廃区置藩
小泉元首相が引退し、後継者に27歳の次男を指名したというニュースを知り、周囲がそれを当然のこととして受け取っているようなので、とっさに考えたのは「神奈川11区というのは、私有財産か」ということでした。それまでの中選挙区制が今の小選挙区制に変わった際に、「小選挙区の一つ一つに大名家が生まれかねない」と書いてあったのを思い出しますが、その危惧は当たったようです。私にとって小泉氏の引退は、その業績の功罪や今後の政情への影響もさることながら、日本の政治が二世・三世によって行われる傾向を促進することにならないか、という面で問題なのです。二世・三世は生の世間を知りません。彼らの中には有能な者も少なくないことは認めますが、一旦トップの地位につくと限界を露呈するのは最近続けさまに目の当たりにしたところです。おまけに、事態はそれどころではなく、日本、少なくとも自民党では、能力において欠けるところのある者ですら、二世・三世であることをもって責任ある地位につきやすい。
こういう視点からマスコミは小泉氏が次男を後継者に指名したことにスポットを当てるべきですが、今朝の7~8時に主要な新聞や通信社のサイトを一覧すると、見出しに後継者の件を入れていたのは、以下の4件のみでした。
小泉元首相が引退表明=衆院選に出馬せず、後継は次男 [時事ドットコム]
「後継者は進次郎だ」小泉元首相、27歳の次男を指名[ 朝日]
ただしこれは私の家に配達される東京14版にはありませんでした。
小泉元首相:次男を後継に 「やはり人の子」「がっかり」 [毎日]
小泉元首相が政界引退 次期総選挙は二男を後継に、後援会の会合で表明 [産経]
読売、日経と共同には後継に触れた見出しはないようです。以上の見出しのうち三つは後継の件を見出しにあげてはいますが、内容も含めて世襲についての批判はありません。例外なのは毎日のもので、見出し自体が批判色を押し出したものですが、記事ではさらに松沢成文・神奈川県知事の、「小泉さんは派閥政治を否定し、日本政治を変えようとした。世襲政治にも一線を引く潔さがあれば株が上がったのではないか。やはり人の子だったのか」という苦笑まじりの談話を採録しているあたり、辛うじてジャーナリズムが生き残っている姿を見せています。
もっとも、見出しは【小泉元首相政界引退】「信念貫いた」「功罪ある」政界の反応は様々 と穏当な産経の記事にも、小泉氏が次男を後継指名したことにより、自民党の世襲批判が強まる可能性もあるとして、ある閣僚経験者の言葉として「もはや衆院選を先送りしても事態が好転することはない。審議入りをせずに一気に解散した方がいい」というものを引用してます。産経といえば政府・自民党寄りという定評がありますが、時にはこのような他のマスコミには出ないが常識的な視点を示すことがあり、普段が普段だからということで、内容に迫力を与える結果になっています。
なお、以上より遅れた報道ですが、小泉氏引退「前から話あった」=麻生首相 [時事]という報道があります。多くの政治家の「前から聞いていた」には強がりが多いでしょうが、いくら何でもこれはうそではありますまい。ちょっと目を引くのはその後半に「次男の進次郎氏が後継者に予定されていることに関しては『お父さんと違って普通の人よ。奇人とか変人じゃなくて普通の人。有能だと思う』と述べた。」とあることです。本人が五代目だそうですから、これは勿論世襲を批判しているのではありませんが...とすればこういう軽口をたたくしかないでしょう。「悪貨は良貨を駆逐する」の好適な例です。それにしても「有能だと思う」程度の27歳の人物に、あっさり国会議員になられてはたまったものではありません。
テレビのある解説によれば、今のように対立候補も出ていない状況で引退を声明し、後継者を指名するのはたいへんタイミングのよいやり方で、これは因習的なものでもあるそうです。小泉純一郎というのは本当にとんでもない人間です。自民党をぶっ壊すといいながら、実際にぶっ壊したのは国民生活であることは今さら言うまでもありませんが、方便としてでしょうが「改革」を言いながら、実際は古いテクニックを用いて小泉家の安泰を図るとは、本人自身が改革され、ぶっ壊されてしかるべき存在であるとしか言えません。
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義理堅く繊細、ときに失言
タイトルは昨23日の朝日の政治解説欄の「麻生・自民新総裁の人となり」の縦見出しです。その内容とこれまでの情報からは、むしろ「身内には義理堅く、神経質、ときに失言、暴言も」の方が妥当だと思いますが、全体をリンクできないのは残念です。聞いてみると朝日はニュース以外はサイトに出さない方針だそうで、「解説・コラムは紙の方でお読みください」みたいな回答でした。「サイトで出てこないので誰かの不確かなコピペを参照したりする」とも書いておいたのに、それはかまわないようです。
麻生氏に関しては書きたいことは他にありますが、とりあえずは「新総裁」の挨拶 。まずは自分が補佐役をつとめた首相が二代続けて政権を放り出し、不安を与えたことに対して、国民と党員に対する謝罪がひょっとしたらあるかと思っていたら見事にゼロ。まあこれは想定内として、「思い返せば130年前の9月22日、吉田茂が生まれております。68歳 ……。おととい私も68歳になりました。今天命と申し上げるのは我々は自由民主党として政権政党として次なる総選挙において断固民主党と戦っていかねばならんのだと思っています。私も選挙に勝って初めて天命を果たしたと言うことになるんだと存じます。」これにはびっくりしました。
ただでさえ二世三世の政治家に対する疑問の声が盛んだというのに、祖父の吉田首相に自分をなぞらえるようなこの言い方は、あまりにも挑戦的であり、麻生氏がどうしようもないお坊ちゃんであることを証明しているようです。本人にしてみれば「言ってやった」とご満足かもしれませんが。この点についての批判があまりないようですが、あるいはこういう発言も想定内の人が多いんでしょう。無反省を反映してか、新内閣も18名のうち11名が二世・三世。県議の息子も二人いるから、純粋に非世襲なのは5人だけです。二・三世と「お友だち」で固めた内閣ではアピールするわけもなく、最後に「昔の光いまいずこ」と荒城の月を肩を組んで歌うことになるのは今から覚悟していて、メンバーを揃えたということなのでしょう。
しかしそれより問題なのは記者会見 の終わりごろの発言で、これを追求したものはまだ見ていませんが、総裁当選後の失言第一号ではないでしょうか?
