歴史を見直しているうちに見えてきたもの。
それはどの民族にとっても大事なものは同じ。
その民族の言葉と歴史と神話。
それはその民族の経験と知恵の賜物。
日本であれば言葉は
大和言葉と漢字、ひらがな、かたかな、和歌。
その民族独特の哲学は、その民族の言葉でしか語れない。
歴史は神社と寺他様々な文化や伝統の引き継ぎも含まれる。
神話は古事記、日本書紀、風土記、その他地元の言い伝え。
特に神話と歴史が重なる日本の神話は大切。
古事記、日本書紀はその代表、基本である。
歴史や神話を教え伝えるためには言葉が必要。
言葉と歴史と神話は密接に繋がりあうもの。

だから、このうちのどれ一つでもないがしろにはできない。

そして密接に繋がりあうものの代表的なものが、
日本においては神社文化であり、
それを大事にお守りしてきた天皇の文化である。

日本は天皇文明の国なのだ。

これは歴史が語っていること。
  • 21 Aug
    • 御代替わり諸儀礼を「国の行事」に

      御代替わり諸儀礼を「国の行事」に の署名活動がありました。   これは、天皇陛下が即位時の諸儀礼、特に一代限りの大嘗祭(即位後初の新嘗祭のこと)が、今上陛下の御即位の時に国の行事ではなく皇室行事とされていたことを正し、悪しき前例を繰り返さないようにしようというものです。   皇室行事ということは、私費で行う行事ということになりますが、それでなくとも皇室行事として賄われている宮中祭祀ですが、そもそも宮中祭祀を行う事が天皇の本来の仕事であるということを思い出してほしいと思います。   これは戦後このような形になりましたが、GHQの政策により古来からの朝廷財産まで国のものとされたことも忘れてはなりませんし、なんといっても国と一体である天皇の代替わり、今上陛下の御即位時には遺産相続として税金が取られたことも忘れてはならないと思います。天皇と皇室には憲法で保障された人権がないにも関わらず、このような事がされたのです。   発起人の方は、研究者らしく、専門的な事も含めて詳細に書かれていますので、是非ご一読をお願いいたします。提出先は政府と宮内庁となっています。   特に、宗教的儀礼とされる大嘗祭が単純な宗教儀礼ではなく、国民統合の複合儀礼であるという説明は圧巻です。   このブログでは中途半端な新嘗祭の説明しか行っていませんが、ここでは詳細に説明されていますので、是非ご覧いただき賛同されましたらご署名下さい。   最後には「問題意識を共有する同士の結集を」と書かれています。   以上、よろしくお願いいたします。   御代替わり諸儀礼を「国の行事」に          

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  • 20 Aug
    • 今、日本を知るためのネットチャンネル

      テレビを見ると馬鹿になる、と子供のころよく言われたものですが、あれは本当です。ところが、そう言っていた親の世代がそのテレビを信じてしまっている・・・のが悲しい現実です。   日本の現実は、戦後どころか戦前からこういう状態になっていたということ↓ スイス政府『民間防衛』 非公式bot@minkan_bouei  占領軍に協力しない本や新聞には用紙が配給されず、底意のある出版物が大量に国内にあふれ、占領軍のイデオロギーがテレビやラジオを通じて一日中流される。公式発表以外の情報は聞けないようになる。学校では宗教教育が禁止され、精神的な価値を示唆することが禁止される。(スイス政府『民間防衛』)2017年08月19日 21:06   では、テレビなどのメディアは全くダメなのか?といえば、ネットチャンネルという新しい自主メディアがどんどん増え対抗してきています。これは自主メディアですから、既存のテレビ番組のようになにかを装っているとは違い、その方向性がわかりやすく本音がわかりやすいのが特徴です。そして視聴者を楽しませるための努力をされている番組が多く、それがまた面白くまた本当に勉強になる番組です。   ここで何度も貼っているものもありますが、そんなお薦めチャンネルを紹介します。   まずは、奥山真司の地政学「アメリカ通信」/THE STANDARD JOURNAL         面白おかしく語られていますが、最新の世界ニュースがとりあげられていて、世界がとてもわかる番組です。以下、番組紹介です。   このチャンネルは、現代日本人にとって、決定的・致命的に欠けている、国際(政治/経済)情勢における「地政学」「リアリズム」「プロパガンダ」の3つのセンスを、高尚かつ多角的に、分かりやすく、素敵に身に付けて頂くためのチャンネルです。 ★毎週火曜日21:00から、ニコニコ生放送を行っています。番組全編をご覧になりたい方はこちらから→( http://ch.nicovideo.jp/strategy2 )。チャンネルの有料会員になって頂けると、<タイムシフト視聴機能>も使えますので、自分の都合の良い時間で番組を視聴することも可能です。 ▼出演者▼ ◎奥山真司 1972年横浜市生まれ。地政学・戦略学者。戦略学Ph.D.(StrategicStudies)。国際地政学研究所上席研究員。戦 略研究学会編集委員。日本クラウゼヴィッツ学会理事。カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学(BA)卒業後、英国レディング大学院で、戦略学の第一人者コリン・グレイ博士(レーガン政権の核戦略アドバイザー)に師事。現在、国際関係論、戦略学などの翻訳を中心に、セミナーなどで若者に国際政治を教えている。日本にほとんどいないとされる地政学者の旗手として期待されており、ブログ「地政学を英国で学んだ」は、国内外を問わず多くの専門家からも注目され、最新の国家戦略論を紹介している。著書に『地政学アメリカの世界戦略地図』(五月書房)のほか、翻訳書として、『インド洋圏が、世界を動かす』(ロ パート・カプラン著、インターシフト)、『中国4.0暴発する中華帝国』(エドワード・ルトワック著、文春新書)などがある。(※詳細は→ http://geopoli.exblog.jp/17934848/) ◎和田憲治(株式会社オンザボード代表)言論系人気番組の数々をプロデュース。渡部昇一先生を敬愛し、先生に直訴し、公認のホームページ、渡部昇一.com(http://www.watanabe-shoichi.com/ )をつくり、致知出版社主催の公式ファンクラブ「昇一塾」の立ち上げを企画。   KAZUYA CHANNEL GX  ユーチューバーで人気の出たKAZUYA君の番組の一つ。ここでは何度も取り上げてきたKAZUYA君ですが、その活躍と成長は凄いです。なんといってもその魅力は若さ。チャンネルを通してその勉強ぶりもわかりますし、それを見た人が参考にすることもできます。今後もKAZUYA君からは目が離せません。なお、この番組は上記の奥山さんの番組と同じく和田さんが出演しています。     以下、番組及びKAZUYA君の活動紹介です   <毎週水曜夜9時は Youtuber KAZUYAのニコニコ生放送!> 全編視聴できる会員チャンネルは↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCALB... ニコニコ生放送:http://ch.nicovideo.jp/kazuyagx2 Fresh!:https://freshlive.tv/kazuyagx 無料生放送はこちら→https://www.youtube.com/user/kazuyachgx Youtuber KAZUYA 満を持して遂にニコニコ公式チャンネルに降臨!!! 生放送では更に突っ込んで更に分かりやすく。 そして、どこまでもユルく!? KAZUYAの新境地に乞うご期待!   ★ニコニコ生放送|KAZUYA CHANNEL GX2 http://ch.nicovideo.jp/kazuyagx2 ▼Youtube KAZUYA CHANNEL https://www.youtube.com/user/kazuyahkd ▼KCGX Facebookページ https://www.facebook.com/kazuyachanne... ▼@kazuyahkd|KAZUYA Twitter https://twitter.com/kazuyahkd ▼KAZUYA Blog http://kazuyahkd.com/ ▼KAZUYA Photo Blog http://kzy-photo.com/ ▼CH運営Twitter|@media_otb https://twitter.com/media_otb         そのKAZUYA君に一番最初に注目したのが神谷宗幣さんと倉山満さんです。お二人はCGSというネットチャンネルの草分け的番組を始めており、その番組にまだ無名のKAZUYA君を起用したときは凄いと思ったものです。私はちょうど注目していたKAZUYA君ということで番組収録も見に行ったものです。現在倉山さんはチャンネルくららに分かれていますが、昨年は久しぶりにコラボしていました。CGSは幅広く硬軟様々な番組があり、クララチャンネルは専門家に特化した番組となっています。これは神谷さんと倉山さんのそれぞれの個性が生きた番組構成でもあります。神谷さんは国内国外の研修での研鑽がとても多く、先日も台湾に行かれていました(KAZUYA君も一緒です)が、そこで出会われた台湾の方のお話を収録されたということですので、それもいずれこちらで公開されると思います。   CGSの最新番組。   CGSは様々な番組が毎日アップされていますので、全部見てもいいし、興味があるものだけを見てもいいし、普通のテレビを見る感覚で番組を選択できます。     チャンネルくらら 特別番組で江崎道朗さんとくららこと倉山さんの対談。いつもここでアップしている江崎さんの番組もチャンネルくららの番組です。   上念さんの面白おかしい経済ニュースもチャンネルくらら     最近注目しているのは報道特注です。井戸端会議的番組ですが、とても面白いです。本職は魚屋さんの生田よしかつさんが作っている番組ですので本数は多くありませんが、わかりやすく時事問題が取り上げられています。政治エンターテイメントにようになっています。           DHCテレビは平日は毎日「虎の門ニュース」を流しています。また高山正之さんや馬淵睦夫さん他見どころのある番組ばかりです。ネット番組では生番組でもあとからいくらでも見ることができるので見逃しがなくていいです。       そして竹田恒泰チャンネル。ここで何度も貼り付けていますが、本当におすすめです。私は竹田研究会に毎回通っていますが、通えない方でもこのチャンネルを見ればとても勉強になります。毎週その週の新聞全紙からピックアップして取り上げていますが、その他に特別番組もあり、竹田さんがテーマに沿って語るのが聞きごたえ十分です。       竹田恒泰チャンネル 毎週木曜20時から生放送  ニコニコ生放送:http://ch.nicovideo.jp/takeda-tsuneyasu Fresh! by AbemaTV:https://abemafresh.tv/takedach     週刊誌的内容が欲しい方にはこんなチャンネルもあります。     ニコニコチャンネル/社会・言論/「ちょっと右よりですが・・・」 花田紀凱[月刊Hanada]編集長の「週刊誌欠席裁判」 YouTubeを含め下記プラットフォームにて毎週土曜日12:30~生放送。 YouTubeLIVE:http://www.youtube.com/c/tyottomigi/live ニコニコ生放送:http://ch.nicovideo.jp/channel/tyotto... Fresh!:https://freshlive.tv/ctm 毎週土曜日12:30~生放送です。 元「週刊文春」「月刊Will」の名物編集長、そして、今最も面白い月刊誌「月刊Hanada」の編集長、花田紀凱と、言論系人気番組の数々をプロデュースするオンザボード代表、和田憲治が 主要週刊誌の記事を起点に、時事ネタをタブー無しでバッサリ斬りまくる!?TVは言うに及ばず、雑誌でも絶対に話されないような話が飛び交うこと間違いなし。ニュースに勝る、圧倒的な生きた情報をお届けします!     この番組も、また竹田さんの番組も和田さんが手掛けています。和田さん自身が注目のクリエイターではないかと思います。ただし、この番組はここ2週間和田さんが出ていないので、番組構成は変わったのかもしれません。       他にもネットチャンネルはありますが、これらのチャンネルは見て損のない、むしろ見るべきチャンネルだと思いますし、なかなかメディアの実態を理解できない層には、こういうチャンネルを見せてあげることで理解しやすくなる番組でもあると思います。   ビジュアルと情報が一緒になったテレビというメディアの情報拡散力は大きいです。だからこそ、新しい発信源であるネットチャンネルを使い年配の方やネットをご覧になれない方へ、こうした番組を見せてあげることがとても重要だと思います。   ぜひ、ご覧いただきたいし、また周りの人に薦めたり、見せてあげてほしいと思います。  

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  • 19 Aug
    • 半蔵門前で起きていること・・・ニュースにならない事件から考える

