国際派日本人のためのお勧め記事切り抜き帳
  • 21Mar
    • 私の学統の源流を萩の地で発見。

      萩博物館を出て菊川浜のほうに歩いて行くと、楫取素彦の生誕の地を通りました。NHK大河ドラマ「花萠ゆる」の主人公となった人物ですが、改名前は小田村伊之助といい、松陰門下の1人でした。松陰の妹寿(ひさ)を娶り、その曾孫が、国文研の初代理事長小田村寅二郎先生に当たります。私の学問は国文研で学生時代より学んだものですが、その学統の源がこの地にありました。写真は:https://www.facebook.com/ise.masaomi/posts/2194105617347113

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  • 20Mar
    • 萩の美しい街並みが、美しい精神を育てる

      土曜日朝一番の便で羽田空港から山口宇部空港へ。高速バスで萩市に昼過ぎに着きました。萩ではどこか凛とした雰囲気を感じました。その一つの理由は街の多くの建物が美しい瓦葺きだった事でしょう。写真は左上から明倫小学校、看護学校、萩博物館ですが、小学校や看護学校まで瓦葺の建物にするところに、地元の人々の心意気を感じました。右下は萩藩の頃の街並みの模型ですが、当時の地図が今も使えるほど、街並みを維持しているそうです。こういう美しい街並みから、美しい精神を持った人々が育ち、そういう美しい精神を持った人々が美しい街並みを護るのでしょう。写真は:https://www.facebook.com/ise.masaomi/posts/2191839014240440

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    • 東京世田谷に、吉田松陰の遺骸を葬ったお墓と、松陰神社がありました。

      今日は下関市で「奉祝天皇陛下御即位30年山口県民感謝の集い」にてお話させて頂きますが、一昨日昨日は萩市を訪れました。その準備として、山川荘八の「吉田松陰」を読んでいたところ、吉田松陰の遺骸が東京世田谷に葬られたとの一節を見つけ、調べたら私の今住んでいるところから30分ほどのところに松陰神社があり、そこにお墓もあることがわかりました。早速訪問してみました。小田急の世田谷線にその名も「松陰神社前」と言う駅があり、そこから5分ほどのところに東京としてはかなり立派な神社があります。(写真は以下をご覧下さい)https://www.facebook.com/ise.masaomi/posts/2191367694287572

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  • 19Mar
    • 浅利慶太「ミュージカルで昭和の戦争の挽歌を奏でた男」

      浅利慶太の死はほとんどの各紙が一面扱いであり、たとえば日本経済新聞の社会面の評伝では「芸術と興行を両立させた剛腕」と記した。そう、その通りだと思うが、私は「芝居のせりふを明瞭な日本語にした演出家」とつけ加えたい。さらにいえば「ミュージカルで昭和の戦争の挽歌を奏でた男」と評価したい。イエスキリストの受難を題材にした『ジーザス・クライスト=スーパースター』。どうせミュージカルなんて横文字まがいの変テコな日本語を使った芝居だろうと高をくくっていた。ところが何とわかりやすいせりふだ。しかも客席の隅々までちゃんととどいている。「演劇は〃文学の立体化運動〃であり、本質的には言葉の芸術です。作者は観客の心の声を書く。俳優はその言葉に声を貸す。そして観客はその言葉に耳を傾ける。それで芝居は成立する。言葉のイメージを、みごとに正確に駆使することができれば舞台は観客の心をとらえることができるんです」ミュージカルの舞台はおおむね男女のロマンスやおとぎ話の世界と決まっている。だが浅利の特異さは、戦争に舵を切ったことだ。『ミュージカル李香蘭』にはじまる『異国の丘』『南十字星』のいわゆる昭和の歴史三部作(企画・構成・演出/浅利慶太)である。「司馬遼太郎さんは明治の指導者の開戦決意を描いた。だが昭和の戦争はそうじゃなく、だくさんの人が死んでいった。その挽歌を昭和一ケタのぼくらが奏でなくて、だれが奏でるのか…」浅利は唸るようにいうのだった。「追悼 浅利慶太が奏でた挽歌」石井英夫、『正論』H3010

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    • 習近平の経済失策で、李克強の「市場化、法治化」路線が浮上