いわゆる今役人の話やら何やらがいっぱい出ます。とんでもない話がいっぱいありますから、少なくとも年金の話をどっか改ざんしたなんて、これは制度やシステムの話でなく、これは個人の犯罪ですからこんなものは。僕はそういったものはきちんと対応しなくちゃいかんというようなことをやる。
どこをどう考えればこういう風に言い切れるのか理解できません。年金改ざんの件は散発的に起こっているわけではない。改ざん以外の問題もいくらでもあります。またそれらはいずれもある時期にだけ起こっているわけではありません。とんでもない所業に手を染めたのが仮に個人であるとしても、そういう個人が跋扈するのを許したのは制度やシステムのせいではないでしょうか? 上司の命であったという話も伝わっています。個人の犯罪を長期間見逃していた上司の責任は問題にしないというのが麻生流なのかもしれません。生家の事業の経営では成功しなかったと言われる麻生氏が、管理者に甘いのはよく理解できますが、そんなことを理解してやらねばならない人に首相など任せたくありません。
組織や制度やシステムの犯した誤りを、個人の責任、それも現場の個人の責任に収斂させて片付けるということは、日本ではこれまで数限りなく行われてきました。しかし責任ある地位につこうという時から、個人の責任を先に槍玉にあげると宣言した麻生氏のようなのは、さすがにあまり聞いたことはありません。マスコミと野党はすぐにこれを取り上げ、麻生氏が首相に不適なことを明らかにすべきと思います。
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自民党総裁選-補遺-世襲の矜持
フランスのニコラ・サルコジ大統領の次男が、今月10日に挙げた結婚式の写真を無断で掲載したとして、写真週刊誌2誌を訴えたという記事 を読んで、この大統領の最初の妻との間の子が22歳で県議であると書いてあるのに気づきました。そしてとっさに考えたのは、国政進出を目指しているというのに、父親が大統領になって空いたであろう国民議会の議員になっていないのは偉い、というものでした。
これは相当早とちりだったので、まず22歳では国民議会議員の資格がないかもしれない。この年齢では日本では県議も駄目のはずです。さらにサルコジ氏の大統領就任は昨年5月ですが、それ以来国民議会の選挙が行われていないかもしれないし、補欠選挙もなかったかもしれない。しかしこれらの思案は甘かったので、次男のジャン氏が県議であるのはパリ郊外オー・ド・セーヌ県。一方移民二世である父親のニコラ氏の政治家生活のスタートはウィキによればヌイイ・シュル・セーヌ市の市会議員からで、後に同市の市長に当選し、さらにその職のまま国民議会の議員に選ばれています。そしてそのヌイイ・シュル・セーヌ市はオー・ド・セーヌ県の主都だということです。
何のことはない、サルコジ氏はフランスの大統領には異色の新保守主義者、新自由主義者で親米派だというのもウィキの記述ですが、なるほど臆面もない地盤・看板の世襲は、日本の同類の政治家たちと選ぶところがありません。感心しかけて損をしたというものです。目下はまだ県議であるのも、先に考えたような年齢等の条件が揃わないからなのでしょう。もっともフランスでは国民の政治意識によって、これ以上のステップ・アップは必ずしも楽ではないかもしれません。それでも父親の議席が空けば、サラリーマンをしていようが役人であろうがいきなり後釜を狙って、高い確率で当選するという日本の現状を考えると、二代目であっても地方議員からスタートするというのは、かなり健全だとも言えるでしょう。
昨年9月に「世襲 」というタイトルでしたが、イギリスで女高生が総選挙に立候補するが、当選すれば五代目の議員になると言う記事を紹介したものです。この一族の議員は労働党であったので、議会政治の祖国といわれるイギリスにも世襲議員はいるじゃないか、しかも労働党に、と言う人がいるかもしれないが、実はイギリスでは日本と違って地盤の継承はなく、党の決めた選挙区に出馬しなければならないことになっていると書きました。
最近知ったのですが、イギリスでこのように地盤の継承は不可というのは法的にも決まっていることだそうで、それを取り入れて民主党が同一選挙区の世襲を封じる選挙法改正を考えているそうです。賛成です。この法案は憲法の職業選択の自由を侵すとかで民主党の党内からストップがかかっているそうですが、この論法でいくと、たとえば国や地方の公務員が選挙に立候補する時、職を退くことになっているのは憲法違反ではないのかと思います。当選したら兼職できないのは当然ですが、落選すれば元の職を続けてもいいのではないでしょうか。もちろん選挙にあたり公務員としての地位利用は厳重に取り締まるべきですが。なお、民主党の小沢氏がこれまでの岩手の選挙区でなく、別のところから立候補するという話があります。岩手の選挙区は世襲ですから、前記の世襲禁止法を意識しているのだとは誰も言いませんが、それも考慮したうえでのことである可能性はありうると思います。
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狗頭を隠して狗肉を売る
「保存料使ってない」コカ・コーラCMに添加物協会抗議
