盆=盂蘭盆会(うらぼんえ)はそもそも仏教のものではありませんでした。
とはいえ、原始仏教パーリ語経典にある、仏教の六道輪廻に伴う死者廻向にちなんだ『餓鬼事経』という経典に原型を見ることができるそうですが、この経典を元に支那で生まれた支那独自(偽経と言われています)の仏経典『盂蘭盆会経』と、道教の祖霊信仰の催しである「中元」とが習合し、我が国に伝来したとか。
また別に、我が国独自の、神道の祖霊信仰の慰霊祭祀が、支那経由で偽経を含めて伝来した仏教と習合したとも言われます。縄文以来の我が国古来の自然信仰(精霊信仰)、祖霊信仰と神道は糾える縄の如きものですし、神道の祭祀王たる天皇が仏教を容れ、代によっては帰依した天皇もいますから、古来より我が国に定着したのは頷けます。
前者は「なんでも大陸から伝来した派」の匂いがし、後者は「我が国の独自文化体系が存在していた派」で、私は後者を採りますが、学生時代の『日本史』で習った、「本地垂迹説」(我が国の神は仏の化身である)vs 「反本地垂迹説」(仏は我が国の神々の一人である)の論争は、実は現代にも残っています(笑。
ともあれそのような視点の違いは民族的アイデンティティの問題で、我が国で調子に乗った仏教勢力に対する反動でもありました。そもそも神道は、古代の南方海洋民族が「マナ」(天照大神に通じる)と呼んだ太陽への信仰に端を発した自然や宇宙、その恵みと破壊力への畏敬に由来し、仏教は人間の欲望と理性の相克の救済であって、両者は比較したり対照したりするものではないと私は見ています。
そしてゴータマ・ブッダは、仏教において唯一超自然的な存在、大日如来の説得によって衆生の救済に乗り出したのですから。
いずれにしろ、お盆は文化的には重層的な祖霊信仰の祭で、いまとなっては日本の(少し、あるいは大きく変質してしまった -- 日蓮の系譜とか…と喧嘩を売ってみるw)宗派仏教の僧侶の方々の書き入れ時です(とはいえ仏壇のない家が増えたなか衰退傾向にあり、現代日本人が仏教に触れる機会も減りましたが)。
そんなお盆の中、ステイホームでお時間がある方向けに、故中村元博士の、貴重な2時間40分に渡る講義『ブッダの生涯』をシェアします。
中村元氏は、原始仏教に最も近い言語、パーリ語から直接日本語に翻訳し仏教を再発見した我が国の泰斗(つまり、支那伝来の宗派仏教から離れ、仏教の原典に最も近づいた)であり、その言葉は(私にとってとても懐かしい昭和の語り口であると共に)、「能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ」(スッタニパータ)を体現しようと挑んだ姿勢を心から尊敬する人物です。
幸魂奇魂守給幸給