      「12月の中央経済工作会議直前、習近平は党内で厳しい批判を浴びた。経済がうまくいっていないからだ」「中央経済工作会議の内容を見てみると、習近平の色が薄れ、李克強の主張や考えが多く反映されている」。 会議は「景気の下振れ圧力が高まり、外部環境が複雑で深刻な情勢を前に、より多くの改革の方法を取り、より多くの市場化、法治化の手段を運用する」などと提起し、経済体制改革の加速を呼び掛けた上で、「政府の資源に対する直接関与を大幅に減少させる」とうたった。党中央が「改革と開放」「市場と法治」の観点から対応策を模索し、実行しようとしているのであればそれは朗報であり、13年の三中全会でうたわれた「市場が資源配置において決定的役割を果たす」という精神にも符合する。「経済運営の失策が響き強まる習総書記への批判 全人代の成長目標に注目」加藤嘉一、『週刊ダイヤモンド』H310302

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    • 利他的な遺伝子の存在が確認された

      利他的な行動はヒトだけでなく、群れをつくって暮らす哺乳類にはしばしば見られます。鋪(もり)で射たれた仲間を救おうとして、錨を射った漁船を襲うクジラや、病気になった仲間に餌を運ぶサルなどの話はたくさん観察されています。さらに、そうした行為が時には同じ群れの仲間ではなく、種を越えて行われることすらあります。以前、私の家の近くの動物園でゴリラが少女を救ったことがありました。こうした事例は、動物には本能として利他的な行動を行う能力があること、言い換えれば、利他的な行動はヒトだけでなく、ある程度の智能を持った動物には生得的に備わっていることを示し、利他的な遺伝子の存在を示唆しています。最近は、ドイツのボン大学のグループが「親切さ」に関わる遺伝子を発見したと発表しました。それは、脳で神経伝達物質として働く「ドーパミとという物質の代謝に関わるCOMTという遺伝子で、その遺伝子のたった一つの塩基の突然変異で親切さの度合いが変わるというのです。人口が増え集団が大きくなって組織化されてくると、組織としての慣習や規範も生じてきて、その順守も求められます。社会での役割の分担も担わされます。結婚の相手を探す時も利己的だと、嫌われて繁殖の機会が失われます。このように、社会の中で暮らすには利己性よりもむしろ利他性の方が有利で淘汰されにくく、残ってきたのでしょう。どのような社会になろうとも、人が住みやすいと感じるのは、利他的な行為が多く表れている社会だと言えるでしょう。「利他的な遺伝子を考える」柳澤嘉一郎、『致知』H3005

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  • 18Mar
    • イギリスが示す「目先の経済が先か、国の形を守ることが先か」

      現地に住む私がどうしても理解できないのは、なぜ、国会で、2度目の国民投票をしてEU離脱の是非をもう一度国民に問おうという労働党の修正案が否決されたり、離脱を一時棚上げする案が否決されたりするのかである。経済へのダメージが国民の目にもこれだけはっきりしているのなら、再度国民投票をすれば、EU離脱という1回目の投票結果は覆るのではないかと思えたからだ。この「なぜ」に答えたのが、1月21日の首相演説であった。「2度目の国民投票は、われわれが国民投票をいかに取り扱っていくかということに対し、困難な前例を作り出してしまう。」英国が、このような国会での立法や「習律」(法律ではないが慣例として国家の運営に使われるルール)といった前例の集大成を「憲法」として、民主主義を作り出してきた国だからである。成文法の憲法ではない。前例を積み上げてきたルールの複合体が憲法と見なされてきたのである。とすれば、国民投票をどのように扱うか、国会での決議とどのように関係づけるかは、その対応のいかんによって、英国の将来の民主主義のあり方を縛ることになる。首相の懸念はそこにあるというのだ。「優先すべきは国の形か◆経済か」刈谷剛彦、『週刊東洋経済』H310223

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    • 「食べないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ」