      現在私の職場は、麹町署に近い場所にありますが、15日から昨日まで毎日街宣活動が続けられていました。今日も続けているのかもしれません。     ニュースで検索しても出てきませんでしたが、15日に靖国神社デモで逮捕された人の釈放のための抗議活動だそうで、私が不在だった15日からこれは始まっていました。詳細がわからないので検索してみつけたのがこれです↓ 【釈放せよ!】靖国神社デモで右派活動家の「桂田智司氏」が逮捕・麹町警察所の前で抗議の声が上がる。   ここのコメント欄にもありますが、周囲の人達は大音量による抗議活動を聞かされているわけですから、本当に大迷惑です。私の職場では「頭がおかしくなりそう」と言っている人が何人もいました。しかし働いている人は仕事が終われば帰ることができますが、居住されている方は逃げ場がありません。そのストレスはさらに大きいと思います。   私は今年初めて聞いたこの街宣ですが、職場の人達によると毎年のこの時期の恒例行事になっているそうです。   そこで私が真っ先に考えたことは、天皇陛下と皇后陛下は毎年こうした騒音を聞かされてきたのだということでした。なんといっても麹町警察署は、皇居の半蔵門のすぐ前なのです。その前のブロックをグルグル装甲車が回って街宣を行っているのですから、あれだけの騒音が皇居にまで聞こえないわけがありません。こうしたことを毎年毎年天皇陛下は聞かされてきていたんだということを初めて知り、音が割れて何を言っているかわからないとしても、何が起こっているのかは聞かれていらっしゃるかと思うと、こうしたことが行われていることを大変申し訳なく思いました。そして、これは15日に武道館にいらしている時の行き帰りには、おそらく靖国神社周りの騒音を直に聞いていらっしゃるということでもあります。天皇陛下と皇后陛下は、このようなことも全て身に受けて来られているのです。     しかし、これはニュースになっていません。   なぜ逮捕されたのか?不当な逮捕なのか?逮捕の詳細は上のリンク以上のことはわかりません。ただ、ここで行われていることが周囲に迷惑をかける活動であるのは事実です。   それなのに、なぜニュースにならないのでしょうか?   多分ニュースにするためには、他の団体も取り上げなければならないからでしょうか。上記リンクのコメント欄でご存知ない名称があったら是非検索してみて下さい。このブログではあえてとりあげませんが、普通の日本人であれば嫌悪感を抱き、また怒りを感じることと思います。しかしこうした活動があるのも事実なのです。ニュースでは毎年8月15日の靖國神社周辺の騒動でこれを取り上げませんから、知らない人も多くいますが、これについては動画なども多くありますので、そちらでもご確認いただきたいと思います。靖国神社に政治家が行くか行かないかばかりメディアはとりあげますが、このような活動があり、それに抗議する人達もいることをこそ、本来は取り上げるべきだと思います。数年前私は、そのための道路封鎖をしているところに出合わせたことがありますが、日本ではないような状態となっていて大変驚きました。   こうした活動家達は、グループが違っても結局は同じ穴の貉ではないかと思います。やっていることが同じにしか見えませんし、そのやり方が不快なやり方であるのも同様だからです。   世の中には真相がわからないこと、事件がたくさんあります。そうしたことをわからないながらも見極める時、そのやり方や言葉などに違和感があるかないか?といことはとても重要だと思います。(中には相手と対峙するために、戦略として言動を落としている人もいますが)     実はこの職場になってから、帰りに皇居の周りを歩くことが増えて知ったことの一つに、皇居の周りを不気味なことを書いた宣伝車がよく走っていることがあります。皇居ランナーがたくさんいますから、そうしたものを目にしている人が多くいるでしょう。私はそのような事があるのを知りませんでしたから、その車を見て本当に薄気味が悪いと感じました。       古来、御所の周りは簡単な塀しかなく、泥棒が忍び込めるような状態の場所に歴代の天皇は住まわれてきました。明治になり奠都して初めて天皇が城という砦の中に住む形となり、従来の形に反するという人々が多くいますが、戦後の状況を考え、皇居の周りにこのようなものが回っていることからも、皇居に住まいがあるということは安全面からも良かったのではないかと思います。       ところで、最近ブロガーのうさんぽさんがアップした 『皇族批判は「具体的」な「信憑性のある話(デマ)」を信じるところから始まる!』でもこうした活動はみな根っこは同じと書かれています。こうしたことに注視されている方は、いつかはそういうことに気づかれるのだと思います。しかし、気づかれない方もいて、誰々だけは別的なコメントを残される方がたまにいます。それは相手の思うつぼです。これらは、日本を分断するため、天皇と国民の紐帯を弱めるための活動であり、それをまるで色んな派閥があるかのように見せかけて別々に思わせているだけで、結局の元は一つなのです。     最近では動画にも、やたらと天皇と皇室についてとりあげているものが増えていますが、酷いものばかりです。持ち上げるように描かれて、その実貶めているのです。     日本は天皇と国民の紐帯の強さで古来から続いてきた国ですから、それを壊したい人はここを狙ってくるのです。日本は天皇により守られている国ですが、その天皇を守るのは日本の国民以外ありません。 天皇は国民の敬によりて威を増し国民は天皇の徳によりて運を添ふ   興味ないなどという人もいますが、日本という国が亡くなったら興味もなにもありません。国が滅亡した民族、あるいは乗っ取られた国になったら、現在の当たり前の生活は出来なくなりますし、そうなったらまずされるのが民族浄化であるのは古今東西変わらないことです。現代は違うなんてことはないのは、チベットやウイグル、中東、アフリカ他、世界中で現在起きているニュースで伝えられていることでもあります。   だからこそ、日本人は生活のためにも、日本を守らなければならないし、そのためには日本そのものであらせられる天皇について、天皇陛下について、そして皇族について知るべきだということになります。それが日本を知ることだからです。日本を知る時に、天皇抜きで知ることはできないのです。   そしてそうした知識の共有ができたとき、「しらす」という概念の共有も出来るようになるかと思います。「しらす」の概念の共有ができたとき、このような報道されるべきなのに報道されないニュースは減少するのではないかと思うのです。     今現在、天皇について知るための入門としてお薦めの最初の三冊。   夏休みには読書しよう(^O^)/・・・「天皇の国 譲位に想う」   今こそ天皇について知ろう(^O^)/       三百年先、千年先を見据える目・・・神武天皇2600年祭の日に   そして、現在日本を戦前、あるいは明治期まで遡り近代日本の流れがどうなっていたかを理解しやすく解説されている江崎道朗氏の近著。近代日本の流れを皇室まで網羅して語れるのは今江崎氏しかいらっしゃらないと思います。   日本で今最も聴くべき評論家は江崎道朗氏 皇室存続に対する本当の危機感とは  

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  • 18 Aug
    • 夏休みには読書しよう(^O^)/・・・「天皇の国 譲位に想う」

      本日発売の本「天皇の国 譲位に想う」が昨夜書店にありましたので購入しました。       矢作直樹氏ご著書なので、きっと素晴らしいものと確信していましたが、本当に素晴らしいです。     目次はとてもシンプルですが、中をめくると小見出しがたくさんありますので、恒例の目次紹介です。   はじめに 第一章 平成二十八(ニ〇一六)年八月八日の天皇陛下のおことば  天皇陛下のおことば  おことばに秘められた陛下の思い  天皇皇后両陛下のご活動  数々の行幸啓  被災地への行幸啓  伝統文化の継承  宮中祭祀  御所でのご生活  伊勢神宮の式年遷宮  天皇霊の継承者 第二章 はじめからコースをはずれた有識者会議  行き違いの始まり  無理がある『(現)皇室典範』  異なる方向性  広がる温度差 第三章 このたびの天皇の譲位の根拠となった旧皇室典範成立までの経緯  『(旧)皇室典範』成立の経緯-憲法草案  『(旧)皇室典範』成立の経緯-「譲位」制度のやりとり  GHQの強制で法的措置が決定  GHQによる異様な占領管理  GHQの政策  思想工作  天皇陛下の処遇  天皇陛下とマッカーサーの会見  マッカーサーによる五代革命指令と新憲法成立への指導  GHQマッカーサーの新憲法成立の意図と天皇の在り方  国際法と「力こそ正義」の世界の掟  三国宣言受諾の理由  「力こそ正義」は続く  GHQによる天皇弱体化は続く  解決策を考える 第四章 天皇の御力(おちから)  福島第一原発事故と天皇陛下のおことば  国を救うのは行動  天皇は動かれない  日本を見守る米国  いざというときには政府ではなく天皇へ  天皇皇后両陛下の御行幸啓  昭和天皇の全国御巡幸  昭和天皇と日米安全保障条約  昭和天皇の公式訪米による戦後の終了  米国政府は日本政府をどのように見ているのか  米国とどうやって歩調を合わせるか  天安門事件で今上陛下が世界に及ぼされた影響  天皇のしらす国  国民とともに  君臣一如の民主主義 第五章 本来どうあればいいか  「天皇の在り方」は「議論」できるのか  『(現)皇室典範』の上位にある『日本国憲法』について  朝鮮戦争で兵站基地の機能を果たす  砂川事件最高裁判決  米国の兵站基地としての日本  天皇と政治  日本の守り神、天皇陛下を支える仕組みの強化  天皇は「しらす」御存在  女系天皇について考える  「男性尊重の国民感情、社会慣習があること」について  「女系天皇は、我が国の歴史・伝統に沿わない」について  「その他の問題点」について  新憲法と『(新)皇室典範』に必要なこと  自存力の強化  童謡と祈り   まだ全て読み終わっていないので、紹介できるのはほんの一部ですが第四章が素晴らしく涙が出ました。   まずタイトルのこのインパクト。しかし、これは現在の日本人の多くが知らない天皇陛下の本当のお姿でもあります。     ここを読むと、東日本大震災の時の天皇陛下の玉音放送が私が考えていた以上に日本を救われていたことに大変驚きました。あの放送は、日本人を勇気づけただけでなく、アメリカが日本を助けるために動くきっかけともなったというのです。   また第五章にある「日本の守り神、天皇陛下を支える仕組みの強化」では、こう書かれています。       肝心の国民が状況とやるべきことを的確に把握し、ひとつにまとまっていなければ、本当の力は発揮できません。それには私たちが自分自身を守り、大切な人を守り、故郷を守り、そして国土を守って生きるのだという明確な意思か必要です。それを思った時、だれよりも日本のこと、私達国民のことを思っておられる天皇陛下を戴いていることは、幸いなことです。     最後に紹介されているのは、HGQにより歌詞を一部変えられた童謡「蝶々」の一番の元の歌詞です。現在「花から花へ」となっている箇所は本来「栄ゆる御世に」という天皇の御世をさす予祝の言葉でした。     矢作さんは、以下のメッセージで本を終わられていますが、これは日本人全員に考えてほしいと思います。   私たち国民は、GHQでさえ意義が分かった国民の集合意識、つまり皆が歌う言霊・音霊の力が国民の意識をまとめ、浄化させ、それが天皇を支え国をよくするという役割にこころしたいものです。

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  • 17 Aug
    • 終戦の日考

      15日、72年目の終戦の日を日本人はどのように迎えたのだろうか?     ブロガーのうさんぽさんは、この時期、新聞・テレビは見てはいけないと書いていますが、その見ていないテレビの特集の酷さや新聞の相変わらずの論調が伝わっています。   あらみたま 〇譲位×退位&生前不要@aramitama9  この時期(終戦記念日周辺)の新聞・テレビは見てはいけない!! https://t.co/G4vUjSQEGI2017年08月13日 08:32     15日、靖国神社の遊就館にいた時に正午になり、館内放送で安倍首相の式辞を聞きましたが、その内容には感動しました。ところがニュースなどでは違うような書き方がされてました。映像では4分弱、文章で読むならもっと短い時間ですから、是非全文をご確認いただきたいと思います。 あらみたま 〇譲位×退位&生前不要@aramitama9  平成29年8月15日 平成二十九年 全国戦没者追悼式式辞 | 平成29年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ https://t.co/t3mI7hO71Y2017年08月17日 02:36       吉木誉絵@norieyoshiki  日本人ならば、8月15日くらい、普段の主張は横に置いて、祖国と私たち子孫を守るため死んだ英霊たちに静かに頭を垂れたい。しかし周囲は依然と騒がしく、それはまだ叶わない。戦前への反省は然りといえども、反省するポイントを大きく間違えている。そんな「戦後」はいつまで続くのだろう。2017年08月16日 02:43 吉木さんのおっしゃる通り、祖国とそこに生活する家族のため闘かって下さった英霊の方々を敬わないという異常さに、いつ人々が気づく日が来るのだろうか?と憂えます。   15日の靖國神社は、例年通り騒がしい状態でした。日本は自由な国であるからあのようなことが許されていますが、騒音と不気味なことを喧伝する人々は本当に恐ろしく、それを私達日本人に向けて行われていることに怒りを禁じえません。そしてそうした騒音が聞こえているであろう天皇陛下には大変申し訳なく思うのです。     大阪では、サンマリノ共和国の駐日大使が講演され、「靖国神社のような戦死者追悼の場は世界中にある」とおっしゃってます。   「終戦の日」の15日、大阪市住之江区のオスカーホールで「終戦72年 戦没者追悼祈念講演会」が開かれ、イタリア半島中部にあるサンマリノ共和国のマンリオ・カデロ駐日大使が「世界が求める日本の心」と題して講演した。 講演会は「日本会議大阪」などが企画。遺族や市民ら約200人が熱心に耳を傾けた。 靖国神社(東京)の境内で開かれる骨董(こっとう)市によく出かけるというカデロ大使は「アメリカのアーリントン国立墓地やフランスの凱旋門(がいせんもん)など、靖国神社のような国を守るために戦って亡くなった人のメモリアルな施設は世界中にある。参拝して何が悪いのでしょう」などと話した。 また、日本の若い世代に向けて「自分の国をよく知らないのに留学するのは危険。日本人にとって神話や歴史は財産ですから自国に誇りを持って勉強してください」とアドバイスした。 産経ウエスト2017.8.16 07:22更新より     15日、靖国神社での昇殿参拝を致しましたが、その時間帯はちょうど雨が強くなっており例年以上に清々しい参拝となりました。しかし、8月15日といえば暑い1日という印象があり、あまりこのような雨が降り涼しくなった記憶があまりなく、なにか英霊の方々の涙のようにも思えたのです。   戦後72年を経てもまだご帰還戴けていない英霊の方々が沢山いらっしゃいます。私の友人は遺骨収集団に参加しており、ガダルカナル島、硫黄島へ、そして先日はシベリアへ行かれたのですが、それは全てボランティアで行われており、本当に頭が下がります。そのために学んだことを聞いていますが、日本の遺骨収集の現況には涙が出ます。これを進めるためには多くの方の関心が必要だと思います。 あらみたま 〇譲位×退位&生前不要@aramitama9  【靖國神社社報『靖國』~靖國へ還れぬ英霊のために~】 https://t.co/dibByD7N6T2017年08月16日 21:58     それでなくても海で亡くなられた方の収集は難しいでしょう。せめても陸で亡くなられた方の遺骨収集は、国をあげて取り組んでもらえないものかと思います。下のツィートの記事をみると沈んだ戦艦の数の多さが分かりやすいかと思います。 ShounanTK@shounantk  これは日本海軍の艦船が 撃沈された場所を示す地図 こんな犠牲を予想しながら 何故日本が戦争に至ったか それは 「侵略の為」ではなく 欧米の植民地にされる寸前の 「自衛の為」の戦争だったから ➡マッカーサーも認めている 亡… https://t.co/qycS7CXI8z2017年08月15日 21:21   15日、靖国神社では鉛筆艦船画家の菅野泰紀さんが講演されました。菅野さんは艦船の絵を鉛筆で描かれて、艦内神社に分祀された神社へ奉納の活動をされています。現在、靖国神社の遊就館で8月31日までその原画が展示されていますので、是非直にご覧いただきたい素晴らしい絵です。その絵には英霊の方々が描かれていることもあるのですが、そうした絵の中ででもご帰還戴きたいという思いもあるのでしょう。       また、我那覇真子さんが感動的な講演をされ、英霊の方々に謝らなければならない、英霊を二度死なすわけにはいかない、とおっしゃっています。       この時期、、新聞やテレビなどを見てはいけない!と思いますが、しかし、この時期こそ戦争について考え伝えるのに相応しい時期はありません。慰霊顕彰とともに伝えていくことが今を生きる私達他の務めなんだと思います。     慰霊をしている人々、その邪魔をし攻撃している人々がいる一方で、全く関係ないような無関心な人々が大勢います。私は無関心な人達が、きちんと向き合った時、日本は本来の姿を取り戻すのではないかと考えています。    

