ふた月くらい前の朝、ぼんやりNHKを観ていたら、『あさイチ』の特集が「DV妻」だった。

 

DV妻…テレビでは、ゴルフクラブを振り回して家具を破壊したり、刃物を振り回すのもいると例をあげていた。内閣府の調査で、「配偶者から暴力を受けたことがある」と回答した”男性”は19.9%、実に5人に1人…

 

そうした妻を持つ夫君の話を何度か酒の席で聞いたことがある。

 

子供と一緒になって夫の下着を汚物扱いするのから始まって、影で子供と悪口を共有して徒党を組んで結界を張り巡らし、家庭内村八分にする。加えて、突然キレて、肩や胸を突いたり、顔や頭をはたいたり、モノを投げる、手に持ったモノで夫を打擲(ちょうちゃく)する。他に、食べ物や小遣いを渋ったり、あるいは夫の大切にしているモノを粗末にしたり、捨ててしまうような嫌がらせをする、夫が家に帰ると泥酔して酒乱を発揮…ああ、買い物中毒やホストクラブ通いってのもあったな。浪費は経済的暴力ですかね。

 

達人になると、細君が激怒していたり、なにかやらかしたりしているのを、駅から家への道すがらで予知できるようになる、と言っている御仁がいた。玄関のドアを見た瞬間、なんともいえない冷たい、凍りついた空気を感じるそうだ。なんか、…わかる。

 

まあ、オトコの酒の席の話である。だんだん誰の細君が一番スゴいかという張り合いになるから、多かれ少なかれ「盛って」はいるだろう(笑。妻に関する恐怖体験の自慢大会だ。ジジイになってからの病気(健康)自慢と同じである。まったく「テストステロン」(Wired)というのは厄介なものである、と最近のなんでも脳内ホルモンのせいにする風潮は、そこはかとなくこの前書いた”自由意志”の反対側のようなチェリー・ピッキングに見えるけれど、おっと脱線。

 

飲み会だから、何かの拍子に着火してテンションあがっちゃって、ひとりでしゃべくりまくる奴がでてくる。空気の読めないオレオレ君。それが地位も名誉もあるお立場の方となると手に負えない。独演会になっちゃう。これも脱線。まあ、いいトシなのに、会社のおっさんたちと無防備に仲良く飲みに行くと、大抵の話題は会社の不満か、家庭内の怪奇現象、もとい不条理か、ゴルフの話など、オレオレ経験談で抑制が効かなくなる奴が、ひとりはいる。

 

そんな幼稚なおっさんでも、家ではおとなしいのもいるらしい。「折れイズム」という言葉があるそうだ。「あさイチ」の解説に出てきたセンセイが言っていた。妻から不当な扱いを受け過酷な仕打ちを受けても、「オレさえ折れていれば、家庭内は平和」だと、不条理を甘受する「イズム」である。オトコ側は、家庭に余計な波風を立てまいとして、妻の逆鱗に触れないようにするよう努力する。家も会社になっちゃった。家人をモンスター上司と同列に扱う。気持ちはわかる。「君子危うきに近寄らず」とも言いますが、ドM君の疑いもあります。

 

モンスター上司なら、うまくやり過ごせば、攻撃の矛先は次の犠牲者へと向かう。しかし、家庭内でそれはない。ターゲットは夫しかいない。そして、それを避けようと思っても、表面上の「事なかれ」…それはじつは火に油を注ぐ行為らしい。よく言われるのが、女性は「共感の生き物」という説。

 

確かに、相手が共感してくれているという「(あくまで)感覚的な確証」があれば安心するフシがある。と、何度もフラれて、また女性に好かれる他の男たちをみて思うところでは、あります。

 

「折れイズム」で得た波風が収まった平和な状況への要求は、「妻もそうだろう」というア・プリオリに男が勝手に「思い込んでいる平穏」であって、妻が欲しいのはソレじゃない。妻の欲求や不満、苛立ち、怒りへの根っこからの共感、そしてその共感から演繹される言動、それこそが妻を癒す、とのこと。

 