      今、我が国では、医療従事者と家族が「延命至上主義」に走り、短絡的に医療を押し付けて、かえって、本人に無用な苦しみを与える過ちを犯しているのではないでしょうか。2000年の三宅島噴火で避難して来た認知症のおばあさんが、入所5年目を過ぎたころに誤嚥して肺炎を併発した時のこと。口から食物を摂取できないため経鼻胃管で栄養を補給したところ、島から来た息子さんが泣きながら私に訴えたのです。「島ではこんなことはしません。水だけそばに置いておきます。本人に生きる力があれば、自分で手を伸ばして水だけ飲んで1カ月は生きます」。それを聞いて私は思いました。自分たちが当然のことと思っていた医療行為が、いかに人の心を無視した一方的な押し付けであったかと。マツさんはもう水さえ受け付けません。目を覚ますことなく、いつまでも眠り続けました。そして10日後、まるで眠りの続きをまどろむように、そのまま静かに息を引き取りました。それは、初めて私が目の当たりにした自然な最期でした。私は感動しました。何もしないとこんなに穏やかに逝けるのかと。私は、この素晴しい自然の最期の仕組みは、まさに神の恩寵だと思いました。「食べないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ」という三宅島に伝わる考えを、私はマツさんの旅立ちに重ね合わせて、ここに真実があると知りました。自然死の場合は、〃自然の麻酔〃がかかるのです。徐々に食べなくなって、最期には水分も栄養も受けつけなくなって、眠って、眠って、苦痛なく旅立たれるのです。食べなくなるというのは、体の中の余計なものを片付け、捨てて、捨てて、身を軽くして天に昇るためなのだと知りました。水分をほとんど取っていないというのに、最期まで排せつがあるのですから。「『平穏死』を迎えるために延命至上主義からの脱却を」石飛幸三、『エコノミスト』H310229

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    • 世のため人のための「公益資本主義」を日本が先導する

      「公益資本主義」とは、第一に「会社は社会の公器」と位置づけ、「従業員、仕入れ先、顧客、株主、地域社会そして地球全体」といった、会社を成功に導いてくれる社中(仲間)に、事業利益を分配する資本主義です。最終的には世界中のすべての国に健康で教育を受けた中間層を作り、平和につなげたいと考えています。第二に持続性を志向する中長期的な経営を目指します。第三に中長期の発展のための事業創造には、企業家精神を常に喚起する社風が必要です。この三つが公益資本主義の理念です。私が育てた会社が世界的な大企業となり、90年代に何社も上場し、株主資本主義と衝突し始めました。研究開発のための内部留保さえしにくくなった。株主総会でファンド株主から「そんな金があるなら、配当しろ」と要求される。株価が2週間で2割下がろうものなら、自動的にクラスアクション(集団訴訟)で訴えられ、何度被告にされたか。04年に「デフタ・ブラックネットモデル」という方式を考え、バングラデシュに通信会社を設立しました。その株式は、我々が6割を持ち、4割は「BRAC」という農村部の教育や医療の向上を目指す現地NGO(非政府組織)が持つ。BRACは株主がいないので、4割分の配当はすべて農村対策に使える仕組みです。このモデルが翌年、世界銀行の年次報告で紹介され、多くの国で類似の事業形態が生まれました。内閣府参与として、例えば四半期決算廃止に向けた最初の行動として、決算短信の業績予想欄は17年春から任意記載となった。現在3700社の公開企業すべてが記載しなくてもよくなったので、実現すれば計2億時間の残業時間と8000億円の残業代が不要になると試算されています。これこそが本物の「働き方改革」だと多くの方々が指摘しています。欧米が変われば日本も変わるのだから、当面は現状でいいという考え方がありますが、植民地における被支配者のような発想です。21世紀の日本の使命は公益資本主義を体現し、率先して世界のモデル国家になることです。英米型の株主資本主義ではなく、中国型の国家資本主義でもない。新しい資本主義を、日本が今こそ提示するべきなのです。「欧米の先行く企業統治を」原田丈人、『エコノミスト』H310319

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  • 17Mar
    • 保守思想を鍛錬して国柄を守れ 文芸評論家・小川榮太郎

       平成は、保守大敗北の時代だつた。思想を系譜化し、文化防衛に理論的支柱を確立する事こそが、保守の核心であつたにもかかはらず、戦後日本がその点について余りにも無自覚だつたからではあるまいか。昭和27年1月、和辻哲郎は『日本倫理思想史(上)』を刊行した。和辻はその中で、古代以来明治に至る日本の思想を丹念に系譜化しながら、その根本原理を「尊王」に置いた。私心を滅する姿が天皇の権威となり、祭祀的統一として日本民族は成立したと和辻は説く。和辻によれば、この「無私」が日本民族の倫理思想のその後の基盤となつた。和辻による最強の文化防衛のテクストを得た筈(はず)の日本は、残念な事にこの著作を黙殺し続けたのだつた。版元の岩波は左派の母体と化し、岩波が和辻のこの代表作を文庫化したのは平成23年の事だ。一方、小泉信三、福田恆存らから始まる戦後保守論壇は、保守の地盤を思想史記述において積算してゆく着想が希薄だつた。昭和戦前のやうに「国粋」に傾斜しても、戦後のやうに「経済合理主義」に、平成のやうに「改革」に傾斜しても、それだけでは必ず破綻する。リアリズムが勝ち続けるには思想的基盤が必要だ。産経新聞『正論』H310311