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  • 16 Aug
    • 八月十六日は堀河天皇の祭日・・・院政の始まりと武士の台頭

      第七十三代堀河天皇は平安時代後期の天皇です。 御父は白河天皇、御母は藤原賢子。 御名は、善仁(たるひと)。 一0七一九年生。 在位、一0八六年から一一0七年。 堀河天皇の父白河天皇は、幼少時代その父(後三条天皇)が藤原家の権勢の中冷遇されているのを見、自身も冷遇の中育っています。その父、後三条天皇の御希望が白河天皇の異母弟達の即位であり、白河天皇の即位は中継ぎとしてのものでした。   しかし異母弟の実仁(さねひと)親王が一〇八五年に薨去されると、その翌年寵愛の深かった中宮賢子(けんし)との間の第二皇子である善仁親王を皇太子に立て譲位し、自らは上皇となられたのです。 短期間での立太子・即位は、異母弟の輔仁親王に皇統が移ることを避けるための白河上皇の強い意志によるものでした。藤原氏が勢力を後退させる中政治の実権を取り戻し、自らの直系による皇位継承を図る意図があったのです。 即位した堀河天皇はまだ八歳。白河上皇が後見の為自ら政務を執りここに院政が始まりました。堀河天皇は病弱でおとなしい性格であったため、崩御するまでの二十二年間、政治の実権は白河上皇が握られたままでした。 娘の媞子内親王の崩御後出家された白河法皇は、摂関家の藤原師通が亡くなり摂関政治が機能停止になると、直接政務を執られ、政治的権限を掌握されます。そして受領階級や武家出身の院近臣の武士を用いて親政政治を行われます。その後これらの武士たちが院(法皇)の警護役としてとりたてられ北面の武士となりその地位を高めていきます。そんな中、平正盛・忠盛(清盛の父)父子が北面武士の筆頭となり、それを機に院庁での平氏の地位が高まります。これが武家の台頭の先駆けとなり、長い目で見れば摂関政治から武家政治に移っていくきっかけとなったのです。つまり親政政治を行うために引き入れた武士団が勢力を持つことになったのです。 堀河天皇の時代、後三年の役が起き奥州藤原氏が始まり、その祖である藤原清衡は奥州平泉に中尊寺を建立しました。 またこの頃、「今昔物語集」が完成しています。 白河上皇の影に隠れているような堀河天皇ですが、エピソードがいくつかあります。 「読経口伝明鏡集」によれば、堀河天皇の時代に異国から来朝した人々の中に、全く意味のわからない言語を話す僧侶がいました。しかし堀河天皇はこの僧侶の言葉を理解しようと望まれました。そこで急遽朝廷に呼び寄せられたのが明覚でした。加賀の薬王院温泉寺から馳せ参じた明覚は、天皇の御前で異国の僧侶と半日に及ぶ問答を命じられたといいます。 朝廷にいた誰もその言葉の片鱗さえ理解できなかったのだから、大陸や朝鮮の人ではありませんでした。この外国僧の言葉はサンスクリット語だったのです。 この日の出来事に喜んだ堀河天皇は、中国の高僧不空が、「不空三蔵」と名付けられたのを模して、明覚を「明覚三蔵」と呼ぶようになったといいます。 「讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)」は、堀河天皇の寵愛を得た藤原長子が残した日記ですが、こちらにはその死について生々しく記されています。曰く、天皇は臨終の間際まで悶え苦しみ、念仏や神仏の名前を称えてはその力にすがろうとした、というのです。 堀河天皇が崩御すると、その子の第一皇子宗仁親王が五歳で即位し鳥羽天皇となり、またその後には、その子の顕仁親王が次に即位(崇徳天皇)し、白河法王は堀河・鳥羽・崇徳の三代に渡り「治天の君」として君臨する院政という新たな政治形態の始まりとなりました。その時代の幕開けは堀河天皇の即位から始まったのです。 そしてこれは、それからはるかな後、明治時代の皇室典範作成時に、譲位の弊害の一例ともなった時代の始まりでもあるのです。 なお「続古事談」によれば、成人した堀河天皇は「末代の賢王」と評されるほどの賢帝として知られたといいます。内親王が崩御後出家され、政治への関心を白河法皇が失われていた頃、堀河天皇は関白藤原師通との提携による朝政にも熱心に取り組み、「天が下治まりて、民安く世のどかなり」といわれたそうです。しかし、白河院の政務への関与が再び強まると、天皇の興味は趣味の世界へ移っていくのです。堀河天皇は学問・和歌・管絃に才能を発揮して延臣らに慕われていたのです。 一一〇七年崩御。 御陵は後圓教寺御陵、京都市右京区竜安寺朱山、竜安寺内にあります。 参照:「宮中祭祀」 「天皇の全て」 「旧皇族が語る天皇の日本史」 「日本の天皇」 「日本語の奇跡」 「神国日本」 「歴代天皇で読む日本の正史」    

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  • 15 Aug
    • 72年前、朝刊は午後配られた

      昭和20年8月15日に朝刊はなく、特報が配られ正午のラジオ放送を聞くようにとの知らせがありました。また、予告放送は前日午後9時のニュースと15日午前7時21分のニュースでもされていました。   72年前の今朝、朝刊は朝ではなく正午の放送後に配布されたのです。前日からこの日の正午の放送を聞くよう連絡も回っていましたから、当時の人々はその放送について色々考えていたのではないかと思います。     昭和の詔勅、いわゆる玉音放送は、何回も同じ箇所を聞いたことがありましたが、2011年までは恥ずかしながら内容をわかってませんでした。2011年にこの全部を知った時感動したものです。漢語調の文体のため実は当時聞いてその内容をすぐ理解できた人は少かったそうで、「堪え難きを堪え」のところで察した人が多かったといいますし、この辺りばかりが「終戦の詔勅」としてテレビや映画で何度も流されてきました。 しかし、午後一で配られた朝刊には、その全文が載っていました。一回聞いただけではわからなかった人もこれを読んで理解できた人がいるでしょう。 ウィキメディアによれば、時差のあるニューヨークでは、ニューヨークタイムズの15日付けにその訳文が記載されたそうです。 玉音放送での昭和天皇の独特の節回しは、宮中祭祀の祝詞によるものといいます。ということは、これは昭和天皇から国民への祝詞だったのではないかと思います。だからこそ言霊としてこれは何度でも日本人が聴くべきものだと思うのです。8月15日には毎年全部を流すべきなのです。しかし、そうしたことはありません。東日本大震災の際の平成の玉音放送も全部の放送がきちんとされなかったのは記憶に新しいところです。昨年の陛下のお気持ち、勅語は皆さん全部ご覧になりましたでしょうか? しかしネットがあり動画がある今、全て自ら聞き、その素晴らしさを確かめることができます。     本日は是非確認いただきたいと思います。     注意していただきたいのは、全部を聴く、あるいは文章に起こしてあるものを全文読むことが大事であるということです。切り取りでは意味がありません。     一昨年にはいくつかの出版社から玉音放送についての本が出版され、CDが付いている者もありました。あさ出版CDブック「昭和天皇玉音放送」には、放送のプログラムの他、玉音放送の後に和田アナウンサーに奉読された鈴木貫太郎首相の「内閣告諭」の全文が記載されています。私はこの本を読むまで、玉音放送の後に他にも放送があったのを知りませんでした。 この本を読むとここまできちんと国民に説明を行っていたことに、今更ながら驚きます。玉音放送はそれだけ流れていたのかとずっと考えていたら違ったのです。よく玉音放送を聞いても意味が分からなかったらしいと言われていますが、その時はわからずとも、そのまま放送を聞いていれば理解できたわけです。また、正午の放送の後も、数回終戦についての放送があり、午後7時には鈴木貫太郎首相自ら「大詔を拝して」という放送も行っていました。こういう放送があったということは、玉音放送とセットでもっと語られてきても良かったのではないかと思います。この本には、「大詔を拝して」も抜粋されており、薄いけれども充実しています。 今までこうしたことを教わってこなかった私達ですが、時代は変わりこうしたことを伝えてくれる人々が現れ、その手段としてのネットも一般的になりました。今後のためにも、過去と未来をつなぐ存在である私達が、何度でも語り継ぐ番です。それが今を生きる私達の務めでもあるのです。 終戦を告げる放送の全放送内容 1.正午の時報 2.NHK和田信賢アナウンサー 「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様ご起立願います」 3.情報局総裁下村宏による天皇陛下の玉音放送の案内 4.君が代 5.玉音放送 6.君が代 7.下村宏「つつしみて天皇陛下の玉音放送を終わります」 以下、和田アナウンサー 8.大詔の渙発告知 9.詔書の奉読 10.「謹んで詔書の奉読を終わります」 11.「内閣告諭を申し上げます」 12.内閣告諭の奉読 13.終戦決定の御前会議の経過 14.交換外交文書の要旨 (ポツダム宣言受諾に関する日本政府からの通告文、連合国側からの日本政府の通告文の要旨) 15.ポツダム宣言受託に至った経緯 16.天皇の戦争終結の御聖断について 17.ポツダム宣言正文(ポツダム宣言の要旨) 18.カイロ宣言正文 19.共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発(国民の今後の心構え) 20.緊張の1週間(8/9から14日までの重要会議の開催経過 終戦放送の動画がありましたので、こちらでもご確認を。現在とは違うNHKのアナウンサーの言葉使いの美しさも味わってください。また君が代はゆったりした曲調となっています。   17:49版 こちらは一部再現ですが、内閣告諭もありますので、こちらもご確認下さい。   昭和20年8月15日正午に放送された終戦関連ニュース。 口語訳をご覧になる方はジャンプしてください。 玉音放送・詔書奉読・内閣告諭を収録。 実際の放送は37分で、和田信賢放送員の声は堀聡氏による忠実な再現で構成。   玉音放送の内容の現代語訳がありますが、その内容を読めば後半は、日本人の生き方の道標と予祝となっており、昭和天皇の大御心が表れています。だからこそ、一部分の切り取りではなく、全文を毎年8月15日だけでも放送すべき詔だったのです。   昭和天皇は、戦後復興には300年かかると考えてらっしゃいました。つまり、真の戦後復興が終わるまで、この御言葉は聴き続けていくべきではないかと思うのです。 三百年先、千年先を見据える目・・・神武天皇2600年祭の日に       また終戦の詔があるということは開戦の詔もあります。この機会にセットで開戦の詔を読み直すことは、当時の状況を見直すうえでも必要かと思います。 何度でも伝えたい宣戦(開戦)の勅書・・・当時の状況が理解できる勅書         本日は靖国神社や護国神社にお参りする方も多いかと思います。靖国問題としてよく話題になる靖国神社ですが、その問題にすることそのものが憲法違反であるということが分かりやすい動画8です。ぜひ、ご確認下さい。    

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  • 13 Aug
    • 八月十三日は光厳天皇の祭日・・・北朝初代天皇

      北朝第一代光厳(こうごん)天皇は鎌倉幕府末期の天皇で、南北朝時代の北朝初代天皇です。 御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。 諱、量仁(かずひと) 一三一三年生。 在位は一三三一年から一三三三年。 朝廷が持明院統と大覚寺統に分裂していた鎌倉時代末期、両統から順番に天皇を出す両統送立(りょうとうてつりつ)が幕府主導で行われていました。その持明院統の後伏見天皇の第三皇子として量仁皇子は誕生します。     元徳元年(一三二六年)七月、後醍醐天皇の皇太子になられます。 持明院統の第九十五代花園天皇(量仁皇子の叔父)が退位して、大覚寺統の後醍醐天皇が践祚するまで表面上は穏便でした。しかし後醍醐天皇が、天皇親政を実現しようとして挙兵したところから激動の時代になっていきました。まず後醍醐天皇は捕らえられ隠岐に流されました。(元弘の乱) この時幕府により廃帝とされた後醍醐天皇に代わり、持明院統の量仁皇子が践祚し光厳天皇となりましたが、後醍醐天皇は退位を拒否しており、三種の神器も渡しませんでした。そのため光厳天皇は両立の北朝第一代目となりました。 その後、後醍醐天皇は隠岐を脱出し再び挙兵、幕府方の足利尊氏が後醍醐天皇側に寝返って幕府を攻め、北条氏は自刃し鎌倉幕府は滅ぶのです。 そして後醍醐天皇が京に戻ることにより、光厳天皇は廃帝となりました。この時、後醍醐天皇は「朕の皇太子の地位を退き、天皇年は即位していないが特例として上皇待遇とする。」とされています。というのも、後醍醐天皇は幕府による廃位を認めておらず三種の神器も渡されていないことから、即位は無効とされたのです。これが後に南朝が正統と言われる所以です。 後醍醐天皇は建武の新政を開始しますが、政権の支えである武家がないがしろにされたと感じた足利尊氏が反旗を翻します。後醍醐天皇の忠臣楠木正成は尊氏との和睦を進言しましたが、それを拒否して尊氏追討を命令。尊氏はいったんは九州に退きますが、光厳院の後醍醐天皇討伐の院宣を手にして京へ向かった尊氏は新田義貞・楠木正成軍を湊川の戦いで破ります。 入京した尊氏は光厳天皇の弟を光明天皇に立て、光厳院の院政が始ります。そして光明天皇から征夷大将軍に任じられ室町幕府が始まるのです。 その間、後醍醐天皇は尊氏の和睦を受け入れ、三種の神器を光明天皇へ引渡します。 しかし後醍醐天皇は引渡した三種の神器は偽物であると宣言して京を脱出。自らの皇位の正統性を主張して奈良盆地の南側の吉野で南朝を開きました。実質上の南北朝時代はここから始ります。 その後室町幕府内で観応の擾乱と呼ばれる抗争があり、尊氏は南朝と和睦、光厳院の院政も停止。北朝第三代崇光天皇(光厳の第一皇子)も廃されました。南朝はこの機に乗じて京都を占拠し、北朝が所持する偽の神器を接収しました。しかし、足利義詮の入京で劣勢になると光厳院・光明院・崇光院を拉致し吉野の西南の賀名生に五年あまり軟禁するのです。 幕府は天皇により、征夷大将軍に任じられているのに、天皇・上皇ともに不在となり、困惑しますが、仏門に下っている光厳院の第二皇子を次の天皇とするのです。(後光厳天皇) 北朝は室町幕府により無理矢理誕生したものともいえ、この皇統の対立や譲位に関する問題が、後の皇室典範に影響を与えることになりました。光厳天皇は、こうした時代に生まれたがために皇統と幕府に翻弄された天皇だったのです。 一三六四年崩壊。   遺詔により光厳と追号されましたが、「光」の文字は光仁天皇以降、系統が変わった時に使用されてきた字ですから、後醍醐天皇と室町幕府に翻弄されたことに最後に意地を見せた追号ではないかと思われるのです。 陵は山国陵、京都府桑田郡京北町大字井戸小字丸山 常照皇寺内にあります。 参照:「宮中祭祀」 ※祭日はこの本によります。 「天皇のすべて」 「天皇を知りたい」 「旧皇族が語る天皇の日本史」  