コカ・コーラの広告で「保存料も人工香料も一切使っていません」とうたっている日本コカ・コーラ(本社・東京都渋谷区)に、日本食品添加物協会(東京都中央区)が「消費者に誤解を与える」として抗議の質問状を送ったことがわかった。保存料や別の添加物が入った商品があるため、同社は「表現を変えることも考える」とし、近く協会に回答や説明をする予定。
協会は、食品添加物の理解を広める目的でメーカーなどが作る業界組織。問題視しているのは8月から全国に流れている広告だ。「1886年の誕生以来、保存料も人工香料も、一切使っていません。いままでも、ずっとこの先も」との一文がテレビCMで流れ、街頭の大型看板にも書かれてある。
日本コカ・コーラによると、最も古くから販売している赤いラベルの「コカ・コーラ」には天然の香料や、カラメル色素、カフェイン、酸味料といった添加物は入っているが、保存料は入っていないという。だが、姉妹品の「コカ・コーラ・ゼロ」と「ノーカロリー・コカ・コーラ(ライト)」は保存料入りで、ラベルにも表示している。
協会が電子メールで質問状を送ったのは今月2日。広告文面の意図と根拠を科学的に示すよう求めている。
協会は「すべてのコカ・コーラに添加物を使っていないかのように思わせてしまう」(広報担当)と懸念。「食品衛生法で使用が認められている保存料や合成(人工)香料についても、『体に悪い』といった印象を与える。業界全体へ悪影響を及ぼしかねない。不当表示ではないか」と主張している。
不当表示などを取り締まる公正取引委員会は「『全商品に保存料はなし』などと消費者が誤解するようならば、景品表示法に抵触する可能性がある」としている。
同社は朝日新聞社の取材に対し、「保存料、香料が安全ではない、ということを訴える広告ではない。しかし誤解を呼ぶなら、表現を変えることも考えねばならないかもしれない。協会とは話し合いで解決したい」と話した。(Asahi.com 9月13日 )
コカ・コーラと添加物協会が協議、結論持ち越し
Yahooニュースでは検索に引っかからないものです。Asahi.comは他より消えるのが早い感じなので、最初の方は全文コピーです。もしクレームがあれば書き直します。
私が気づいたのはまずCMで見かけ、そのすぐ後で大看板を見て「これは?」と思いました。「コカ・コーラは保存料も人工香料も一切使用していません。 」というのを見てまず考えたのは、「あれ? 人工甘味料は?」というものでした。ダイエット・コーラにアステルパームなる人工甘味料を使っていると聞いていたからです。検索すると 今でも使っているコーラ製品はあるのですね。つまり、原料、保存料、香料、甘味料と分けて、保存料と人工香料は使っていないということを言いたい宣伝で、その限りではウソは言っていない、ということだなというのが私の感想でした。
ところが検索の過程で冒頭の記事を見つけ(朝日はとっていますが、見た記憶なし)、なるほど立場が違えば突っ込みどころも違うのだなと思いました。日本人口甘味料協会というものがもしあれば、「我々の製品が多量にコカコーラ製品に使われているのが無視されている」と、クレームをつけたいかもしれません。また「すべてのコカ・コーラに添加物を使っていないかのように思わせてしまう」というのももっともで、現に私もそう受け取りました。
まあ宣伝とはこういうものでしょう。そして社会的な視野をもつ能力を失って、こういうCMでよしとする人たちは、広告会社が筆頭ですが、むしろ反社会的な存在になりつつあるのではないでしょうか。そしてあらゆる局面で不都合な面は隠し、好都合な面、差しさわりのない面だけを押し出すことに、誰もが後ろめたさを覚えなくなるのです。
いい例が経団連の発表した08年の政策評価 で、10項目のABCD評定で自民党はA評価が「合致度」が7、「取り組み」が3、「実績」はさすがに0。一方の民主党はいずれにもAはなく、「実績」は政権持たないとして評定していませんが、自民にないD評価が6もあります。まあ、これは誰しも眉に唾をつけてみる仲間褒めですが、大事な項目がはじめからないことは気がつきにくい仕組みになっています。つまり、「政治倫理」「政治資金と選挙制度」それに「行政改革」すらないのです。最後のものは経団連にとっても重要なはずですが、政官財癒着に抵触するので外したのでしょうか。
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自民党総裁選-4-永田町の御霊信仰
大宰府天満宮
NHK教育で続いている『知るを楽しむ
』のシリーズは、様々なテーマを扱っていて面白いものが多く、目下放送中の民俗学者小松和彦氏による「神になった日本人」はその一つです。神に祀られる人というと生前の事跡で尊ばれる人を考えるのが自然ですが、日本の場合は生前に志を得ず怨みを残して死んだ者が、この世の人に祟りをもたらさないように祀られることも多いとされています。8回の放送のうちそれがはっきりしているのが崇徳上皇、後醍醐天皇、西郷隆盛で、若干自然発生的な部分もあるがそれに近いのが佐倉惣五郎です。つまりほぼ半分のケースで怨霊が神とされることにより封じられているのです。御霊信仰という言葉もあって、丸谷才一氏が『忠臣蔵とは何か
』で使ってよく知られるようになりましたが、この本では無念に死んだ浅野内匠頭の怨霊を吉良上野介の首を取ることにより鎮めたとされています。神社なりに祀ることと、一回性の行動で鎮めることは違うようですが、それは怨霊の主体の「格」によるとも考えられます。