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    • 国から10億円も貰いながら、軍事目的の研究を拒否した日本学術会議の身勝手さと理不尽さ

      平成29年4月、日本学術会議は軍事目的の研究を拒否した五十年以上も前の方針を「継承」し、「学問の自由」を理由として、軍事利用される恐れのある研究を規制することを大学や研究機関に求める声明を出した。「日本学術会議」は学術会議法という法律に基づいて作られ、政府予算(毎年約十億円)で運営される「特別な機関」である。その機関が、五十年以上も前の声明を持ち出し、政府の安全保障政策への協力を拒否するというのは尋常ではない。事の発端となったのは、防術省の「安全保障技術研究推進制度」。29年度からは前年の六億円から百十億円へと予算規模が大幅に増える。そのため事前の説明会には多くの研究者が詰めかけたという。いわばその制度の本格化を前に、多くが大学の研究者で構成される学術会議がNOという声明を出したというわけである。軍事用に研究開発された技術が民生用に使われる(スピン・オフ)例は数えきれないほどある。例えば、インターネットは今や社会インフラとなっているが、その原型となったARPANNETは核攻撃を受けても途絶えない通信網として開発された、文字通りの軍事技術である。また、必需品となったカーナビは衛星からの信号を受けて現在位置を把握するが、そのGPS(衛星利用測位システム)はミサイルの精密誘導のために開発された技術である。電子レンジは軍事用レーダー開発の副産物であり、コンピューターは(原理は別だが)暗号解読や弾道弾の軌道計算という軍事目的のために実用化され発展した。現代社会は軍事技術から生まれた民生技術に溢れていると言える。むしろ、米国などは軍事技術の開発を国全体で推進し、「それをスピン・オフにつなげ、自国の民間産業に恩恵をもたらす取り組みを、国防高等研究計画局(DARPA)という組織が象徴的に進めています」(桜林美佐氏)と言われている。一方、最近では民生技術の研究が急速に進み、民生技術から軍事技術が生まれるスピン・オンが当たり前ともなっている。日本の例をあげると、素材産業は日本の強みでもあるが、強くて軽い素材の典型と言われる炭素繊維は、最初は釣り竿やゴルフクラブに使われていたが、航空機の機体材料となり、今では戦闘機製造に不可欠な素材となっている。ロボットスーツHAL(ハル)は、神経難病患者のリハビリ補助器具として厚労省の予算で開発され、既に実用化され保険適用もされている。しかし、このHALは「健常な人間が装着すればその運動能力を幾倍にも増やすことが可能」、つまり装着すれば兵士のロボット化も可能な、まさに軍事転用可能な技術なのである。HALは中国からも引き合いがあるという。要するに軍事に関わるものはすべて戦争につながる「悪」だという、軍事忌避イデオロギーが声明の背景にあるために、こんな辻褄の合わないことになっていると言えよう。ちなみに、今度の声明をまとめた検討委員会の委員長である杉田敦法政大学教授は、「立憲デモクラシーの会」という、平和安全法制に反対し謹憲を主張する学者グループの呼びかけ人でもある。海外にも全米科学アカデミー、英国王立協会、フランス科学アカデミーといった学術団体はあるが、「軍事研究のあり方を議論したり大学などに慎重な対応を求めたりする例はほとんどない」(日経新聞・三月十三日)という。「『学術会議』声明が日本の安全を危くする」岡田邦宏、『明日への選択』H2905、日本政策研究センター http://www.seisaku-center.net/monthly 出版元のご厚意で、『明日への選択』の見本誌を無料でお送りいただけます。お申し込みは: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=457831

