大宰府天満宮
NHK教育で続いている『知るを楽しむ
』のシリーズは、様々なテーマを扱っていて面白いものが多く、目下放送中の民俗学者小松和彦氏による「神になった日本人」はその一つです。神に祀られる人というと生前の事跡で尊ばれる人を考えるのが自然ですが、日本の場合は生前に志を得ず怨みを残して死んだ者が、この世の人に祟りをもたらさないように祀られることも多いとされています。8回の放送のうちそれがはっきりしているのが崇徳上皇、後醍醐天皇、西郷隆盛で、若干自然発生的な部分もあるがそれに近いのが佐倉惣五郎です。つまりほぼ半分のケースで怨霊が神とされることにより封じられているのです。御霊信仰という言葉もあって、丸谷才一氏が『忠臣蔵とは何か
』で使ってよく知られるようになりましたが、この本では無念に死んだ浅野内匠頭の怨霊を吉良上野介の首を取ることにより鎮めたとされています。神社なりに祀ることと、一回性の行動で鎮めることは違うようですが、それは怨霊の主体の「格」によるとも考えられます。
父ないし祖父が首相である首相が、何故ああも揃って短期間で政権を放り出したのには、この御霊信仰がかかわっているのではないかと、この番組を見るうちに考えるようになりました。もう一つの契機は谷川健一氏の『昭和天
皇伝説
』という本に、敗戦の際に自殺した近衛文麿についての記述があったことです。近衛はポツダム宣言が発表された時に天皇は退位すべき、自決するのがよいと発言していたと言われ、その以前から自由主義者・平和主義者をもって自任し、またマッカーサーから「公が中心となって、帝国憲法を改正してほしい」と言われたそうで、それがその2ヵ月後に逮捕命令が出されたことは非常に心外であったようです。その十日後に服毒自殺したのですが、その遺書には「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、」その故にこそ「日米交渉に全力を尽くした」とありました。近衛の女婿で首相秘書官も勤めた細川護貞が首相となった護熙の実父であったことは先に書きました。近衛の心境について護熙が護貞からどのように聞いていたかは知りませんが、末期の近衛に怨念を感じたこと、それは晴らすべきであると考えたことは想像できます。そして、本人もおそらく望んでいなかった首相の座に着いたとき、明確に意識はされていないにしろ、鎮魂行動が一段落したと感じたのではないでしょうか。一時の高揚の時期をすぎると、首相として果たさねばならない数多くの些細な行動はひたすら面倒であったに違いなく、まもなく首相の座の放棄につながるのです。細川氏にとっての鎮魂行動は、本人が首相になることをもって完結したのではないでしょうか。その後議員をも辞したのは、この想定を裏付けます。
安倍氏の場合かかえていた怨念は祖父岸信介首相の安保改定後の辞任と、中曽根氏の後継者とされながら竹下氏にその座を奪われ、岸氏の女婿である父晋太郎氏をやがて見舞った病死です。岸氏の場合は首相としての在職年数は佐藤、吉田、小泉、中曽根、池田に次ぐ戦後第6位の1241日で、平均以上の長さだったのですから、辞職に至ったことに怨念を持つのは贅沢としか言えませんが、家系によってはそうなのでしょう。ただ、安保改定に当たっての強引な手法で岸氏は単に不支持率が高いというだけでなく、積極的に国民に憎まれた存在であったので、当時六歳程度の幼年の安倍氏が、親族からの刷り込みも加わって怨念を持つようになり、その後もそれを育んでいたことは後の言動を見ても想像できます。また父晋太郎氏が志半ばで病に倒れたことも、晋三氏は父の怨念として感じていたかもしれません。本来ならば晋三氏が首相になることによってこれら複数の怨念は鎮められ、一年後の政権投げ出しに通じるわけですが、その理由を政策の行き詰まりでなく自身の病気としているのを見ると、今後も本人及び後継者が怨念をもち続けるつもりとも思われます。早く山口県に岸神社でも造営して、一族が安心立命の境地となることを望みたいと思います。
目下のところは最期の例である福田首相ですが、これは取り立てて失政もなかったと言われ、退任の前には日中平和友好条約に調印していた父の福田赳夫首相が、総裁選の予備選で田中大平連合軍に大差で敗北し、予想外の辞職となったのは怨念となったかもしれません。これは翌年日本で開催されるサミットにホストとして参加できなくなったことも意味していたので、昨年の北海道サミットを主宰したことで、福田首相が積年の望みを果たして上機嫌であったというのは報道された通りです。福田氏の性格として父親の怨念を静めたというまでの意識はなかったかもしれませんが、念願を果たしたことが気力に影響し、ちょっとした逆境に耐えられずに政権を放り出すようになったのは納得できます。本人は自民党のためによいタイミングで辞任したと語っているようですが、これも福田氏の性格がそう言わせているので、広く見れば福田氏も父祖の怨念を晴らした後は抜け殻になったということは疑いのないところです。
最後に戦後の首相の中でのトップ・ブランドである吉田首相を祖父とする麻生氏が、めでたく首相の座に着くとして、その予後はどうでしょうか。どうも麻生氏の場合は、首相の孫ということにはこだわらないポーズをとりそうです。もちろん他の三人も表面的には祖父や父のことにこだわったというのではないですが、麻生氏の場合はそのこだわらないというポーズが、ポーズであるとありありとわかるものになるのではないかと予想されます。「僕は昔から金持ち」などと口にしているそうですが、「僕は昔から偉いんだから」と、まさか言いはしないでしょうが、そういう態度で通すような気がします。吉田氏は引き際の頃は相当評判を落としましたし、在職中も首相として受けて当然のいろいろな悪罵を受けました。吉田氏の首相時代に麻生氏は八歳から十四歳程度で、母親は吉田氏に付きっ切りだったようですし、いろいろな機会に世人による吉田氏の扱いに不満を覚えたかもしれません。それでも引退後の吉田氏への評価は確立しているようなものですし、麻生氏が怨念を感じることはあまり考えられません。では麻生氏の場合これまでの三人とは違って政権投げ出しはないか? 総選挙の結果として投げ出す前に辞めざるをえない可能性も高いのですが、もし首相を続けられるとしても、比較的短い在任期間の後に突如辞任ということは十分ありうるでしょう。首相としての麻生氏が吉田首相をモデルとしてやっていくことは、これはもう好むと好まざるとにかかわらず避けられないことですが、それは自分の能力なり器なりを、先人の業績と常に対置していかねばなければならないことを意味します。そして行き詰った場合にはそのことに耐えられなくなって政権を投げ出す、これは考えられます。仮に衆院選で勝利を収めていても、「ねじれ国会」の状態は変わらないので、そうなる可能性は低くないでしょう。これが私の予想です。
☆御霊と ゾンビーがいて 人でなし
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