父ないし祖父が首相である首相が、何故ああも揃って短期間で政権を放り出したのには、この御霊信仰がかかわっているのではないかと、この番組を見るうちに考えるようになりました。もう一つの契機は谷川健一氏の『昭和天 皇伝説 』という本に、敗戦の際に自殺した近衛文麿についての記述があったことです。近衛はポツダム宣言が発表された時に天皇は退位すべき、自決するのがよいと発言していたと言われ、その以前から自由主義者・平和主義者をもって自任し、またマッカーサーから「公が中心となって、帝国憲法を改正してほしい」と言われたそうで、それがその2ヵ月後に逮捕命令が出されたことは非常に心外であったようです。その十日後に服毒自殺したのですが、その遺書には「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、」その故にこそ「日米交渉に全力を尽くした」とありました。近衛の女婿で首相秘書官も勤めた細川護貞が首相となった護熙の実父であったことは先に書きました。近衛の心境について護熙が護貞からどのように聞いていたかは知りませんが、末期の近衛に怨念を感じたこと、それは晴らすべきであると考えたことは想像できます。そして、本人もおそらく望んでいなかった首相の座に着いたとき、明確に意識はされていないにしろ、鎮魂行動が一段落したと感じたのではないでしょうか。一時の高揚の時期をすぎると、首相として果たさねばならない数多くの些細な行動はひたすら面倒であったに違いなく、まもなく首相の座の放棄につながるのです。細川氏にとっての鎮魂行動は、本人が首相になることをもって完結したのではないでしょうか。その後議員をも辞したのは、この想定を裏付けます。
安倍氏の場合かかえていた怨念は祖父岸信介首相の安保改定後の辞任と、中曽根氏の後継者とされながら竹下氏にその座を奪われ、岸氏の女婿である父晋太郎氏をやがて見舞った病死です。岸氏の場合は首相としての在職年数は佐藤、吉田、小泉、中曽根、池田に次ぐ戦後第6位の1241日で、平均以上の長さだったのですから、辞職に至ったことに怨念を持つのは贅沢としか言えませんが、家系によってはそうなのでしょう。ただ、安保改定に当たっての強引な手法で岸氏は単に不支持率が高いというだけでなく、積極的に国民に憎まれた存在であったので、当時六歳程度の幼年の安倍氏が、親族からの刷り込みも加わって怨念を持つようになり、その後もそれを育んでいたことは後の言動を見ても想像できます。また父晋太郎氏が志半ばで病に倒れたことも、晋三氏は父の怨念として感じていたかもしれません。本来ならば晋三氏が首相になることによってこれら複数の怨念は鎮められ、一年後の政権投げ出しに通じるわけですが、その理由を政策の行き詰まりでなく自身の病気としているのを見ると、今後も本人及び後継者が怨念をもち続けるつもりとも思われます。早く山口県に岸神社でも造営して、一族が安心立命の境地となることを望みたいと思います。
目下のところは最期の例である福田首相ですが、これは取り立てて失政もなかったと言われ、退任の前には日中平和友好条約に調印していた父の福田赳夫首相が、総裁選の予備選で田中大平連合軍に大差で敗北し、予想外の辞職となったのは怨念となったかもしれません。これは翌年日本で開催されるサミットにホストとして参加できなくなったことも意味していたので、昨年の北海道サミットを主宰したことで、福田首相が積年の望みを果たして上機嫌であったというのは報道された通りです。福田氏の性格として父親の怨念を静めたというまでの意識はなかったかもしれませんが、念願を果たしたことが気力に影響し、ちょっとした逆境に耐えられずに政権を放り出すようになったのは納得できます。本人は自民党のためによいタイミングで辞任したと語っているようですが、これも福田氏の性格がそう言わせているので、広く見れば福田氏も父祖の怨念を晴らした後は抜け殻になったということは疑いのないところです。
最後に戦後の首相の中でのトップ・ブランドである吉田首相を祖父とする麻生氏が、めでたく首相の座に着くとして、その予後はどうでしょうか。どうも麻生氏の場合は、首相の孫ということにはこだわらないポーズをとりそうです。もちろん他の三人も表面的には祖父や父のことにこだわったというのではないですが、麻生氏の場合はそのこだわらないというポーズが、ポーズであるとありありとわかるものになるのではないかと予想されます。「僕は昔から金持ち」などと口にしているそうですが、「僕は昔から偉いんだから」と、まさか言いはしないでしょうが、そういう態度で通すような気がします。吉田氏は引き際の頃は相当評判を落としましたし、在職中も首相として受けて当然のいろいろな悪罵を受けました。吉田氏の首相時代に麻生氏は八歳から十四歳程度で、母親は吉田氏に付きっ切りだったようですし、いろいろな機会に世人による吉田氏の扱いに不満を覚えたかもしれません。それでも引退後の吉田氏への評価は確立しているようなものですし、麻生氏が怨念を感じることはあまり考えられません。では麻生氏の場合これまでの三人とは違って政権投げ出しはないか? 総選挙の結果として投げ出す前に辞めざるをえない可能性も高いのですが、もし首相を続けられるとしても、比較的短い在任期間の後に突如辞任ということは十分ありうるでしょう。首相としての麻生氏が吉田首相をモデルとしてやっていくことは、これはもう好むと好まざるとにかかわらず避けられないことですが、それは自分の能力なり器なりを、先人の業績と常に対置していかねばなければならないことを意味します。そして行き詰った場合にはそのことに耐えられなくなって政権を投げ出す、これは考えられます。仮に衆院選で勝利を収めていても、「ねじれ国会」の状態は変わらないので、そうなる可能性は低くないでしょう。これが私の予想です。