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    • 「従軍落語家」桂才賀さん

      落語家の桂才賀さんは、もう三十年以上にわたって少年院や刑務所の慰問活動をしていることで知られる。北海道から沖純まで通算千二百回近くを数える。普通の高座とは違い、謝礼はごく僅かで、交通費も宿泊費もすべて自腹。なかなかできないことだ。ある時、こんな思いがけない反響もあった。《札幌市を訪れた時、帰りの飛行機の時間が迫った。タクシーをつかまえ「空港まで。間に合いますか」と聞いた。運転手はじっと顔を見てこう返事をした。「何とかします」。タクシーは混んでいそうな道を避け、無事に高速道路に入った。車中で運転手はこう口を開いた。「私は以前、師匠の話を聞いたことがあるんです。少年院で。今はこうしていますし、子供もいるんです」。だから、ずっとやめられずにいる。才賀さんは九三年頃から歌武蔵さんや元海上自衛官で津軽三味線家元の太田家元九郎さんらと、芸で激励する「芸激隊」を結成し、自衛隊の慰問活動も行うようになった。その活動ぶりはこう評されている。《落合 芸激隊の皆さんがすごいのは、全国津々浦々、非常に小さいところにまで回っていることですね。自衛隊の駐屯地のなかには足を運ぶだけでも大変な僻地がたくさんありますから。北は稚内、松前から、南は硫黄島、マーカス基地(南鳥島)。壱岐、紀伊、由良といった、親部隊からもポッンと離れた、隊長以下わずか三、四十名という小さなところにまで、慰問に来ていただいている。本当はそうした小さな部隊こそ、慰問や激励をもっとも必要としているんです。》「百題百話」『明日への選択』H2910、日本政策研究センター http://www.seisaku-center.net/monthly 出版元のご厚意で、『明日への選択』の見本誌を無料でお送りいただけます。お申し込みは: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=457831

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  • 16Mar
    • 自らを見失って自死への道を歩む西洋の後を、日本も追っている。

      ダグラス・マレー『西洋の自死ー移民・アイデンティティ・イスラム』この若きジャーナリストが描き出すのは、まさしく移民社会の荒廃した現実である。そこで提示される風景は、移民によってもたらされる貧困と失業、移民によるユダヤ人の襲撃、強姦、女子割礼、少女の人身売買と頻発するテロ。ヨーロッパの文化的アイデンティティの崩壊と、それに対する極右の台頭など。「結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人はホーム家と呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう」ロンドンに住む「白人の英国人」に至っては、既に四四・九%と半数を割り込んでいる。二二○二年の世論調査で、六七%の英国人が、過去十年間の移民を「英国にとって悪いこと」だと答え、「良いこと」だと答えた二%を遥かに上回ろうとも、進歩的なエリートたちが、その結果に配慮するということはなかったのである。いや、それどころか彼らは、移民のマイナス面に頷いたり、移民反対の声に耳を傾けたりする者に対して、「心が狭い、不寛容、外国人嫌い、人種差別主義者」などのレッテルを貼りさえしたのだった。西洋の植民地支配、帝国主義的拡張、ホロコーストを引き起こしたユダヤ人差別などの歴史に対する欧州自身の歴史的自己嫌悪であるーその罪悪感によって自分自身に自信がもてなくなってしまった西洋人は、絶えず過去に対して謝罪しながら、ついには他者(移民)からの要求を拒絶することができなくなってしまった。はじめ「共同体」からの自由を唱えていたリベラリズムは(一七世紀)、次第に「伝統」からの自由を唱えはじめ(一八世紀)、ついには、「信仰」そのものからの自由を語りはじめるのである(一九世紀)。しかし、「信仰のための自由」が「信仰からの自由」に反転してしまえば、私たちが、その「自由」を使って守るべき価値(信仰)を見失ってしまうことは当然だろう。自己を見失った欧州が、移民を説得し、彼らを文化的に同化するなどということができるはずもなかろう。「歴史的罪悪感」を引きずり、「リベラリズム」に寄り掛かりながら移民に門戸を開いた日本が、緩慢な「自死」の道を歩いていないという保証はどこにもない。「日本の自死 暴走するリベラリズム」浜崎洋介、『正論』3104

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    • 渡部昇一:「日本を軽視することはできない」と思わせることが、国家間の友好における前提