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  • 12 Aug
    • 手拭を使おう(^O^)/

      私は数年前からタオルを止めて手拭にしていますが、本当に手拭は使いやすいです。   ハンカチよりも厚く、タオルよりは薄い。ハンカチはちょっと濡れただけでびしょびしょになってしまいます。一方でタオルは厚く拭く時の吸収はいいのですが、濡れた後持ち歩くのはずっと湿っていて気持ち悪いです。手拭はその中間にあります。しかもデザインは豊富。使い方は、その気さえあれば数限りなくあります。なんといっても昔の日本人は色んなことに手拭を使ってきたのです。それこそ手拭1本を持ち歩くのは当たり前のことだったのです。     この夏、まだ持っていたミニタオルと手拭を交互に使ってみましたが、やはり手拭の方が使い勝手がいいです。特に湿った手拭と、湿ったタオルでは、持っているうちの乾きは断然手拭の方が早いです。先日、日傘を忘れた時には頭にかけて使いました。これはミニタオルではできませんし、普通持ち歩くタオルとしてはミニタオル止まりでしょうから、手拭ならではの使い方かと思います。冷房が寒すぎたら首に巻くことも出来ます。首回りがあったかくなるだけで全然違います。しかも手拭のデザインにはおしゃれなものもありますから、ファッションとしても使うことも出来るのです。     夏といえば浴衣。ここ数年、夏のお祭りに浴衣を着る人が増えていると感じるようになっています。その浴衣を着た時に持つのはやはり手拭ですよね?それから着物が若い人にも復活しているようにも思いますが、着物でも持つなら手拭だと思います。     お弁当がとても人気がありますが、お弁当を包むのにも手拭が良いと思います。特に最近は持ち運びに便利なように細長いお弁当箱に人気がありますが、その形にフィットするのはやはり手拭ではないでしょうか?     夏になると、普段は手拭を置いていないようなところにも手拭売り場が増えますが、私は夏はもちろん冬も手拭が良いと思います。なんといってもいいのは、洗った後の乾きの速さ。冬は日照時間が短いですし、下手をすればなかなかタオルでは乾かないこともありますが、そうした場合にも手拭なら早いです。これは普通のタオルは絶対かないません。     現在私はバスタオルも止めています。なにしろ大きくなればなるほど洗濯が大変ですし、乾きが遅くなります。タオルに比べれば手拭の方が濡れてしまうのは早いですが、絞れば済むこと。その使い勝手の良さで、手拭に切り替えたのです。これは好みの問題だと思いますが、洗濯物として干すときもタオルより手拭の方が濡れた重さも軽くていいのです。       とはいえ、私は最初は風呂敷が好きで風呂敷から入りました。そうしているうちに風呂敷を買いに行くとそこには手拭が売られていることも多いため、そこから手拭にも興味を持つようになったのです。風呂敷もデザインが豊富ですが、手拭はさらにデザインが豊富でありとあらゆるデザインがあります。外国人が日本では生活にアートが溢れているというのはこういうことかと思うのがこうしたデザインの多さです。     しかし、子供の頃家にあった手拭といえば、営業で配られたようなものばかりだったので、そうした手拭の良さがわかりませんでした。それをいえば今はタオルがそういう立場にあります。     同じ営業でも、相撲取りや歌舞伎役者、落語家などが配り、また自身でも使う手拭は有名ですが、その遊び心がいいんですよね。現在手拭が復活していますから、営業ツールとしての手拭がもっと増えても良いように思えます。最近では様々なグッズとしてタオルだけでなく手拭が使われていることが増えています。       私は手拭ショールをいくつか持っているのですが、神社に行く時など、手水舎で手を洗った後そのままショールで手をふけるのでとても便利です。柄を選べば、手拭ショールではなく手拭でも、首に巻いてもおしゃれです。またお子さんはもちろん、大人でも洋服にはねてしまいそうな食事をするとき、手拭を首に巻けばそれを防ぐことができますし、手拭ならジャバジャバ洗えます。     そういえば昔の人は手拭一つを色んな方法で使っていたんですよね。私は随分前からプレゼントを渡すときに、風呂敷や手拭で包んで渡すことを行っています。特に小物の場合は、豊富な手拭の柄から、プレゼントに合うものを選んで包んでます。これは包み紙とリボンを兼ねた上にごみが出ませんので、凄くお薦めです。         これは紐を使ってさらにアレンジバージョン。         そんな使い方がいくつか紹介されています↓ 手拭の使い方展     手拭のお店は昔はなかなか見つからなくて、和小物のお店で買っていたものですが、現在はネットで検索もでき、また最近手拭が復活していることもあり、手拭専門店の支店が増えたり、新しくできたりもしています。   そんな新旧のお店のリンクを貼りましたので、是非ご確認下さい。   永楽屋 織田信長の御用商人がルーツで1615年創業の綿布商の老舗。一時期はタオルに鞍替えした時期もありましたが、明治から昭和にかけての斬新なデザインを復刻させて復活。現在では新しいデザインも取り入れ、手拭だけでなく風呂敷やアレンジ小物など全ておしゃれなお店です。京都に行くと必ず行ってしまいますが、以前は東京にもスカイツリーにお店が入ったのでスカイツリーに行く度にお店によっていたのですが、現在は閉店してしまったのが残念です。スカイツリーよりも外国人も日本人も多い原宿や渋谷の方がよかったのかもしれません。   sousou 2002年創業のお店ですが、日本文化を新しく発信するブランドとして、地下足袋スニーカーや、縄文・弥生時代の服を現在にアレンジしたものや着物をアレンジした服、また浴衣なども扱っています。そして伊勢木綿の手拭などがあり、斬新な小物類も充実しています。わらべぎも扱っており、お子さんがいる方にはお薦めです。またle coq とコラボしたブランドもあります。テキスタイルデザイナーらが始めたブランドなので、布のデザインが豊富です。最近はワコールや寝具ブランドのロマンス小杉とのコラボもしています。最近では今治タオルなどの販売も始めています。   濱文様 昭和30年横浜で創業のブランド。関東に暮らす私が一番なじみのあったのはここの手拭だと思います。昔からここの名前はよく見ました。店舗も多く、和小物のお店にも置かれているので、一番買いやすかったともいえます。また手拭ハンカチなどを出したりして面白いとおもっていたら、さらに最近ではミニ手拭も出しています。また店舗のある町をデザイン化して発売しており、地元密着型になっています。私は平仮名シリーズや、ひとことはんかちシリーズの手拭ハンカチが気に入っています。   公式ムービーありました↓     染の安坊   浅草で手拭といったら染の安坊。ここはアロハシャツや、半纏・法被、大漁旗や暖簾などオーダーメードができるのも魅力的なお店です。浅草の仲見世沿からちょっと曲がってすぐにお店があるので、行きやすいのもいいです。柄は伝統的な柄が多いように感じるのですが、それがまた美しかったり、楽しかったり、手拭は本当に楽しむために作られたんだなあと感じられます。   にじゆら 最近お気に入りのブランドです。なまえのまんま、にじみが優しい柄をかもしている手拭です。堺発ですが、東京にも工房ができており、体験ができるようなのでいつか行きたいと考えてます。   そして、ここでは手拭体操を推奨してました。     拭う nugoo 鎌倉の手拭といえば拭うです。大仏様の柄を始め鎌倉らしい柄からおしゃれな柄まで。どのブランドもそうですが、沢山の柄があるのにそれでも、重複することなく柄が存在することに驚かされます。     かまわぬ かまわぬは、代官山に本店があり1990年創業の新しい店ですが、その言葉遊びのロゴに見えるように、遊び心満載のブランドで最近ではまめぐいという小さい手拭が人気となっていますし、そのデザインも新旧の折衷具合が格別なデザインが多く、店舗を増やしています。     他にも手拭屋さんはあるかと思います。ぜひ、この夏手拭を色々と使って試してみて下さい(^O^)/     おっと忘れてました。晒し手拭で顔や身体を洗うとすべすべになります。私は数年続けていますが自分史上最高です。是非お試しを( *´艸`)     なお手拭や風呂敷は災害時に多様な使い方ができますし、折りたためば場所をとりませんのでご用意しておくといいかと思います。 手拭や風呂敷は災害時にも便利 防災拭い販売サイト

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  • 11 Aug
    • 原爆に抗議した日

        朝日新聞         朝日新聞         毎日新聞   昭和20年8月11日の新聞に、日本政府からスイス政府を通じて米国へ発した抗議文が掲載されました。 米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文です。 以下、朝日新聞より 国際法規を無視せる 惨虐の新型爆弾 帝国、米政府へ抗議提出 去る六日廣島市に対して行はれたB29による新型爆弾の攻撃に関し、帝国政府は十日左の如き抗議をスイス政府を通じて米国政府に提出すると共に同様の趣旨を赤十字国際委員会にも説明するやう在スイス加瀬公使に対し訓令を発した 米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文 本月六日米国航空機は廣島市の市街地區に対し新型爆弾を投下し、瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり 廣島市は何ら特殊軍事的防備乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する聲明において米国大頭領「トルーマン」はわれらは船渠工場および交通施設を破壊すべしと言いをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて廣き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは技術的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知してをるところなり、また実際の被害状況に微するも被害地域は廣範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問はず、すべて爆風および輻射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にしてかつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨虐なるものと言ふべきなり 抑々交戦者は害敵手段の選擇につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を興ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざるとは戦時国際法の基本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する條約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二條、及び第二十三條(ホ)号に明定せらるるところなり、米国政府は今時世界の戦乱勃発以來再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社會の興論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨聲明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従來かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに廣範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し來り多数の老幼婦女子を殺傷し神社佛閣學校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、而していまや新奇にして、かつ従來のいかなる兵 器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり 帝国政府はこゝに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す 以上。 毎日新聞にも記載されており見出しは以下の通り。 殘虐毒ガス以上 文化への罪悪 帝国 米の新爆弾に抗議 以上。 また同日の新聞にはトルーマンが米国民に対して行ったラジオ演説のニュースも掲載されている。「原子爆弾の威力誇示 トルーマン對日戰放送演説」の、日本に関する記事は以下の通りである。 日本国民は米国の原子爆弾が如何なる威力を発揮するかを目の辺りに見た、もし日本が降伏しないならば米国は今後も引き続きこの爆弾を日本に投下するであろう。 以上。 なお、同日の新聞に掲載された日本が攻撃された記事見出しは以下の通りである。 朝日新聞 ・帝都周邊工場を爆撃 B29百機、陸海の小型二百卅機 ・戰爆二百十機 沖縄基地発進 九州各地へ來襲 ・艦上機は五波に分散 横須賀、房総、茨城地区を行動 ・千葉、新潟へ 艦上七十五機 ・砲撃へ釜石市民敢闘 ・尼崎、海南へB29百機 毎日新聞 ・艦上機、千葉、茨城へ  B29百機帝都東北部攻撃 ・東北へ延千機 ・近畿へも百機 ・長崎に新爆弾か ・戰爆二百十機 熊本、大分燒爆  飛行場なども攻撃 民間人への攻撃は国際法に反しているが当時日本中が空襲にさらされていた上に広島への原爆投下がありました。またこの抗議の直前に長崎にも原爆が投下されています。終戦後、敗戦国として不当な裁判が行われましたが、勝戦国の罪は未だに不問のままのみならず、GHQ他の呪縛により自業自得でこういう目にあったなどと言う日本人がおり、また碑等にもそのようなことが記されています。しかし、それは日本の先人達、祖父母や曾祖父母達に対して失礼というものです。 終戦直前で劣勢の日本には、それでも堂々とアメリカに対して抗議をする気概がありました。それに対して平和を謳歌している現在の日本の状況はどうでしょうか? 歴史は勝者により強く語られる、その典型が原爆や日本全土への空襲という大虐殺です。 戦後71年、アメリカ人の認識も変化してきていると言います。 米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」 原爆投下の真実にアメリカ人から様々な声 西洋史観に染まらないためにもまた未来への教訓としても、先人達の歴史は繰り返し繰り返し伝え継がねばなりません。 広島護国神社の鳥居 なぜ長崎には原爆ドームがないのか? オバマ大統領の広島訪問 また昨年より本日は山の日として祝日になっています。日本のいわれある祝日がハッピーマンデーにより変更させられているのに、何のいわれもない山の日が月曜でもなく日にちで制定されているのには何かわけがあるのでしょうか? 海の記念日に祝日を考える 日本の祝日には全ていわれがあります。どうしても山の日が制定したいのなら、7月20日を海の日に戻し、海は山と深い関係があるのですから、海(山)の日とでもすればいいと思います。そして、本日は山の日ではなく抗議した日として伝えていくべき日です。終戦後日本人は武器の完全放棄をしたがために弱くなりました。弱くなったがために、ドイツでは行われなかったGHQによる不当な要求、ウォーギルドインフォメーションプログラムなども許してしまい、そのせいで未だに自虐史観が抜けません。しかし、終戦直前の日本人は、敗色が濃くても不当なことに正々堂々と正式に抗議できる凛々しさがあったのです。 新たに祝日を制定するのであれば、4月3日の初代神武天皇の祭日や、1月7日の昭和天皇の祭日である先帝祭を復活させる等、廃止されたままの祝祭日を復活させるべきなのです。天皇を戴く国である我国日本として、それが本来のあるべき姿です。そして、そういう日が伝えられることが、未来の日本人達の誇りにも繋がるでしょう。誇りを培うことは自虐史観が70年余りにも渡って教えられまだそれが続く日本には貴重な事だと思います。 日本の祝日は元々は祝祭日の日です。日本は言霊の幸ふ国ですから、終戦の日も平日です。本日のような原子力爆弾の使用に抗議した日を山の日として祝日に制定するなどとんでもないことだと考えるのです。 祝日について考えよう 原爆投下後の映像公開=旧ソ連調査団が撮影-広島平和記念資料館    