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自民党総裁選-3-志か売名か
石原氏は慎太郎の息子で裕次郎の甥ということをウリにして政界に出たはずで、総裁戦に出るような志があったとは意外でした。小泉氏に引き立てられた時も、もっぱら小泉氏の意向を忠実に実行したという印象しかないのですが、いつの間に総裁を狙う位置についていたのでしょうか? しかも「上げ潮派」として同類とされる小池氏も立候補するというのに。そこで、これは私の憶測ですが、父慎太郎氏が東京私物化計画の一環として勧めたのではないか。都知事の後を伸晃氏に継がせ、元の選挙区は宏高氏に継がせ、石原家を不滅にする目論見があると伝えられています。そのためのハク付けとして総裁戦に立候補させておくというのが、慎太郎氏の進める戦略だと解すれば、まず勝ち味ない戦いに名乗りを上げたのもわかるというものです。
◎上皇の 祟りは未然に 封ずべし
ひょっとすれば支持するかもしれないというもう一人は石破氏です。二世ではありますが、仮にでも支持したいのはもういないし、先代の「格」から言って許容範囲ということにしましょう。石破氏を見直したのは防衛相のときのイージス護衛艦「あたご」と漁船の衝突事件で、窮地に陥りながらも辞任せず、一方内閣改造のときには留任を懇望されながら辞任したことです。並の大臣なら辞めたと思いますが、あそこで踏みとどまったのを評価したくなるのは、最近の総理大臣を見てもわかるでしょう。軍事オタクと言われるようにプラモデルなどにも熱心ですが、それだけでなく軍事政策通で、一方では徴兵制に原則賛成だが実施は反対。理由はハイテク兵器を一般人には扱えないからというのは合理的です。他にも教育基本法に愛国心を明文化するのに反対し、第二次世界大戦が日本の侵略戦争であることを認めるなど、国防族としてのイメージとは距離のある意見を明らかにしています。保守派の人間ではあるが、考えが合理的で筋が通っている人には好感を持ってしまうのが私の弱点ですが、究極の判断を迫られた場合、石破氏は考慮する価値ありと思います。
◎便乗で ないオタクなら 見所あり
山本一太氏の顔は何となく見慣れています。CMでよくお目にかかるが、名前は知らないというタレントとほぼ同格です。こちらは名前を覚えられている点が格上のあかしでしょうか。最近まではてっきり秘書か新聞記者出身で二世ではないと思っていたので、調べてみてびっくりしました。何事をするにも汲々しているという感じのせいでしょう。小泉、安倍、福田と、三代の首相の応援団長、それも押しかけ応援団だったそうですが、今回自立したのは自分の応援にふさわしい候補はいないと見極めをつけたからでしょうか? それとも巷間噂されるように売名なのでしょうか? 推薦人の人数が足りないので、もう一人のサプライズ候補である棚橋氏との連合も噂されています。うまく(?)いけば四代続けての応援団長になれるかも。
◎今回は 自分を押し出す 勝手連
棚橋氏という議員候補がいたことは知っていましたが、それが今では4回当選して、若手議員のリーダー格になっているのだとは驚きでした。名を知っていたのは通産省を辞める直前に課長補佐の肩書きを得たが、これは当時通産次官で実力者と言われた父親が、衆院選に立候補する息子のハク付けのために影響力を発揮した人事であったという話を聞いていたからです。これは噂であり、今さら本当だったかどうかといってもあまり意味はありません。しかしその時期の昇進は事実であり(通産省はその時期に昇進人事をよく行うのか知りたいところですが)、選挙に出る前の昇進であれば、当然そのポストは名ばかりで働く期間もないわけで、ハク付けと言われてもちょっと抗弁はできない。普通の感覚ならそこまで考えて昇進は辞退するものでしょうが、それをしなかったというのは閉鎖社会の論理に従っていたのか、あるいはよほど鈍感だったと思われます。いずれにしても総裁選の候補者としては首をかしげるしかありません。
◎餞(はなむけ)の 票は望めぬ 総裁選
ここまで、各候補の政策には与謝野氏を除いてほとんど書いていません。与謝野氏の項にしても本人の政策ではなくこっちの希望みたいなものです。まだまとまったものが公表されていないせいもありますが、同じ政党内での総裁選である以上、結局は印象で決めるしかないという気持もあるからです。とくに外野からはテレビ上の外観と、報道と噂から自分なりに作るイメージしか材料がありません。これを書いているうちにあの杉村太蔵議員が与謝野候補の押しかけ推薦人になるとか、武部元幹事長が与謝野氏は小泉改革を継承していると発言するとか、小泉チルドレンが秋波を送っているようです。これは本当に親近感を持っているのか、麻生氏よりいいというのか、あるいは足を引っ張っているのかはわかりません。とりあえずは害の少ない総裁が選ばれて、その政策を国会論戦で十分に説明した上で、解散総選挙となるのを願っています。
☆桟敷席 座布団投げる 準備は了
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自民党総裁選-2-三度あったことは・・・?