      民主党の鳩山由紀夫幹事長も、中川氏の発言を受けて核保有論議を容認した麻生太郎外相に対し、「世界中から核をなくす運動のトップリーダーとして動かなければならない日本の外相発言に心から怒りを持つ」と大袈裟な非難をし、外相の罷免を要求したばかりか、「議論自体も日本国民として詐されない」と言い出すに至っては、「ちょっと待て、昔を忘れたのか」という失笑を禁じ得ない。 鳩山氏は党代表だった平成十一年、当時の西村眞悟防衛政務次官が核武装検討発言によって大バッシングを浴びた際、「議論すらいけないという発想もいかがか。非核三原則と対比しながら、日本はどういう防衛をすべきなのか、本質論をえぐる議論をしていきたい」と語ったのではなかったか。核論議を封殺することは、日本の核抑止力そのものを破壊することにつながるのである。クリントン政権(民主党)時代、当時のモンデール駐日大使が、尖閣諸島をめぐって日本と中国との間に紛争が生じた場合、尖閣諸島は日米安保の適用外であると発言し、日米間に浅からぬ不信感を醗成させたことは記憶に遠くない。これは「だから民主党はダメで共和党との付き合いが大事だ」というような問題ではなく、アメリカの時の政府が民主党であれ共和党であれ、日本はそれに左右されない強靭さを持つことが大切だ。クリントン大統領は、中国を「戦略的パートナー」と持ち上げて、江沢民国家主席の言いなりに″ジャパン・バッシング〃を繰り返したが、中国の出方次第でアメリカも揺れ動くという過去の事例を踏まえ、日本自らが、ある程度の実力を有することが不可欠なのである。そもそも相手がどんな国であれ、「日本を軽視することはできない」と思わせることが、国家間の友好における前提である。国家として核武装という選択をしたドゴール仏大統領は、アメリカの提供する核の傘はフィクションにすぎないと考えていた。彼はNATO(北大西洋条約機構)の司令官やケネディ米大統領を相手に「核の傘」の有効性について議論をし、フランスがソ連から核攻撃を受けた場合にアメリカがフランス防衛のためにソ連と核戦争をする、という軍事シナリオを具体的に示してほしいと迫ったという。そのときNATO司令官も、ケネディも、ドゴールを納得させられるような回答はなかった。ドゴールは、アメリカの核の傘にフランスの安全は委ねられないと決断したのである。「日本は唯一の被爆国なのだから持つべきではない」という意見を絶対的正義にしてはならない。それは、なぜ日本は被爆国なのかを考えてみれば分かる。日本は核を保有していなかったから核を使われたのである。「日本は、自国の安全のために核を持つ用意があることを選択肢として排除しない」少なくともこれくらいは明言して何の問題もない。そして、その能力を有する日本がこれまでその選択をしなかった意味を国際社会に考えさせるべきなのである。「『非核』信仰が日本を滅ぼす」渡部昇一、『正論』H2912

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    • 稲盛和夫「日本人の経営は国境を越えられる」

      私が米国で試行錯誤を重ねながら、経営を行ってきた中で経験した二つの例。そのことは私に、まさに日本人が大切にしてきた精神性や倫理観をベースとする経営が、米国でも可能であるということを実感させてくれたのです。また現在、この統括会社の傘下にある、いくつかの米国子会社の社長は、すべてこの会社でたたき上げで昇進してきた者ばかりであり、京セラは米国でも日本と同じように、「同じ釜の飯を食べ、苦楽をともにする」という関係をベースに、志を同じくする企業経営を行っています。米国、雇用スタイルの中にあって、京セラの企業哲学への深い共鳴と、会社に対する強い愛着心を抱き、長く京セラグループの経営の舵取りにあたってくれているのです。昨年度(二○○○年三月期)の売上高は合併前と比べると、四倍の約一六億ドルに増え、利益はなんと一二倍の約二億五○○○万ドルに拡大しています。「日本人の経営は国境を越えられるか」という命題に戻るならば、これまでのように、形だけ欧米のマネジメント・システムを取り入れるような、中途半端なものでは、決してできないと思います。欧米のマネジメント・システムの学ぶべき点は、徹底して取り入れることは当然ながら、日本の文化が育んだ、もともと日本人がもっている高い精神性や倫理観、つまり人間として普遍的に正しいと思われることを真正面から貫き通すことによって、初めて可能になると思うのです。「日本人の経営は国境を越えられるか(下)」稲盛和夫、『週刊ダイヤモンド』H310309

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  • 15Mar
    • 世論調査だけでは政治的決定はできない