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  • 10 Aug
    • お盆にはお墓参りと神社参り両方しましょう

      8月のお盆は8/13~8/16です。 地方によっては7月中に終わっているところや、旧暦で9月がお盆のところもありますが、日本全国お盆休みとしては8月が一般的で、企業の休みもこの時期が多いです。 お盆といえばお墓参りです。お墓参り行かれてますか?   最近こんなツィートが話題になっていました。昨年描かれたものですが、お盆ということで話題になっていたようです。 にいち@夏3日目東あ27a@niichi021  夏の終わりの、男の子と女の子とひまわりの話。 https://t.co/s2zhvOTuIQ2016年08月20日 20:01     お盆はお墓参りということでお寺のイメージがあるかと思いますが、せっかくですからお盆にはお寺だけでなくお近くの神社、あるいは護国神社へもお参りしましょう。   日本全国にある夏まつりも、お盆のお祭りでそれは死者の御霊のためのお祭りです。盆踊りも慰霊のための踊りなのです。商店街のイベントのためではないのです。 お盆といえば終戦の日、8/15と重なっています。靖国神社は毎回大騒ぎですが、慰霊の時期ですから本来日本人であれば騒ぐことなく慰霊するものです。 この慰霊の時期に騒いでいる人々は本来の日本人ではないと私は以前から考えていました。なぜなら日本人は亡くなった方を等しく慰霊してきた文化があるからです。鎌倉の円覚寺には、元寇で闘って亡くなった方々が敵味方なく慰霊されています。京都の耳塚は豊臣秀吉の朝鮮出兵後に亡くなった敵方の慰霊のために出来たものです。塚といえば、日本各地にある塚、生姜塚、玉子塚、鰻塚、海老塚、鯨塚、針塚、筆塚、等々食べ物や道具まで慰霊を行い、命の食事に感謝し、また道具を大切に神様のように扱い最後にはあらゆるものを慰霊してきたのです。近代においても大東亜戦争に至るまで、日本人は各地で亡くなった方々を敵味方なく慰霊してきています。天皇陛下が海外の激戦地で慰霊される時、亡くなった日本人だけではなく当時敵方であった方々も慰霊されています。そこには失われた命への敬意があり、敵や味方であったかどうかなどは関係ありません。 そんな慰霊の地として、幕末以来日本の為に闘ったり、災難に遭われて亡くなられた方々を慰霊しているのが靖国神社です。靖国神社には軍馬・軍犬・軍鳩も慰霊されています。そうした場所であったからこそ大東亜戦争では多くの方々が「靖国で会おう」と約束されて出撃された特別な場所でもあるのです。 そうした慰霊の場所は靖国神社だけでなく各地の護国神社、あるいは各地の中心的な神社やお寺においても行われてきました。 例えばこちらの写真の碑は明治時代のものですが、田舎の無人の神社にあったものです。 ↓ みたま祭りに遠方で行けなくても 同様に大東亜戦争時やその他の碑が神社にはよくあります。もしあなたのご先祖様が戦争に行かれていなくても、きっとあなたのご先祖様と縁のあった方のお名前がそこにはあるはずです。 この夏、お盆の時期には是非お近くの護国神社、または地元の神社にもぜひお参りいただきたいと思います。またお寺にお参りする場合はお墓だけでなくこのような碑があればこちらにもお参りいただきたいと思います。 そのお参りは、国の為に闘われ亡くなられた方々をかわいそうだから慰霊するというのではなく、闘われた方々のおかげで今の自分があると讃えて感謝する顕彰の気持ちで慰霊することを忘れないで欲しいと思います。かわいそうだとすることは、日本の為に闘われた方々を冒涜することになるからです。 なお、お墓参りで帰省中の方で、神社とお墓両方続けて行く場合は神社を先にお参りするようにして下さい。神様は死と関連することと接するのを好みませんので、両方お参りする場合は、神社を先にお参りするのです。 靖国神社についてはぜひこちらもご覧ください↓ 靖 究極の言霊  

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  • 09 Aug
    • なぜ長崎の原爆の遺構の浦上天守堂の廃墟は撤去されたのか?

      72年前昭和20年(1945)8月9日11時02分、長崎の浦上の松山町上空に原子爆弾が投下されました。 長崎山王神社では爆風に対し平行に立っていたため一の鳥居がほぼ原形のまま残りました。 その印象的な写真がこちらです。広島でも廃墟の中に鳥居が残っていましたが、廃墟の中にそのまま残っている鳥居の存在感は大きいです。   しかし、この鳥居は昭和37年交通事故の為倒壊してしまって今ではありません。ただここには半分残った二の鳥居、一本柱鳥居と被爆クスノキがあり、今も保存されています。クスノキは今では青々と生い茂り生命力にあふれています。 このクスノキは長崎出身の歌手、福山雅治さんにより歌になっていますので、福山さんのファンの方は皆さんご存知でしょう。私は一昨年から毎年ここにアップしています。以下に動画とその説明があります。 神社シリーズ 福山雅治クスノキ 片足鳥居 山王神社   2014/11/26 に公開 神社シリーズ 福山雅治クスノキ 片足鳥居 山王神社   山王神社 寛永15年(1638年)、島原の乱の鎮圧のため長崎に赴いた松平信綱が、浦上街道(長崎街道の脇道)沿いの地を通りがかった際、その景色が近江の比叡山に似ており、地名も比叡山の鎮守である山王権現(現日吉大社)の鎮座地坂本(現滋賀県大津市坂本)と共通する事から山王権現の勧請を思い立ち、長崎代官の末次平蔵と計って「山王神社」として創祀されたと伝わる。当初の鎮座地は現社地の近くであったと思われるが不明で、一説に北北西に1キロ程隔たった岡町付近であったともいう。 その後慶安元年(1648年)に長崎寺町の延命寺の開基である龍宣により山王権現を本尊とする白巌山観音院円福寺(えんぷくじ)と号する新義真言宗の寺院となるとともに延命寺の末寺とされ(延命寺自体は京都仁和寺を本寺としていた)、承応元年(1652年)に鎮座地が墳墓に近いという理由で延命寺2代目住職の卒覚が現社地に遷座、以降江戸時代を通じて寺院としての歴史を歩む。 明治初年の神仏判然令を受け、同元年(1868年)に円福寺を廃して神社となり「日吉神社」と改称、その後村社に列した。 一本柱鳥居 山王神社の参道には、一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下により、爆風に対して並行に建っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとはすべて倒壊してしまいました。 一の鳥居はほぼ原型のまま、二の鳥居は爆風で笠石がねじまげられ、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残りました。しかし戦後の昭和37年、一の鳥居は交通事故により倒壊したため現在も当時のままの姿で立っているのは、二の鳥居だけとなりました。 被爆クスノキ 原爆被災の貴重な遺構として、長崎市指定天然記念物に指定されています。 山王神社の境内入口にそびえる2本のクスノキは、樹齢約5~600年、胸高幹囲がそれぞれ8メートルと6メートルで、長崎市内にあるクスノキの巨樹の一つです。共に昭和20年の原爆で主幹の3分の1以上を失ったため、 樹高は10メートル内外ですが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西40メートル、南北25メートルの大樹冠を形成しています。原爆被災により一時落葉し枯れ木同然になったにも係わらず、2年程度の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。また、蘇った大楠に直接手を触れ、その生命力にあやかろうと毎日多くの参拝者の方が訪れています。 風を受けると聞こえる葉音は環境省の“残したい日本の音風景百選”にも選ばれています。 全国で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境「音風景」の公募があり、全国各地より多数の推薦の中から、「山王神社境内の楠の葉ずれの音と其れを取り巻く周囲の方々の愛着」が高く評価され、長崎県において唯一の認定となりました。 福山雅治 新曲『クスノキ』完成秘話を熱く語る①   2014年4月2日発売11枚目NEW ALBUM 『HUMAN』の中の1曲目を飾る曲 『クスノキ』について完成秘話を福山雅治自身が熱く語っています。 2014.3.22放送分 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 土曜23:30~25:00 AM1242ニッポン放送 福山雅治 新曲『クスノキ』完成秘話を熱く語る② ところで長崎の原爆には、島の原爆ドームのような大きな遺構はないと思っていたら、実は原爆ドームよりも印象的な遺構、西洋社会にとっては衝撃的なものがありました。 最初の片足鳥居の動画にも登場する廃墟となった浦上天守堂です。ここでは昭和20年11月23日生き残りの信者600名が参列した慰霊祭が行われており、下の写真はその時のものです。   長崎といえば隠れキリシタンで有名ですが、明治になって欧米人が居留区を造り、その一角に大浦天守堂が建てられた時、浦上の住人が神父にその信仰を告白し、カトリックへの信仰が顕在化しました。しかし、明治政府もキリスト教禁制を維持し弾圧したため、半分近くの住民が離散したそうです。その後禁制が解除された時、戻ってきた信者は、小聖堂を造り、そののち大浦天主堂にも負けない日本一の聖堂を目指して浦上天守堂を造りました。大正3年(1914)に完成し東洋一を誇る天主堂となりましたがその完成までには30年を要し一枚一枚信徒が赤レンガを積み上げて造られたものだったのです。 8月9日、その浦上天守堂の上空に原爆は投下されました。 その日、8月15日の聖母被昇天の祝日をまじかに控えて、許しの秘跡(告解)が行われていましたが、司祭含め天主堂にいた信徒は全員死亡、浦上天守堂も廃墟となりました。浦上の信徒の半数も亡くなったといいます。 浦上天守堂の原爆被災 この廃墟は広島の原爆ドームとともに、原爆の威力と悲惨さを物語る歴史的原爆遺跡となるはずでした。平和祈念のシンボルとして永久保存しようとする被爆者と市民の声が高かったといいます。実際終戦直後に被害状況を調査に来た連合軍の調査隊はこの天守堂の瓦礫を前に声を失しなったといいます。しかもそこには黒焦げになった聖母像がうつろな目を空に向けていたのです。地中のセミの幼虫まで焼き尽くされたため、セミの鳴き声もない別の星にでも行ったように完璧な静かさの中に天主堂の姿があったのです。     従軍カメラマンは、世界に核兵器の脅威を知らしめる最も効果的な光景だと証言しており、これは広島の原爆ドームとは比較にならない光景だったのです。しかしそれは同時にアメリカにとってダメージとなる光景でもありました。キリスト教の国が東洋一の天主堂を壊滅し信徒を殺戮した遺構はとてもショッキングなものでした。 終戦直後の長崎市議会では浦上天主堂の被爆遺構は保存されるべきだという声が圧倒的で、当時の田川長崎市長も保存に賛成していました。しかし、この後アメリカへ招待され各地を歴訪した市長が帰国した時、多額の市費を投じてまで残すつもりはない、と意見を翻し市議会は紛糾、結果的に浦上天主堂の廃墟は昭和33年(1958)4月破壊撤去されたのです。 現在新しい浦上天守堂が建っていますが、人類の遺産となるべきであった遺構は永遠に失われ、いくつかの写真でしか見ることができなくなったのです。ただしマリア像は新しい浦上天守堂にて見ることができます。 長崎で隠れキリシタンとして250年もの長きに渡って信仰を守り通した奇跡は、世界中に知れ渡っていました。その奇跡を廃墟にしたことはその遺構がある限りキリスト教世界から白い目で見られることになりますから、アメリカにとって浦上天主堂が残ることは原爆ドームが残るのとは比較にならない重要な懸念事項だったのです。その工作の為田川市長はアメリカに招かれたわけです。 失われたものは二度と戻りません。しかしこういう事実があったことは伝え続けて行かなければならないのです。     広島・長崎の前には模擬原爆が日本に落とされていたという記事が7月末にありました。そうしたことは知られていませんでしたが、全て語り継ぐべきことであり、語り継ぐのは今を生きる私達以外にないのです。  

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    • 八月九日は平城天皇の祭日・・・譲位が起こした薬子の変

