひ

 

八角形の重厚な時計びっくり

 

 

  福沢諭吉は何をした人?最大の功績とは!

 

こちらは福沢諭吉愛用のタバコ

 

若き日、アメリカにて写真館の娘さんと一緒に撮った写真ニコニコ

西洋人が珍しい日本で格好の見聞録になったのではないでしょうかビックリマーク

 

お子さんたち固まってる汗うさぎ

一万円札の顔として馴染みのある福沢諭吉

「学問のすゝめ」を世に出し

 

おなじみペンのマーク指差し

 

慶應義塾大学を創設したことで有名ですが

意外と知られていない功績がありますビックリマーク

 

勝海舟に、金儲けが好きな人認定されてますが…あせる

 

何と言っても彼の最大の功績

「西洋の言葉と文化、考え方を日本に伝えた」ことなのですビックリマーク

 

アメリカ土産の乳母車(デカいあせる

 

私達が今普通に使っている言葉

『健康』『自由』『家庭』『独立』『競争』『演説』『討論』

これらの言葉は福沢諭吉が日本語に置き換えて作りました

 

当たり前にある「生命保険」や

「中央銀行(日銀)」のシステムも彼が日本に伝えたもの

 

その他、新聞に初めて「天気予報」を載せたり

西洋の肉食文化や衣服なども広めたというから驚き!!

 

ポットとスプーンを大胆にも

墨入れにしていた福沢諭吉ポーン斬新ビックリマーク

 

ちょっと意外なところでは

日本に初めてカレーを紹介していますカレー

(安政7年(1860)に書籍「増訂華英通語」で「Curry」を「コルリ」と紹介)

 

福沢諭吉がいなかったら、近代化もかなり遅れていただろうといわれるほど爆笑

きっと新しもの好きで好奇心旺盛だったのでしょうねえひらめき

 

 

明治34年福沢諭吉68歳の時

慶應義塾内の自邸で脳溢血にて亡くなります悲しい

 

お札の顔になるほど、沢山の功績を残しましたキラキラ(来年度からは渋沢栄一です)

 

さて今回も長くなってしまいました不安

容量オーバーです魂

次回は三田の素敵な2つのカフェをご紹介します飛び出すハート

 

最後までご覧いただきありがとうございましたニコニコ

 

 

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