      「世論(パブリック・オピニオン)」に初めて社会科学的メスを加えたW・リップマンは、「世論がすべての問題に決定を下すことができるし、また決定を下すだろうという考え方は、表面上はきわめて民主的である。しかし、実際上、それは民主政治を切り崩し、破壊する」と警告している.いわんや、「世論調査」が国民世論を的碓に反映していなかったり、特定のイデオロギー的立場から調査項目、内容を意図的に設定して調査結果を所望の結論に誘導していたとしたら、民主政治を破壊することになりかねない。現代の人文、自然科学は専門化が椒端に進んでおり.各分野の専門家も専門外については無知であり、一般国民と同様に群衆として行動する場合が多い。群衆心理学の祖と言われているG・L・ボンは、この群衆の特徴として次の諸点を挙げている。①衝動的で興奮しやすい、②暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、③感情が誇張的で、単純であるー等々である。日本人に限らず欧米の主要諸国での国民行動も、同様な傾向が顕著に見られる。京極純一教授「その時の世論の命ずるままに政策決定をしていれば、国民の生存と発展に最も適切な決定が常になされるそういう保障がありますならば、職業政治家の必要はありません」ある時点の国民の意思はある程度、世論調査で知り得るが、それは調査時点での国民の意思を反映したものにすぎない。政治も特定時点における最適政策ではなく、国家・国民の永続性を前提に考える必要がある。「政治運営は世論調査に依拠すべきか」吉原恒雄、『祖国と青年』H3006、日本青年協議会 http://www.seikyou.org/sokokutoseinen.html 出版元のご厚意で『祖国と青年』の見本誌を無料でお送りいただけます。お申し込みは: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=457863

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    • 「専守防衛」ではわが国は防衛できないこれだけの理由

      以前から専守防衛については、本土決戦を余儀なくし、国民に多大な犠牲を強いる愚策であることが、しばしば沖縄戦などを引き合いに指摘されてきた。果たして、専守防衛は真っ当な防衛政策と言えるのか。専守防衛はわが国の地政学上から見ても不合理な政策と言える。つまり、日本の地形は南北に長く東西に短いため、防衛上重要な縦深性に著しく欠ける。そのため、侵略国の攻撃を後退しつつ吸収し、機を見て反撃しようにも、東西の幅が狭いので、すぐに反対側の海に追い落とされてしまうこととなる。逆に、島国たる日本の地形を防衛上プラスに転じさせ得るのは、防衛線を前方に展開しやすいという利点を活用する方法だ,つまり、領域を大きく超えて海・空軍力を展開し、偵察・監視活動を行い、有事には侵攻軍を迎え撃つ態勢をとることで、縦深性の欠如を補うことが出来る。近年の軍事技術の発達によって防衛側よりも攻撃側が非常に有利になった現在、専守防衛はきわめて不利な結果をもたらすようになったことだ。つまり、核爆弾の登場で破壊力が桁違いに大きくなり、弾道ミサイルの出現で遠隔地に短時間で攻撃を加えることが可能となった上に、兵器の命中精度の格段の向上が加わり、今や「攻撃兵器優位時代」が到来している。専守防衛に基づく軍事力では抑止力が生まれ難い。相手に脅威を与えないような軍事力は、抑止力を全く生じない。専守防衛の下、日本は抑止力を自ら削いできたのである。専守防衛の下では、最終的に米軍の攻撃力によって日本を防衛するしかないということ。これは、日本は国家存立の重要なカギを米国に握られていることを意味している。換言すれば、専守防衛は「対米従属」を固定化する機能を有しているとも言えるわけだ。専守防衛が周辺国に「安心感」を与えてきたか否かは別として、それがわが国への「侮りの念」を助長してきたことは疑いない。近年高まり続ける中国や北朝鮮の対日脅威は、それを雄弁に物語ると言っていい。「いまや時代錯誤と化した『専守防衛』」小坂実、『明日への選択』H2910、日本政策研究センター http://www.seisaku-center.net/monthly 出版元のご厚意で、『明日への選択』の見本誌を無料でお送りいただけます。お申し込みは: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=457831

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    • 国民は知らずに自衛隊の頑張りにしわ寄せしている。これで、いざという時に十分戦えるのか?