前回を書いた後で気づいたのですが、そう言えば細川護煕氏も8ヶ月ほどで首相の座を放り出しています。細川氏は祖父が首相(近衛文麿)で父が首相秘書官。二度あることは三度ではなく、すでに三度あったわけです。三度あったことはどうなるのでしょうか? やっぱり要警戒です。
各候補についてそれぞれ一言すると、まず麻生氏は「(某元自民党幹事長)のような部落出身者を日本の総理にはできないわな~」。「創氏改名は朝鮮人が望んだものだ」。「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」などという失言で知られています。「歯に衣を着せないから」とか、「愛嬌がある」という弁護論もあるようですが、最初に当選して選挙区で発言した冒頭で、「下々の皆さん」と言ったのはまあご愛嬌としても、はじめの三つの発言には、何とも底知れぬような黒々とした差別心、心の貧しさが露呈しています。こういう人が世論調査でトップを切っているという話を聞くと、生命力を失いつつあるのは自民党より日本か、とも思ってしまいます。また麻生氏を紹介するのに「オタク文化の理解者」と書かれることが多いのですが、それよりも「下々」の格差社会の人々の状態を理解する方が先でしょう。株の取引益への課税に減税を持ち込むとかいう政策は、麻生氏の目線の届く範囲と限界を示しています。ついでに言っておきますと、オタクに人気があるのが長所の一つとされているようですが、オタクを貶めるわけではないですけど、オタクというのは日本特有のものであっても、いつの間に日本人の代表的ないし平均的な層になっていたのでしょうか。
◎王様が 裸でいられる 秋葉原
小池氏について言えば、氏のような女性が目立たぬならば、どんな女性が目立つのだろうといつも思っています。日本の大学を中退してカイロ大学に入学。その動機は国連の公用語にアラビア語が加わると聞いたからだったと言われ、卒業後はニュースキャスターになり、アラビア語を駆使して中近東の要人にインタビュー。並の人間にはできない発想力と行動力です。その後も参議院議員に比例区から当選。すぐに衆議院に転身。そして兵庫県から「郵政選挙」の「刺客」として東京10区に国替え。これも並ではありません。さらに並でないのはその時々で先達と仰いだ政治家が変わっていくことで、初当選時代に日本新党代表でまもなく首相になった細川氏。以下新進党→自由党代表の小沢一郎氏、保守党幹事長の二階俊博氏、そして小泉氏と、人物鑑定の眼力の有無に迷わされますが、その時々の権力者とすれば正解を外していません。コバンザメに匹敵する遊泳力ですし、その間に勉強もしているようです。もっとも小池氏の政治行動のスタイルならばともかく、総裁・首相としての政策がどういうものであるかはちょっと頭に浮かばないのですが、総裁戦に立候補するならば周囲の知識と情報を吸い取って、付け焼刃ではあっても立派な政策を打ち出すことでしょう。
◎強力な コバンで吸い寄せ 刃につける
空想ですがもし自分が自民党員で、投票権があるとすればひょっとすればこの人にというのが二人います。一人が与謝野氏で、二世でないことは上記の通りですが、それは別としても、人気取りのためでも無茶はしないという印象が強いのが今では貴重だからです。世評では増税派ということになっていますが、私個人としては福祉政策がきちんと行われるのなら、消費税アップもやむ得ないかと、北欧などの実情を聞いても思っています。ただし増税が受け入れられるためには公平感を与えることが必要で、イギリスのように生活必需品を非課税にし、加えて高額所得者の所得税の累進性を高めることを、消費税アップと同時に行うべきです。実行できるかはともかくとして、与謝野氏にはこういう政策を立てることが可能だと思います。なお以下の戯歌は祖母である与謝野晶子の『乱れ髪』をもじったものです。与謝野氏も内心こう思っているのではないでしょうか。
◎裔に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は三バンにぎらせて 上を目指せと教えしや
☆四度目を 避けて救おう 日本国
自民党総裁選-1-羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹こう
福田首相の突然の辞任で、マスコミもブログも次期総裁の下馬評が盛んです。しかし二代続けてトップが職責を放棄したのだから、後継者はその轍を踏みそうにない人物でなければならないという、考えれば当たり前の視点はほとんど見かけません。そのことを棚上げにして下馬評を繰り返す人々は、自民党を支持している者であっても、内心その崩壊を期待しているのではないかと思わされます。あるいは、自民党はもう生命力を失っているというのが、とっくに共通認識になっているのかもしれませんが。ついでながら福田辞任後の政治家の発言で、一番印象に残ったのは谷垣禎一氏のものです。「十分に補佐できなかったという反省があるので立候補はしません」。今時珍しい見識です。淡々と言ったようですが、麻生氏にとっては大きな皮肉でしょう。考えてみると麻生氏は主殺しを二回繰り返したようなものですから。