「付き合ってられるか」って?「デスヨネー」と答えておくけれど、仕事で言えばビジョニングとか、価値の共有とか、6Sとか、職場で散々聞かされている組織マネジメントが家庭でできていないんじゃないの?…ガバナンスの効かない家庭…とも思う。おっとどっこい、そんなガバナンスが効く組織の方がまれか。だけど、会社にしろ家族にしろ、家族が依拠すべき「芯」みたいなのが象徴化(例えば家長や家の来歴、成り立ち)や言語化(例えば家訓)されていないと、価値観の衝突が続くだけだね。昔はなにがしかの家訓や来歴のある家が多かった。核家族化・個人化で失われたもののひとつで、家庭は生計の共同体ではなくなったぶん、「個人(の欲望)」の衝突の場になりやすくなった。

 

 

Genderfreedev.com : "Female Perpetration Statistics: “The Public Good” & an elephant in the room.""によるとこの10年で女性の男性パートナーに対する暴力は5倍に増えているとか。

 

 

衝撃だったのは、NHK「あさイチ」に登場していたセンセイによれば、「DV夫は自覚がないが、DV妻の多くは『ワタシって、もしかしてDV妻?』という迷いがあったり自覚があったりする」とのこと。これって、ヤバくないか?オトコにはないのか?

 

自覚がある、というと故意であり、ともすれば無自覚より悪質である。というのが世の習いだけれど、自覚は、改心や抑制の起点にもなる。無自覚な行為の方が矯正できず、厄介なことの方が多い。

 

確かに、DV夫はそんな風に迷ったりしなさそうだ。言語化できない感情が時に暴力のカタチをとって現れるのか?クチで説明しても、わからん奴は殴るのか?。殴るという行為でしか示せないものがあるのか?自分も暴力でしつけられ、鍛えられたからなのか。暴力もコミュニケーションのひとつだという花村萬月の小説も読んだ。その意味ではわからぬでもない。だが、それが世間に言われる「DV夫」の烙印を押されることになるという自覚は、大丈夫か?

 

そうそう、男性諸君の脳みそは、右脳と左脳をつなぐ脳幹とやらが女性より細いといわれる。自分の行動についての客観性は、女性の方が優れているのだろうね。

 

その手のオトコは、妻子を殴った、蹴った、という認識や記憶はあるだろう。だが、多分、おそらく、きっと、自分を「DV夫」と認識してはいないのじゃないか。流れで、そうなっちゃう(手をあげちゃう)。相手が俺の言うことを聞かない、気に染まぬことをする、なぜいつも同じことをする。俺のことを怒らせるからだと。

 

オレサマ中心なのか。あるいは家長の権威を損ねるのは何事かと(自己中心気質と、威厳や秩序維持は全く別次元のハナシだが、多くの場合密接に結びつく)。家庭内秩序維持には、怒声と暴力も必要だ。思いの丈を表現するにはほおを打つしかないではないか。だから、俺はTVで報道されている「DV夫」なんかじゃない、と。他責モラハラ男は手に負えない。まあ他責傾向は男女ともに手に負えんが。

 

表現としての暴力は、決して良いことではないが、まれにアリだとしよう。痛みによって道や思いやりに目覚めることもないわけじゃない。しかしそれは、それで問題が解決するのは奇跡に近い低確率だとも思う。怒声や暴力は、問題の本質的解決には、つながらず、問題を拡大するリスクが高いと思うのだけれど。TVドラマのような麗しい成功事例があるのも否定しないけれど。

 

こころ穏やかに男女仲睦まじく暮らす、という家庭は減っているんですかね?

 

 

 

Micheal Franks, "The Lady Wants To Know"(1977)

 

数あるマイケル・フランクスの名曲のひとつ。名盤"Sleeping Gypsy"の一曲目、"The Lady Wants To Know" …『淑女の想い』なんて邦題がついてた(…”違う”と思うが)。「ダディは、まさにコルトレーンのよう。ベイビーはちょうどマイルスみたい。彼女は天国のよう、微笑んだ時にね」って歌詞が気に入っていて、長年の愛聴曲のひとつ。ラリー・カールトンのギターと、マイケル・ブレッカーのサキソフォン、そしてジョー・サンプルのピアノがよく絡んでいて、それをウィルトン・フェルダーのベースと、ブラジル出身のドラマー、ジョアン・パルマが支える。最近こうした曲がないのを残念に思う次第。オワコンかね?

 

 

Good Luckクローバー