      第五十一代平城(へいぜい)天皇は、平安時代の初期の天皇です。   和風諡号01は日本根子天推国高彦尊(やまとねこあめおしくにたかひこのみこと).。   御父は桓武天皇、御母は藤原の乙弁漏(おとむろ)、桓武天皇擁立に尽力した藤原良継の娘。また歌人で有名な在原業平は孫です。 七七四年、桓武天皇の第一皇子として誕生。 御名は小殿(おて)、後の安殿(あて)親王。 在位、八0六年から八0九年。 怨霊渦巻く平安京と言われた平安時代は、前例のない事件で井上(いがみ)皇后が廃后となり、その息子の他戸(おさべ)皇太子が廃され、新たに皇太子となった山部(やまべ)親王が桓武天皇になられた後、平安遷都を行って始まりました。 しかし、この間に長岡京遷都があり、長岡京造官吏の藤原種継暗殺事件に関与したと皇太子の早良親王(桓武天皇の同母弟)が逮捕され流刑先に移送中に憤死しています。 早良親王の廃太子にともなって、皇太子になったのが安殿親王であり、井上親子や早良親王が怨霊となって行ったとされる身の回りの不幸や天変地異がある中で育ちました。元来病弱だったため、早良親王の霊に取り付かれていると言われていたのです。そのためか即位後も体調が優れず、天地療養を試みるも変化がなく、在位三年で弟に譲位(嵯峨天皇)し太上天皇となられました。   しかしその短い在位の間には、勘解由使を廃止して新たに六道観察使を置いています。観察使は東山道を除く六道(東海道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・九州とその周辺の西海道)に設置された参議と並ぶ重要な官職で、観察使による地方行政の観察は厳正に行われました。 太上天皇となられてから愛着のある平城京へ移られると、嵯峨天皇との兄弟の意思疎通が難しくなった上、太上天皇が設置した観察使を嵯峨天皇が廃止し参議を復活する詔を発せられ四年で終了させられるようなことが起きました。 そして健康を取り戻した太上天皇は「平安京より遷都すべからず」との桓武天皇の勅があるにもかかわらず「平安京を廃止して旧都平城京へ遷都する」という詔勅を発せられ嵯峨天皇を驚かせます。これは後宮にいた藤原薬子やその兄の藤原仲成の重祚を狙った甘言のためといわれ二朝対立状態となりました。この対立が薬子の変に発展していきます(八一0年)。平城天皇は自ら東国に赴き挙兵しようとしましたが、嵯峨天皇に阻止を命じられた坂上田村麻呂の軍勢に捕らえられ帰京し出家しました。また藤原仲成は処刑されましたが、これは平安時代の政権が律令に基づいて死刑として処罰された稀な事例でこれ以降一一五六年の保元の乱まで三四六年間死刑執行が行われませんでした。なお薬子は服毒自殺を遂げています。 八二四年崩御。 旧都平城京への愛着に因み平城天皇と号されました。また崩御の後、既に譲位されていた嵯峨上皇の要望で、時の天皇淳和帝は薬子の変の関係者の赦免の勅令を出されています。 平城天皇の崩御で最後の幕が引かれた薬子の変は、若過ぎる太上天皇と同母弟である天皇の二つの存在が生み出した初の対立ともいえます。これは、明治になって大日本帝国憲法と一緒に皇室典範を作成した際、譲位があることで生まれる混乱を避ける事例の一つとなったことでしょう。これ以前にも譲位後の上皇により政変が起き政情が不安定になったことがありましたし、平安時代には藤原氏や上皇の思惑で譲位を強制された天皇の例がいくつもありましたしそれを要因に大きな争いになることもありました。鎌倉・室町時代になると上皇や幕府の圧力での譲位の例があり、朝廷が二つに分かれ混乱の一因となっていきます。一方江戸時代になると、譲位することを圧力に変えるという例も起きるようになるようなことも起きました。こうした数々の歴史を踏まえ練りに練られた皇室典範であるということを考えると、皇室典範の条項について協議する場合、いかに歴史を知っておくことかはとても重要であります。また現在の状況を考えると、100年先、1000年先の将来までを見据えることも同時に重要であることがわかります。 稽古照今、歴史を探究することは将来を見出すことにも繋がるからこそ、歴史は学ばれ続けるのです。 陵は揚梅陵。奈良県奈良市佐紀町にあります。 参照:「宮中祭祀」 「旧皇族が語る天皇の日本史」 「怨霊になった天皇」 「天皇を知りたい」 「天皇のすべて」 「歴代天皇で読む日本の正史」 他  

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  • 08 Aug
    • 天皇陛下の御言葉から

      昨年天皇陛下がビデオメッセージを下賜されてから1年が経ちました。   天皇陛下のおことば   私は今までも何度か御言葉を拝読させていただきましたが、このお言葉のどこにも譲位されたいという文言はありません。ただひたすら天皇陛下のこれまでの歩みを振り返り、また高齢となられた天皇のありかた、またこれからの皇室について考えていらっしゃるということをおっしゃられています。   これは、明治天皇にならえば国民と一緒に日本のことを考えたい、日本=天皇、皇室のことを考えたい、という意味ではないかと考えています。つまり、天皇陛下は国民に、日本についてもっと考えようと伝えたかったのではないかと思うのです。   天皇陛下は注意深く言葉を選ばれ、政治的発言にならないように御言葉を吟味され伝えられました。こうした御言葉は受け取る人により、多様な受け取り方ができるかと思います。ところが、メディアが最初から普通の日本語では考えられない「生前」などという言葉と強制的意味合いや最後という意味合いもある「退位」という言葉を組み合わせて世論を誘導した上、天皇陛下や皇族方ではなく、どこの誰とも知れない人達の会議で陛下の天皇としての運命を決めてしまったのです。   そして、日本について、天皇について、皇室について考えるということが譲位ということにすり替えられてしまったのだと私は考えるのです。   本来なら、まず第一に天皇陛下と皇族の方々に皇室典範をお返し、皇室会議を本来の形に戻して、陛下と皇族方中心の会議ができるようなそんな提案がなされるべきてすが、そのような提案が未だになされないのは、国民の怠慢だと思います。     なんといっても、日本は戦後大きく変えられてしまいました。古来から独立した国として自立してきた我国が、未だに自立が出来ないままであるし、人々の自立心が失われるような教育や洗脳がずっと続いてきているのです。そして、そうした中で、建国の時から続く天皇と国民の紐帯を切り離そうとする工作がジワジワと行われているのです。   ネットや週刊誌などでは、天皇陛下や皇后陛下、皇太子殿下や妃殿下、また秋篠宮殿下や皇族の方々、そして未成年者に向けてまでなにかと中傷が続いています。多くの人々が目にしていることと思いますが、このような状況は異常だと思いますし、日本人のやり方ではないと感じています。さらに歴史や古代史探究の名を借りて天皇の歴史、ひいては日本の歴史を貶めようという動きも活発化しています。そもそも日本の歴史は天皇と神社の歴史なしに理解することはできませんが、そうした歴史が戦後教えられてきませんでした。     昨年、天皇陛下はなぜ8月8日にビデオメッセージを流されたのか?と考えたことがあります。8月は広島や長崎への原爆投下や15日の終戦の日と全国でも慰霊が行われる時期であり、またお盆の時期でもあります。そうした日にちを避けると残る日にちはわずかとなります。そうした時期の隙間を縫ってこの日を選ばれたのは、8月8日が8が重なる末広がりの日だからではないかと思います。これからの未来を予祝するための日として選ばれたと思うのです。     遡ってみれば昭和20年のこの日昭和天皇は広島への新型爆弾能の投下を受けて早急に戦争を終結させようとしましたが会議を開こうにも軍人らの都合が付かず、翌朝の会議に持ち越されました。その翌日の8月9日は、ソ連が参戦したあわただしさの中、御前会議が開かれるのですが、そこに長崎にも新たな新型爆弾が投下された連絡が入るのです。その御前会議は日付が変わってもまだ終わらず、そこでとうとう昭和天皇の御聖断が仰がれました。たった1日の違いで戦況がいかに変わったか。もしかしたら昭和天皇も戦時の絶望的な状況の中、8月8日という末広がりの日に、未来を決したかったのかもしれませんが叶いませんでした。     そして、末広がりの未来を切り開く日が選ばれた天皇陛下の御言葉も、それ以来全文が流れることはなく、忘れさられていないでしょうか?     天皇陛下の御言葉を拝聴すると、ここには現在の日本が抱えている問題が全て入っていますし、古来からの日本のあり方についてもおっしゃられています。ところが、そうした日本がジワジワと変化していることについて、長き伝統に鑑みて考えようと、そうした日本のあり方について、私達に問いかけようとされているとも思えるのです。     メディアの考えではなく陛下の御言葉を素直に純粋に拝聴してみて下さい。何度でも。何度でも。     古来より、天皇がお言葉を発する時、そこには予祝が含まれていました。現在はビデオメッセージで、何度でも陛下の御言葉を拝聴することが出来る幸せな時代です。陛下の御言葉を拝聴し考えれば、きっと良き流れの答えが見いだせるのではないか?そのような希望を私は抱いています。そしれ多くの良き日本人がそのようにしたら、日本はきっと良くなると思うのです。   自分の頭で考え、知り、また考えることが我が国の伝統です。       宮家について考えよう②・・・「みやけ」 大御心を裏切った大御宝・・・⑤愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ 天皇陛下の祈り 大御心を裏切った大御宝・・・④皇室存続の危機   大御心を裏切った大御宝・・・③ローリングストーンを止めるのは大御宝 大御心を裏切った大御宝・・・②日本存続の危機 大御心を裏切った大御宝・・・日本の歴史上の新たな汚点 今こそ天皇について知ろう(^O^)/ 何度でも真剣に考えたい皇室存続に対する本当の危機感・・・天皇陛下と皇室=日本、5/23動画追加   天皇は人(民)の敬によりて威を増し、人(民)は天皇の徳によりて運を添ふ 私達は「おおみたから」宝物です(^O^)/ 眞子内親王の結婚を機に国民が考えるべき大事なこと 愚かでかわいそうな日本人・・・我国の本当の危機 皇室の悠久 皇室存続に対する本当の危機感とは なぜ皇室典範をお返ししようという声があがらないのか? 万世一系は簡単に続いてきたわけじゃない 二千年の孤独 天皇を取り戻そう! フィリップ殿下引退ニュースから考える 天皇と皇室への敬称をきちんと覚えよう(^O^)/ 漢字の「様」を使うのは神様、仏様、王様だけ? 言葉を考えよう(^O^)/ 敬語は社会の知恵 未成年者に対する報道は自制を        

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  • 07 Aug
    • 夏休みには読書しよう(^O^)/・・・あした死ぬかもよ

      最近またいじめにより1年半前に自殺した中学生についてのニュースがありました。   いじめを認めない取手市教委を翻意させた両親の調査…中3女子生徒を追いつめた「陰湿」ないじめとは?     いじめの問題がなくならないのは大きな問題ですが、前にもここで書きましたように事件となった時点でまず「いじめ」という言葉を使うのを止めてほしいと思います。(生徒が書き残したことは別です。)   いじめで人は死にません。人が死んでしまうような行為は虐待、暴力なんです。いじめという言葉を使用しているのは言葉のすり替えです。この少女は虐待、言葉の暴力で亡くなったんです。       聞き取りだけでここまでわかったということは、多くの生徒がこの虐待や言葉の暴力を目撃していたことになりますし、先生が明らかに精神的な暴力を振るって加担していますし、それは先生がこの生徒たちの間に何かが起こっていることに気づいていたから行ったのではないのかと考えてしまいます。日本の大人のほとんどは、義務教育で学校生活を経験していますが、いじめがあってそれを先生が気づかないなんてありえないと思いませんか?それともそんなに先生はまぬけなんでしょうか?なにか異変があれば生徒も教師もすぐに気づく、そうした空間の共有の場所が学校です。そもそもこの事件の場合はどうみても先生が加担しています     この教育現場の改革をしなければ、いじめを発端とする事件はなくならないでしょう。教育現場ではいじめの時点で摘まなくてはなりません。     ここには死を軽視する姿勢があるように思えます。曽野綾子さんは義務教育で「死」を説かないのは、日本の大人や教育者の怠慢  であると語っているそうですが、そうした死について、大人も子供もきちんと学ぶべきだと思います。   亡くなった命は還りません。   いじめという名の暴力を振るった子達は例え罪に問われないとしても一生汚名を背負うことになります。そしてクラスメイトの子達はそれを助けられなかったという傷を負うことになります。先生や学校、教育委員会はそれを見過ごしたという重荷を背負い、親や保護者は護れなかったという重荷と後悔を負います。誰の得にもならない悲しい事件です。     自殺は自殺した周囲の人が自己嫌悪し、自殺させてしまったという負い目を一生背負うこととなるのです。その痛みが消えることは生涯ありません。起きてしまってからでは遅いのです。     現在、身近に死があることは稀です。しかし虚構の世界、ゲームなどでが死が身近にあり簡単に生きかえったります。以前、死んだ人が生きかえると信じている子供が多いと話題になったことがありましたが、虚構と現実の区別がつかないのも問題です。   それぞれの国・民族には独自のものの見方があり、三観にそれが現れるといいます。それは自然観、歴史観、死生観のことです。しかし、日本人の三観はどれも今揺らいでいます。この三観、あらためて考えるととても大切なもので、どんなものもそうですが、ただ一つで成っているわけではありません。どれも絡みあっているのです。ということは、一つでも補強すれば、他の二つも強くなるかもしれません。     だからこそ、この夏「死」というものに、大人も子供も向き合ってみてはいかがかと思うのです。     そんな教科書としてお薦めなのが、「あした死ぬかもよ」です。この本、先日本屋でてにとってみたら、2012年に発売後たった5年ですが既に19刷となっていました。     以下のリンクには、この本の発売の時の作者ひすいこたろうさんのメルマガが転載されています。   あした死ぬかもよ?   この本は4つの章で構成されていて、それによって生き方を考えるようになっていると書かれています。死を考えるということは生き方を考えるということになるからです。だから、子供だけでなく、大人にも、誰にでも読んで欲しいのです。人生迷った時、悩んだとき、生と死を考え向き合うのはとても良いことだと思うのです。   死を見つめることで、後悔なく生きよう。 死を見つめることで、ドリーム(夢)を見つけよう。 死を見つめることで、ミッション(使命)を見いだそう。 死を見つめることで、あなたのハートの声(本心)を取り戻そう。   この本の発売の1年後には、ワークブックまで誕生しました。「あした死んでも後悔しないためのノート」です。       この夏の間に、生と死について考えてみませんか?   他にも、辞世の句について知るのも良いかもしれません。誰もがいつかは死ぬのです。その死の直前に歌を詠むというとても日本的な習慣を知ることは、古来からの死生観を知ることにもなるかと思います。       また靖国神社の遊就館に行ってみるのも良いかもしれません。そこには多くの若い英霊の方々の御影(写真)と、多くの遺書があります。それを読み、静かな空間を共有するのも良い体験になるかと思います。     死について学べば、生活が生き方が変わることと思います。いじめるほうも、いじめられるほうも、それを傍観者として見る方も、この夏死に本気で向き合ってみてはいかがでしょうか?   この他にも、死に関する本は沢山ありますから、ぜひ見つけて読み、考えてほしいと思います。

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  • 06 Aug
    • 広島護国神社の鳥居は倒れなかった