これまでに報道された総裁選の候補者は7名ほどで、名をあげれば麻生太郎、小池百合子、与謝野馨、石原伸晃、石破茂、山本一太、棚橋泰文となります。このうち二世政治家は半分くらいかと思ったのですが、調べたところ小池氏と与謝野氏のみでした。この場合二世政治家とは国会議員の直系の子孫を指しますが、与謝野氏の場合は祖父母が高名な明治の文学者、父が大使も勤めた外務官僚ですが当てはまりません。小池氏の場合は父親石原慎太郎氏に共鳴して衆院選に立候補したことがあるそうですが、当選はしていません。他は、麻生氏は祖父が首相で父が衆院議員。石原氏は父が衆院議員・都知事。石破氏は父が県知事・衆院議員。山本氏は父が参院議員。棚橋氏は祖父が県知事・衆院議員で父が通産省の「大物」次官。いずれも二世の余禄を十分に享受しているようです。
世の中には二世であることに否定的なことを書くと気に入らない人もいるようで、私も反論されたことがありますが、必ずしも二世であることをもって政治家の資格がないとまで思っているわけではありません。ここでとりあげたのは安倍氏が三世、福田氏が二世の政治家で、その前の小泉氏も三世であったという理由からです。羹に懲りて膾を吹くということわざがあります。本来は熱かったものに口をつけたのに懲りて、冷たいものでもまず吹いてみるという、必要以上に用心することを批判的に言ったものです。しかし安倍・福田両氏がまるで再現録画のように同じように職責の放棄を繰り返し、その前の小泉氏も日本社会になかなか癒えない傷を負わせていることを考えると、誰かを首相にするということは羹に口をつける以上の重大事であり、三人の共通点が「二世」であれば、理由はともあれ今回はそれを避けたほうがいいかと思うのが経験則というものであり、各候補の二世ぶりをチェックしてみるのは当然でしょう。もっとも、二世といっても安倍・福田の両氏の場合は先代か先々代が首相という点でかなり格上のようで、それだけに同条件の麻生氏の場合は保留が必要ということになります。
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ハイブリッド字幕のすすめ
NHKの夜7時半から『クローズアップ現代 』という番組があります(月~木曜)。女性キャスターがほぼ一人で政治社会国際と様々な分野を解説しインタビューしている有益な番組ですが、字幕がついていないのは私にとっていかにも残念です。インタビューは生放送がほとんどのようですので字幕は困難としているのは理解ないこともありません。同じ日のBS2で夜8時半から再放送していますが、後から字幕をつけるには時間が足りないでしょう。ただし実質26分のうちインタビューは1/3ほどで後はVTRなので、ニュースで使っているリアルタイム字幕の導入も考えてよいように思います。
あるいはこの部分はパソコン要約筆記 としてもいい。訓練を要するスピードワープロ に比べ、パソコン要約筆記も容易にできるものではありませんが、それでも入力要員の数が多いという利点があります。ただ「要約」が含まれるわけですから、要約筆記部分の字幕は字体を変えるとか、あるいはそれが機械的に困難なら字の色を変えるという方法も考えられます。字幕の字は少なくとも白黄青赤緑はあるはずで、どれかの色を使えばいいでしょう。手話と違って字幕と音声の食い違いは、聞こえる人にはば誰でも気づくので苦情が出やすく、要約となると尚更でしょうから、要約筆記による字幕は一目でわかるようにしておくことが必要です。字幕のユーザーとしては、大体の場合は通常字幕と要約筆記による字幕で番組の内容は伝わるはずで、私はこれをタイトルとした「ハイブリッド字幕」と名づけたいのですが、どうでしょうか? 機械的に字幕をつけるのとはまた違って、これは純粋に聴覚障害者のことを考えた字幕だと思います。
以上は『クローズアップ現代』に限ったことではありませんが、私がこの番組にこだわるのには実は理由があります。字幕つきで享受したいというのも勿論その一つですが、もう一つはこの番組が一度だけ字幕をつけてNHKの総合で放送され、それを部分的にですが目撃したことがあるからです。大分古い話ですが、5月の24日(土)の夕方にいろいろチャンネルを回していたところ、この番組が字幕を入れて放送されているのに気づきました。あわてて新聞の番組欄を見るとたしかに字幕付の記号もついています。そこで録画をスタートしましたが、気づいたのが遅かったので、残念ながら26分のうちの10分ほどしか録れませんでした。
タイトルは「老後の財産が狙われる~相次ぐ後見人トラブル」で、内容的にも22日(木)の本放送の時に聞こえないので悔しい思いをしたものでしたから、NHKが字幕つき再放送にふさわしいものを選んで放送したとばかり、その時は思いました。そこで、「字幕を付与しての再放送というのは、どういう基準で決められるのでしょうか? 24日は後で新聞を見ましたら確かに[字]と載っていましたが、他に情報がないと気がつくのは困難です。この番組を常に字幕つきで再放送せよとまでは申しませんが、せめて、字幕つき再放送を実施する場合は何日後の何時頃とか、あるいは何曜日の何時頃とかを決めておいてください。そうすれば番組表にも気を配り、せっかくのものを見逃す恐れも減ると思います。」とNHKに投稿してみると、少したって返事がありました。主要部分を抜粋すると、
この番組を5月24日に再放送をしたのは、22日の放送中に、一定時間音声が途切れてしまうという放送事故が発生したため、例外的に実施したもの。「クローズアップ現代」は通常再放送は行っていない。