      聞けば、部隊では隊員が生活する部屋にエアコンがなく、隊舎でも壊れて使えないものが多いようです。だから、隊員は夜も満足に寝られない。それだけ予算がないわけです。でも、自衛隊の方々はそういうことを外部の人に漏らしたりしない。自分たちの大変なところは極力見せないのです。まさに「やせ我慢」の精神で、それが自衛隊なのです。戦闘機を飛ばすためには、整備が欠かせません。滑走路に小石が一つ落ちていても大事故に繋がる恐れがあるので、一機飛ばすのに数十人で機体や滑走路の整備をします。スクランブルから帰って来れば、次の発進に備えてメンテナンスを行います。みんな二十四時間体制なのです。災害時は本来は消防なり警察が手に負えないという判断があって、最後に自衛隊に頼むという順序になっているのに、それが崩れているのではないか、と。ヘンな話、自衛隊に頼めばダダですからね。ー県や市町村など自治体は、自分の予算を使わなくても済むと。海外での自衛隊に対する評価はものすごく高いのです。これまで自術隊はカンボジア、モザンビーク、ゴラン高原、東ティモールなどに派過されてきましたが、どこのミッションに参加しても高く評価されてきました。それは結局、規律や任務に対する誠実さが誰の目にも分かるからだと思います。最近、南スーダンのPKO(国際平和維持活動)から自衛隊は撤収しましたが、自衛隊は地元の人たちにゴミの捨て方を教えたり、子供たちにサッカーを教えたりしています。もちろん、そうしたことは任務中はできないので休日を使うのです。いかにも日本人らしいですね。イラク派遣の際、自衛隊が宿営地に並べた車列の間隔が全部均等なので外国から驚かれたという有名な話があります。この規律の高さは「そういう部隊に手を出したら怖い」という抑止力にもなっていると思うのです。自衛官は転勤が多く、幹部の方だと定年までに二十回近く引っ越しをするそうです。でも、交通費以外の費用は、事実上自腹。消費税が上がる直前は引っ越し料金が高騰し、ボーナスをほぼ全部注ぎ込んだという方もいました。結局、自術隊がどれほど無理をしているかを知らないので、人員を増して休みがとれない環境を改めることもできないし、憲法に基づく法の縛りを解消させることへの理解も得られないでいると思うのです。「知られざる『自衛官の心意気』」桜林美佐、『明日への選択』H2910、日本政策研究センター http://www.seisaku-center.net/monthly 出版元のご厚意で、『明日への選択』の見本誌を無料でお送りいただけます。お申し込みは: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=457831

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  • 14Mar
    • 日本の弱みは愛国を軸にした知識人の育成と世界への展開といふソフト戦術面での極端な立ち遅れにある

      この「世界史的必然」としての新覇権文明・中国による日本の併呑-これこそが、端的に、今日本が置かれてゐる「危機」に他ならない。ところが、私は、日本の知識人がそれを、「危機」=「転機」として、明確かつ痛切かつ俊敏に自覚し、主体化してゐるとは到底思へないのである。とりわけ懸念されるのは、保守派の議論が、過度に、中国蔑視論、崩壊論に傾き続けてゐることだ。中国が親日的な民主国家に生まれ変はる可能性はない。全周を敵性国家、民族に囲まれた十五億人の多民族国家の統治が、西側民主主義で可能なはずがないからである。むしろ、軍閥を単位とした、混乱・分裂した中国になるであらう。経済力を持った北朝鮮が幾つもできるやうなものだ。日本は軍閥政府相互による恫喝と簒奪競争の対象になるであらう。さうならないためには、中国共産党の統治能力の安定こそが、日本の国益ではないのか。すると、日本保守派は中国共産党の安定化を応援しなければならないのではないか。しかし、言ふまでもなく、その中国共産党の長期戦略こそは、事実上の日本の属国化に他ならない。日本においては持続的な対外「危機」は白村江の戦ひまでであり、その後、我々にとっての「危機」は、日本の内部における権力争奪戦に限定されてきた。しかもその際、日本人は思想戦を一度も戦ってゐない。我々は、一方で極めてプラグマティックに権力構造上の処理をしながら、政変の究極の根拠を天皇に置くことで、「危機」に対処し続けたからだ。プラグマティズムと天皇理念ーこの往還で安定した国柄を生み出してきたのは日本の智慧である。だが、逆に言へぱ、我が国の天皇理念は長期的な対外戦争や終結の見込みのない他者との主権争奪戦を、一度も経験してゐない。知識人らの「思想」の営みが欠如してゐる中で、この安倍ドクトリンは、現実への有効な処方菱であるのみならず、外交思想としても高く評価されて然るべきであらう。しかし同時に、それが対処療法として生まれたものであり、世界史の現実に早晩追ひ越されるのは確実だといふ点も看過してはならない。相変はらず日本が負け続けてゐる核心も、ハードパワーによる尖閣の脅威や沖縄の情報工作といふ局所戦以前の、愛国を軸にした知識人の育成と世界への展開といふ、人間力そのものに勝負させるソフト戦術面での極端な立ち遅れにあるのではないか。現に、米・欧・中・日といふ世界の四軸の一種でありながら、世界論壇における日本の存在感は無に等しい。「『危機』と『知識人』」小川榮太郎、『正論』H3003

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