      72年前の本日8時15分、広島に原爆が投下されました。       昨年は同時間帯にリオデジャネイロで五輪の開会式が行われていましたが、ブラジルの歴史が表現された中で日本人移民の登場時間帯を同時刻にあてられていたのは記憶に新しい出来事でした。 現在広島城跡にある広島護国神社では本日10時より原爆慰霊祭が行われます。 広島護国神社のご由緒にはこうあります。 広島護国神社は、明治元年12月、明治維新の戊辰の役において陣没された高間省三命以下七十八柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀されたのが創建です。 以来、大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ九万二千余柱(勤労奉仕中に原爆の犠牲となられた動員学徒、女子挺身隊等約一万柱を含む)の神霊をお祀りしています. 水草霊社は明治8年に、官祭招魂社となり、同34年官祭広島招魂社と改称されました。 昭和9年、御社殿の老朽化に伴い、西練兵場(旧市民球場の辺り)の西端に新社殿を造営し移転されました。同14年に広島護国神社と改称されましたが、昭和20年8月6日、至近距離上空で原子爆弾が炸裂し、御社殿すべてを焼失しました。 その後同地に小祠を設けて祭祀を続けてきましたが、広島市の復興に伴い移転を余儀なくされたため、復興奉賛会が結成され県民より淨財を募り昭和31年秋現在の広島城跡に新社殿が造営され、待望の復興を遂げました。 昭和46年4月、天皇皇后両陛下(昭和天皇)の御親拝を契機に参拝者が急増し、社殿の老朽化も著しく手狭となってきたため、平成の御大典記念事業として、改修及び御社殿のお建替を計画し、県市民や地元企業の御奉賛によって平成5年4月、本殿拝殿を始め儀式殿や石烏居・石畳に至る諸工事が竣功し現在に至っています。 平成10年が御創建130年に当ることから、記念事業として更なる社頭の整備事業が計画され、悠久殿の新築、儀式殿、神楽殿、社務所、参集殿の建替えなど全ての記念事業が平成21年6月に竣功しました ここには書かれていませんが広島護国神社の鳥居は、被爆した鳥居です。上記赤字にあるように至近距離で被爆して御社殿すべてが焼失していますが、その時鳥居は残ったのです。当時爆心地から370mだったといいますからその衝撃は凄かったかと思いますが、爆心地に近かったので垂直な爆風だったため倒れなかったといいます。しかし、焼け野原となった広島で立ち続けた鳥居は、広島の人々をわずかでも元気づけたのではないでしょうか。 原爆後の広島護国神社の鳥居 現在この鳥居は、護国神社の移転に伴い移設され、広島城跡、裏御門近くにあるということです。 被爆し現存する鳥居 オバマ大統領広島訪問 記念日をやめよう     先月、実は広島と長崎の前に模擬原爆が日本に落とされていたという記事がありました。初めて知ったことだったのですが、これも伝えて行かなければならないことだと思います。   「もう一つの原爆」忘れない…広島、長崎のリハーサルに使われた「模擬原爆」の恐怖、次世代に伝える 富山 産経WEST 2017.7.27 08:11更新   太平洋戦争末期の昭和20年、原爆の投下訓練を目的に米軍が富山市内に落とした「模擬原爆」を目にした人がいる。当時中学2年だった医師田中悌夫さん(86)だ。「広島、長崎のリハーサルに使われた事実を忘れてはならない」。「富山大空襲を語り継ぐ会」代表幹事を務める田中さんは、72年前に感じた衝撃や恐怖を次世代に伝えようと活動している。 20年7月20日朝、登校していた田中さんは、快晴の空に1機のB29が翼を輝かせ北へ向かって飛んで行くのを目撃した。 突然、機体が「ピカッ」と光ると「ザァー」という空気を切り裂くような音が鳴り響いた。「伏せろ」。近くにいた大人の叫び声でとっさに付近の壕に飛び込み伏せた。次の瞬間、ごう音とともに地面が震え、顔を上げると富山駅の北側で黒い煙が立ち上っていた。 この時の爆弾が模擬原爆だった。長さ約3.5メートル、重量約4.5トン。長崎に投下された原爆とほぼ同じ形状と重量で、通常の爆薬が詰められており、色や形からパンプキン爆弾と呼ばれた。 米軍の資料を確認した愛知県の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」などの調査では、米軍が終戦間際に18都府県に約50発を落とし、400人以上が死亡したとされる。富山市には20年7月、計4発の模擬原爆が投下され、約60人が亡くなり、80人以上が負傷したという。   爆弾は、田中さんの自宅から約1キロ離れた運河沿いに落ちた。近くにあった日本曹達の富山製鋼所を狙って外れたとみられる。駆け付けると、直径約10メートル、深さ数メートルの大きな穴が。近くの電線には運河の中にあった藻がぶら下がっていた。幸い、自宅は居間の壁が崩れ落ちた程度の被害で済んだ。家族にもけがはなく、胸をなで下ろした。 広島と長崎に原爆が落とされたのは、それからわずか数週間後。自身が目撃したのが模擬原爆と知ったのはさらに数十年以上たってからだった。「原爆被害の大きさを考えると模擬であろうと身の毛がよだつ恐ろしさを感じた」と田中さん。 以来、整形外科医として診療を続ける傍ら、県内の小中学校に語り部を派遣したり、約3千人が亡くなったとされる富山大空襲の体験者の話を会誌などにまとめたりする活動を続けてきた。「二度と戦争を起こしてはならない」との思いからだ。田中さんは29日に富山市で開かれる同会の集いでも模擬原爆について講演する予定だ。      

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  • 05 Aug
    • 夏休みには読書しよう(^O^)/・・・和歌

      日本について学び直すと、最初に気が付くのは天皇の重要性ですが、その天皇に欠かせないものが和歌です。天皇が詠まれたものを御製といいますが、神話の時代のスサノオが詠まれた歌に始まり、神武天皇の久米歌他多くの歌が詠まれてきました。そうした歌が三一文字の形に落ち着いたものが和歌で、現代に至るまでその歌を詠む伝統は続いています。     八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を     そしてそうした歌を詠む伝統は、つい最近まで日本人の多くに当たり前にあった伝統でもあります。なぜそれがわかるかというと、先の大戦で亡くなられた方々に辞世の句を残されている方が多くいらっしゃるのです。靖国神社に行くとそうした歌を目にすることが出来ます。英霊の方々は若い方々が多くいらっしゃいますが、とても美しい歌を残されているのです。そして戦地に赴くに当たって持っていった数少ない荷物の中に万葉集を持っていかれた方がいたります。 靖國神社今月の社頭   ほんの70年ほどの間に、そうした習慣が消えてしまうなんてもったいないことです。なんといっても古来から日本人の間で連綿と続いてきた習慣の一つが歌を詠むことなのです。そして、その習慣はもちろん天皇陛下と皇室では続けられていることでもあります。歌会始めの行事も続けられています。   そのような日本人が連綿と続けてきた伝統ができないことほど残念なことはありません。ぜひ、この夏和歌に親しみましょう(^O^)/   和歌の良い所は、古典の歌でもなんとなく意味が伝わる所です。深い意味があったり、色んな意味が織り込まれたりしていますが、なんとなく読むことが出来、その語感を感じることができるのです。これは大和言葉が現代の言葉にも生きているからこそだと思います。このとりあえず読めて意味を感じることが出来る、というのが重要です。なんとなくでも意味を感じたその時、時を超えて古来の人との繋がりや感覚の共有ができるのです。しかも和歌は、天皇や貴族だけのものではなく、庶民に至るものまで身分の隔てなく詠まれてきたものでしたから、和歌を知ることで色んな人達を知ることも出来るのです。このような素晴らしい文化が続いてきたのは世界でも日本だけです。そのような伝統を知らないことはとても勿体ないことです。   なんといっても日本の国歌は和歌です。   しかも世界に誇る美しい言霊の和歌です。言霊には予祝がこめられており、和歌には予祝の歌という一面もあります。つまりその歌を詠むことにより、人々が幸せになることが願われ祈られている歌でもあるのです。このような素晴らしい歌が国歌になっているというのは本当に幸せだと思います。 世界一の言霊の歌 日本人選手の金メダルには平和の言霊がついてくる 日本が金メダルをとったら世界中が祝福される 君が代の旋律の成立過程・・・皇学 むすびの歌 4番まであった君が代 千年前の流行歌 さざれ石 歌う時の注意点:上手い下手は関係ないがここだけは注意       そして、解説書などでその意味を知るとさらに素晴らしいと感じることが出来ます。また和歌を読むことは大和言葉を含め語彙が豊かになりますし、日本語力を促すことにもなります。また五感を刺激し思考力も促されることになりますから、いいこと尽くしです。さらに和歌を読みたくなるでしょう。そうしたら是非歌会始めの歌に挑戦してみて下さい。ちょうど締め切りも9月ですからこの時期にぴったりだと思います。   ということで、この夏休み和歌を読みませんか? そしてその後で歌を詠んでみてください(^O^)/ きっと詠みたくなると思います。   入門にはやはり百人一首でしょうか。百人一首はとても人気がありますが、ここ数年は漫画やその映画化などで、一段と人気が増しています。百人一首には謎解き本を含め解説本が沢山のありますが、その決定版は人気ブロガーねずさんの百人一首ではないかと思います。厚い本ですが(なにせ百首分ですから)とても面白くてあっという間に読み終わってしまうかと思います。     またこの本を読むことで、百人一首が編纂された時代背景や、選出された和歌が詠まれた時代や詠まれた人達についても知ることが出来ますので歴史の勉強ともなります。どんなこともその背景抜きに理解するのはかえって難しいのです。 承久の変から日本を見直そう(^O^)/       また日本最古の歌集「万葉集」があります。その万葉集の成立や万葉の意味、また一時期万葉集が読めなくなってしまったことがあるその経緯と解読作業などの歴史まで含めて書かれた解説及び入門書としてお薦めなのが、神社検定のテキストです。     日本は「言霊の幸(さき)わう国、言霊の扶(たす)くる国」とよく言われますが、この言葉は万葉集に書かれたことが引用されています。これは、言霊の力が幸せを呼び込んだり、助けたりしてくれる国ということで、そうした願いをこめて万葉集は編まれたといいます。しかもこの万葉集の凄い所は、世界最大で最古の選詩集なのです。その上さらに凄い所は、その題材の豊富さで、天皇の国見の歌から、生活の歌まで幅広い事象が歌われています。そしてなんといっても作者が宮廷だけでなく防人や東人や乞食者(ほかひびと)まで多彩なことがあげられます。日本では歌の前での平等といわれるますが、何かに対峙した時に身分の上下がないということがよく表れているのが歌であるといえますし、それが古来からあることの証明が万葉集なのです。 日本人としての基礎知識     そして万葉集といったら、次に来るのは古今和歌集です。古今和歌集は醍醐天皇の勅命により編纂された歌集で、万葉集に選ばれなかった古い時代の歌から、編纂当時の歌までを選んだ勅選集となっており、その選者には紀友則や紀貫之等の四名で行われています。そしてこの歌集に、「君が代」の原型が選ばれています。     日本には勅撰和歌集が沢山ありますから、この他にも沢山の歌集がありますが、万葉集と古今和歌集が基本だといえます。     また天皇が詠まれた歌、御製がたくさんありますので、その歌集も多くあります。今上陛下や昭和天皇の歌集もありますし、明治天皇の歌集は有名です。     この歌集は明治神宮でも購入できますし、また明治神宮は御製と御歌がおみくじになっていることも知られています。 明治神宮本日の御製 明治神宮本日の御歌     また、今上陛下には沖縄の歌を歌われた歌集まであります。     天皇を知る、大御心を感じ取る上で御製は欠かせません。少しでも多くの御製を知っていただきたいと思います。     歌集には色んなものがありますが、笠間書院の「コレクション日本歌人選」のシリーズは入りやすい歌集だと思います。この中には伏見院と後鳥羽院の御製集もありますし、柿本人麻呂や西行、源実朝や菅原道真、本居宣長や与謝野晶子、そして寺山修二の現代詩まで網羅され、辞世の句や今様、おもろさうしなどでの歌集もあり、和歌に限らず日本の歌を知る入門シリーズとなっています。         和歌には現代風に詠まれたものもありますが、まずは古典から入っていただきたいものだと思います。なんといっても、和歌を知ることは日本の精神史を知ることでもあるといわれていますし、時代時代の人々の息吹を感じることが出来る歌でもあります。私も初心者ですからえらそうなことはいえませんが、日本人の基礎知識が和歌であり、今も日本人の心に知らぬ間に根づいているものが和歌だと、和歌を知るにつけ感じるようになっています。多くのヒットした歌謡曲の節は、実は和歌の基本で書かれてたものが多いことはご存知でしょうか?     日本の心といっても過言ではない和歌を多くの人々が当たり前に親しむ国に戻ったら素晴らしいと、それを願っております。       夏休みには読書しよう(^O^)/ 夏休みには読書しよう(^O^)/まずは我が国の神話を 夏休みには周りの人に昔の話を聴いてみよう(^O^)/ 夏休みには読書しよう(^O^)/「弥栄の烏」和風ファンタジー 夏休みには読書しよう(^O^)/・・・稽古照今  

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  • 04 Aug
    • 夏休みには読書しよう(^O^)/・・・稽古照今