再放送の際に字幕の送出を行ったのは、当番組は通常はナマ放送で行っており、字幕を作成することが出来ないため、通常の放送では字幕の送出は行っていないが、再放送では字幕を作成する時間が取れたので、送出を行った。
したがって、現時点では当番組の字幕放送を今後も継続的に実施する予定はございません。
これには参りました。「音声が途切れる放送事故が起こったから」。「例外的に実施」。「字幕を作成する時間が取れたので」。字幕を必要とする者の思いに対して、字幕を作って放送するということはそんなに軽いものだったのか、と思い知った感じでした。悪意があったとは思いませんが、しかしもっと工夫をしてくれと言いたくなる所以です。技術の強化に努めて生放送でも字幕を届ける番組を徐々に増やしたいと、回答の最後にあったのがせめてもの救いでしたが。
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裁判員法廷の情報保障
<いずれも「はやとくん」を用いた模擬裁判です>
市民が裁判に参加するという裁判員制度が、来年の5月21日から実施されます。もう10ヶ月後であるわけですが、①対象となる裁判が殺人、傷害致死、危険運転致死、厳重建造物放火、身代金目的誘拐など刑事裁判の中でも重いものに限られえているが、公害罪や収賄罪、あるいは行政裁判の方が市民の参加にふさわしくはないか。②裁判員は量刑についても決定しなければならないが、これは負担が重過ぎないか。③裁判員は参加した裁判についての守秘義務を一生負うが、アメリカの陪審員の負う守秘義務はその裁判の最終判決が出るまでであるので、負担が大きすぎないか、などいくつかの疑問点が出されています。
その意味で私もこの制度に諸手をあげて賛成ではないのですが、中途失聴者がクジで裁判員に選ばれた場合、裁判所はどう対応するかに関心をもって、報道を見てきました。その過程で裁判員を加えた模擬裁判があり、それへの出席者を公募していると人に教えられたので、6月の下旬にミニフォーラムというのに参加してみました。これは本格的な模擬裁判ではなく啓発的な催しで、私の場合は同じ区の比較的近いところで行われたのです。内容は啓発映画の鑑賞とそれをテーマとしての模擬評議で合計3時間ほどでした。啓発映画には字幕がついており、これは昨年知人と私とが強く要求した成果であるようで、その点で感慨がありました。啓発映画は何本かありますが、ウェブでも見ることができます
。
知人の示唆もあって事務局とあらかじめメールで交渉することとし、私は手話を使わない聴覚障害者であると連絡して、情報保障としてはパソコン要約筆記か、法律用語に通じた裁判所の速記官による電子速記で、全文の文字化も可能な「はやとくん
」を要請していたのですが、前者は適当な人が見つからない、後者は速記官の業務ではないということで、手書きの要約筆記者ということになりました。進行中は大過ないようでしたが、後で思うと担当者から当然説明があったと思われる事項についての記憶がなく、やはり細大漏らさぬ伝達は困難であるようです。
事後にはっきりとした話し合いの場がなかったこともあり、ミニフォーラムへの感想意見に併せていくつか質問を主催の東京地裁に送りました。正直駄目元の心境で出したのですが、回答をいただいたのは大変良心的だったと思います。しかしその内容は、手話通訳の評価過程や選定については述べていても、肝心の文字系の情報保障については一言も触れていなかったのはいささか非礼でした。前記の通り私自身が手話は用いない中途失聴者で、ミニフォーラムの場合もパソコン要約筆記者を要請したのに手書きの要約筆記者をあてがわれたからです。「はやとくん」の可能性について目を閉ざしていることも理解できません。実際の刑事・民事の裁判で聴覚障害者のために役立った例もいくつかあるというのですが。
もう一つ、最高裁などの見解として報道されているものに「裁判員制度における障害者施策の検討に際して、最高裁判所では外部の障害当事者等を交えた検討委員会等の設置は考えていない。」および「図面・写真や証拠の録音テープなどを見聞きすることが事実認定に不可欠な場合は、裁判員法の欠格事由に当たるとして視覚・聴覚障害者を選任しないケースもあり得る」というのがありますが、これには当然(?)「答える任にない」という回答でした。それはやむ得ないとしても、前者は当事者の発言を尊重すべきという昨今の流れに反するものですし、後者はほとんどすべての視聴覚障害者を締め出す論拠となりかねないものです。これらの見解が公式のものであれば最高裁は裁判員に関するウェブページなりに掲載すべきですし、そうでなくても早急になんらかの見解を明らかにすべきです。
刑事事件の起訴不起訴を決定するのは検事ですが、その決定に異議があれば出すところが検察審査会。ここでも審査員はくじ引きで決められます。以前は視聴覚障害者は検察審査員となることができないという絶対的欠格条項があったのですが、クジで選ばれてから失格とされた聴覚障害者が抗議し、1999年に多くの欠格条項に先んじてこの欠格条項は廃止されました。それを踏まえた規定のある裁判官制度で今の時点でこの状態では、「仏作って魂入れず」であると言わねばならないかもしれません。
☆我が仏 開眼待たずに 歩き出し
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