      日本では毎年夏になると戦争の記憶が世を騒がせていますが、そうはいっても実は多くの人がその戦争について知っていません。だからこそ、現在のような騒がれ方をしているといえます。私が子供の頃、つまり戦争の時代を生き、その時代を知っている方々が現役でご活躍の時代には、現在のような騒がれ方はありませんでした。ここ最近の騒がれ方は、そうした方々が現役を退くあたりから活発化してきたように思います。ただし、当時からウオーギルドインフォメーションプログラム(WGIP)によりジワジワと未来への影響が作られてきました。その頃の未来が現在だといえます。 ウオーギルトインフォメーションプログラムってなんですか? 我々はなぜ我が国を思う気持ちが少ないのか?・・・国史の薦め①   そしてWGIPにより蝕まれた中に、本来の歴史教育が行われなくなったことがあります。その歴史の無知に付け込まれて現在の騒ぎが起きているといえますし、政治他の問題もそうした影響抜きには語れません。ただ騒がれることで興味を持つ人、あるいは知っていて問題意識を持つ人も増え、また現況に問題意識を持つ人々も増え、現在は歴史の学び直しをしている人が多いと思います。   なぜなら歴史は繰り返すものだから。だからこそ古来から歴史に学んできたということがあるからです。 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そして聖人は経験から悟る。   これは個々の人々の狭い経験よりも、過去の出来事の集約としての歴史の方が世の流れもわかりやすいし、またその時の流行りに影響されない動きも見えてくるからこその知恵でもあります。例えば、熱狂に浮かされた革命がその後に長い混乱と恐怖政治や政局の迷いの繰り返しを生みだすことが、フランス革命やロシア革命、またイラン革命からも分かりますし、そういう目でジャスミン革命を眺めているといかに歴史からみる周期が正確であるかみえてきます。   そして、この諺通りに成功した国の例がイギリスです。イギリスは一時は大英帝国といわれる世界中に植民地を持ち繁栄を謳歌する国となりました。そうできたのはローマ史から始まる歴史や古来からの知層を学び研究してきた膨大な知識の蓄積があったからだといいます。つまり愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶです。ところがそれもたった一人の聖人によって崩されていくのです。それが長い間植民地の苦渋を舐めてきたインドから現れたガンジーです。   上記のリンクには、この諺に対する考察があり、「経験に固執する愚者は、歴史を学んだ賢者から支配される。されど己の経験を悟りにまで深く掘り下げた聖人は、賢者を凌駕して、愚者を支配の鎖から解き放つことが出来る」と書かれています。   でもなかなか聖者になるのは難しいです。それにガンジーは知識層にいましたから、聖者になる前に賢者になっていたのは確かです。そしてその賢者の見識から悟りの境地にまで進んでいったのです。   さらに、歴史を学ぶということは個々の人々のアイデンティテイの強化に繋がります。一人一人は過去の人生の積み重ねでその人の、人となりができあがっているように、国も過去の歴史の上に成り立っているのです。人がその人の人生の積み重ね、経験により人間形成が出来上がっていくのと同じで、国もその国の歴史でその国が形成されるのです。もし記憶喪失になったら、その人は不確かな人生を生きることになります。もし歴史が隠されたら、国も同様なのです。なにか安定感のない国になってしまっている我国は、歴史をきちんと学びなおすことでしっかりした国になるはずです。いわが、歴史を学ぶことは国のアイデンティテイの形成を促すことになるといえます。自己啓発が流行っていますが、祖国の歴史を学ぶことは個々の人々のアイデンティテイ形成にも繋がります。 自己啓発をするなら歴史を学ぼ♪     ということで、まずは賢者を目指し、アイデンティテイを強化していきましょう(^O^)/ それにはまずは国史について知ることです。     日本は神話から始まる現存する唯一の国です。だから、我が国最古の歴史書は古事記と日本書紀で、両方とも神話から始まり天皇の歴史へとなっていきます。まずは、記紀を読むのが日本人が歴史を知る第一歩です。 夏休みには読書しよう(^O^)/まずは我が国の神話を     歴史の本を読むことは、国語力と歴史力が一度について一石二鳥ですから、子供はもちろん大人にもお薦めです。そしてその古事記には、序文で古事記は「稽古照今」のために編纂されたと書かれています。稽古照今とは、過去に照らし今を考えるということで、日本での歴史への考え方を表しています。これが英語だとhistoryとなり、his storyという意味ですから、これは誰かの物語→誰かが作った物語ともなり、同じ「歴史」という言葉を使用しても意味が違ってきます。   歴史をなぜ学ぶかといえば、今の生活あるいは未来の生活に生かすための実学でもありますから、私は歴史という言葉よりも稽古照今という言葉の方がいいのではないかと最近では考えています。   日本の歴史といえば天皇を抜きには語れませんが、そうした観点から考えると竹田恒泰氏の書籍がお薦めです。             ところで、歴史関連の本を読むとその歴史の検証が行われることが多くあります。そこで、そうした本に行く前に読んでもらいたい歴史の検証についてお薦めの小説があります。ジョセフィン・テイの「時の娘」です。えっ小説?と思うかもしれませんが、これはただの歴史小説ではないのです。私は歴史を知っている人以外には歴史小説は害悪だと思っています。というのも作り物の物語を本当だと思い込む人が多いからです。しかし、そういう人にもお薦めの小説がこの本です。     この小説は物語の形をとりながら、イギリスで冷酷無比と言われてきたリチャード三世についての謎を解く探偵ものとなっており、その探究のところは事実に基づいて書かれているというとても凝った作りの本で、その後の歴史探究小説の走りとなった本なのです。事実、イギリスでは、この小説を機にその後のリチャード三世の評価も変わったという逸話もあり、英語圏では絶大な人気を誇る小説です。その優れた点の一つが、読者が楽しみながら歴史探究の仕方が学べることがあげられます。だから、私はまず、数多くの歴史書を読む前にこの小説を読むことをお薦めしたいのです。   きっとこの本を読めば、有名なヘンリー七世他のイギリスの歴史上の人物にも興味が湧くことでしょう。そのままイギリスの歴史を見るのもいいですし、この本を読んでから歴史の検証をしてみるのもいいかと思います。或いはこの本を読むことで肖像画に興味が湧くかもしれません。それも新たな歴史の見方となるかもしれないです。 真実は時の娘   歴史を学ぶ上で、世界史は避けて通れません。現代は特に各国の事件が互いに他の国々へ影響しあってきますし、戦争や紛争などの問題は古来からありました。それは日本も含まれます。記紀を読むと古代日本が地域に影響力の国であったことを知り驚くことになります。民族の性格は古来から変わらないことが、そうした本を読むことでわかってきますから、それは現在への対処の教科書ともなります。   しかし現代の私達はWGIPにより、過去の日本人ができた世界史の見方を洗脳により変えさせられてしまいました。そうした方達にお薦めなのが、ドイツ在住の日本人女性が西洋社会と対峙する上で日本の歴史を調べ直してドイツ語で書かれ話題になった本で、日本に翻訳された驕れる白人と闘うための日本近代史これは、西洋社会に衝撃を与えた本ですが、現代の私達にも衝撃を与えるかと思います。私はこの本を読んで随分日本への見方が変わったきっかけの本の一冊でもあります。       近代史は現在の暮らし、政治、国際関係、経済等すべてに直結してますからとても重要です。 近代史のシリーズ本では倉山満さんが沢山の書籍を出されていいますが、これらもとてもお薦めです。倉山満さんは沢山の動画配信をされていて分かりやすいのですが、その著書もみな読みやすくわかりやすいです。     また先日の江崎道朗さんのFBではこんな本の紹介がありました↓ 7月25日 15:30   さきほども本を何冊か注文したが、一つは約1万円。もう一つも5千円強で、あっと言う間に二万円超え。専門書は本当に高い(泣)。しかし、それだけの価値があるのだから、それも当然だ。 気がかりなのは、私が読みたいと思うインテリジェンスや歴史の専門書の多くが、サヨク系の人たちによって書かれていることだ。 ... そんな動きに対抗するかのように、世界の歴史家、インテリジェンスの議論を紹介している福井義高先生が『日本人が知らない最先端の「世界史」2 』を出された。値段は、僅か二千円弱。 サヨクを揶揄するのは簡単だが、世界レベルの議論を理解するためには、懸命に学ばないといけない。そして、懸命に学ぶことなしに、サヨクを揶揄することばかりしている人は、いざというとき、なんの役にも立たない。 サッカーで、相手チームを批判しているだけで試合に勝てるようになるわけではないことを考えれば、よく分かることだ。 よって特に若い方々には、サヨクを揶揄するだけに終わらずに、自分のレベルを高めることにエネルギーを使ってほしい。そのためにも、まずは、福井先生の本などに懸命に格闘してほしい。この本を読めば、日本をダメにしているのが、実は不勉強な自分自身であることに気づくはずだ。       江崎道朗さんは現在一番お薦めの評論家ですが、歴史関連の書物もありそれもお薦めです。江崎さんの書かれたものを読むと近現代に詳しくなれるかと思います。また天皇・皇室に関しての知識も豊富です。そしてそのような江崎さんでもこのように日々最新の歴史情報をえるために本を読まれてらっしゃいます。     日本では戦後の歴史認識について色々と言われますが、そうした問題は日本だけではなく世界中にあります。つまり歴史はその視点により見方が変わるのです。そうしたことを認識しておくことで、歴史の見方は大きく変わります。これについて一番わかりやすいのはジャンヌ・ダルクです。ジャンヌ・ダルクはフランスでは聖女、イギリスでは魔女といわれてきた女性で、聖女になったいまでもイギリスでの評判は良くないといいます。ジャンヌ・ダルクについては多くの本がありますので、そうした本を探して読むのもいいかもしれません。私は子供の頃から何冊もジャンヌ・ダルクものは読んできましたが、多くの人を魅了してきた歴史上の人物の一人ですし、その過程で英仏の関係性の一端も学ぶことが出来ます。 ヤヌスの鏡・・・ジャンヌ・ダルクの二つの顔   歴史は連綿と続いてきましたし、日本は歴史の古い国ですから歴史書は沢山あります。ほんの一部分しか紹介できませんでしたが、本を探す楽しみもありますので、是非素晴らしい歴史の本をこの夏みつけ、読んでみて下さい。   そしてもし、その書かれていることに違和感を感じたり疑問を感じたら、是非探究してみて下さい。「時の娘」を読んだらきっと探究できます。   この夏、歴史探究を是非楽しみましょう(^O^)/     夏休みには読書しよう(^O^)/ 夏休みには読書しよう(^O^)/まずは我が国の神話を 夏休みには周りの人に昔の話を聴いてみよう(^O^)/ 夏休みには読書しよう(^O^)/「弥栄の烏」和風ファンタジー  

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  • 03 Aug
    • 八月三日は光明天皇の祭日・・・南北朝と室町幕府の始まり

      北朝第二代光明天皇は、室町時代が始まった時の天皇です。   御父は後伏見天皇、御母は西園寺寧子。同母兄は北朝初代の光厳天皇。 御名は豊仁(ゆたひと)。 在位は一三三六年から一三四八年。 鎌倉時代末期、後醍醐天皇に従って幕府を攻めた足利尊氏や新田義貞らの働きで鎌倉幕府は滅び、後醍醐天皇は光厳天皇を廃して天皇に返り咲きます。しかし、足利尊氏は鎌倉幕府を裏切って幕府を滅ぼしましたが、今度は後醍醐天皇を裏切り建武政権から離反します。尊氏は本来「高氏」でしたが、「尊」の字を後醍醐天皇の御名である「尊治」から賜ったのですが、この裏切りにより「高氏」に戻りました。そして湊川の戦いで後醍醐天皇は敗北し吉野へ逃れました。 足利高氏は入京し、光厳天皇の弟、豊仁親王(光明天皇)を即位させました。しかし皇位のシンボルである三種の神器が後醍醐天皇に持ち去られていた為、神器不在の即位でした。足利尊氏は、光明天皇から征夷大将軍に任じられ名実ともに室町幕府の初代将軍となります。 しかし北朝は足利氏が幕府の権威付けの為作り上げたようなもので、実際三種の神器は南朝が保持し、また北朝初代光厳天皇と光明天皇は、上皇の詔宣により践祚したため、先帝から譲位を受けた天皇ではなく、総じて北朝は正統性が疑わしいとされています。一方で三種の神器がない状況での即位は、後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位さた先例にならったもので、この時代は三種の神器が皇位継承の絶対条件ではなかったともいいます。しかし、三種の神器が重要であるからこそ受け渡しなども行われることになるわけですから三種の神器が重要であったことは事実です。 一方同じ年に、吉野では後醍醐天皇が南朝を開かれ、京の北と吉野の南の南北に分かれた二朝並立時代が五十六年続く南北朝時代が始まり、全国の守護、国人が北朝方と南朝方に分かれて争うこととなりました。 二つに分かれ、また争ったわけですから、これはその後の天皇の権力衰退の大きなきっかけとなりました。 一三四八年、光厳上皇第一皇子の益仁親王へ譲位(崇光天皇)。兄の光厳天皇による院政が行われました。 その後、高氏の執事の高師直と弟の足利直義の間で観応の擾乱(じょうらん)と呼ばれる抗争があり、政争に敗れた直義は南朝へ帰順しました。高氏と直義の対立も深まり、高氏は南朝と和睦し、北朝の光厳院の院政は停止され、第三代崇光天皇は廃されます。 南朝軍はこの機に乗じて、京都を占拠しましたが、足利義詮の入京で劣勢になると、光厳院や崇光院らと光明院を拉致し、吉野の西南の賀名生(あのう)に軟禁します。 北朝の天皇が廃された上、歴代の上皇が京都から連れ去られたので幕府は困惑します。というのも、上皇不在では上皇の詔宣すら得られないからです。この時妙法院への入室が予定されていた光厳上皇の第二皇子弥仁親王に即位を願いました(後光厳天皇)。 光明院は一三五五年に京に戻り、落髪して仏道に入った後は各地を巡歴され仏道に精進されました。 室町幕府は開かれた後も安定した政権ではなく初代将軍高氏は北朝を開きながら南朝に帰順したり、兄弟間の争いもありました。南北朝の争いも続いていたのもあり光明院は仏道に精進されたのかもしれません。 一三八十年、大和国長谷寺にて崩御。     遺詔により「光明」と追号されました。傍系等による皇位継承等転換期となる天皇の号は光仁天皇以降、「光」で始まっていることから、縁の寺の名前を使いながら皇統としての遺詔をされたものと思われます。 山陵は大光明寺陵、京都市伏見区桃山町大長老にあります。 参照:「宮中祭祀」展転社 ※祭日はこの本の日付によります。 「旧皇族が語る天皇の歴史」PHP新書 「天皇のすべて」Gakken 「天皇が知りたい」Gakken 「歴代天皇で読む日本の正史」錦正社 他  

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あらみたま

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女性
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世界を知るための国学、和学、自習&愛好&探究者 それによって考えたり、思ったり、気付いたことな...

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